1. 畳んだ手の母指と非軸足の拇趾

 上肢を畳むという巡りは、魂氣を陰とすることで次の陽で発する前段階となる。同時に半身を転換しつつ間を詰めて受けの体軸に接し、取りの交代した軸足を確立して魄氣も陰となり、入り身の準備状態を作ることができる。そこにあるのはやはり手足腰目付けの一致と言って良い。

 したがって側頸に結んだ陰の魂氣に合わせて、魄氣がすでに陽であっては入り身が伴わない。片手取り昇氣呼吸法では、転換した陰の魄氣から対側の非軸足を再度軸とし(画像①②、側頸から陽の陽で魂氣を発すると同時に同側の足を入り身して(画像③④)残心とともに魂氣は陰の陽で体側に巡り結ぶ。その思いは、魂氣が受けの同名側の頸部から体軸に響き、底丹田を抜けて取りに巡ることで受けは地に落ちて技が生まれる。

 取りが丹田へ魂氣を陰に巡る中で、手を畳むという言葉の思いは腋と肘と手首を閉じて中丹田とみなす側頸に母指先が向かう結びが典型であり、上丹田への結びはそれに次ぐ。下丹田や腰仙部への結びは手首から遠位は弛緩屈曲しているがひじは伸展する。したがって陰の魂氣であっても畳むと言う表現は似合わない。腋の開け閉めで表現すれば、上丹田や頂丹田への振りかぶりは最大限の開きで、下丹田や腰仙部の結びは腋を完全に閉めて上肢全体が体幹に密着する。

 陰の魂氣のうち、肘も腋も畳んで手首を弛緩屈曲する動作は降氣の形としている。単独呼吸法でそこから腋を開いて母指先を側頸に着けた後下丹田に降ろすことによる。いずれにしても、あらゆる陰の魂氣の動作で、変わらないのは母指の伸展であり、母指先の反りである。陽の魂氣はともかく、陰の魂氣でこそ氣を発する根元としての働きを全うするのが母指である。転換や回転において軸足の交代・確立の多くの場合は、魂氣が広義の陰となって何れかの丹田に結んでいる。つまり母指先の方向は下丹田の結びなら内/外を指し、昇氣や降氣では側頸や地を指す。振りかぶりは頂丹田を、鎬では上丹田(額)で内巡りとする。        

 一方、魄氣の方向を示し、軸足交代の根元となるのが、魂氣の母指先と同期する非軸足の拇趾先である。それは魂氣の陽で同一方向となり、陰では反対の方向を取る場合が多い。何れにしても、軸足に裏付けられた陰の魄氣が非軸足を自在に進めるのである。

                                      2016/7/21

画像①左半身片手取り:右半身へ入り身転換した陰の魄氣の右非軸足に対して左軸足と同側の魂氣を左側頸に昇氣で結んでいる。
画像①左半身片手取り:右半身へ入り身転換した陰の魄氣の右非軸足に対して左軸足と同側の魂氣を左側頸に昇氣で結んでいる。
画像②右半身片手取り
画像②右半身片手取り
画像③左半身片手取り:右足を内股に踏み換えて軸とし、左拇趾を入り身で進め、左母指から陽の魂氣を発する。
画像③左半身片手取り:右足を内股に踏み換えて軸とし、左拇趾を入り身で進め、左母指から陽の魂氣を発する。
画像④右半身片手取り:左足を軸として右拇趾を入り身で進め、右母指から陽の魂氣を発する。
画像④右半身片手取り:左足を軸として右拇趾を入り身で進め、右母指から陽の魂氣を発する。

2. 受けの移動と入り身投げ

逆半身外入り身と相半身外入り身の投げ

 これら入り身に魂氣が陽の陽で発せられ、受けの側頸で陽の陰に巡って陰の陰で取りの下丹田に結ぶと残心とともに入り身投げが生まれる。

 

逆半身外入り身投げ

 一つには相半身陽の魄氣から軸足を交代すると同時に受けの背側に逆半身陰の魄氣で非軸足を一歩進め、陽の魄氣として軸足を交代し、体軸を移動する継ぎ足で残心。同時に両手で魂氣を巡って逆半身外入り身投げ表である。突きに相半身下段受け流しで剣線を外して軸とし、非軸足となった後方の足を一歩前に置き換えて逆半身外入り身として回外した魂氣を陽の陰で受けの異名側頸に結ぶと、やはり逆半身外入り身投げ表である。

 

 魂氣の働きの違いで逆半身外入り身投げ裏は二法に分けられる。

①正面打ちに一教運動裏で逆半身外入り身転換・反復転換 

②正面打ちまたは突きに逆半身横面打ち外入り身転換・反復転換

 

相半身外入り身投げ

 相半身外入り身投げ表は、逆半身外入り身を一教運動表で相半身に転換して相半身外入り身で非軸足を受けの後方の足元へ進める。相半身陰の魄氣にて下段受け流しで剣線を外した非軸足を半歩進める相半身外入り身投げもあり。

 

 相半身外入り身投げ裏は①②で入り身転換から体の変更近似で前の非軸足を後ろに置き換えるが、魄氣を陽ではなく陰のまま軸足を交代し、対側の足を外に置き換えて外転換で相半身外入り身として受けの後方の足元へ非軸足を差し入れる。隅落とし裏、両手取り天地投げ裏に一致する。

 

受けの移動に応じる入り身

 取りの初動が入り身転換である場合は裏とするが、受けの体軸移動に合わせた入り身、すなわち体の変更から外転換により相半身外入り身も裏となる。つまり、外入り身転換から体の変更で軸足を交代して受けの体軸を流し、外転換で再度受けの背側から相半身外入り身で取りの魄氣に結ぶことができる。

 受けが移動すれば元居た場所を背部から取る。端的に言うとこれが相半身外入り身裏である。擦れ違って取りの進む方向に受けを倒すことが入り身投げの本体ではない。

 

入り身の本質が足・腰・目付け(魄氣)の動作を定める

 取りの胸が受けの同名側の背に着く体軸の結びが入り身投げであり、それに比べて呼吸法では、取りの背が受けの異名側の胸に着く結びとなる。

 このような体軸の接触は互いの魄氣の結びということであり、これなくして入り身は成り立たず、したがって入り身投げは生まれない。取りの魂氣が受けの体軸に響くためにはこの魄氣の結びこそが必須である。

                                      2016/7/31

3. 残心の姿勢

 残心という言葉の解釈を心の持ち方とするのはともかくとして、その静止した姿には最大限の視野を維持しつつ、即座に四肢・体軸の動作に移行できる安定と変化を併せ持つことが要件となろう(一眼二足三胆四力)。

 つまり、単に動作の途中で静止するという不安定な形では、両足を踏ん張って腰を低くし、安定であることをいかに強く念じようとも、軸足と非軸足の確立が伴わない限りは安定に連なる次の動作へ進むことはできない。それでは術技上の静止たり得ないのである。安定と変化を併せ持つとはそういうことである。

 そもそも残心での静止は技の完了と表裏一体を成すものである。ただし、受けが地に倒れることのみをもって技としての動作が終わるわけではなく、取りが天地に氣結びして正立が叶わなければ意味がない(画像①②)。そもそも合氣道における技とは呼吸と共に氣結びすることで生まれるのであって、技を掛けることで受けが倒れるものではない。

 なぜなら、魂氣と魄氣の結ぶ禊を持って武とする道、すなわち合氣道であるからだ。いかなる解釈を合氣道に関して行おうとも、開祖の言葉と思いを離れては動作がさまようばかりである。

                                       2016/8/6

画像①片手取り昇氣呼吸法の残心(左手は体側に、右手は腰に結ぶ)
画像①片手取り昇氣呼吸法の残心(左手は体側に、右手は腰に結ぶ)
画像②四方投げで下丹田に結ぶ投げの残心(地に結ぶ固めとの違いに着目)
画像②四方投げで下丹田に結ぶ投げの残心(地に結ぶ固めとの違いに着目)

4. 技を生む

『合気神髄 合気道開祖・植芝盛平語録』P12

すべては一元の本より発しているが、一元は精神の本と物体の本を生み出している。 中略

宇宙世界の一元の本と、人の一元の本を知り、同根の意義を究めて、 中略  武産の武の阿吽の呼吸の理念力で魂の技を生みだす道を歩まなくてはならない。

 

以下のように理解するところである。

 天地の間、世のありとあらゆるものは氣によって成り立っている。人の心のたましいは魂と呼び天に昇り、体のたましいは魄と呼び地に下りる。そこで、天から受ける氣を魂氣、地から受ける氣を魄氣と呼ぶ。

 鳥船の行で魂氣と魄氣を呼吸と共に丹田に結べば肚に氣力が充つるわけである。また、坐技単独呼吸法、これは魂魄阿吽の呼吸で天地に結ぶ禊である。この思いを四肢の動きに表わすことで、受けとの間に魂氣の結びを呼吸と共に行い、取りの丹田に巡り結ぶと個々の技が生まれることとなる。

                                      2016/8/11

5. 形の確信と氣の思い

 言葉だけ、あるいは思うだけ、または動作だけのいずれもが合氣道の本体とは言えず、その三位一体こそ合氣そのものであろう。

 ところで、稽古を重ねるたびに形に確信を持つようになると、氣が体内に生じたり、それが動作に効力を持つというものでもないようだ。

 氣の陰陽・巡り(出入り)を思い、動作することにより緊張伸展・弛緩屈曲が限界から限界まで行われるのであって、それとともに魂氣と魄氣が体軸上の五つの各丹田で結ぶことを思うから、自ずと姿勢が定まる。相対動作ではこのようにして技が生まれ、その外観が形である。

 形の確信にこだわるあまり魂氣の思いが顧みられないなら、合気の稽古は遠のくことになる。

 広く行われる講習会、研鑽会、合同稽古会では、このような形の確信に陥ることなく、魂氣の特徴や働きに思いを巡らせて動作することにより合氣道を見失わない愉しさがある。開祖の言われる愉快に稽古するという意味は正にそれではなかろうか。

 確信を深めるばかりで心技が硬直するのではなく、魂氣と魄氣の働きや、三位一体の観点を失わないことこそ、開祖の言われる『心の持ちよう』ではあるまいか。

                                      2016/8/15

6. 三位一体の“思い”について

 言葉と思いと動作の三位一体について。

国語辞典により“思い”を整理し、以下の意味を採るべきであることがわかる。

 思い:心がその対象に向かって働くこと。その内容。

 意い:心に思うこと、気持ち、言葉に込められている内容、意味、わけ

 意味:言葉の表す内容

 思い描く:ものの姿・形などを心の中で想像してみる

 思い浮かべる:心に浮かべる・描く

 思いを凝らす:集中して一心に考える 

 

つまり、願う、とか念じると言う意味は不適切である。

 

 人の心のたましいは天に昇り魂と呼び、体のたましいは地に下りて魄と言う。天と地の間はことごとく氣で満たされている、と思い描くことが先ず大前提である。

吸気で上肢を天に向けて開くと天から受ける氣を魂氣と呼び、両足で立つ足底には地から氣が昇り、魄氣と呼ぶ。呼気とともに上肢を畳んで体表に着けると魂氣は丹田から体軸に伝わり、下丹田で魄氣と一つになり、体軸は軸足に直結して地から直立する。

 このように思い浮かべるとき、魂氣は吸気で丹田から母指を経て発せられ、呼気で屈曲した上肢の屈側には、魂氣が下りて丹田に取り込まれる。吸気で伸展した上肢を陽、呼気で弛緩屈曲すれば陰と呼ぶことにより、魂氣は陽で発せられ、陰で体軸に満たされる、と心に思うことができる。

 たとえば魂氣の要素の一つである陰陽と言う語句に、これらのことを思い浮かべて動作するとき、言葉と思いと動作の三位一体と呼ぶことができる。氣というものが実際に発揮されて動作が付いてくるものではないから、“思い”が願いや念じることでは無いということは明らかである。開祖の言われる『心の持ち方』であって、筋力や仕事量に併行して出現するべきものではない。

                                      2016/8/22

7. 理合なき形の変遷

 受けの正面打ちの振りかぶりに対して鎬を作り、剣線を外して受け流し、逆半身返し突きで入り身転換から上丹田の陰の陽の魂氣は受けの手刀の上方に(陰の魄氣故相対的に)陽の陽で氣結びし、対側は(陽の陰の返し突きから陰の陰に巡って)陰の陽で側頸に結ぶと体軸は互いに接して、取りの胸部半身が同名側の受けの背部半身に密着する。

 次に入り身転換反復で魂氣を陽の陰に巡って受けの異名側の頸部に結ぶ、もしくは陰の魄氣から体の変更に引き続き外転換で受けに対しては相半身外入り身で魂氣を受けの側頸に結ぶ。正面打ち入り身投げ裏である。

 これについては、初心者の取りに対して指導的立場の受けがよく採る動作を以下に記す。

 正面打ちに続いて目付けを地に向け、体軸を極度に前屈することで互いの体軸の結びを避けて、受けの側頸に結ぶべき取りの魂氣が陽の陰に巡れず、したがって当然陰の陰で取りの下丹田に結ぶこと(残心)はできない。つまり、受けの体軸に取りの魂氣が響くことも底を抜くこともできないので技は成立しない。

 水平に出した取りの上肢屈側に受けの前頸部と胸部が覆いかかる状態で互いが静止する。取りはそれを精一杯肩で肘の屈側を挙げようと力むが、受けの体重がそれに懸かって動かない。その事が、魂氣の効果、使い方、魄氣の使い方など氣の鍛錬が不十分である証左だと指導する場合が少なくない。

 それで、手足腰の動作について工夫を重ねるうちに、氣に関する多くの語句とその意味や思い描く動作の三位一体がむしろ薄れてゆき、相対的な動作の合理性に限って究めようとする先には合気道の理合が忘れられ、武術の伝統なきあらたな動作の発展へと彷徨することになろう。

 武術性が失われず潜在する動作には理合を伴い、武術性をすべて排しながら尚且つそれを武道としての動作に求めるとき、合気道の伝統的理合まで多く失われることになろう。

 元来、正面打ちから受けが前傾・前屈になりえないという理合を残しつつ受けの側頸に陰の陽の魂氣が結び、体軸が互いに接する動作があり、更に対側の魂氣が受けの眼前で巡って結び、そこから陽の陰で側頸に重なり、両手が側頸に結ぶから体軸を経て底まで響くのである。

                                      2016/8/28

8. 受け流し

 合気剣の様々な型にも、受けの剣を取りが剣で受け止める動作は見当たらない。すると、受けが振り降ろした手刀を筋力によって手刀で受けて尚且つ止めるという稽古が合気道でおこなわれるだろうか。合気の技法は剣に通底するものであるはずだ。突きでは手首に取りの手刀を打ち降ろしたり、横面打ちには手刀で受け止めてから何か技を掛ける、というようなことが合気の動作であり得るのか。

 魂氣と魄氣を想定して手足腰を呼吸に合わせて動作するとき、魂氣の巡りが両手の円運動に繋がり、魄氣の三要素が軸足を代えつつ動静を連ねるのであるから、互いが力の均衡で止まるという手の基本動作は考えられないはずである。

 魂氣を思い浮かべる手の単独動作では、陰陽が弛緩屈曲・緊張伸展。巡りは吸気相の陽から呼気相の陰へ母指先が方向を転じて丹田に向かう。結びは呼気で丹田に着いた状態であるが、そこで停止せずに、次の吸気で発せられる方へ向けて母指先が離れていくときも巡りと呼び、内巡り、外巡り、回外、昇氣、降氣の方向がある。つまり、呼気相の終末で陰から巡り、吸気相に移るとそのまま陽となって再び発し、陰に巡って再び呼気相に入る。呼吸に伴う動作の繰り返しである。

 相対動作となれば、取りは陰の魂氣で下丹田や上丹田に結び、陰の魄氣や入り身・転換に伴って受けの魂氣に触れては陽へと発し、狭義の陰に巡っては丹田に還る魂氣が円を作り、その間の互いの魂氣は止まらず、受けの上肢は流れるのである。このように、触れて流すのが受け流しであり、そのとき魂氣は陰の陽で結んだ下丹田から上丹田に掲げた上肢で鎬を作っている。

 氣にまつわる多くの語句が氣の様々な特徴を込めており、それらを思い描く動作はそれぞれに呼吸法や基本動作のなかで峻別されてしかるべきであろう。

                                       2016/9/2

9. 打突は吸気、切るは呼気

 呼吸と魂氣の関連を明らかにすること無しに、合気道の術理を論じることも伝えることも困難である。

 魂氣の働きは陰陽・巡り・結びの三要素に表され、それぞれを呼吸とともに思い描くことがそれぞれの動作を形作る。

 上肢を前方に緊張伸展する打突の動作は魂氣の陽であり、魄氣の陽である足腰の緊張・前進と胸郭の挙上へと伝わり、吸気相に相当する。しかし両上肢が左右から剣を絞り、前方に伸展することで胸郭の拡大はままならず、自ずと腹部の拡張による腹式吸気が優勢となる。

 打突の極限で瞬時に呼気相へ移り、陰の魄氣となれば腹部は緊張縮小し、上肢が弛緩屈曲して下丹田に巡り、次の腹式吸気により再び打突へと動作することができる。

 この場合、筋力を反復して用いるだけではなく、魂氣の思いを剣先に持つことで呼吸による氣力の循環を感じ取ることができる。則ち、吸気で剣先から魂氣を発するとき、同時に峰と上肢に天から魂氣を受けており、呼気相で下丹田に巡るときは上肢の弛緩屈曲に伴って発した以上の魂氣が巡ると思えば、氣力が容易に衰えることはない。開祖の言われた、心の持ち方である。

 正面打ちでは呼気で陰の魄氣のもと上丹田に振りかぶるが、吸気の陽の魄氣で頂丹田に振りかぶればそれは胸腹式吸気であり、呼気で振り降りて下丹田に巡ると切り下ろす動作である。手刀では頂丹田に母指先が結び、呼気で小指から下丹田に陰の陽で結ぶ振り降りる動作であり、横面打ち入り身運動・入り身転換や、受けの正面打ちの動作に相当する。

 打突は吸気、切るは呼気ということは、前者の振りかぶりは呼気で上丹田に結び、後者は吸気で頂丹田に結ぶということである。

                                      2016/9/13

10. 両足で地を踏んで手を操作すること

 鳥船とは地から魄氣を受け、両足を固定して呼吸と共に魂氣を発しては下丹田に巡り、気を養い充実させる動作である。魄氣の陰陽と魂氣の陰陽を揃えて動作する。

 呼気で魂氣を下丹田に結び、軸足に腰と体軸と目付けを直結するから膝で屈曲する。対側は足先まで伸展して地に置く姿勢となる。これを魄氣の陰とする。

 吸気で軸足は伸展して体軸は前方に移動するが、その足底は変わらず地を踏みしめる。一方、非軸足は下腿を垂直にして地を踏み、魂氣は直立した体軸のもとに前方へと発せられるから両足の地への踏みつけで体軸の移動はその間に止まる。前方の足に連なる腰は同側の手と共に前方に寄り、半身の姿勢を取る。再び呼気によって両側の魂氣と下丹田は体軸と共に後方の軸足に直結し、正対して陰の魄氣となる。

 軸足を持たない陽の魄氣や自然本体で、魂氣の陰陽、つまり手を差し出したり振りかぶったり丹田に巡るような動作は、鳥船で示されるように体軸は静止して直接地に結ばない状態を意味する。そのままでは瞬時に動き始めることができないということである。何故なら軸足の交代が決まって初めて新たな非軸足を置き換えることができ、目付けが定まり、同時に同側の手によって魂氣を巡らすことが可能となるからである。

 魄氣の陽とは体軸移動と軸足交代の前半に相当する瞬時の動作であり、入り身の初動である。しかし入り身は残心や転換に連なる動きであり、決して途中では止まれない。残心では二足が一本の軸足となり、転換は交代した軸足を持つ陰の魄氣であるから、いずれも非軸足の置き換えで自在に体軸の移動を続けることができる。その過程で魄氣の陰陽、つまり入り身・転換が反復することは体軸移動の本体である。そして歩行そのものであることに気付くはずである。

                                      2016/9/24

11. 後ろ取りの初動

 軸足のままでは入ることはできない、したがって軸足側の魂氣を発して与えることはできない。そこで、後ろに体重を預けた瞬間に、前の足先だけ僅かに差し出すことはできるが、既に陽の魄氣から試みても後ろの足をそのままで軸足にはできない。先ず陰の魄氣とならなければ前の足を非軸足とすることができない。鳥船の動作である。

 つまり体軸移動や魂氣を発するためには、陰の魄氣こそ非軸足先を半歩進めるために必須である。

 今、後ろ肩取りの初動を一眼二足三胆四力の教えから考察する。自然本体で右肩に受けの手を感じた瞬間、その接点は両者の共有点となった訳で、取りの本意で動かすことはできない。つまり接点側の足腰を軸として対側の足を剣線上に内股で差し出して軸足へと交代し、入り身転換によって目付けと体軸を受けに正対する。

 接点を含む矢状面で受けの手によって天地に分かれた空気(上は真空の気、下は空の気と現されたものと考えられる)に、取りの手と足先はそれぞれ魂氣の陽と非軸足を進めることができる。受けの手刀が取りの魂氣を抑えにかかることで、魂氣三要素を動作し始めることとなり、合氣が始まる。すなわち、一気に結ぶか、あるいは再度入り身転換で魂氣を上丹田に巡って下丹田へと降氣で結び、受けの魂氣と体軸が取りの魂氣と魄氣によって芯から結ばれる。

 さらに体の変更で元の半身に戻り、陽ではなく陰の魄氣とすれば受けを取りの中心に導きつつ受けとの間に逆半身内入り身の隙間をつくることが出来る。四方投げや小手返しなどの技を生むため、さらに回転や入り身転換を行う間が必要であるからだ。

 後ろ取りの初動には眼を第一に置くことができない。眼に連なる体軸を入り身転換で正対することによって魂氣と魄氣を働かせ、転換や回転に進める。

                                      2016/10/2

右を軸として左足を半歩前に進めて軸足に交代し、入り身転換で右半身・その場で反復して左半身・体の変更で右半身の陰の魄氣
右を軸として左足を半歩前に進めて軸足に交代し、入り身転換で右半身・その場で反復して左半身・体の変更で右半身の陰の魄氣
左足を軸として右足を半歩進めて軸足に交代して左半身へ入り身転換・反復して右半身入り身転換まで
左足を軸として右足を半歩進めて軸足に交代して左半身へ入り身転換・反復して右半身入り身転換まで

12. 演武大会より 四方投げ

 前方回転の軸足を作るとき同側の手は四方投げの持ち方で受けの手を取っており、それを上丹田に振りかぶる(画像1)。回転の間、結びを解かないことは言うまでもない。始めからずっと頭上にさし上げるのは、同側の足腰が陰の魄氣で軸を維持して回転する動作を損ねることになる。

 回転し終えたら、着いた足先が軸となって対側が非軸足となる。そこで初めて同側の魂氣は額から陽で発して、受けの手と共に正面打ち近似で前に差し出すことができる。単独動作の前方回転正面打ちに他ならない(画像2)。打った瞬間下丹田に巡って入り身運動で残心とするから、受けは取りの後方へ螺旋で落ちる(画像3)。

                                      2016/10/7

画像1:右足を軸とし、右手を額に振りかぶって結び左足を非軸足として前方(壁の方向)に回転し(右足は袴の下で内股になっている)
画像1:右足を軸とし、右手を額に振りかぶって結び左足を非軸足として前方(壁の方向)に回転し(右足は袴の下で内股になっている)
画像2:左足が軸足に交代すると右足が非軸足の陰の魄氣となり、足先が受けの後ろから真中を指し、同側の手が正面打ちで陽の魂氣を発して受けの項に結ぶ
画像2:左足が軸足に交代すると右足が非軸足の陰の魄氣となり、足先が受けの後ろから真中を指し、同側の手が正面打ちで陽の魂氣を発して受けの項に結ぶ
画像3:臍下丹田に巡って入り身運動で残心へ
画像3:臍下丹田に巡って入り身運動で残心へ

13. 魂氣と魄氣の働きを動作する

 陽の魄氣で陰の陽の魂氣を上段に与え、受けの手刀との接点で掌を開き上肢を陽へと伸展して結ぶとき、軸足交代については大腿が膝から直立して腰がその分僅かに前進し、体軸も僅かに前方へ移動する。 

 同時に後方の足は送り足で前の足背を被うようにして非軸足となる。それで半身が交代した。手刀に結んだ魂氣は陰に巡って額に結び、軸足と体軸と魂氣は一つに繋がって陰の魄氣となる。初めて対側の手と非軸足は共に受けへの逆半身内入り身で真中を振込突きで直撃することができる。

 しかし、陽の魄氣から軸足交代する際、前進する体軸と受けに結んだ魂氣が額に巡る距離には明らかに不均衡があり、魂氣を含めた上体が退くことで受けとの一体感は失われる。

 他方、魂氣を巡らすこと無く軸足交代した場合、半身も転換して陰の魄氣となる一方でその軸足側の魂氣が丹田、即ち体軸に結ばず受けの手刀に結んだ位置にあっては、魂氣を与えたままで自身の魄氣との結びが解けたままになる。つまり、腕だけで一瞬受けの手刀に拮抗するべく陽の魂氣を発し続けると、実体は緊張伸展の持続となり、非軸足と共に陽の魂氣を発すべき反対側の上肢まで筋力で動かさざるを得なくなる。

 

 魂氣の働きの特徴は、開祖の道歌より、左手を狭義の陰に返すから右手は狭義の陽で表わすことができる(画像①)。同様に左手を広義の陰に巡ることで、右手を広義の陽で発することができるのであるから、そもそも陽の魄氣ではなく、陰の魄氣で魂氣を上/下段に与え、発するのが術理であるということになろう(画像②③)。

 また、直立二足歩行を特質とするヒトの動静を手足腰目付けの一致として言い換えることで、軸足と腰と丹田に手が結び体軸の確立するところに合気の基本があるものと考える。

                                     2016/10/15

画像① 左手を狭義の陽(広義の陰)、右手は狭義の陰(広義の陽)。狭義の陰陽については文中の説明と左右が逆の画像である。
画像① 左手を狭義の陽(広義の陰)、右手は狭義の陰(広義の陽)。狭義の陰陽については文中の説明と左右が逆の画像である。
画像② 左半身片手取り 昇氣で呼吸法:左手足腰で目付け(体軸)を確立し、右足腰に軸足交代した陰の魄氣から左手足を進める
画像② 左半身片手取り 昇氣で呼吸法:左手足腰で目付け(体軸)を確立し、右足腰に軸足交代した陰の魄氣から左手足を進める
画像③ 右半身片手取り 昇氣で呼吸法
画像③ 右半身片手取り 昇氣で呼吸法

14. 難場(ナンバ)歩きと基本動作

 軸足に体軸が直結し、魂氣が丹田に結べば、非軸足は陽の魂氣を発して進み、陰に巡って軸足交代で残心もしくは半身の転換。

  魂氣を膝に置けば前/後方回転。一教運動表は井桁に進み、裏は鎬で軸を作って返し突き。“悉く難場歩きが体軸の入り身・転換、回転を可能にする”。

 

 軸足を作り、然る後に同側の魂氣を発しようとすれば、魂氣と魄氣の結びがならず。その際、体軸の周囲で魂氣と非軸足が巡るのではなく、体軸そのものが捻れて目付けは定まり難い。

 そこでは体の切れを求めても、平衡を保つために捻れを抑制する動作が勝るのみである。つまり、術理が基本動作に反映されない限り、修錬に応じた鋭い切れは生まれないであろう。

                                     2016/10/25

15. 返し技の始点

 単独呼吸法坐技の“両手で氣の巡り”や単独基本動作の入り身運動と転換・回転、あるいは我々が行う一教運動などは、禊・鳥船を魂氣と魄氣の働きとして合氣に展開していく上で重要な基本であることに違いない。

 

 取りが行う魂氣の動作では陰陽の巡りが必須であり、陰は取りの各丹田に結び、陽は母指先の反りによって受けの真中に発する。また、魄氣においても、非軸足を進める先は受けの体軸の延長が地に交わる点である。

 

 それらを外したなら、受けに対して魂氣と魄氣の働きが及ばないばかりか、瞬時に取りと受けが逆転する切っ掛けとなるであろう。

                                     2016/10/28

 

16. 陽の魂氣と非軸足

軸足側の手を前に振りかざすのは難場歩きの正反対である。

武術に特徴的な手足腰の用い方を強調する一方で、それが合氣道の基本動作へ反映されないことに無頓着であってはならない。

氣を思う心が緻密に動作を生み出す中で、魂氣を発し巡らす要所こそ指先であり、丹田への結びの核心こそ軸足の確立であることは肝に銘ずるべきであろう。

体幹の各丹田に巡る魂氣の結びと、同側の軸足を貫く魄氣は難場(ナンバ)歩きの中心であり、そこでは受けが一体となって在り、取りは対側の手(陽の魂氣)と足(非軸足)を存分に受けの中心へ進めることができる。

                                     2016/10/31

片手取り入り身転換で剣線を外して、受けの中心を前方に指し示す体の変更
片手取り入り身転換で剣線を外して、受けの中心を前方に指し示す体の変更
片手取り呼吸法裏:母指先は拇趾先に合わせて魂氣が陽で発し、受けの側頸に結び体軸へ響き取りの体側へ抜けて残心
片手取り呼吸法裏:母指先は拇趾先に合わせて魂氣が陽で発し、受けの側頸に結び体軸へ響き取りの体側へ抜けて残心

17. みな阿吽のうちにある

 横面打ちの上肢を伸展する働きについては、伸筋群と屈筋群の両方の働きを前者の優位なまま維持し続けることにある。尚且つ腋の開閉についても、拮抗筋群の活動のうちの開く働きと閉じる働きが、振り被りと振り降ろしでそれぞれを優位に設定する意志て動作されることになる。

 ところで、突きや正面打ちで剣線を通った受けの手を、取りが内/外転換に合わせて下丹田の前で手刀打ちする動作も形の上ではそれと同一である。しかし、取りが体軸の前で行う合気の振りかぶりと振り降りは前述の筋肉動作と異なり、陰の魂氣の働きとして行われる。

 すなわち、振りかぶりでは、頂丹田に母指先を着けることで上丹田までの真中を受けに与える。振り降りでは、小指から下丹田に巡って陰の陽で結ぶという思いが先立ち、降氣の動作である。

 つまり、随意筋で挙げ下ろしするのではなく、魂氣の陰を吸気で体軸上の頂丹田へ昇氣。ただちに呼気で下丹田に降氣で巡るから、振りかぶり、振り下りる動作ということになる。意志によって随意筋で動作しないし、いちいち拮抗筋の緊張が伴うわけではなく(実質的には筋力も骨格もかかわるわけだが)、魂気という言葉とそれを思い浮かべるなかでの動作の三位一体であるから、正に魂の比礼振りで魂氣三要素(陰陽・巡り・結び)を表現するわけである。単に脱力して手を動かすというようなことではない。

 真の術理が体軸を作り、自己は確立され、みな阿吽のうちにあることを、正勝、吾勝、勝速日と解したい。

                                      2016/11/8

18. 転換入り身と入り身転換を峻別する理由

 前者ではそれだけで呼吸法や隅落とし、小手返し(転換反復)などの技が成立し、後者では更に体の変更や反復入り身転換、後ろ回転などが続いて同様の技が生まれる。前者では表、後者は裏と呼ばれる特徴をそれぞれの技に見出すことができる。

また、もう一点重要な相違点が含まれることをこれまでも指摘したが、今回、再度まとめることとした。

 すなわち、それぞれの相対的な初動の違いについてである。前者は後手で剣線を外して入り身、つまり外して詰める。後者は同時打ちで、入り身して後に転換で外す、つまり詰めて外す動作である。入り身のみでも詰めて継ぎ足の残心で外すから同じ括りにできそうだが、それは送り足から井桁で進む一教運動表の魄氣の動作として区別している。

 さて、後手は外転換入り身、同時は入り身転換から変化、と分かれたが、今、魄氣の陰陽と入り身・転換から目付けに要件を移してみる。外転換は剣線に直角の目付け、入り身転換では剣線に沿って受けの真中から180度転換する目付けである。目付けの重要性とは、その水平を向くことによる軸足の確立と体軸の直立にある一方で、剣線に対する各丹田と腰の向きが定まる点にある。外転換は目付けを剣線に直角とすることで、軸足・腰が剣線から外へ離れて確立され、非軸足先は剣線の対側へ完全に退けて置くことができる。したがってそれを軸足にして後ろの足を入り身することで、転換入り身、外して詰める、が成り立つ。

 目付けを外転換のそれに定めながら、軸足の確立では、非軸足を受けにも剣線にも近い点へ進めてから軸足に交代すれば、元の軸足は剣線の対側に退いて非軸足となっても、そこから詰めることには問題がある。それは、初動で曖昧に詰めた上、不十分な位置に軸足交代がなされ、非軸足は剣線を外しても、それを踏んで再度軸としていざ入り身となってどうであろう。非軸足は剣線に近いため受けに対して逆半身入り身がそもそも動作できない。不十分に外してその分少し入り身となって、さらに詰めるにも受けの外へ進めきれないのである。

 後手で外すことは、手刀でさえ真中を守りつつ剣線から瞬時に可能な限り離れる動作であり、正に生死を分ける初動である。また同時で入り身により詰めることは、受けの真中を剣線の横から確実に打つことで相打ちから回生する動作であり、これも生死を賭ける初動である。したがって、剣線から離れきらない動作、受けの真中を打ち切れない詰めはいずれも初動で術理を失っていることは明らかである。そのとき目付けは一致させるべき方の手足先を選択し切れていない。

                                     2016/11/13

19. 順番の動作は阿吽で一つになる

 合氣道の成り立ちの根本は、魂氣と魄氣の各丹田での結びによる体軸と軸足の確立にある。非軸足と軸足の交代に伴い、魄氣三要素が魂氣三要素の働きと同期する事が可能となり、それは相体動作へと拡大する。

 

 これらの動作を初動から稽古する中で、手順がどうしても必要となる。説明する方も、理解する方もいくつかの動作を順番に展開する中で、手足腰目付けの動作は前後しながら順番に行われるわけであるが、次第にそれらを統合しつつ、身体各部が同時に動作していくこととなる。

 

 その過程は、魂氣と魄氣を思う中で動作することによって達成できる。したがって呼吸と共に一連の動作が完結するわけで、魂魄阿吽とは正に合氣道の本質を表現する言葉である。

 

 稽古の積み重ねに伴って四肢体軸目付けの手順からいち早く抜け出て、一気に巡る残心を思い浮かべ、阿吽で動くことが合氣道の要訣であろう。魂魄の陰陽として鳥船に通じるものと言える。

                                     2016/11/14

 

20. 陰の魄氣で陰の魂氣を差し出す

 陰の魄氣では後方に軸足を作り、同側の魂氣が丹田に結ぶことで手足腰は一致して体軸を確立する。相対動作においては剣線を外して魂氣や魄氣で受けと結んでおり、尚かつ、非軸足と同側の手は自在に動作できる。例えば外転換の直後、さらに間合いを詰めるために非軸足を剣線に沿って置き換えてから軸足に交代し、元の軸から手足腰が一気に陽へと発する事ができる。片手取り呼吸法表や杖取り呼吸法である。

 魂氣も魄氣も陽から陰に巡って発条の如く弾力を蓄え、非軸足と対側の魂氣が自在に置き換わったところで軸を交代し、陰で蓄えた氣力を非軸足とともに陽として発する事ができる。

 ところで、魄氣の陽とは軸足を前の足と交代する寸前を形作る姿勢であって、いずれの足も軸足になりきれず、強いて言えば前の足に体軸は偏って、吸気で魂氣を差し出した鳥船のホーの姿勢である。本来静止した姿として目に映るものではないと考えて然るべきであろう。

 今、陽の魄氣を、動作に移る前段階の姿勢とした場合、魄氣の陰陽による軸足交代ではなく後の足で小刻みに体重を支えつつ、前の軸足で地を踏み直して前進するのが特徴となろう。その間、陰の魄氣での体軸確立が為されず、したがって非軸足先と同側の母指先による陽の氣の同期は見られない。前方の足は軸足に近似し、同側の手をさし上げるとき正に難場歩きに矛盾する運びとなるのである。 

 非軸足が吸気で陽の魄氣を示すとき、すでに同側の魂氣は陽で発しており、継ぎ足や入り身転換においては軸足が交代し、残心または陰の魄氣となる。つまり、あらたな軸足となった側の魂氣は呼気で各丹田や体側に巡り、結んでいるから、それに相当して逆に上肢を伸展することは、つまり魂氣を陽で発するのは呼吸法からみても動作しきれないと言わざるを得ない。

 手足先の一致、あるいは手足腰の陰陽の同期は合気道の基本動作における根幹であり、難場歩きそのものである。

                                     2016/11/24

21. 真中を与える自然本体

 自然本体で真中を与えるとき、受けは剣線上の正中を突きか正面打ちで攻める。取りが体軸を剣線上で静止しておれば、受けの先手である限り体軸上全域で払い除けることはできない。また、多少の体軸の揺れにも上体の左右の幅でみれば十分に受けの標的たりうる。

 

 そこで、取りは振り子運動から同名側の足腰を軸として異名側の魂氣を頂丹田に結び、振り降りて下丹田に結ぶとき、同側の足腰へ軸交代して横面打ち外転換とする。

 外転換とは受けの背側に取りの体軸を置くことであり、尚且つ剣線に対して目付けが直角の半身の姿勢を取ることである。この場合一方の足で軸足を作って陰の魄氣で左/右自然体となる。腰を切ると表現される入り身・残心と同様に、下丹田の向きは剣線に直角である。

 基本動作の連なりとしては、次に前の非軸足を踏み、軸足交代して後ろの足を入り身すると横面打ち外転換・逆半身入り身である。昇氣呼吸法表が典型である。

 

 また、真中を与えて同名側の足腰を振り子運動で軸とし、異名側の魂氣を下段で受けの腋に指し示す。軸足交代と同時に魂氣を頂丹田に陰の陰で振りかぶって外転換。下丹田に振り降りるとき前の同側の足を再び軸として入り身転換反復や逆半身内入り身に連ねる。杖巡り外転換である。

  何れにしても、軸足なき自然本体で振り子運動による体重移動では、その直後の対側への軸足確立を前にして体軸の微動を伴うことで、体軸線上の的を外転換で外す“間の拡大”を謀る利点が在る。

                                      2016/12/1

22. 魂氣を与える半身

 軸足を作り非軸足とともに同側の魂氣を与えるとき、上段では正面打ち、下段では片手取りか交差取りが始まる。このとき足腰体軸は陰の魄氣となり、これは左右自然体、つまり半身に相当する。

 そこで、取りの魂氣が発する前では同側の側頸に受けから横面打ちが加えられることになる。なぜなら、取りが剣線上で半身を為すところへ、その体軸の矢状面に受けが打突を加えることの危うさは、自ずと横面打ち(袈裟切り)の選択へと繋がることになるからだ。

 取りが静止した半身ならその体軸上を受けが貫くことは容易であろうが、非軸足によって僅かに揺れ動く上体でも、受けがその一線上の点を突き当てることは困難である。

                                      2016/12/2

23. 身のこなし

 取りが受けの「魂氣に結ぶ」とは、取らせた受けの手の内側に入ることである。

 

 たとえば上段に与えた魂氣に受けが手刀で抑えに懸かるとき、手刀が境して作る空間のうち天を真空の氣、地を空の氣と解釈すれば、取りは魂氣三要素(陰陽、巡り、結び)の働きによって真空の氣に円の中心を作り、同側の非軸足の入り身で魄氣を互いに結び、つまり体軸を寄せて、半身の転換である井桁に進むと同時に対側の手が振込突きで空の氣に中心を作る。すなわち、受けの腋の下に取りの魂氣を陽に発して巡ることで円を作り、その中に同側の非軸足が進んで受けの後方の足に向かい、逆半身内入り身で体軸は更に密着して取りの魄氣は陰から陽へ向かう。

 空の氣に結んだ魂氣は受けの上腕伸側を包み、取りの下丹田に巡って陰の陽で結んでいる。また、初動の魂氣は陰の陰に巡って受けの手首屈側を上から包んで、鳥船ホー・イェイで後ろに退く手に近似する。すなわち、杖先を扱く際に杖尻を手繰る動作である。受けは開いた腋が取りの陽の魄氣の足腰により充たされ、取りの下丹田に結んだ状態である。

 

 合氣道とは魂、氣、魄を思う静止と動作であろう。その身のこなしは概ね以下の如くである。取りの魂氣は、上に述べたとおり、受けの魂氣に先ず結んだ後、受けの側頸や項から体軸に響き、腰仙部や底丹田に抜けて取りの体側もしくは下丹田に巡る。反対側の魂氣は元から陰で取りの陽仙部に結んでいる。このとき取りの魂氣と魄氣は一本の直立した体軸を芯として一体となり、合氣の動作の核心と見なされる。この姿と思いが残心であり、技が生まれる瞬間である。

 

 このように取りの動きは魂氣と魄氣の思いに裏打ちされている。魄氣の三要素、陰陽、入り身、転換・回転により体軸の移動と直立が維持されて、魂氣の三要素が発揮されることで氣流の動作が形作られる。したがって、受けが落ちて技が終わった後で、取りの姿勢が正されて残心があるわけではない。阿吽の呼吸に全てがあると言えよう。

                                        2016/12/7

24. 腕を取らす

 腕を取らすのは、取りが剣を抜くとき柄に手を掛けたものを抑えに懸かって掴むことから来ている、とされる。取りが握っているものは武士のたましいとされる剣の柄である。

 徒手では、禊によって練られた魂氣の玉を下丹田で手に包んでいると思うことから始まる。掌では母指球と小指球を寄せ合わせて指を折り畳んで、最後に屈曲した示指の隙間を母指で閉じると、鳥船でイェイと下丹田に巡る手と同様である(画像1)。つまり広義の陰で狭義の陽の魂氣を下段に差し出すとき(画像2)、受けは即上から抑えながら掴んで逆半身か相半身として、対側の手を自在に用いるであろう。しかし、取りは既に外転換ないしは外入り身転換で剣線は外している。あるいは、与えた手の対側が既に振込突きで受けの真中を取って、受けの異名側の手はそれを払うしかない(画像3)。

 何れにしても、与えた手は受けの手中にあり、その瞬間に陰である。母指先が伸展するのみである。取りは魂氣の陰には同側の魄氣を陰として丹田に結んで軸とする他ない。そこで初めて対側の手が陰陽で巡り、同側の足腰が非軸足として次に軸足の交代が為される。与えた手の母指では呼吸法で陰のまま取りの体軸を魂氣が巡り、軸足交代では陽の魂氣として再び発するに至る。

 

 交差取りであれ、諸手取りなら尚更、与えて取らせた手はいつまでも陽の魂氣ではなく、掌に玉を包んで下丹田に結んだ陰の魂氣である。しかし、これが上段に与えた場合は真中を守る受けの手刀がいきなり取りの手を掴むわけにはいかない。そこで取りは互いの手首の接点で魂氣三要素の働きにより受けの真空の氣に結ぶこととなる。つまり受けの手刀で区切られた空間の上方(真空の氣)に掌を開き、陽の陽で与えることになるが受けはそれを手に取ることはできない。取りが真空の氣で狭義の陰へと巡るなら、魂氣は円を作り中心ができることとなる。それをもって受けに結んだと表現できるであろう。

 中心を作った瞬間、取りの掌は受けの真中に接してその魄氣に結ぶこととなる。広義の陰へと巡っておれば、陰の陰で受けの手首を取りの下丹田で包むことができる。

                                      2016/12/8

画像1. 広義の陰の魂氣
画像1. 広義の陰の魂氣
画像2. 左半身で陰の陽の魂氣を差し出す
画像2. 左半身で陰の陽の魂氣を差し出す
画像3. 右半身片手取りに外巡りで対側の振込突きを払わせて相半身外入り身転換へ
画像3. 右半身片手取りに外巡りで対側の振込突きを払わせて相半身外入り身転換へ

25. 正面打ちについて

 自然本体で真中を与えて受けが手刀の振り被りで中心を取るとき、空の氣には取りが下丹田に陰の魂氣を置いて同側の魄氣で真中に軸足を作る。足先は剣線上を外側へ直角に跨いでいる。対側の魂氣を横面打ちで振り被って同側の非軸足を逆半身で半歩外入り身に進め、軸足交代と共に下丹田の魂氣を瞬時に腰仙部へ巡ると同側の元の軸足は非軸足となり、足先は剣線を外して平行に置かれる。

 今や非軸足側の魂氣は腰仙部に陰で結んでおり、その後の置き換えか踏み換えの動作では軸足側となるから陰のままで良い。

 真中を与えて受けが手刀の振り被りで中心を取るとき、取りが横面打ち入り身転換の同時打ちなら、つまり、非軸足側の魂氣は陽の陽で逆半身にて受けの上丹田に側面から結ぶ。真中を与えて正面打ちに横面打ち外入り身転換である。

 取りが後手なら横面打ちで振りかぶっても入り身で進めることはできない。同側の足はその場で軸足として目付けを剣線と直角に転換し、対側の足先を剣線から外して軸足側に退き同側の手は広義の陰で腰仙部に巡る。正面打ち後手に横面打ち外転換である。

                                     2016/12/10

26. 伸筋の着目

 伸筋は収縮に伴って関節を伸展し、そのとき屈筋は弛緩する。

 つまり、腕を伸ばすとき緊張伸展する思いは伸筋の働きを現し、伸筋が弛緩すると関節は屈曲する。

 

 ここでは、上肢の伸展/屈曲において、なぜ屈筋の弛緩/収縮ではなく伸筋の収縮/弛緩で代表させるのかを詳述する。

 

 まず、呼吸とは呼吸筋の収縮・弛緩によって行われる。呼吸筋の一つに肋間筋が在り、収縮で吸気、弛緩で呼気の働きを為す。横隔膜も収縮で吸気、弛緩で呼気の働きを持つ。

 取りが上肢を吸気で伸展して正面/横面打ちで入り身するとき、下/頂丹田から母指先を経て魂氣を陽で発することを思い浮かべる。ただし呼気では正面打ちがそのまま母指先から体側に巡り、横面打ちは小指から下丹田に巡る。何れにしても魂氣を発するときは自然本体もしくは陰の魄氣から同側の非軸足を同時に進めて陽の魄氣とし、そのまま残心や入り身転換で軸足を交代して陰の魄氣に戻る。これは鳥船の魄氣の陰陽に共通している。

 したがって、鳥船の呼気では下丹田に魂氣を結んで陰の魄氣とし、吸気で魄氣を陽として魂氣も陽で発して上肢を前方へ伸展するが、一瞬の吸気(左ホー、右イェイ、左サー)の後、呼気へと移り、指先は丹田に巡る(何れもイェイ)。伸展の極限は一瞬で弛緩・屈曲に移る。

 

 吸気で意識して呼吸筋緊張が起こるとき、上肢の伸筋にも緊張収縮を同時に思うことで魂氣を陽で与える上肢の伸展する動作が同期する。

 これに反して、吸気で呼吸筋を緊張収縮させ、同時に上肢の屈筋に着目して正反対の弛緩・伸展を思うならば、言葉と思いと動作の三位一体からなる合氣道の根本に矛盾することとなる。

 

 魂氣と魄氣のそれぞれ三要素が阿吽の呼吸で手足腰目付けの動きの一致を生み、即ち合氣となる術理は、このように魂氣と魄氣の思いのうちで緊張/弛緩が統一されるところにあると言えよう。このことは昇氣・呼吸法と呼んでいる合氣道の相対基本動作に典型であり、我々の入り身転換・体の変更にも、また、難場歩きの動作にも矛盾しない。

 

 魂氣と魄氣に分けることと合氣することの両方が動作できる秘訣として、開祖は「心の持ち方」と説明しておられるようである。そのことと「合氣道は禊である」という教えが、呼吸における伸筋の着目という一点で繋がっているように思える。

                                     2016/12/14

27. 中丹田の出入り口・両側頸

丹田は魂氣の、結ぶところであり、発するところでもある

 

下丹田(臍下丹田)

上丹田(額)

中丹田(胸部⇔両側頸)

 

取りの下丹田(臍下丹田)に結ぶ

  • 取りの下段に魂氣を巡らす、片手/交差取り入り身転換、小手返し、正面打ち三教裏

取りの下丹田(臍下丹田)から発する

  • (受けの)下段に与える、上段に与える、(取りの下段に結ぶや否や)内巡り、外巡り

 

上丹田(額)に結ぶ

  • 取りの額に結ぶ、正面打ち一教、四方投げ、後ろ取りの天、 
  • 受けの額に結ぶ、片手取り外巡り横面打ち入り身、天秤投げ

上丹田(額)から発する

  • 四方投げ表裏で受けの項に発する、正面打ち一教表で陽の魂氣を陰に巡って手首を取る。後ろ取り・天に結んで側頸に巡らす

 

中丹田(胸部⇔両側頸)に結ぶ

  • 取りの側頸に結ぶ、片手取り取り返して四教、正面打ち三教表、片手取り昇氣呼吸法(画像①)、諸手取り/片手取り呼吸投げ、
  • 受けの側頸に結ぶ、入り身投げで陽の陰の魂氣を、入り身投げ/回転投げで陰の陽の魂氣を、四方投げで受けの項に、昇氣で呼吸法は取りの魂氣を陽の陽で前腕橈側を(画像②)、畳んだ肘は受けの中丹田(胸部中央胸骨上窩)に(画像①)、

中丹田(胸部⇔両側頸)から発する

  • 昇氣で呼吸法(画像②)、正面打ち一教表の振込突き、取り返した四教、正面打ち三教表、

 

*諸手取り外転換・前方回転呼吸法では魂氣が側頸、上丹田、対側の側頸、下丹田への降氣。

                                     2016/12/17

画像①坐技片手取り昇氣呼吸法:呼気で下丹田から側頸に昇氣で陰の陽の魂氣が結び、
画像①坐技片手取り昇氣呼吸法:呼気で下丹田から側頸に昇氣で陰の陽の魂氣が結び、
画像②吸気で側頸から陽の陽で発して受けの側頸に結ぶ。
画像②吸気で側頸から陽の陽で発して受けの側頸に結ぶ。

28. 合氣道の基本

 合氣とは何か。突き詰めると、天地から受けた魂氣と魄氣が丹田に結び、直立する体軸が生まれることである。それは禊に他ならない。開祖は、“天の浮き橋に立つ”ことだ、と仰せられる一方で、禊と言う言葉を「合気神髄」に69回も示しておられる。

 相対動作での受けに対しても魂氣と魂氣、魄氣と魄氣、魂氣と魄氣が結び、その後に取りの魂氣が自身の魄氣に結ぶ残心と共に技が生まれて自然体に戻る。

 

 魂氣の思いは陰陽、巡り、結びの三要素を手によって動作し、魄氣では陰陽、入り身、転換・回転の三要素が足・腰・目付けによって現される。およそ単独/相対動作とも、これをおいて他に基本は無い。ただし、動作の上で付け加えるなら、魂氣の陰陽は広義と狭義に分けられ、上肢を伸展して差し出し、屈曲して躯幹に着け、回内、回外を使い分ける。

 

 魄氣の陰陽は両膝が交互に伸展・屈曲することで軸足の確立と体軸の前後への揺れを現す。

 魂氣の巡りとは丹田から発した魂氣が各丹田に戻ることであり、手を用いて為される。体軸を通って他の丹田に移る陰の動作も巡りである。各丹田とは、上から頂丹田、上丹田、中丹田、下丹田、底丹田であるが、体表の出入り口、つまり“つぼ”として左右の側頸が中丹田に近接する。また、腰仙部は下丹田の背側に相当し、陰の魂氣が接することで体軸と魄氣の連なりは確かなものとなり、魂氣と魄氣が結ぶ状態と言ってよいだろう。動作としては手を弛緩・屈曲して腰に廻すことである。その手が離れるときは陽で発する場合で、対側の手が即座に下丹田か腰仙部に結び体軸は安定し続ける。すなわち、両手の動作する間も体軸と魄氣の連なりは維持されて正立の姿勢が保たれることになる。他方、相対動作で取りの魂氣が受けの体軸に響き腰仙部に抜けるなら、魄氣と体軸の結びが解けて受けの正立は保てない。これは投げ技の術理である。

 

 あらためて、結びとは魂氣が各丹田に巡って陰の手で落ち着く動作である。それは魂氣が丹田から体軸へと響き、魄氣と一体になる思いとともにある。相対動作では、魂氣が受けの丹田に結ぶために互いの体軸接触が要件である。つまり、互いの魄氣が結んだ後に、取りの魂氣が受けの各丹田から体軸へと響く思いは受けに結ぶ動作を生む。

 

 取りの魂氣が母指先や前腕橈側から受けの丹田を経て体軸に響き、軀幹の底を抜く思いで取りの丹田に巡って結ぶと残心であり、静止に至る。それまでの魄氣の三要素は動作である。

 

 魄氣の陽は体軸がぶれる一瞬の姿勢であり、陰は軸足を確立した瞬間であって静止に近い。しかし右半身(イェイ・イェイ)の鳥船は陰で静止しない。

 入り身、転換・回転はこの体軸が移動して軸足が交代し、目付けが転換する動作に相当する。

                                     2016/12/30

29. 禊という単独動作から相対動作へ

 禊に代表される単独動作は、“一眼二足三胆四力”で相対動作としても現されることになる。術者、即ち取りはその視野に受けの存在を知ることで、首から肩・腕へと緊張を伝えるのではなく、かといって腹に気持ち置いて息を止めるのではなく、このような無意識の反応・動作を排除して足を使えということであろう。二本ある足を働かせるには先ず一本は軸として体軸を支えることが肝要である。その上で、思うところへ対側の足を置き換えることが動きの始まりである。

 続いて、受けの体軸に相応する取りの体軸の動きが起こる。ということは足に連なる腹が受けの優位な位置から外れると同時に、取りの優位な姿勢と位置を確保するべく移動することを意味する。

 体軸を保持して腕から魂氣を発することで徒手や武器を最大限受けに及ぼして、尚且つ自身へと巡らせて自己の存立、即ち単独動作を全うすることになる。足と肚は魄氣の働き、眼は魄氣によって確立する体軸の指標となり、力とは、呼吸法によって天から受けた魂氣を体軸のもとで母指先から巡らせる上肢の動作に他ならない。 

 魂氣と魄氣を丹田に合わせる思いと動作が禊であり、静止した体軸の下で天地の結びを行うわけである。そして、振り魂は静止した下丹田で魂氣の揺れを思う。また、鳥船は下丹田と体軸の前後への揺れを動作する。軸足と非軸足の働きを確かめる基本の動きを、魂氣の下丹田への結びと同期して行うものである。

 そこで、体軸が確実に移動し、転換して歩む動作を含めると、魄氣の三要素としてまとめることができる。すなわち、陰陽、入り身、転換・回転である。

 このうち陰陽は、軸足を作って陰とし、前方への体軸の揺れを現して陽とする。前述した鳥船の足腰である。

 入り身とは陽の魄氣から体軸が両足と共に進むことであり、軸足は二足で一本となる。相対動作から技が生まれるとき、これを残心と呼んでいる。

 転換は軸足の確実な交代であり、非軸足先は剣線を外してそれに直角となる。半身を転換することに通じる。

 回転とは軸足交代を繰り返すことで体軸の向かう方向が一回転する動作である。初動の軸足先を外方へ直角に向ける前方回転と、内方へ直角に向ける後方回転がある。

 体の変更は半身から軸足を二回交代した後方回転の途中である。ただしその瞬間は陰の魄氣である。一方、入り身転換の直後に前方の非軸足を後ろに置き換えて陽の魄氣となる体の変更もある。陰の魄氣であれば、相対動作片手取りの際、取らせた手は受けの手と共に下丹田や仙腰部に結び、受けは取りの背部で異名側の胸を着けたまま撓って静止する。陽の魄氣であれば魂氣は陽で丹田から発せられて同側の背は半身で前方に開き、受けは伸展した上肢と共に前方へ放たれる。

                                      2017/1/3 

30. 難場歩きと一教

 魄氣の陰陽は軸足の確立と体軸の揺れ

入り身一足・残心は軸足の交代と一本化で体軸の完全移動

転換は軸足交代で体軸移動と半身の転換

回転は軸足交代の連なりで体軸の一回転、

以上が魄氣の働きの三要素による動作への表現である。

 

 軸足側の魂氣は陰で丹田や体側、腰仙部に結ぶ。

非軸足側の魂氣は同時に陽で発し、手を差し出す。

軸足交代に連れて両手の魂氣の陰陽も互いに左右で巡り、難場歩きに準じる。  

 相対動作の場合、受けの魂氣との間で、取りが接点から陽で真空の氣に入って結び、軸足交代で魄氣の陰になるや否や魂氣は自身の丹田や腰に結び、その結果受けとの間で体軸が接することで魄氣も結ぶ事を知る(秋猴の身、漆膠の身)。これは魄氣に同期する魂氣三要素の動作である。

 今、仮に、軸足側の魂氣が陽で発し続けるなら互いの体軸は接近しないし、非軸足側の魂氣が陰のままなら、自らの魂氣を受けに発してその体軸に及ぼすことはできない。筋力で受けを突き放そうとする上に、真中を打ち据えるべき対側の手は氣力の乏しい動作で終わるだろう。

 一教運動裏での軸足と鎬の確立に加えて、非軸足の逆反身外入り身に合わせた返し突きこそ、難場歩きの原則を体現する動作である。表であっても井桁に進むべく軸足交代のとき、受けの魂氣に結んだ取りの手は自身の額に巡って、対側の手が陽で同じ側の非軸足と共に受けの真中を打つ。

 

 一教運動は魂氣が両手で氣の巡りであるが、それに同期して魄氣は入り身運動が軸足交代を挿入して右半身から左半身、左半身から右半身と、表も裏も同じである。ただし表は相半身から逆半身内入り身、裏は相半身から逆半身外入り身である。つまり、始動から終末まで魂氣は右手が狭義の陽、左手は狭義の陰であるが、広義の陰陽でみれば、右手が陽なら左手は陰であるが、軸足交代に合わせて右手が陰で左手が陽となる。

                                       2017/1/5

31. 小論文

 テーマが何であれ、小論文は最小限論理的でなければならない。

 

 第一に言葉、用語の正確さ。第二にその意味、定義。そして、合氣道に関するものであれば、第三にそれらに相応する具体的で緻密なそれぞれの姿勢と動作について述べなければならない。

それぞれに曖昧さを排することで三位一体として現れるのが合氣道そのものとなり、そこでは術技も術理も常にぶれることがない。

 

 研究とはこのような一連の過程を指すのであって、単に言い換えや語句の並び替えでは確たる結論や主張は生まれない。それは教則としてさえも読むものに十分な理解を引き出す事が困難であり、ましてや小論文としての論理性は欠如することとなる。

 

 たとえ開祖や先達から直接受けた口伝であっても、言葉と動作を体得したうえでそれを客観的に表現したなら、それは伝統に則った独自の理解や主張であると言えるだろう。その段階で初めて術理と術技の論述について共有できることとなる。

 

 合氣道の小論文を公にする限りは、術技の体得と術理の共有の手引きとしても、その役割を果たすべきであろう。特に開祖のお言葉を日常的な認識として解釈するうえでは、そのままの語彙で堂々巡りする文脈であってはならない。

                                      2017/1/11

32. 合氣道の稽古とは

 動作に習熟する過程とは、初心者は言うまでもなく、大多数の愛好家にとって稽古の大部分と考えられる。

 特定の術技を名称で整理し、魂氣魄の思いを巡らし、そのことに動作を当てはめる。単独動作から取りに受けが絡んで相対動作へ、そして技へと稽古はより複雑化するが、元は禊・単独基本動作である。

 稽古での相対動作の習熟は単独動作あってのことであるから、その都度受けとの対応のない動作を反芻して望まなくてはならない。つまり足・腰・目付けの魄氣三要素である。また、相対動作では、とりわけ手の位置や受けの手との間にたがいの魂氣の動作が新たに加わる。それらは単独基本動作での定型的な動きとは異なり、次々と様々に変わり得るのであるが、変わらない理法が貫いていることに気付かなければ、稽古の成果は期待できない。それこそは単独呼吸法坐技の魂氣三要素の働きである。

 たとえば片側の母指先一つの動きに、あらゆる部分の動きが呼応する。留守になる部位が増えると手足腰目付けの一致が崩れる。

 稽古とは、魂氣魄という語句と、その意味することへの心の持ち方と、それぞれに対応する各部の動作を阿吽の呼吸で一体と成すべく修錬することに尽きる。

                                      2017/1/14

33. 宇宙の条理

 宇宙の条理・天地の法則に適う姿と動きとは。

 魂氣魄を措いて当てはまることがらは思いつかない。魂氣と魄氣が合わさることの意味は、つまり合氣であり、生命の本源である。

 

 何故なら、心のたましいは魂で天に昇り、体のたましいは魄で地に降りるものであるから、天地の間を充たす氣には天から受ける魂氣と地から受ける魄氣があり、下丹田で結ぶと氣の玉になって練り上げられる。それは活力の根元であり、自己確立のもっとも基本となるところである。

 

 このような心の持ち方で姿勢を正し、呼吸のままに、四肢の遠位まで動作を意識して現す。これが合氣道の全てである、と考えることにする。

 

 魂氣と魄氣が結ぶことで天地の間に直立した一本の軸が生まれると、個体の存立と動静が始まる。その体軸上には五つの丹田が区別され、魂氣と魄氣がそれぞれの丹田において合わさることを氣結びと呼べば、そこには宇宙の摂理に則った自然本体が初めて生まれ、静止する正立の姿が現れる。二足は対称に体軸を左右から支える。“天の浮き橋に立ち”、天地に連なり宇宙と一体となる思いはここに形として現れるのである。

 

 体軸が軸足に連なれば左/右自然体(半身)となり、非軸足は自在に置き換わり、同側の手は魂氣の発するところとなるのであって、これぞ難場歩きの本体であると言えよう。つまり、魄氣の要素である陰陽は体軸の移動を可能とする。すなわち、屈曲した膝は軸足を作り体軸が連なって地から直立し、これを魄氣の陰の働きとする。対側の非軸足は前方に在り地に置かれて伸展しているが、今、後方の軸足が伸展すれば体軸は前方に揺れ、前方の非軸足は脛が直立して地を踏む。

 これにより軸足が交代して体軸の移動が完了すれば、後方の足は地から離れて前方の軸足に密着し、二足が一本の軸となる。これを徒手の動作での残心となす。武器を用いた場合はこれを打突の終末とし、残心は直後に陰の魄氣で半身となることを指す。交代する軸足を内股にして直角に置き換えて、さらに45度内に捻ると入り身転換の軸足となる。元の軸足は伸展して足先が反対側に置き換わる。

 

 このことから、手足腰目付けは同期して姿勢と動作を生み、魂氣は吸気で天から受けて呼気と共に陰で丹田に巡り、次の吸気では陽で発して同時に天から受けるというように、魂氣の働きは上肢の屈伸に置き換わってしかも静止と動作に伴い絶えることはない。

 

 互いの魂氣と魄氣がそれぞれに結ぶと相対動作が始まる。そして、陰陽に巡る帰結は自身の魂氣と魄氣が自身の体軸上に結ぶことである。

 

 魂氣魄の言葉を知り、心にそれを思い、呼吸と同期してそれぞれに動作を現せば合氣道は皆に等しく生まれることとなるであろう。そのことをただ思念しつつ修錬することで道は自ずと開かれるというのが口密意密身密の三密加持ではなかろうか。

 言葉だけを口にし、あるいは念じるだけに留まり、ただ動作を工夫するだけに終われば、合氣は生まれない。

                                      2017/1/21

34. 氣結びのない動作

 軸足側の魂氣は丹田に結ぶ陰であってこそ氣結びの合氣である。

すなわち、地から魄氣が体軸の丹田に向かい、魂氣は丹田に巡って結ぶことで魂氣と魄氣の氣結びが為される。しかる後に非軸足は自在に置き換わり、その同側の魂氣が自在に発せられる。

 難場歩きである。

 これが、軸足側の魂氣を発しようとすれば丹田の氣結びは解け、その体軸は捻れて撓ることになり、結局受けに対して取りの正立は自ら破綻する。

 氣結びのない動作とは、本来結んで自らの軸となるべき魂氣を、体軸から剥がして振りかざそうとする動作であるから、速さはない。当然受けの魂氣にも結んでいない。不自由が詰まったまま動こうとする姿である。その体軸は受けの中心を外すこともできない。受けの真中に魂氣を及ぼすこともできない。

                                      2017/1/31

35. 単独基本動作回転の魂氣

 単独基本動作においても、前/後方回転で軸足を作るときは手・足・腰・目付けの一致に則る。

 相対動作ではないことから両手の動作を留守にしがちであるが、三位一体により魄氣が軸足・腰・下丹田と結び、魂氣の手と上体がそれらに直結して一本の軸が地から直立するという思いのある限り、魂氣の動作を忘れることは無いはずである。

 ここでは前方回転を詳述する。陰の魄氣の半身から前方の非軸足先の方向をその場で外へ直角に定めて膝に同側の手を置きつつ軸とし、目付けをその方向に合わせて対側の手を腰仙部に回すと、一側の手足腰は、地を踏む足底から頭頂に貫く一本の直立した体軸を生む。対側の足は後方にあって軸足から非軸足へと交代し、地から踵が浮き上がり足先も離れんとしている。

 この段階があってこそ非軸足は軸足先を回って270度回転し(軸足を前方に作った場合)、互いの膝窩と膝蓋が重なるところまで無理なく置き換えることができる。しかし、軸足先を固定して、つまり魄氣の結びを解かず安定的にさらに非軸足を90度回転するには、非軸足を弛緩させて膝で屈曲することにより、軸足の後方に非軸足先をなんとか着地させることが必要である。このとき同側の手は腰仙部から膝の上に置き換わり、陽仙部には始め軸足の膝に置いた手が置き換わる。

 すぐ地を踏みつけて軸足へと交代すると手・足・腰・目付けも一続きで再び直立の軸が作られ、即座に魂氣は膝から陽仙部に置かれ、腰仙部からは対側の手が陽の陽で差し出され、同側の足は地から浮かせて非軸足として外側に270度捻れを戻して着地する。足先の一瞬着地する間に今や後の軸足を90度踏み替えて終末は元と同じ半身で陰の魄氣となる。前方回転である(画像)。画像の如く、自然本体から片側の足(右)をその場において外股で直角に向けて軸足を作れば、左の足は非軸足として180度置き換え、膝を曲げて更に90度回転すれば270度回転して陰の魄氣の軸足として右半身で終わる。

 一側の足・腰そして目付け・体軸が核心となるべき体の回転こそ、魂氣、つまり両手の働きが不可欠であることを銘記すべきである。しかし、魂氣と魄氣それぞれ三要素のもとに、言葉と思いと動作の三位一体で合氣を生む稽古を続ける限りは、単独動作で敢えて手を意識しなくてもよい。即ち、すでに考えて思い浮かべることで合氣道の単独基本動作は生み出されているからである。

                                      2017/2/11

画像 単独基本動作前方回転の側面像
画像 単独基本動作前方回転の側面像

36. 四方投げと固めの目付け

 四方投げの持ち方で上丹田に結ぶ時、つまり額に振りかぶって前方回転の軸足先に目付けを向けると、取りの手足腰目付けが一致し、膝で支えて直立した体軸が確立する。受けの体軸は後外側に反り返って取りの半身に差し掛けられ、取りは既に90度だけ前方回転に入っている。

 非軸足を対側軸の足先側へ回して置き換え、軸足交代して陰の魄氣に戻ると前方回転である。あらたな非軸足側となった手は即座に額から正面打ち近似で受けの項に結ぶや否や、下丹田に巡って入り身運動・残心に至れば、受けは取りの体軸に沿って腹側を後方へ螺旋で落ちる。

 固めでは、陰の魄氣から受けの項に正面打ち近似で結ぶや否や、陽の魄氣に進めず、非軸足を畳んで膝がその場で地に着くと共に魂氣も同時に膝の外側面に接して地に結ぶ。対側の手は手刀を振りかぶって目付けを水平に維持し、その同側の膝も畳んで地に着くと同時に魂氣を腰に廻して陰とすれば、目付けは共に反対側に転じ後上方を見る。それにより受けの手首を持つ手は受けの手背を地に着けたまま振り子運動で受けの体側に取りの体軸を預けることができる。

 投げ技の残心同様、固めにおいても極めてから目付けを定めるのではなく、上体と目付けを保持する残心が固めの動作と一体になる。

                                      2017/2/12

37. 気の置きどころ、気がまえ

『合気神髄 合気道開祖・植芝盛平語録 植芝吉祥丸 監修 柏樹社』P67

から抜粋。

「気のありかたが生きる身の中心となってきます。この気の置きどころによって大変な相違が生じてきます。」

「気がまえが自由に出来ておらぬ人には、充分な力は出せません。空の気と真空の気の置きどころを知ることが第一であります。」

「真空の気は宇宙に充満しています。」

「空の気は重い力を持っております。」

「空の気は引力を与える縄であります。自由はこの重い空の気を解脱せねばなりません。これを解脱して真空の気に結べば技が出ます。」

「解脱するには心の持ちようが問題となってきます。この心が、己の自由にならねば死んだも同然であります。」

 

 度々この件を抜粋して引用する理由は、明らかに生き死にと合氣の核心を教示していると思われるからである。

「気がまえ」とは両手を差し出して構えることではなく「気の置きどころ」「空の気と真空の気の置きどころを知る」ことであろう。ということは魂氣を現す両手の置きどころであろう。魄氣が結ぶ軸足やそれに連なる腰や下丹田はすでに地に直結しているのである。そこに結ぶ魂氣が「重い力」と繋がり「重い空の気」と呼ばれたのであろうと思う。他方各丹田に結んでいても同側の足が非軸足で自在に置き換えることの可能な場合は同時に手を自由に空間へ発して巡らすことができる。このとき「重い空の気を解脱して真空の気に結」び「技が出」ることになる。

 「気がまえが自由に出来」るとは、両手を陰に巡らせていずれも各丹田や腰仙部に結んでおくのだが、一方の手はつねに同側の非軸足と共に与える用意が出来ていることを示唆していると考えられる。「解脱する」とは正に非軸足と共に同側の手から魂氣を陽で発して自在に伸展することであろう。言い換えると、両足を魄氣の陰で軸足と非軸足に分けることも「気がまえ」である。それは正に左右自然体の半身であり、軸足を持たない陽の魄氣ではない。

 解脱できない「心の持ちよう」つまり「気がまえが自由に(魂氣を発するように)できておらぬ人」は魂氣三要素の働きを存分に動作できない。先ず軸足を持たず、自在に置き換えることのできる非軸足を持たない場合は「気がまえ」ができていないことになる。陽の魄氣や四股立ちである。または、軸足を作りながら同側の手を掲げようとすれば、それは、動かすことのできない地から立っている体軸に結ぶべき手を解いて、それに連なる受けをも動かそうとするわけで、「己の自由になら」ず「死んだも同然」の結果を招くというわけである。

                                      2017/2/16

38. 鳥船の魄氣から入り身転換へ

合氣と禊

 心のたましいは天に昇って魂、体のたましいは地に下りて魄とよばれ、その間を充たすものが氣であるとされる。したがって生きるということは、呼吸とともに魂氣を受けて丹田に結び、魄氣による足腰の正立が各丹田を支えて、自在に動静を現す体軸の生まれることであろう。それは禊そのものであると言って良い。

 つまり、合氣と言えば、禊によって天から魂氣、地から魄氣を受けて丹田で結ぶという思いに裏打ちされた姿勢と動作を指す。天の浮き橋に立つという言葉に象徴される姿である(画像①)。

 魂氣と魄氣の働きはそれぞれ三要素からなる。即ち魂氣は陰陽、巡り、結び。魄氣は陰陽、入り身、転換・回転である。

魂氣三要素は呼吸に伴う上肢の緊張伸展と弛緩屈曲であり、魂の比礼振りに象徴される。魄氣三要素は軸足の確立による体軸移動であり、直立二足歩行に尽きる。

 

魄氣の陰陽と鳥船

 一方の足を軸とすれば他方の足は伸展して非軸足となる。これを魄氣の陰とよび、体軸は軸足を通して地から直立する。今非軸足に体重が掛かり始めると足先から足底にかけて地を踏む面が広がる。と言うことは膝が徐々に曲がって地に立ちはじめ、やがて膝までが直立すると後方の軸足が伸展して両足が地を踏む。つまりこの時点で軸足はすでにどこにも無く、体軸は両足の間で前方へ移動してその下端は底丹田であり、途切れて地から宙に浮く。これを魄氣の陽と呼ぶことにする。

 鳥船の足腰は吸気で陽の魄氣、呼気で陰の魄氣を思う動作に与る。魂氣は魄氣の陽に合わせて陽で発し、魄氣の陰では丹田に陰で巡って結ぶ。魄氣の陰では非軸足先と目付けが剣線上で正面を向き、腰と肩も正面に向ける。軸足に体重が掛かって自ずと非軸足は伸展する。一方、陽では前方の足に合わせて同側の腰と肩は前方に移り、臍下丹田は内下方を向き剣線に対して45度開く。そして後方の足との間は逆に45度の捻れが生まれる。この状態は腰を切ると表現される(画像②)。

 

入り身転換

 入り身した非軸足が軸足に交代する際、足先を内側へ直角に向けると、臍下丹田はこの軸足に45度の捻れを持つことになる。軸足交代の終わった瞬間、丹田の捻れは解かれて対側の非軸足とともに90度転換し、軸足の踏みつけで軸がさらに45度捻れると丹田は135度転換して非軸足とともに剣線上にある。入り身転換である。軸足交代の寸前が陽の魄氣で入り身の寸前である。入り身転換が終わると陰の魄氣である。残心に相当する動きは非軸足が体軸に寄せられて伸展するところである(画像③)。

                                      2017/3/4

画像①禊
画像①禊
画像②鳥船(ホー・イェイ)
画像②鳥船(ホー・イェイ)
画像③単独基本動作入り身転換反復
画像③単独基本動作入り身転換反復

39. 崩しはどこに

 禊に由来する合氣道の単独基本動作が相対動作になるとき、残心とともに技が生まれる。

そこに柔道の教えの崩しが必要であるなら、相対動作と技の間に挿入されるべきであろうが、合氣道は残心が技の生まれる瞬間であるから、相対動作の前半で崩しが存在することになる。

 

 ところで、受けの体軸と軸足が直結しておれば、八方に力が加わっても非軸足がその方向に置き換わって、軸足へと交代するから非可逆的に崩れることはない。直結せず明らかにずれたり(四股立ちなど)、足底から頭頂までが反り返って非軸足の置き換えが不能となる瞬間、体軸の復元はない。これは崩れた状態である。

 

 それでは、この崩れた状態に持っていくべき取りの動作はどのようなものであろうか。相対動作にそのような特化した動作があるのだろうか。相対動作とは単独動作に受けの存在が加わったものであることは言うまでもない。取りの動きと姿勢において相対動作が単独動作と異なるものであってはならない理由がある。それは、合氣道の術理は唯一氣の働きを示す動作であることと、合氣道には敵が無い、既に勝っている、という開祖のお言葉である。

 魂氣と魄氣のそれぞれの働きが手足腰目付けの同期する動静を生み出すのであるから、それらが総合的に受けの崩しをもたらすはずであろう。つまり、禊と単独基本動作が合氣道の核心であるうえに、相対動作を経て受けを崩し、魂氣の巡りの動作が受けの底を抜くと、螺旋で地に落ちて技が成り立つ。

 

 取りは相対動作の間も変わらず魂氣と魄氣のそれぞれ三要素を維持していなければ有効な単独動作にならない。つまり単独動作を顧みない要素が介在すれば技に繋がる術理を見失うことになる。したがって受けに対しては単独動作に加えていかなる要素も創出せず動静を全うすべきであり、このことこそ平常心に置き換えて然るべきである。

 

 基本(動作)即真髄、基本(動作)なきは合氣道に非ず。

基本動作に全てが在る。そうでなければ基本動作たり得ない。

 

 *魂氣三要素は、陰陽、巡り、結び

  魄氣三要素は、陰陽、入り身、転換・回転

                                      2017/3/14

40. 正立から陰の魄氣

 魄氣とは足腰の動作の根元と考えて地から受けている思いである。三つの働きを持つとして陰陽、入り身、転換・回転と大別するところである。ここでは魄氣の陰陽について述べる。

 

 陰の魄氣とは、片方の膝を折って体重を載せ、直立した体軸に連なる軸足を確立して、対側の膝は次第に伸展して足先を前に置いたまま目付けと下丹田の向ける剣線上に合わせる。これは非軸足と呼ぶことができる(画像①②)。

  陽の魄氣は、その軸足の膝を伸展し、同時に非軸足に同側の肩・腰の重さを載せていくことで脛は直立し、臍下丹田は内に45度回った前下方を向く(画像③④)。したがって体軸は後ろの足腰から離れて両足の間に止まり、再び陰の魄氣で後の軸足上に戻る。ここまでが鳥船の一呼吸である

  すなわち、陽の魄氣とは、陰の魄氣からそのまま両肩、両腰、下丹田が剣線方向へ移動するものではない。このことは注意すべきことである。非軸足の脛が直立して、後方の足が伸展するに連れて非軸足側の腰・肩が半身で前方に入る。体軸がやや前寄りに直立のまま揺れると下丹田は後の伸展した足の間に45度の圧縮を生じて内下方を向く。その捻れを解いて陰の魄氣に戻ることで、軸足が復元して次の動作、つまり前方の非軸足の自由な置き換えが可能となる。それは、とりもなおさず鳥船の繰り返しである陽の魄氣の動作である。

  したがって、陰の魄氣は単なる静止ではなく動作の始まりである。また、陽の魄氣は入り身による軸足交代の先駆けであり、鳥船においては陰の魄氣に戻る途中である。何れにしても静止ではない。つまり、一方の足を伸展して地を踏み、他方の脛を直立して地を踏み分ける足腰には軸足が存在しないから、安定的な静止ではない。それは、地に固着した両足が更に地を踏みつけても、八方の力が当たればその方向に軸足で受け止めることが出来ないからである。

  この際、陰の魄氣と残心を除いて他に軸足の確立は無く、安定的静止はこのときに限られる。歩行から静止する姿勢は正立という自然本体であるが、合氣道の静止は安定と継続した動きを兼ね備えた陰の魄氣、つまり半身に限るわけである。安定的静止とは動きの中にこそ存在し、それが陰の魄氣である。

 

 ところで、正座からこの陰の魄氣に相当する動作は振り子運動によって生まれる。次に詳述する。

                                      2017/3/21

 

画像①陰の魄氣
画像①陰の魄氣
画像②陰の魄氣(呼気でイェイ)
画像②陰の魄氣(呼気でイェイ)
画像③陽の魄氣
画像③陽の魄氣
画像④陽の魄氣(吸気でサー)
画像④陽の魄氣(吸気でサー)

41. 杖に添える手と同側の非軸足

杖に添える手と同側の非軸足は同期する。

 

自在に置き換えること。

 

 手は杖に添わせて扱き、足は四方に置き換えることができる。

 

それぞれ対側の手足と交代すること。

 

 添える手が杖を取る手に交代し、非軸足が軸足へと交代すること。前者は真中を取るか杖尻を取ることで対側の手と交代する。後者は置き換えたあと軸足に踏み換えて対側が非軸足となることで歩行、入り身転換、回転へと動作が連なる。

                                2017/3/24

 

42. 正座から陰の魄氣

 正座から入り身・転換する際は、一足の脛が地に固定されて軸となり、体軸はその腰に連なる。すると、対側の脛と腰に体重はいささかも載っていない。つまりそれは非軸足であると言える。実際には同側の腰も微かに地から浮いている。したがって容易にその非軸足で剣線を外し、軸足に寄せて膝を閉じることが出来る。

 このような正座での軸足確立は振り子運動によって可能となり、単独呼吸法坐技のなかで常に繰り返している動作である。

 引き寄せた非軸足を後に回して軸とすれば転換の正座である。坐技片手取りや交差取りの一教や二教表である(動画

 他方、引き寄せた非軸足を軸足に踏み替えて対側の非軸足を受けの背側に逆半身入り身とすることが出来る。坐技正面打ち一教裏の入り身転換である。

                                      2017/3/29

43. 形についての考察

 『合気神髄』の18ページを読み解けば、〝形にとらわれると心による微妙な働きを表すことが出来ない、魂氣に基づく動きでなければ体の緻密な動作は生まれない〟と説いておられるようだ。

 広辞苑などによると、形(かたち)とは、見た目に現れた姿形、影、輪郭など、中身や働きに対して外に現れたものとしてのかたち・ようす、とされる。また、形(かた)とは、何かに似せて作ったもの、象や型(かた)という漢字を当てることもある。その他、武道・伝統芸能・スポーツなどで規範となる一連の動きも形(かた)と言い、名人などによって生み出された技法や表現形式を指す。その際、姿形に現れる動作を重視して表現する場合と、姿形の連続性に価値を認めて表現する場合がある。

 『合気神髄』では「形」という語は42回出現し、うち上述の否定的な意味では24回、一方、物事を行うときの一定のやり方や、表に現れている形という肯定的な意味では18回である。

 ところで、同書において合氣道を説明するためには「禊」という言葉が80回も使われ、見出しにも用いられている。また、同じ意味を表す「天の浮橋に立つ」という語句は47回で、合わせると127回にのぼる。それに比べ、肯定的な意味であっても合氣道は形であると言う表現は皆無であり、一般的な形という字句以外に合氣道にかかわる意味では「気形の稽古」という表現が散見されるのみである。それについては、気という言葉と思いを動作で現すために指導演武をすることや、稽古人が習熟する過程を指すものであろう。

 合氣道を行うとき、すなわち魂氣と魄氣を禊して丹田に結び、それぞれの働きを呼吸と共に手・足・腰・体軸(目付け)の動作として現すなかで技が生まれるものと考えられる。その際、第三者の目に映るものが形であり、当人には形が見えない。したがって外に現れた形そのものを動作しても、合氣道を稽古することにはならない。

 最初に禊をしなければ合氣道の動きは生まれない、ということを、開祖は繰り返し呼びかけておられるのだ。

                                  2017/4/19

 

44. 片手取り四方投げの魂氣

 下段に与えた魂氣は、受けが逆半身で手首を取った瞬間に外転換で陰の陽にて畳み、母指先で側頸を指し(我々の降氣の形)た後、回外して前方に向けると同時に腋を開き二教の手、つまり陰の陰とする。同時に対側の手は陰の陽で受けの手を超えて差し出され、四方投げの持ち方で上丹田に巡ると手背が額に着く。

 この間の大前提は体軸の確立である。即ち目付けの維持である。魂氣を自身の上丹田に結び、同側または対側の足は前方または後方の回転体軸を作るべく足先の方向を定めて地を踏むから、魂氣と魄氣が結んで体軸の確立は成る。両手は剣を振りかぶった動作に近似する。

 即ち、目付けが足元に落ちれば体軸は前傾し、取りが転換するほどに魂氣の上丹田への結びは解けて頭頂、後頭、項部へと移り、受けの上肢は伸展して行き体軸は取りから離れ、取りの手は屈曲していく。

 取りの魂氣は剣を額に振りかぶる陰から、転換を終える瞬間に陽で発して正面打ちの動作を行うのであるが、目付けと体軸の不備は全く反対の動作しか生み出さない。

 

 四方投げの持ち方で額に結び前方を見据えた上で後方回転を単独基本動作のままに行えば、受けの手は自身の項へと畳まれ、回転して陰の魄氣となる瞬間は、取りの額と受けの手首とそれを包む取りの手は受けの項の一点に集中している。しかも同側の足は置き換えて軸足に成ったとたんに非軸足へと交代しており、空の氣から解脱して真空の氣に結ぶ兆しを生み出している訳である。

 後は正面打ち近似で額から魂氣を陽で発して、受けの項部に畳んだ受けの手と共に取りの伸展した腕は受けの体軸に魂氣を響かせる動きとなる。非軸足は入り身運動で残心として、魂氣は陰で下丹田に結ぶ。切り下ろす動作であるが、徒手では受けを下丹田に結んで取りの後方へ螺旋で落とすから、受け身の取れるように配慮すべきである。

 

 片手取り四方投げの魂氣は、上丹田に結んだら同側の軸足で魄氣と結び、体軸の確立による回転の成立とそれに続く軸足交代で真空の氣へと解脱する。受けの項部へ一気に発して底を抜いて受けの腰仙部から取りの下丹田へ巡って残心が技を生む(動画)。

                                      2017/4/29

45. 陽の魄氣で止まること

 手を前に振り出して陽の魄氣で静止すると体軸が前寄りに微動の状態で止まり、足は何れにおいても軸足たりえず、したがって体軸は両足の間に在って宙に浮いている。つまり、自身の魂氣と魄氣の結びが解けたなかで、技が生まれていることを念じるのだが、十分な力が受けの底に響かず、ただ振り払うか突き離そうとしているに過ぎないことがわかる。

 その理由は以下の通りである。

 鳥船の陽の魄氣で止まった姿勢とは、山道の登り降りの途中で難場歩きでの体軸移動が途中で静止したまま立ち往生する瞬間にほかならない。鳥船で言えば陰の魄氣に戻るのではなく、入り身で体軸を移動して残心の姿勢をとるのでもない。鳥船の途中で両足を踏ん張って静止し、軸足と非軸足の区別がなくなって自身の体軸を作るはずの魂氣と魄氣の結びを欠いている。

 したがって非軸足は確立せず、体軸移動に伴うはずの互いの魄氣の結びも生まれない。空の気を解脱して真空の氣に結ぶことのできていない同側の手から、魂氣が受けの芯に響くことはなく、ただ表面を押し・叩くのみで滞るから、取りにも巡ることはない。そこでも魂氣と魄氣は結びが解けたままであり、合氣は為されない。

 このような落とし穴は、入り身投げ、天地投げ、呼吸法、呼吸投げ、四方投げといった投げ全般で考慮すべきだろう。二足をもって進む。剣を取っての正面打ちや杖の突きに通じる共通の術理を思い返すことだ。

                                      2017/5/17

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