「昇段審査で感じたこと」
今回、昇段審査で、やってはいけない動作が無意識に出てしまいました。
それは、突きの体捌きです。
突きに対して小手返しをするとき、入り身転換で相手の母指球を包む際、ずっと手を見つめてしまったため姿勢が前屈し、そのまま体の変更に移ったため軸足交代が曖昧なままで一瞬動作が止まってしまいました。受けに対する返し突きを忘れたその後の後ろ回転が中途半端になり、受けの手背に被せる手が横に流れる結果に終わりました。
相手の全体を見る目付け、つまり受けの手をいちいち視野の中央で捉えようとせず、正面に水平の視野を保つことの大切さをあらためて感じることができました。
交代した軸足が作る体軸の確立は目付けに依ることを意識しながら、これからも稽古を続けていきたいと思います。
高谷文彰
合気について
合気道の開祖植芝盛平の言葉に「合気は愛である」というものがあります。しかし凡人の私ではそう言われても全くピンと来なかったのでちょっと調べてみました。開祖の言葉をもう少し詳しく説明されているものを見ると、「合気とは敵を破る術ではなく世界と和合する道であり、森羅万象の活動と調和することが合気道の極意である」とありました。しかしこれでもやはり概念的には理解できても、やはり腑に落ちるものではなかったためもう少し調べてみました。
合気道では「合気」は精神的な意味合いを持つ言葉として使用されますが、その合気道の源流である大東流合気柔術では、もっと狭義でかつ具体的です。現在の大東流合気柔術正統代表者の近藤勝之の言葉に「合気とは崩しである」というものがあります。さらに彼は「初学者ではそういう理解でよい」とも付け加えています。またWikipediaに様々な師範方の言葉が載っていましたので少し引用します。
・高岡英夫は体重とモーメントを使用するのが初級の合気、身体各部が同時に動き、支点が揺動するのが中級の合気としている。
・吉福康郎は「触覚情報を操る技術」とし、相手に気付かれないよう体勢を変えて技をかけていると主張している。
・岡本正剛は相手と対立せず相手が想定したよりもわずかに早く接触するとしている。
・西田幸夫は相手より若干早く動くことで相手が無意識に追いかけることで体勢を崩し自分、相手、その接触点を3つの軸とした回転で押しと引きを同時に作用させるとしている。
等々。人によって表現は様々ですが、大東流合気柔術の解釈として合気とはやはり「崩しの技法」であると言えそうです。
私は2年ほど前から岡本正剛の流れである大東流合気柔術技修会というところで合気柔術を学んでいます。その経験から言っても上記の説明は合点がいきます。特に西田幸夫の「相手より若干早く動くことで相手が無意識に追いかけることで体勢を崩し自分、相手、その接触点を3つの軸とした回転で押しと引きを同時に作用させる」という説明が、最も私の感覚に近いと言えそうです。
技修会ではよく自分の手首を相手に持たせて技をかけるのですが、掴ませる瞬間に一瞬、0.1~0.2秒ぐらいでわずかに(数㎜~数㎝)自分側に引き込みます。そうすると受けは反射的に取りの手首を強く掴み、前のめりになります。そうなることで重心が崩れ、かつ取りの手に体を一部預けることになり「つながり」が出来ます。そして取りの手と受けの手が一本の棒のようにつながり、取りの思い通りに受けを動かすことが可能になります。
これが現在の私の理解というか感覚です。敢えて言語化するなら「合気とは自分と相手をつなぐこと」でしょうか。これをもうちょっと気の利いた言い方をするなら「自分と相手の気を合わせること」と言ってもいいかもしれません。今はこういう感覚ですが、今後10年、20年と稽古を続けていくうちにまた違った景色が見えるようになるかもしれません。最終的に「合気は愛である」という開祖の言葉が実感として理解できたらいいと思います。
林 振作