2016年
5月
29日
日
*鳥船と体の変更では魄氣の陽を形として動作できるが、転換、入り身転換、回転では目に映ることはない。しかし、魄氣の陽抜きで軸足交代は成し得ない。鳥船では体軸交代に至らないから魄氣の陽が目に留まる。
*降氣の母指先が前、膝が後ろ、間に臍下丹田の延長が地に並ぶと、取りの体軸は前屈みで目付けは地に落ちる。受けの軀幹の底を抜くことができない。受けは前屈みで両足間に体軸を維持する限り安定である。
*触れたら異名側の母指球を包んで体の変更・後ろ回転で小手返し。
突きに逆半身杖巡りで額から振り降りた手が受けの手に触れず、両手を陽の陰で入り身投げ。
*触れたら同名側の母指球を包んで対側の手で受けの小指球側を下から持ち替えて外巡り、同時に離れた手を振込突きで上段に発するから受けは異名側の手で払い、それによって相半身外入り身転換で受けの脇の内に結ぶと三教裏。
坐技交差取り降氣の形から陽の陽で結び陽の陰に巡って陰の陽で丹田に巡る、二教。
2016年
5月
25日
水
*両足で地を踏むのは正立、鳥船の陽の魄氣、そして入り身の残心のみ。動的な姿勢は軸足の確立(陰の魄氣)が静止の基本。陽の魄氣が入り身の瞬間の形。転換・回転は魄氣の陰陽と軸足の交代。軸足の交代は広義には陽の魄氣。
*いきなり陰の陰で丹田に結ぼうとすると、所謂押し下げる格好となり、伸展した受けの上肢であれば魂氣が響くことはできない。陰の陽で小指から包んでいくと、受けの上肢を縦に起こすこととなり、受けの脇が開いていって受けの体軸に連なるなかで陰の陰に巡ることができる。三教から二教。
*五級審査:自己確立とは個々人にとっての壮大な調和であると考えられる。思いと行動と言葉はそもそも人の行い、人の存在の根本であり、互いに認識し合うことのできる価値を自ずと各人が求めていく行為こそ生きることの本体であろう。自我を思い、他を知り、調和を喜ぶ自らの姿に力が生まれるとき、元気を感じるのである。満たされた思いの感じ取れる瞬間は貴重である。その連続を願わないものはいない。一歩一歩進む道が自らを育んでいるし、やがてそれが限りある尊いものであることに遅かれ早かれ誰もが気付くのである。人はそれを先達に教わってきた。それでも、それであるからこそ、間違いなく人は変わらないものを求め続けるのである。
2016年
5月
22日
日
*受けの母指球を包んだ手は陰の陽で丹田に結び。後ろ回転とともに受けの手は小手返しの手に。
2016年
5月
18日
水
*入り身・転換は非軸足の置き換え・軸足交代で捻り棒ばねの復元により解かれた非軸足先がその場で踏み換わることで体軸が45度〜180度回る。または復元力で再び置き換えて軸足交代・踏み換わりが連なると回転であり、体軸は360度回る。
*軸足の底は地を45度以上捻らない。
① 降氣の形から陽の陽:脇が開くことはない。丹田から肘・前腕へは体軸を通って魂氣が母指先へ出ると思う。手首が反屈するにつれてむしろ肘が体側から丹田に寄るほど脇は固く閉じる。母指の反りが手掌を開いて陽の陽の魂氣で脇が開く。
② 下段に与えて外巡り・振り子運動で肘を落として(脇を閉じて引き戻すのではなく)、母指先は天に向き受けの手首尺側に母指球が接して、回内していくと陽の陽で手背が受けの前腕伸側に密着する。取りの体軸はさらに入り身運動へ。受けの対側の手が地に着くと、取りは横面打ち入り身運動坐技で魂氣を陰の陽で丹田の前の地に結ぶ。受けの背を覆うように魂氣と魄氣の結び。
③ 下段に与えて外巡り・振り子運動で肘を落として、母指先のみ天に向き受けの手首尺側に母指球が接し、入り身運動で上肢は畳まれて降氣の形と成る。このとき取りの側頸の高さで陰の陽の掌が受けの手首に下から回ってそれを包む。母指球を回外して広義の陽で突き出すと受けの手首を取り返している。さらに手首を伸展して示指球まで直線とした上肢は陽の魂氣が受けのつぼ・脈拍部に示指球を経て響く。片手取りを四教で取り返す。
*昇氣呼吸法を一気で行えば技らしくなる。しかし、自然本体や四股立ちではなく、魄氣の陰から膝と足先を剣線に沿って更に伸ばして一瞬の陽の魄氣で入り身・残心へ。受けは取りの伸展した下肢を滑るように螺旋で背側へ落ちる、と同時に取りの魄氣は陽から軸足交代で残心・魂氣は体側に巡って直立。
*陽の魄氣は入り身・残心という体軸移動への過程であり、陰の魄氣に巡る鳥船とは異なって視認し得るものではない。
2016年
5月
11日
水
*陽の陽は手の反屈で一教運動の結び。陽の陰は入り身投げの側頸に結ぶ魂氣。いずれも三教の手である。
*外巡りは魂氣を陰の陰で脇を開く。脇を閉じると降氣の形から回外した形に一致。受けの腕の外側に接した取りの母指先が天を向くと全指を伸ばして回内。他指が屈曲のままで陰の陽なら受けの腕を取り返す。
2016年
5月
08日
日
*左半身ホー・イェイでは、なぜ手首が屈曲したまま呼気に転じて丹田に巡るのか。サー・イェイで手指が全て伸展して吸気が最大限魂氣を発する広義の陽と比べ、動作の違いは何処にあるのか。まさに、三位一体で識る他ない。形、動作の生まれる仕組みは語句とその思いによる。受けを抑え、投げるという結果は合氣道の術理が形で表れるものであって、呼吸法が自他共栄を生み出すのである。わかることが動作の切っ掛けであり、結果である。自己確立ありきであって、他者の存立に主体がある訳ではない。
*徒手の振りかぶりは剣の鎬。正面打ち先手(画像①②)、後手(画像③④)、四方投げ、交差取りや後ろ両手取りで降氣の形から回外して額への結び(画像⑤⑥)。
2016年
5月
05日
木
*陽の陽は合氣体操の手の反屈。その角度で陰に巡ると二教。母指先から陽の陽の魂氣が限界まで発していなければ、陰に巡っても二教とするには更に四方投げの持ち方(鳥船の陰の陽の突き出し)に進めることが必要となる。陽の陽は肘の開きが180度以上に(画像③④)。
*後ろ回転の終末は陰の魄氣、前足先を剣線上に置く。回転せず入り身転換だけで両足底を踏ん張って受けの手首を捻ると、取り自身の体軸も捻って目付けと残心を欠く。また、魂氣の丹田への結び(合氣)が伴わない。
2016年
5月
01日
日
*外転換から入り身転換・体の変更で陽の魄氣にて天を前方に放ち、地は丹田に結ぶ(受けの両手の間で杖を陽の陰で上から取って対側の杖先は丹田に)。
*横面打ち外転換で振り降りた手を杖に置き、対側の手を交差して受けの両手の間で杖を上から取り、その同側の足を受けに近づけて置き換え軸として、上体の入り身運動で側頸を開く。始めに置いた手を陰の陽で側頸に結び、後ろの足を入り身して同時に陽の陽で発する。このとき母指先と拇趾先を揃えて踏み込むと対側の継ぎ足で残心が叶う。
*触れると狭義の陽に発する柔軟さが陰の陽(画像①②)。
*下段に与えて片手取りも交差取りも陽の陽で外転換から対側の手で手首か母指球を包んで、陽の陽から陽の陰に巡って手背を刈るか、受けの矢筈から手背を取りの前腕屈側で覆う。取りの動作はいずれも魂氣を狭義の陽から陰へ巡るだけ。
*前方回転により相半身外入り身で受けの項に魂氣で正面打ち近似。同名側の受けの腕が畳まれて項に巡る。魄氣は同側の足先が受けの後方の足元を指す(画像⑤)。