2020年
8月
30日
日
*下丹田に結んで受けを制するには体軸側でなければ叶わない。体の変更で非軸足側になるなら、受けの異名側の足が取りの前方へ一歩進めて来る。それに対して取りが魄気を陽にして、与えた手を陽の陽で差し出しつつ静止する姿勢に自然の理を見出しがたい。
2020年
8月
26日
水
*小林裕和師範の体の変更である。我々の一教裏に近似した魄氣の動作。
*受けの手を襟から剥ぎ取って前方に掲げようとする動作では井桁に進めない。基本は大仏の手。体軸側になれば魂氣は陰。坐技呼吸法は振り子運動で軸足交代。
*一教表は直線では入れない。すれ違いになる。必ず真中を撃て。天地投げ同様三角(井桁の角)で入る。入り身投げ表は四角で入る。
*小指球を包んで二教に取った手を前方に掲げようとせず、体軸側として自身の真中にとどめ、反対側の足を非軸足として受けの真中へ魂氣を発する。
*魄氣の陽は軸足を欠いた一瞬の動作であるから、その上で体軸が屈曲していては残心たり得ない。
2020年
8月
23日
日
*突きに下段受け流し突き:自然本体から左足を半歩後ろに置き換えて剣線を外し右半身で剣先は受けの左前頸三角を捉え、受けはすぐさま受けの剣先で取りの剣先を内に払い、同時に取りは陰の魄気となり、左足に体軸を完全に移すとその剣先はわずかに下りて、同時に右非軸足先は剣線を左に跨いで外すから取りの剣先はその足先に揃えてわずかに左にずれる。右非軸足は伸展したまま左軸足前面に重なり、そこを滑るように降りて着地して軸足として、後ろの左足先を受けの真中に向くように小さく早く右足の前に置き換え、同時に右手を狭義の陰に返して左手は狭義の陽で左足腰・下丹田を剣線方向・受けの真中に向けて回す(腰を切る)と共に左半身陽の魄氣を保って柄頭を取る左手を受けの真中へ突き、右手は剣先で受けの右前頸三角を捉える思いで左半身入り身一足(両脚を一本の軸足とする)。
*鳥船の陽の魄気:下丹田が45度前下方に向く。上体は前傾せず直立するから腹式吸気で魂氣(手)を前方に発することができる。それに反して、腰が直角に開くと下丹田を地に向けることができない。魄氣の陽は体軸を一瞬失うので、下丹田が剣線に直角で空間に向かえば腰が浮き、前方へ伸展する手の魂氣は十分に発せられない。
*杖左右直突きの入り身転換は自然本体からの転換。鳥船は三位の体、陰の魄氣から陽へ。
*下丹田に結んだ陰の魂氣は軸足交代のたびに、体軸に与る場合も、体軸から解けて身の軽さを得る場合も、脇と前腕の結びは緩めず(丹田に結ぶ魂氣の陰から陽への兆し)、同側の非軸足先に母指先が同期すること。
2020年
8月
19日
水
*単独基本動作の前/後方回転では、上丹田の魂氣による当身の心の持ちようによって目付の位置が水平に維持されることを再認識するべきである。
2020年
8月
16日
日
*右手が陽なら左手は陰、振り子運動、入り身運動
2020年
8月
09日
日
魂氣で魄氣を導く。
*体の変更は陰の魄気であり、予見をもって陽の魄気とするなら軸足・体軸不在で魂の比礼振りが起こらず魂氣は陽で発することができない。軸足交代への連動は途切れ、魂氣は手の合気に与らず、腕肩手を単に振り動かすだけの動作となる。
正面打ちの接点では〝気結び〟のなされる合氣。〈接点で争わない〉機序を以下に詳述する。
合気とは、手について言えば魂氣三要素の陰陽・巡り・結びを動作することである。結果として接点は固定されない。
正面打ち入り身投げ表を例にして気結びの具体的動作を詳述する。
正面打ちでは、魂氣の珠を掌に包み母指先を内に巡って受けの顔前に掲げ、吸気でその眼列に沿わせて開くつもりである。受けは手刀で正面を守ろうとする。取りの手首伸側が受けの手首尺側縁に触れた瞬間、その間に接点ができる。取りの前腕は手首と肘の間で鎬となって受けの手刀が取りの正中矢状面を外側へずれて降ろされる。
そこで取りの手首、つまり魂氣の接点は受けの手刀の尺側縁から伸側面に移動して魂氣の線を生む。魂線と呼ぶことにする。このことから接点は固定しない。
取りは接触した瞬間に母指先を外に転じて一気に吸気で掌を開く。すると受けの手刀の撓側に魂線が進み、それを越えたとき取りの手首は反屈して腋が完全に開き肘は伸展する。魂氣の陽である。取りの手背は受けの手刀の屈側に着くほどとなり、接点よりも近位に入って緊張伸展し、気結びが成される。ここから陽の陰に巡って受けの顔を取りの掌が包む、当て身となる。
魂氣が陽となる瞬間、同側の非軸足が入り身で軸足交代することで取りの魂氣は自身の上丹田に結ぶ。同時に前進している体軸に与る。すなわち魂氣は相対的に陰で弛緩屈曲の状態で自身の額に結ぶ。体軸の前進は相半身内入り身であり、互いの魄気の結びまでが成り立つ。術技の基本動作としては以下の過程が伴うのであるが、ここでは対側の魂氣は後ろに置くのみとする。すなわち、対側の手は同期して受けの脇の間を直突きし、井桁に進む際に振込み突きで真中を撃つ(上腕を担ぐ)一教表の前段である。
魂氣の相対は点から線、線から面、面から空間へ。魂氣の働きは広義の陰から陽、陽から陰へと巡って結ぶ。魂氣三要素の動作である。
以上は「魂の比礼振り」のタイトル、21を参照。
2020年
8月
05日
水
*陽の魄気で魂氣を陽で発するのは実際は魄で体軸の手を受けに押しつける形になる。陽の魄気では魂氣が既に陰に巡って継ぎ足に向かう。魂氣は既に受けの体軸に響く。
2020年
8月
02日
日
片手取り半歩入り身転換から体の変更と、相半身一歩入り身転換から体の変更の違い
〝自然の法則〟あっての〝千変万化〟
体軸の移動によるいわゆる体捌きとは、軸足を確立して、対側の非軸足を自在に置き換えては軸足に交代することの連続による。植芝盛平合気道開祖(以下開祖)の言葉を集めた『合気神髄』(二代道主植芝吉祥丸監修)の随所に明示されている。
開祖は教えている、〝合気道には形はない〟、しかし〝自然の法則〟によって〝臨機応変に〟魂氣と魄氣を動作することが必要である。つまり、法則性のない動きは決して〝千変万化〟ではなく、合気の技を生み出す動作にはなり得ないということであろう。
足運びというのは単に歩けば技を生み出すというものではなく、手足腰の働きが一方で体軸を作って静止すれば他方で自在に動いて技を生む、左と右のそれぞれの協同を可能とする歩みであるべきだ。すなわち難場歩きである。
相対動作の場合、受けとの間に体軸を結ぶ線(剣線)上で互いの動作が懸かり合っては武技の生まれる余地がない。少なくとも剣線を外す(体捌き)と同時に取りが受けの真中を撃って魂氣を受けの体軸にひびかせると、底丹田を通り抜ける思いで取りの手は自身の丹田に巡ってくる。魂氣が受けの底を抜けば、受けは立っておれない。取りの残心とともに受けは螺旋で地に落ちる。
片手取り
片手取りとは、呼気相の陰の魄気(鳥船で軸足を確立した足腰)で非軸足側の手に魂氣の珠を包んで受けに与えるところから始める。吸気に入って脇を開き、肘を伸展するが手首は弛緩屈曲して母指先は地に向けたままである。受けが異名側の手で、したがって逆半身で、それを取るとき片手取りと呼ぶ。また、同名側の手で、相半身で、それを取る場合は交差取りとして区別する。
片手取り外入り身転換
受けの異名側の手で手首を取らせる瞬間、それ以上の吸気は制せられて呼気に転じ、母指先を内に巡らせると脇が側胸部で閉じる。そこで生まれる剣線上の隙間に非軸足先を半歩更に伸展すると、前腕が腹に着く。内股で着地の瞬間は陽の魄気で、すぐ軸足を交代する入り身と同時に背側へ180度体を転換する。はじめの軸足先は135度外に転じ、膝を伸展して足先が地に触れるだけの非軸足となり、陰の魄気である。取らせた手は小手返しの手(広義の陰、狭義の陽)で下丹田に密着し(結び)、魂氣の珠を包んだまま同側の軸足(魄気)とともに体軸に与る(画像①)。
言い換えると、片手取り外入り身転換は、与えた手を受けの異名側の手と共に半歩の外入り身で自身の下丹田に結び180度反転すると、同側の軸足に直結する体軸を受けの背側に確立する。対側の足は非軸足として伸展し、軽く半歩出した状態で足先を地に置くから動作への備えができる。受けは取りの下丹田に結ぶ手が自身の体軸から離れ、軸足を欠いた体軸は魄氣の結びを伴わず、側弯状態で取りの体軸に寄り添う。受けの五体をも取りの体軸の一部とするのが魄氣の結びである(画像②)。
片手取り外入り身転換から体の変更
陰の魄気で下丹田に結ぶ手は受けに連なり、その五体を取りの体軸に取り込んだ瞬間が片手取り逆半身外入り身転換である。相対基本動作の一つであるから技を生む要素である。ところが、下丹田で同側の軸足と結んで体軸に与る手は地に連なっている。つまり陰の魂氣が魄気に結んでいるからこのままでは重くて動けない。受けに与えた手は不思議な〝身の軽さを得〟て〝自在に動く事が必要である〟。そこで、非軸足を軸足へと交代し、体軸に与るべき魂氣が対側の手に移れば、受けに与えた手は地、すなわち魄気との結びが解けて、吸気とともに緊張伸展した手で自由に空間へと魂気を発することができる(画像③)。
〝千変万化〟と開祖が表現される〝体の変化〟を生じるのは非軸足先によるものであり、これは〝自然の法則である〟。この非軸足を一歩後ろに置き換えて再び軸足とし、半身を元に戻して陰の魄気で一瞬静止するまでが体の変更である。
脱力という言葉を用いない開祖
魄氣は地という重い力を軸足に伝えて更に体軸を作っている。同側の手は呼気と共に体幹と丹田に密着して体軸に預かっており、陰の魂氣が働くものとし、魂氣と魄氣は結んでいると思うことにする(〝心の持ちよう〟)。
陰の魂氣が体軸から解かれることは〝空の気を解脱する〟、また、その過程は〝身の軽さを得〟て〝魂の比礼振りが起こる〟と比喩的に表現される。そこで吸気と共に上肢を全体に緊張伸展して自由に空間へ魂氣を発する動作には〝真空の気に結ぶ〟という思いがあることを開祖は述べておられる。そのことは陽の魂氣の働きであると思うことにする。
このように合氣道は言葉と思いと動作の三位一体であることが『合気神髄』の中に示されている。禊の動作そのものである。合氣道の核心はここにあると考えられる。〝合気は禊である〟。
片手取り相半身外入り身転換から体の変更
逆半身で手首を取らせる瞬間、同側の非軸足先に合わせて母指先を外に向け(外巡りと呼ぶことにする)、半歩前外方に二教の手で進め、上丹田に魂氣を結ぶと同時に魄氣は陽から軸足交代によって体軸を移動する。対側の手は振り込み突きで受けの真中を撃ち、受けがこれを異名側の手で体側から中心に向けて払う。払われた手と同側の足は体軸から解かれており、入り身運動の継ぎ足となるが、ここでは一歩前方に進めて相半身外入り身転換とする。つまり直ぐさま内股で軸足となって同側の手は腰仙部に陰の魂氣で結び体軸に与る。
上丹田に結んだ取りの手は体軸から解かれて同側の非軸足は受けの体側にある。陰の魄気であるが、与えた手と同側の非軸足はいずれも体軸に与らず、受けの魄気との相対は疎である。そこで、非軸足を一歩後ろに置き換えて軸とし、同時に上丹田の魂氣は頬を降りて側頸に結ぶと、受けに連なる手は畳まれて、体軸に与ることとなる。しかも肘頭は受けの胸骨上窩に嵌って取りの体側が受けの体軸に密着し、受けの手は取りの側頸を経て取りの体軸に結ぶ。一歩置き換えて陰の魄気とした軸足は受けの背側で取りの体軸を確立し、結局受けの体軸は自らの魂氣と魄氣の結びを欠いて地から浮動し、取りに密着する。
体軸に与った手はふたたび入り身転換で陽の魂氣へ
片手取り相半身外入り身転換に続く体の変更では体軸が移動して受けに密着し、受けに与えた手は側頸に結んで体軸に与る。つまり、このままでは両者の体軸に魂氣が結んでおり、陽で発する兆しもない。そこで、陰の魄気の非軸足から軸足交代としてその場で入り身転換すると、魂氣は側頸にありながら体軸から解脱して身の軽さを得る。開祖の言葉では〝魂の比礼振りが起こって〟陽で発する〝兆し〟が生まれる。同側の非軸足を軽く半歩出してその畳まれた手を吸気で緊張伸展し、母指先から虚空に円を描くと前腕橈側が受けの側頸に密着して魂氣が受けの体軸にひびき、底を抜いて取りの体側に呼気で巡って体軸に結ぶと入り身運動の残心であり、呼吸法が成り立つ。受けは取りの体軸をラセンで落ちる(動画)。
吸気の一気で掌を開いて遂に魂氣の珠を与えるとき、既に受けは地に落ちている。魂氣は虚空に円を描き、氣の珠は光となってまさに真空の気に結ぶ。言葉と思いと動作の三位一体である。
まとめ
体の変更の足腰の動作は、入り身転換に続いて一歩後ろに非軸足を置き換え、軸足に交代して陰の魄気とする。受けに与えた手は終始丹田に結ばれるが、体の変更により体軸から解かれている場合と、反対に体軸に与って同時に受けの魄氣に結ぶ場合がある。前者は受けに取らせた手(魂氣)に魂の比礼振りが起こって自在に陽で発することが出来る。しかし後者は、続けて再度入り身転換を行ない、軸足を交代しなければ体軸から解かれない。
ところで、体の変更に続いて前腕から遠位の掌までを差し出し、魄気を陽にすることで軸足を一瞬欠如させ、体軸を前方に微動しつつ受けの体軸は取りの背側に留めおこうとする術技が知られている。合氣道に形を持ち込んで伝わったものと思われ、〝自然の法則〟とは言えないことに気付くべきであろう。