稽古の場では〝筆につくす〟ことはできない。
とは言え、説明ずくめでは稽古にならない。
〝言ぶれせずに悟り行へ〟と開祖は道歌で明言された。
この場合の〝悟り〟は開祖の言葉と思いと動作を三位一体で皆が共有して、と解釈するべきだろう。
基本動作や技の名称や分類は吉祥丸二代道主が整えられたという。
合気道の言葉と思いと動作は開祖から二代、三代道主へ、そして直弟子の師範を通して脈々と継承されている。 2025/1/1
吉祥丸道主の『合氣道』(光和堂)は、〝合気道に対する混乱した概念を改めるよう〟〝極く初心者向きに合気道の何たるかを書いた〟著作である。〝とにかく合気道として世に問うたものは最初のもの〟である、と昭和32年7月に前書きとして記されている。
基本動作
そこでは基本動作と基本技法に分けて解説されており、基本動作として、例えば合気道独特の「捌き」「気の流れ」「力の使い方」などを挙げている。
「捌き」には手、足、体の捌きがあり、〝中心の移動により自己の体を捌き、相手を捌いていく〟つまり、〝中心を持って円転滑脱に体を動かしていくこと〟である。
「気の流れ」とは〝機に応じて〟〝自然に無意識に出てこなくてはならぬ〟〝相手の動きを正しく察知することができる〟〝直覚力〟とされている。合気道の練習においては、前述の捌きとともに重要な一面を担っている、と明言される(p93)。
「力の使い方」では、〝自然に、敏活であってしかも素直に、あたかもなだらかな螺旋状円運動のごとき〟〝正しい力の入れ方を理解しなければ〟ならない、と。
呼吸法と禊
次に基本技法として、転換法、基本投げ技、基本固め技、呼吸法の四大部類に分けられた。呼吸法とは、呼吸力養成法であり、気の力のことを呼吸力と呼んでいる。また、呼吸とは、生理的な呼吸にとどまらず〝からだ全体で、天地とともに呼吸することを意味する〟と。そのような呼吸が気力を〝臨機応変たくまずして自然に出し得る〟と説かれている。そして〝自然力の充分なる集中発揮が可能となる〟方法を呼吸法と呼んでいる(p152)。
〝天地とともに呼吸する〟とは、天の浮橋に立ち(道場に立ち)天地の気に気結びする、と開祖の教えにある、稽古のはじめに行う禊の所作であろう。天から心のたましい魂の気を吸気で掌に受け、地からは肉体のたましい魄の気を足底から腰に受ける。それらは拍手とともに呼気によって下丹田で一つになり、肚ができると思うことにする。開祖は〝立ったならば自分が統一していなければなりません。空気を媒介として統一になるのです。呼吸(いき)です〟(『合気神髄』p101)と言われる。
鳥船の足腰
呼吸力を発揮する動作に移ると、まず開祖の鳥船の行である。魂気の珠を包んだ両手が下丹田の両脇に置かれ、右足を軸として直立する体軸を作って〝吾勝〟、左足は非軸足で軽く半歩出して〝正勝〟と呼ぶ(同p69〜70)。
魂気を包んだ手は母指先で地を指したまま吸気に合わせて前方へ振り出され、同時に軸足を伸展して非軸足は踏みつめ、下腿が直立する。体軸を失って体幹軸が直立し、両足の間に移動する。この姿勢を魄気の陽と呼ぶことにする。
吸気相の終末では静止することなく、つまり息を止めることなく、母指を除く弛緩屈曲した指が下丹田を指して呼気相で巡る。同時に体幹軸も同期して元に戻っていくが、足捌きとしては一旦伸展した足が弛緩屈曲して軸足に戻ることとなる。そこで体軸を再び確立して吾勝となるには、下丹田に巡った魂気が魄気と結ばなければならない。その体捌きは魄気の陰ということになる。陽でホーと振り込み突き、陰でイェイと下丹田に結ぶ。
鳥船の手に魂の比礼振りが起こる仕組み
小林裕和師範の鳥船では非軸足側の手はイェイで下丹田に巡るやいなや側腹をすり抜けて軸足の後方へ弛緩して振れる。対側の手もそれに同期して下丹田で魂気を体軸に預けると同時に後方へ自然に振り下ろされる。そこから吸気で前方に魂気を両手で振り込むと、軸足はそれに合わせて伸展され、体捌きと足捌きは魄気の陽となる。つまり、魄気の陰で魂気と魄気の結びにより体軸が確立するのであるが、転換や回転の軸にならなければ必ずしも魂気が丹田・体幹軸に密着し続ける必要はないということだ。
魂気を包んだ両手が下丹田に触れた瞬間すべてを軸足に響かせて体軸とともに地に結んで〝土台となる〟(同p105)。後ろに振れた両手は魄気・体軸から解脱して、〝魂の比礼振り〟(同p108)に喩えられた手であろう。ホーで吸気に移行すると前方に振り込み突き近似で発するが、母指先は地を指したままであって、呼気で空気を包みながら下丹田に巡る。
これも開祖の〝心の持ちよう〟(同p67)であり、動作の成立を裏打ちするのみならず核心を成す思いであると言って良いだろう。
単独動作の振りかぶり呼吸法と鳥船
立ち技相対動作の両手取り振りかぶり呼吸法と鳥船は思いと動作が通底するに違いない。魄気の陽で両手刀を差し出し、受けが第一指間で前腕橈側(手刀の峰)を上から押さえ込もうとする。呼気で足捌きと体捌きによって魄気の陰・正勝吾勝とし、両肘頭が下丹田の脇に軽く触れて弾むと同時に両手の回内と母指の反りによる橈屈と背屈で母指先が中丹田から側頸を指す。この瞬間、前腕に受ける魄力がすべて項から背、腰仙部を経て軸足の魄気に結んで一体になった、と思うことにする。そのとき尺側前腕から小指球では〝身の軽さを得る〟(同p105)、つまり魂の比礼振りが起こって、掌に天から受ける魂気がそのまま発せられる手刀の刃が生まれる。
手刀の峰には下丹田から母指先を通って背側の体軸に流れる魄気、刃には天から掌に受けた魂気がそのまま小指球を通って刃先から〝蕩々と流れる水の如く断続のない、調子の整った、生き生きした〟(『合氣道』p152)魂気の力が発せられる。単独動作では、はじめ前腕に受けるのは空の気である。
行いは言葉と思いと動作の三位一体であり、思いの裏打ち無き動作、あるいは動作の伴わない思いは行いとはなり得ないことを肝に命ずるべきである。
振りかぶり呼吸法と剣素振り
以上の動作で剣を用いれば、入り身一足・勝速日で突いて、呼気相の陰の魄気で体軸を吾勝に戻すと同時に手の魂気は肘頭を通して下丹田に巡り、腋が閉じて体軸の魄気と結ぶことで肘頭は体軸から解脱する。正勝である。まさに鳥船と近似するところである。
そこでは手首が軽く回内・橈屈、背屈で身の軽さを得て母指先の反りに合わせて発露する魂気は上丹田に向かい上段に振りかぶる体勢に他ならない。非軸足先と剣先は体軸から解かれて呼気の終末でありながら、魂気の兆が正勝で天を指している。
吸気で母指・示指先に同期して第一指間を通して剣先から前方へ一気に魂気を発し、同時に非軸足先はさらに半歩進めると正面打ち素振りであり、吾勝・正勝つまり魄気の陰を維持する。小林裕和師範の剣振りかぶり面打ち素振りは非軸足を踏み詰めることがない。
さらに、面打ちの素振りから魄気の陽に進めて入り身一足では勝速日となり、初めて合気の剣の残心に繋がる。
まとめ
下丹田での魄気との結びを瞬時に解脱して〝魂気すなわち手〟(『合気神髄』p181)の母指先が、地を指したまま軸足後方に垂れる鳥船と、人中を指して体軸の背面に結んで吾勝に、小指球が正勝で前上方に発せられる振りかぶり呼吸法の近似性をまず認識すべきであろう。
振りかぶり剣素振りと入り身一足の面打ち残心は片手取りや諸手取り呼吸法の原型であり、それゆえに原型たる剣操法でなければ意味が無い。
さて、呼吸法には、剣を上丹田に巡らせて切り返し面打ちとする術技に由来する動作もある。軸足側の手で巡る切り返しは振りかぶりと大きく異なる動作である。それについては稿を改めて論じることとしたい。 2025/1/25
『合気神髄』p105〜106より
〝五体の左は武の基礎となり、右は宇宙の受ける気結びの現れる土台となる。左、右の気結びがはじめ成就すれば、後は自由自在に出来るようになる〟
〝すべて左を武の土台根底とし、自在の境地に入れば、神変なる身の軽さを得る。右は左によって主力を生みだされる。また左が盾となって、右の技のなす土台となる。これは自然の法則である〟
〝左はすべて、無量無限の気を生みだすことができる。右は受ける気結びの作用であるからすべて気を握ることができる。すなわち、魂の比礼振りが起これば、左手ですべての活殺を握り、右手で止めをさすことができるのである〟
〝土台〟を「体軸」、〝左、右の気結び〟を「転換の繰り返し、体軸を交代」に置き換える。
〝すべて気を握る〟〝すべての活殺を握り〟を「魂気と魄気の結びで体軸を作る」に置き換える。
〝魂の比礼振り〟は「体軸を解脱した非軸足側の手」に置き換える。
左の手足は武技に与り、右は天地に結び体軸を成す。左は受けの魂気と結び、右は自身の魂気と魄気の結びで体軸を作る(p70より、左は正勝、右は吾勝)。左と右で体軸を交代すると、後は連続して体の捌きができるようになる。
左の手足で受けと結んで体軸を確立すれば、右の手足は体軸を解脱した非軸足側の手となり、身の軽さを得て受けの体に魂気を響かせ、自身の体に巡って魄気と結び、自身の体軸を確立することができる(p70より、勝速日の基 左右一つに業の実を生み出します)。 稽古の記録に再掲
2025/2/25
はじめに
合気道に出会った時から何年経っても習熟した達成感をもてず、術理に合点がいかなかったのは徒手技の正面打ち一教である。
初動は受けが手刀で面を打ちかかる。技の完成形は、取りが受けの手刀前腕の掌側を上にして同名側の掌でそれを把持し、対側の手で受けの上腕の遠位側を掴み取って、受けをうつ伏せにして伸展させた上肢全体を地に密着して固める。その過程に術理と術技が形を現しているわけであるが、合気道生には今でも基本中の基本の技と教えられており、一方で最も難しいとされているのではないかと思う。
特定の状況での形はなんとか理解できるものの、裏付けとなる普遍的な術理を教わる機会は長らく訪れることがなかった。そのうちに初めての体験者に指導する立場となり、術技の名称と動作の形を伝えていくだけでは済まなくなっていく。
徒手技の習熟に応じて組み太刀や太刀取りへと展開していく稽古法の場合、手刀が短刀や太刀に代わってそのまま術技が成り立つ訳でもない。技の発展経過から見れば相互に連関しあうものであったと見るべきであろう。つまり、武器技から徒手技への工夫こそ、一教の術理の発見なのである。
多くの先達によって直接教示されたことや、一方でどうしても見とることのできない迅速な捌きへの自分なりの解釈などを積み重ね、直感力や体力の衰えに抗いながら、長い間それこそ試行錯誤を続けている。いわゆる「守破離」の「守」を追求することで精一杯の合気道人生であったと言えよう。
開祖の合気道とは
合気道開祖・植芝盛平語録『合気神髄』より、〝合気は禊である〟〝合気は禊から始める〟と。〝天地の気〟魂気と魄気を丹田に結んで地に直立する体軸を作り、対側の手・魂気に同期して非軸足・魄気を自在に動作しては体軸交代を連ねる。合気道の単独・相対動作における気結びと体捌きである。前者は「呼吸法」(『合氣道』植芝吉祥丸著)、後者は〝入り身転換法〟と呼ばれている。
相手と気結びを成し、その迫力を相手に戻して互いが釣り合う一瞬から相手をその場で、または再び手、足、体の捌きとともに導きながら、技を生み出していくところが合気道の奥義であろう。すなわち、相手の迫力を相対的に無とする動作が気結びと呼ばれ、合気道の様々な動きや技の原点となるのである。相手と一体となる、と表現されることも多い。
気結びの前に力の衝突や拮抗が起こり、それによる互いの停止が一瞬たりとも生じることは、一体となることの対極にあるのだ。開祖の言葉からは「脱力」や「力を抜く」という語句は見出せない。植芝守央道主著『合気道 稽古とこころ』においては「力の抜けた」状態と教示されている。
少し長くなるが以下に開祖の言葉を引用する。〝「気の妙用」に結ぶと、五体の左は武の基礎となり、右は宇宙の受ける気結びの現れる土台となる。この左、右の気結びがはじめ成就すれば、後は自由自在に出来るようになる〟〝すべて左を武の土台根底とし、自在の境地に入れば、神変なる身の軽さを得る。右は左によって主力を生みだされる。また左が盾となって、右の技のなす土台となる。これは自然の法則である〟〝左はすべて、無量無限の気を生みだすことができる。右は受ける気結びの作用であるからすべて気を握ることができる。すなわち、魂の比礼振りが起これば、左手ですべての活殺を握り、右手で止めをさすことができるのである〟(p105〜106)
〝土台〟とは軸足・魄気と同側の手・魂気が結んで生まれる体軸を意味して〝吾勝〟と呼び、対側は魄気から〝解脱〟した非軸足と同側の〝手・魂気〟であり、〝神変なる身の軽さを得る〟と同時に〝無量無限の気を生みだすことができる〟。それは〝魂の比礼振り〟に喩えられ、〝正勝〟と呼ばれる。左右を交代させる手足の捌きが〝心の持ちよう〟で自由自在に連続して体捌きが成される。継ぎ足と魂気の巡りによって五体が一本の〝御柱〟になるとき、まさに合気の技が生まれる。これを〝勝速日〟という。正勝吾勝勝速日という古事記による神名に喩えられたこの術理こそは禊と合気道の術技を繋ぐものであろう。それは次のように明言しているからだ。〝正勝、吾勝、勝速日とは武産合気ということであります〟(p65)。
合気道の正面打ちについて
正面打ちに対する技の起こりは受けが手刀を振りかぶる動作を目視する瞬間である。半身の場合は正勝吾勝で静止しているのが合気道の体勢であって、受けが振りかぶる瞬間、取りが同名側の足を踏み詰めると同側の手は魂気を発することができない。その場で体軸とならざるを得ないからだ。それでも受けの手刀に合わせて互いの中間点で対称的に手首が競り合ったとき、対側の後方にある軸足はすでに緊張伸展して体幹軸との体軸形成を失っている。また、前方の手足は体軸になりきれず、地から足、腰、体幹を通して手に魄気の働きを及ぼし、接点で受けに拮抗して静止するか抑え勝つしか方法はない。この体勢は鳥船の陽の魄気であり、静止すべき形ではない。
合気道では〝どんな機会をこしらえても、自己の気の動きでこしらえることが大切である〟(p18)。〝気が巡るのです〟〝魂の気で結ぶのです〟(p29)。〝魂の気で、自己の体を自在に使わなければならない〟(p18)。〝魄の世界を魂の比礼振りに直すことである〟(p149)。〝自己の肉体は、物だから魄である。それはだめだ。魄力はいきづまるからである〟(p18)。
正面打ち一教表の術理
相半身で受けの振りかぶりの瞬間に正勝で非軸足を進めて同時に魂気を同側の掌に包んだまま母指先から陰の陽(掌屈)で発し、受けの手刀には尺側ではなく橈側で接する。小林裕和師範の教えである。その瞬間手根を伸展・背屈して母指以下緊張伸展で掌を開くと、接点は取りの手首伸側によって線を描いて受けの橈側に向かい、接触面ができて受けの手刀の峰を超え、取りの手掌は天に開いて受けの手刀と体幹との間にある空間へと入る。つまり、取りの母指先から気の流れを思い、緊張伸展した取りの手掌は指先が揃って受けの眼裂を横切りにする動作へと進む。引土道雄師範の教えである。これを気結びと呼ぶことにする。小林裕和師範は「真中を撃て」と。
そこでは受けの体幹軸に取りの魂気と同側の非軸足が接近し、元の軸足は伸展して体軸を失い、いわゆる陽の魄気が生まれる瞬間であるが、その後方の足を同側の手と共に引き寄せると五体が一本の軸・〝御柱〟となる。前述した〝勝速日〟である。受けの体幹軸には取りの体軸が接して一体となり、互いの魄気が気結びしていると思うことにする。ここに互いの競り合いは消えて取りの体捌きが自在に行われる。
後方の手の引き寄せは魂気を包んだまま母指先を振り込み、受けの手刀側の側胸から腋を突く。このとき受けの体幹に接する寸前に掌を開き、矢筈に開いた第一指間を受けの上腕近位伸側に嵌めて陽の陰で包みこむと同時に同側の足は非軸足に交代してそのまま前方に進め、足先は受けの体幹軸に向かって踏み詰める。同時に同側の手は陰の陽に巡って腋が閉じると上肢全体が自身の体幹に巡り、対側の手は掌を返して受けの手刀の手首屈側を取り返し、後方に流して同側の足は吾勝で軸足とする。対側は受けの前三角に進んでいるが魄気の陽から即陰として鳥船近似の体捌きとするから同側の手と共に受けの上腕は下丹田に巡る。受けの対側の手は地に着いて体幹を支える。一教表が成立する。
そこで正勝の非軸足はすぐに膝を着いて下丹田の手は魄気に結んで体軸を成し、受けの上腕に連なるその体幹は地に結ぶこととなる。対側も膝を着いて正座すると受けは上腕屈側と前腕伸側を地に着けてうつ伏せとなり、それぞれが取りの両手から体重を受けて一教表の固めが成り立つ。
おわりに
尺骨より橈骨が太い。手根と尺骨には関節がない。橈骨は手根と母指に関節で繋がる。
掌を天に向けて開けば母指先は橈側に反る。真中を撃って魂気の珠を真空の気に戻せば母指先に導かれて魂気すなわち手は円を描いて体側に巡り、丹田に結ぶ。
道歌〝右手をば陽にあらわし左手は隂にかえして相手導け〟 2025/4/25
稽古の記録 2025/5/16 に掲載
表、は陽の魂氣にて気結びで体捌き。魂気で魄気の働きを起こす。:陰陽巡り結びの三要素と正勝吾勝・勝速日(入り身一足)。
裏、は陰の魂氣にて体軸を交代して対側の体捌き・入り身転換で正勝に戻すと気結び。そこで改めて体捌き。:陰陽巡りと入り身・転換で気結びして入り身一足へ。
点は接触、線は巡り、面で結び、掌中の魂氣は珠から空気中へ広がる。
2025/6/2
ルールに基づく競技武道の術技とは異なり、型の練習でもない。合気道の基本技法を吉祥丸道主は転換法、基本投げ技、基本固め技、呼吸法の四つに分けている。このような分類整理と稽古体系の編成の基盤は開祖の言葉と思いであり、技術が先立って思想が後付けされるものではない。
武士の戦場の格闘技術にも殺傷することによって相手を制御するという思想があったわけで、特にルールや試合のない現代武道の術技に、思想が伴わなければとんでもないことが指導されかねない。 2025/8/11
『合氣道』(植芝吉祥丸道主著)より、「呼吸力」とは、〝合気道において最も大切な要素であり〟〝気の力のこと〟(p152)である。
『合気神髄 合気道開祖・植芝盛平語録』には、「呼吸力」を示唆する開祖の言葉が見出される。すなわち、
〝武産の武の阿吽の呼吸の理念力で魂の技を生み出す道を歩まなくてはならない〟(p12〜13)
〝精神の武は魄阿吽をもって明らかなる健やかなる清き力を出し、つとめて尽くすに至るべし〟(p61)
〝魂の気で、自己の身体を自在に使わなければならない〟〝自己の肉体は、物だから魄である。それはだめだ、魄力はいきづまるからである〟(p18)〝魄が下になり、魂が上、表になる〟(p13)
古来、心のたましい〝魂は天に昇り〟(p80)肉体のたましい〝魄は地に下り〟(p80)、間を充たすのが気であると教えられてきた。
そして、〝一切の力は気より〟(p131)、〝気は力の本である〟(p132)
〝気は一切を支配する源・本であります〟(p129)。
心のたましいが持つ生命力を〝魂気〟(p181)、肉体のたましいが持つそれは魄気と言い表される。
〝禊がれてはじめて本の始めに帰ります〟(p80)
〝合気は禊である〟(p150)〝合気は禊から始める〟(p145)
「呼吸力」とは呼吸を伴って相手と気結びする技術力である。気結びとは相手と接触した接点より拳一つ分中に入った取りの気力が受けに伝わり、魂気は取りのそれに一体化され、受けが体軸の確立を失った状態である。
一方の手・魂気が同側の軸足の魄気と結んで吾勝・体軸となれば、対側の手はその同側の非軸足とともに魂気を発し(正勝)、充分な力の集中発揮が可能となる。空間に発する魂気を広義の陽の気、体幹に巡って体軸に与る魂気を広義の陰の気と呼ぶことにしている。
2025/9/16
合気道では、魂気の球を包んで蓋をした母指の先から常時気流を発する思いのもとに、掌屈から伸展しながら掌を開く中で剣になぞらえた母指を抜き、背屈・回外から一気に回内へと剣を振りかぶる動作が必須である。刀操法の手がそのまま手捌きになるのだ。
したがって手根と肘を固めて手刀を作った上肢が終始肩を中心に動いても、それが手捌きにはならない。魂気の巡りや正勝吾勝に喩えられた手足の変化と統一が取りの体勢として発現されなければ相手を導くことができないからである。
禊で手に包んだ魂気の珠を思う動作が開祖の〝魂気、すなわち手〟という言葉に現されていると考えられる。
掌を開き、指を伸ばして手根を固め、肘まで伸展したままこれらを手刀にすれば、元来剣を操作する手捌きは戻って来ない。
2025/10/10
吾勝を意識的に確立することは、正勝の膝から遠位を反射的に緊張伸展して足先の地に対する接触が限りなく希薄となる実感の生まれることと等価である。〝正勝吾勝〟は体軸を成す軸足と正反対の非軸足が両立する瞬間を現す植芝盛平開祖の比喩的用語である。
変化に富む統一こそ働きを持つ(富木謙治著『武道論』より、統一を欠く変化は弱く、変化に乏しい統一は働きを持たない)。
吾勝の足は地を踏み詰める魄気、手は体軸上を昇り降りする、陰の魂氣による。
2025/12/9 再掲
発兆とは吸気に伴う緊張伸展した手を表すこととし、開いた掌で魂氣が丹田から大気に発せられ、結んだ相手の手を経て気力がその体軸に伝わる状態である。
巡りとは呼気に伴う弛緩屈曲した手を表し、丹田から発せられた魂気は珠を成して掌に包まれ、蓋をした母指だけが常時伸展しており、母指先からは体軸側に向かう魂気が発せられていると思うことにする。心の持ちようが全てに先立つ。
正面打ち一教表の手捌き
母指先から抜刀で上丹田の高さに魂気を発し、受けの手刀の前腕尺側に取りの手首の橈側が接して橈屈・回外で横切りから巡りに入ると魂気は受けの真中を外れていく。つまり受けの肘は取りの前腕から内にずれて取りの真中に位置する。そこで正勝は軸足に交代して対側後方の手足が魄気を解脱し、返し突きで受けの上腕伸側を合谷に嵌めて、送り足とともに受けの真中に巡り、半身を転換した勝速日の体勢となる。今や前方の手足を正勝として陽の陰から母指先方向に巡りつつ陽の魄気で下丹田が魂気を迎え、魂魄の結びの瞬間は陰の魄気で魂気は体軸を作って吾勝を成し、同側の手は陰に巡って受けの手首を取り、魂の比礼振りで後ろに振れ戻る。受けは堪らず対側の手掌を地に着ける。
はじめの抜刀は手刀の尺骨手首を受けの手首に合わせるのではない。母指先を自身の上丹田の高さに保ち、目付は水平に、ということである。接点が受けの手刀の前腕近位であっても尺側に変わりはない。取りにおいては橈側手首が点、線、面を作って受けに入るのであって、これこそが魂気の気結びの核心と言えよう。交差取り一教表の手捌きに術理上何の矛盾もない。
発兆を広義の陽、巡りを広義の陰と言い換えることができる。一方、掌を天に向ける狭義の陽、地に向ける狭義の陰との混同に気をつけるべきだ。また、広義の陰で、狭義の陰は小林裕和師範の二教の手、同じく狭義の陽は小手返しの手と同義である。
2026/1/19
軸足と対側の手が下丹田で結び体軸を作る吾勝、 一教表。
軸足と同側の手が下丹田で結び体軸を作る、 片手取り入り身転換。
片手取り体の変更は軸足と同側の手が体側に結び体軸を作って後ろの足は一歩後方半回転で置き換え、目付を反転すると体軸に交代し、三面に開く。与えた手は体側で母指先を外に向けた正勝となっており、尺屈によって下丹田で同側の足・魄気に結んで体軸を作り、後ろ転換で吾勝が確立する、 片手取り体の変更・後ろ転換=後ろ一回転。
交差取り後ろ回転昇気呼吸法は、体側に結び後ろ半回転で対側の昇気とその同側の軸足で体軸を作って受けの異名側半体幹に結び(魄気の結び)、体側の手を尺屈、同側の非軸足を内転する軸足交代で後ろ転換すると、魂氣は腰仙部に結んで体軸交代にて吾勝が確立し、対側は正勝、魂の比礼振りで側頸から陽の陽に発し、入り身一足で勝速日。 2026/2/3
① 納刀抜刀呼吸法:両手を回外して納刀で撮らせ、中段に抜刀横切り。一方は小手返しの手で体側に巡って地に結ぶ。他方は弛緩・屈曲・回内で振り被り、垂直に立てた前腕を受けの胸に着けてさらに回内し、陽の陰で母指先方向に巡る二教の手・陰の陰で下丹田に結ぶ。
② 陰陽の巡り呼吸法:右手を陰・二教の手、左手を陽・小手返しの手で取らせ、〝右手をば陽に表し、左手は陰に返して相手導け〟。
③ 「包めば球体開けば気体」で取らす。 2026/2/3
吾勝・体軸を成す魂気と魄気の結び:同側か、あるいは左の魂気と右の魄気の結びか、四肢が一体となる体軸か。
片手取り入り身転換
巡った魂気が陽の魄気で丹田に結び、転換に伴い陰の魄気となって同側の魂魄の結びが体軸に預かり吾勝を成すのは片手取り入り身転換の捌きである。
正面打ち一教
巡った魂気が陽の魄気で丹田に結び、その場で陰の魄気に巡って軸足側の魂気が丹田で解脱し、後ろに振れ戻る一方、対側の手は丹田に結んだまま魂気と魄気が交差して吾勝、つまり体軸を確立するのが一教の手捌き足捌きである。即非軸足の膝が着いて同側の魂氣と結んで体軸の交代が起これば正座にて固めが成る。
四方投げ
魂気は受けの同名側の手刀手首を取って非軸足先とともに剣素振り近似で受けの後ろ三角の頂点を指し示し、袈裟斬り近似で魂気は下丹田に巡り、陽の魄気で対側の手は腰仙部に結び、継ぎ足で体軸は一本の御柱を成す。つまり勝速日が確立して四方投げの残心が生まれる。
2026/2/18
柄頭の左手・魂気と、軸になる右足・魄気の結びで吾勝・体軸を確立する剣左半身面打ち/突き、さらに剣切り返し/上段返し左半身面打ち
杖尻の巡りで上段返し逆半身面打ち
交差取り一歩退き逆半身外後ろ回転で正座して一教裏
正面打ち一教表、三角法で逆半身陽の魄気から陰の魄気(非軸足の膝を着き座って固め)
正面打ち一教裏、入り身転換から体の変更で陰の魄気(後ろ転換で座って固め)体の変更は一歩退き体軸に交代するから陰の魄気、つまり正勝吾勝 2026/3/19