2010年
11月
28日
日
一教運動裏は剣での受け流しとの近似(表は氣結びの剣)を体得。徒手では母指と母趾の一致。
背当て入り身投げに近似であるが受けの外側頚部に肘が接触して結ぶ**
*片手取りでは取り受け共に陰の手を忘れないこと。次の陽を示す訳で、陰→陽→陰の巡りと結び。
**片手取りに代表される呼吸法裏は諸手取りや突きや四方投げの持ち方から行うと、それぞれ昇氣の呼吸法ができない分、この方法を選ぶ。諸手取りは降氣から母指を後ろに、横面打ち・陰の陽で昇氣、四方投げの持ち方は肩の高さで陰の陽に巡る。
2010年
11月
24日
水
片手取り入り身
片手取り入り身転換
諸手取り入り身転換・結び
諸手取り入り身(「合氣道の特徴」3.入り身と残心 •入り身に伴う魂氣の陰陽 に詳述)
後ろ両手取り後方入り身(魂氣の呼吸法による処理を伴う魄氣の陰が主体)
後ろ両手取り前方入り身(「合氣道の特徴」回転にて詳述予定)
*相対的に狭いなかでの稽古においても接触時の受けとの最短距離に変わりはない。結んだ後の踏み出しや置き換えの歩幅、そして回転の径を縮めるしか無い。魂氣の陰を強調することも必然である。それらのことで動作の速さが強調される。受けにとってもこれらを心得ておくことが要点。
2010年
11月
22日
月
中盤は順不同です。
諸手取り一気の巡りは一教表裏で指導していただきました。
今年は呼吸法がありませんでしたね。
*片手取り呼吸法表裏を除くと、諸手取りや交差取り・横面打ちから四方投げの持ち方での呼吸法は背当て入り身投げに相当せず、肩と上腕が受けと接触した側の外側頚三角当て・前腕母指側は対側の外側頚三角当てということになります。背を受けの胸に重ねることができない分、少なくとも入り身転換時の十分な密着と魂氣の陰の陽が弛くならないことが必要です。目付と呼気(魂氣の陰)での胸の張りが要訣です。終末陽の陽の魂氣では魄氣の踏み替えや送り足に支えられて最大限の吸気が行えます。いつもの稽古をイメージしていただくために敢えて記載いたしました。
510名という人数でしたから受けとの間合いは最短で始まり、最小半径の転換・回転、入り身送り足も短い距離で行うために魂氣による巡りで補わないと結べません。
坐技は膝行を行う領域の確保困難なため、私は殆ど呼吸法のみで結びましたから坐技片手取り四方投げは、受けが取りの手首から肩・頭に接して対側の肩を経て臍下丹田に落ちることになりました。取りは受けに取らせた手を陰の陰(二教の手)にすること、対側の手で四方投げの取り方をして手の甲を額に結ぶ(こちらも陰の陰)ことが肝要。そこから離れず体内を降氣のイメージで臍下丹田の直下に巡って地に結ぶと、狭い場所で間に合います。ただし受けでは体内を密に屈折しながら陰の氣が巡るイメージとなり、身体各部では窮屈な痛みが自覚されやすいことになります。
2010年
11月
17日
水
*魂氣を一気に巡らすときの問題点は二つ
①魂氣三要素のうち最も肝心な結びが難しくなる。
②取りの魂氣と魄氣の結び(手足腰の一致)も困難で、元来魂氣の巡りが先駆けとなるので足腰の遅れが目立ってしまい、受けとの間では魄氣の結び(入り身)が不十分となり、離れ過ぎかぶつかりに陥りやすい。受けを凌いでも残心の成立が妨げられる。
以上2点から魂氣三要素を一気に行うこと(速さ)は十分修練を要する。
2010年
11月
14日
日
2010年
11月
10日
水
2010年
11月
07日
日
片手取り呼吸法陽の陽から四方投げ表・裏(陰の陰からに比較)
立技正面打ち一教連続運動裏;受けの正面打ちに取りは後手で一教運動裏、受けは仙骨に結んで後ろへ一歩入り身転換・取りは後ろの足を前に送って半身、受けは踏み替えて臍下丹田に魂氣を廻して取り受け交代となり昇氣・肩まで進めて陰の陽で止めて対側から一教運動裏…。
*後方の足を真中に進めて軸足とし目付は後方に、内巡り陰の陽で外側頚三角まで昇氣を徹底して後、肩を超えてから同側の足を進めて陽の魄氣(手足腰の一致)で魂氣を陽の陽、送り足で残心。対側の手は終始後ろに陰の陽。
**入り身転換・内巡り昇氣、肩を超えて陽の陽に、このとき同時に対側の手は後ろに陰の陽として魄氣は踏み替え。
入り身転換を体の変更と区別しない指導もあるが、本来は背当て入り身投げであり、腕当てではない。表の場合も裏同様の目付であることに留意。また、そもそもの接触経緯に関わらず入り身の瞬間受けに接した側の魂氣は如何なる場合も広義の陰である。踏み替えで魄氣を作ってから魂氣を陽に。
受けは残心の取りにたいして真後ろに落ちている(もはや取りの視野に入らない)。
2010年
11月
01日
月
合気道について習熟・上達とは、国語辞典風に言えば、合気道の成り立ちと単独基本動作を十分に理解し、相対基本動作に慣れてそれを自分のものとし、良く出来ているということであろう。
単独動作呼吸法に注目すると、吐いた状態で陰でも陽でもない魂氣(吸い始めようとするとき)で取らす、あるいは打たす、または打たれると、接触から呼気で巡って吸気で陽の魂氣の後丹田に呼気で巡るという一呼吸で魂氣三要素を表現できる。または、接触と同時に一気に巡って陽として、速やかに吐いて丹田に結ぶ陰の魂氣とする。左右の上肢が陰陽でそれぞれに巡って三要素を表していく。互いの上肢が衝突しないで取りが巡っていくからには、接触とは必ずしも密着を示すものではない。しかし、結ぶことは本質的に一つとなることであり、一瞬でも密着して直接氣力が伝わるものでなければならない。
このような呼吸法が上肢の動作を可能にしていくのであるが、同時に足腰の基本動作が呼気で陰の体または転換、吸気で陽の体の後は呼気と送り足で残心という原則に則りながら、魂氣に密接に連動していく(結んでいく)ことが合氣において必須である(手足腰の一致)。
「自分のものとする」は、状況を問わず達成できるようになること、緩急の限界を極めることとも言い換えることができる。「良くできること」とは、途切れること無く、繋がりを意識させない一連の動作と呼吸で一つの技が結果的に産まれることであり、これが合気道である。
また、稽古を積んで慣れることとは、呼吸も動作も悉く基本に集注する結果、単純で迅速な動作と一定の目付に行きつくことである。従って、陰陽・結びの不明な動作、途切れる巡り、入り身・送り足・目付の不定、転換・置き換え・踏み替えの欠如、これらはいかに外見が迅速でも基本を伴わない動きの連続に過ぎない。
受けも取りと同等に相対動作を行わなければ技は成立しない。結びの無い受けとの間には取りの魂氣の要素が欠落し、足腰の動作が空虚なものとなり、そこで受け身をするのは偶発的でしかない。受けの必然を体現してこその受け身である。
普段の稽古のみならず昇級・昇段・指導・演武においては特に留意すべきことである。