2014年
2月
26日
水
*入り身投げ/天地投げの残心は丹田に陰の陰で結ぶ。陰の陰で入り身運動の残心。対側の魂氣は陰の陽で腰の後ろに結ぶ。
*四方投げの残心は丹田に陰の陽で結ぶ。横面打ち入り身運動の残心。対側の魂氣は陰の陽で腰の後ろに結ぶ。
*諸手取りでは、四方投げ/一教は、相対動作呼吸法の片手取りや交差取りで“降氣の形から陽の陽”と同じ。他に呼吸投げ/二教・入り身投げは“降氣の形から回外”、呼吸法(背当て入身投げまたは後方入身投げ)は“降氣の形から脇を開いて陰の陽で側頸の結び”。
2014年
2月
19日
水
*片手取りでも交差取りでも降氣の形から陽の陽で全く同じ動作。
*手背・手首・肘を使って受けの手刀を横に押して倒そうとすると押し合うことになる。母指先の反りの方向に手掌が開き、手首が反屈し、それに伴い脇と肘が開く。接点が巡る。接点で結ぶとは接点より中に母指先の氣が入る。いわゆる氣を出すという動作。接点か接触面で手背を擦り上げても母指先を先駆けとする魂氣が受けの及ぶところの内に入れない。「概要」のロゴマーク参照。「天地の結び」の「13. 魂氣の動作」参照。
2014年
2月
16日
日
2014年
2月
12日
水
*転換で前方に置いた足先は、踏み込んで軸とする際、上体の入り身運動で受けに漆膠の身を取れる間合いでなければ、そのまま踏み込めないから受けの足下に寄せる。前の足先を受けに詰める。
2014年
2月
09日
日
*徒手では陰の陽で下段に与える魄氣(足腰)の陰は前方の足先を、交差のときの受け流しの軸足を作る(降氣の形から相半身外転換か逆半身入身)、交差のときの相半身外入り身へ進める、片手取りでは外巡り転換へ外へ置き換え、外入り身転換へ半歩進める、後ろ回転の軸足とするなど、その場で方向を置き換えるか、様々に進めて軸とする。……画像参照
*与えた腕は降氣の形で入り身運動・受けの諸手は縦に並ぶ。
*合気道は、受けに対して緊張と魄力で魂氣を与えて行くよりも、むしろ単独基本動作に帰するところの自己の確立、禊に終わる動作であると云える。したがって、陰陽の巡りや送り足から残心に終わる自然体に、特有の潔さが生まれるのである。それが殺気やその威嚇とは明らかに異なる活気を体現していることが、動作を見る人にも伝わるはずである。
2014年
2月
05日
水
*額に結ぶ手背は受けの魂氣を四方投げの持ち方で取っているから、受けとは取りの体軸で結んでいる。そこで初めて後ろ回転の軸足が確立できる。その後で置き換え・踏み替えが可能となる。魂氣と魄氣の結び無くして後ろ回転は動作できない。後ろ回転の軸足は入り身転換の陰の魄氣に通じる。
*右手を降氣の形から陽の陽で母指先の反りの方向へ 左手は降氣の形から回外して陽の陰で受けの真中から母指先方向へ
*諸手を縦に並べて上にある前腕へ二教の固め。相対動作での二教や三教の固めは単独動作の延長である。痛みを感じる直前に合図をし、解かれた瞬間の快刺激を蓄積するうちに筋肉も循環も健康を増進できる。
*受けの合図を無視し喜々として一層固めを強めるのは合氣ではなく狂氣である。開祖が稽古人の節々を破壊する様教えている個所は『合氣神髄』に見当たらない。直弟子の師範が二教の固めを解く際の快刺激は絶妙で、未だそれを越える体感を経験していない。
*有効か有害かは紙一重であるとともに、氣を与える取りの心も様々な状況においては紙一重であるから、受けに対する気持ち以前に自己を見つめることが肝要である。
2014年
2月
02日
日
*魄氣の違いで以下の動作と比較:外巡り外転換で対側の振り込み突きを取りの正面振りかぶりとして・取らせた手の脇を閉じて回内・陽の陽で横面打ち入り身運動・振りかぶった魂氣で二教に。外転換・逆半身外入り身(外して詰める)。上記の当日稽古の技は、外巡り逆半身外入り身・送り足で相半身外入り身。ちなみに一教運動は相半身内入り身・送り足で逆半身内入り身。この三通りの魄氣の展開を動作で区別する。
*魄氣三要素は元来単純であるが、受けとの位置関係を生じる相対動作では言葉での表現がどうしても複雑にならざるをえない。
*裏は魄氣を入り身転換・置き換え踏み替えの後ろ回転・相半身外入り身(演武のみ)
*前方回転の軸足はその場で作る。わずかでも置き換えて軸足に踏み込むと、無駄な動作が一つ増えることと、軸のぶれが起こること、それによって受けとの魄氣の結びに隙ができ、回転の終末で受けに対して相半身外入り身の体勢が取れず、前の足先が正確に受けの軸足を捕らえることができない、など多くの不具合が生じ、当然技の成立は覚束ない。
*1月の稽古同様、様々な技に共通する魄氣の相対動作の形と、それぞれの技において異なる点(間合い)の体得。