1. 武術と合氣道

 敵を殺伐する武術にあっては自らの命を守護する情が昂じると意思も動作もたちまちにして鈍ることとなる。武士集団を勝ちに導くため必勝は必死にあって実現するものである、というのが武術の前提であった。現代なら、自己の存立を貫くための行動に、衣服が破れ、ボタンがちぎれ、怪我までして、たとえ命があってもその事情を問わず社会的な制裁を受けて、多くの価値を失い、死ぬほどの結果が必ず待っている。つまり、勝敗にかかわらず自己を失うこととなるのだ。

 現代文化の急速な進展にあって、心身の活性を失わずに伝統の技芸を共有することは決して無意味ではない。しかし、武術の根本をそのままにして適用することは無理であることが容易に理解できる。

 自らの命を顧みず術技に徹して敵を撃滅する武術に比べて、合氣道では氣の想いと結びの動作によって自らの命を一層生かすことが技を産み、相対するものは螺旋で落ちて地の魄氣と固めによる魂氣で生かされる。

 生あるものが死を受け容れることで敵を倒すのは武術の要訣であり、一方、生を高めることで自己を確立し、他を生かすのが合氣道である。術理の対比は鮮明である。そして合氣技法の核心は魂氣と魄氣の要素を行うことであり、ことごとく言葉と想いと動作の三位一体により成る。

 一般に、武術から転化することを意図した武道は、その創始の段階で社会背景と価値観の変遷を見通して術理と技法をよくよく究めなければ、それぞれにおける理と技の錯綜が、そもそもの目的である自己確立を曖昧なものとするであろう。動作が想いを現しきれず、想いが動作の形に及ぶことでなければ、積み重ねる努力は武術と武道の間にあって霧消することとなろう。

 自己を捨てて殺気を鍛錬するのか、氣結びを為して自己を求めるのか。我が国の日常は当然のことのように良識を基準として成り立っているが、世界にはあたかも狂気が常態であるかのごとき地域は今も実在する。また、先進国といえどもそのような一瞬の陥穽は全くの架空ではない。そこでは自己を捨てきるか、生を確立するかではなく、ともかくも狂気から逃れる他に道はない。武術か、武道か、ではない。黄泉の国から逃げ帰った先祖が在ってこそのたましいである。狂気に立ち向かうのは学術であり行政であるはずだ。

                                     2015/10/20  

2. 呼吸法の魂氣

 体幹の中で最も細い部分は頸部である。体幹表面から体軸に一番近い部位が頸部であるということになる。また、魂氣が出入りする手は左右の側頸に連なっている。つまり、受けの中心に魂氣を及ばせるには取りの手が受けの側頸に密着することを要する。

 坐技単独呼吸法の中で丹田に結んだ魂氣を呼気で陰の陽のまま側頸まで上げていく動作があり、昇氣と呼んでいる。側頸から吸気で魂氣を陽の陽で発して呼気で元の丹田に巡る。また、“両手で氣の巡り”と呼ぶ呼吸法は、右手を上段に与えて吸気とともに陽の陽で発して、左手は陽の陰で同じ高さに差し上げる。呼気に転じて左手は陰の陽で丹田に巡り、右手も脇を閉じて陽の陽で体側に伸展したまま巡る。

 狭義の陰陽にかかわらず、母指先から広義の陽で魂氣の発する想いを動作に現せば、前腕橈側が湾曲して巡ることとなる。受けの体軸に入り身運動で取りが体軸を接するとき、魂氣を広義の陽で発すれば受けの側頸に取りの前腕橈側が湾曲して巻き付くように密着することが出来る。

                                     2015/10/20

3. 入り身転換の力みの機序

 片手取り呼吸法裏あるいは突き入り身投げ裏などで、入り身転換反復は魄氣の基本動作として共通のものであり、足、腰、目付けを定める奥義である。初めの入り身転換を陰の魄氣で正しく終わり、前の足先を内股にして軸とし、再度半身を入り身転換して陰の魄氣とする。単独基本動作でこれを繰り返していくとき、陰の魄氣の軸足が確立し前方の足先・丹田・目付けが常に一致して正対していなければならない。十分に捻った腰は丹田が正面を向き、それを戻しながら前方の足に軸足を交代して踏み換えるから、先と反対側への腰の捻りが十分に行う事が出来る。軸足もよく屈曲して体重が乗る。前方の足先は十分に伸展して足先はかすかに地表に置かれる。限界まで捻ると、次にそれが解けることで入り身が行われ軸の交代まで運ぶ。軸に十分体重を預けると軸足は屈曲し対側の足先は前方で伸展し、目付けと丹田は反対側の限界まで捻れて再び前方に正対する。

 これに反して、反復動作への焦りで陰の魄氣が不十分なまま軸足を交代して踏み換えると、改めて腰に反対方向へ力を込めて捻る事で入り身転換に移ろうとしてしまう。

 そうやって入り身転換を繰り返すと、いわゆる力みを伴う単独基本動作となってしまう。途切れない入り身転換の連なりには正しい入り身転換の静止を必要とする。正に動静一如である。

                                     2015/10/30

4. 合氣の動静は軸確立に在り

 正座も正立も上体の軸は垂直である。また正立でははつねに片側の足と腰が連なって上体の軸とも連続して鉛直線となる。その軸足があって初めて他方の足が自由に移動して、それが交互に軸足となって歩行、即ち移動が可能となる。

 体軸が鉛直である理由は、目付けが最大限の視野を確保することができ、それと相まって上肢の運動が限界までの氣力と緻密さを連続して発揮することができるからである。それぞれの技の中心をなす入り身・転換・回転の動作中も、目付けの確立により一貫して体軸は鉛直に維持される。

 また一教固めでは上肢を下りる魂氣が鉛直に受けの上腕に結び、取りの上体の底で丹田の前に在る。体軸は前傾して同時に受けの方向へと振れることになる。正座においても両上肢を通じて魂氣が丹田の左右に結び、魄氣は腰から上体の直立した軸に向かって頭部を支え、目付けは水平方向に定まる。魂氣は体軸と側頸を経て両上肢に連なり丹田から魄氣へと巡っていく。

 つまり、正座は氣結びの単独呼吸法の一つであって静止の姿である。一方、鳥船で魂氣を差し出した姿勢に特徴的な陽の魄氣は体軸が軸足に直接繋がらない動の一瞬である。同じく体軸が両足の間にある自然本体は、容易に軸足を定めて左/右自然体に移行できる静止なのであって、その意味から、送り足(継ぎ足)で二足が一本の軸足となった残心は動の終末の一瞬である。即座に一方を軸足として左/右自然体の静となるか、陽の魄氣で動作を繰り返すかの何れかになる。

                                      2015/11/5

5. 合氣道の基本即真髄とは

 魂氣の陰陽を問わず母指先だけは常に伸展しており、その意味では終始陽であるといえる。

なぜなら、内巡りで丹田に結び、陰のまま外巡りで発する際も、昇氣で陰のまま側頸に結ぶ際も、母指先だけは一貫して魂氣の通り道であり続けなければならないからである。

つまり、このことは陰陽・巡り・結びそれぞれに共通する魂氣三要素の根幹である。

 また、体軸に直結する軸足を魄氣の陽によって失われる入り身から、瞬時に残心で軸を取り戻すことこそ魄氣三要素の動作、すなわち陰陽、入り身、転換・回転における要訣である。

                                     2015/11/14

6. 鳥船の陰陽の魂氣

 鳥船ホー・イェイの陰の魄氣には、魂氣が陰の陰で丹田の両外側に結び、上肢は側胸から側腹部に密着して腋は閉じている。吸気で後方の軸足を伸展して陰の魄氣から陽へ体軸を進めるとき、脇を開きつつ、ホーで屈曲している手首の先端から魂氣を発する想いで上肢を伸展して脇を前方へ開く。

 ますます屈曲する手首に魂氣を発すると母指先は地を指し、脇の角度が大きくなるにつれて屈曲した指先から丹田へと魂氣が巡る(画像①)。ということは再び腋は閉じて行き、呼気では魂氣が丹田に結ぶこととなる。

 つまり、吸気相の終末では魂氣が陰の陽で丹田に巡りつつある。呼吸相の境界で息が途切れてはならず、魂氣の巡りもその動作もそこで静止しては意味を為さない(画像②)。呼氣の終末では魄氣の陰と魂氣の陰の陰が丹田に結ぶ。

                                      2015/12/3

画像① 鳥船 ホーと吸気とともに魂氣を陰の陽で差し出すが、広義の陽とならずに巡る。
画像① 鳥船 ホーと吸気とともに魂氣を陰の陽で差し出すが、広義の陽とならずに巡る。
画像② 吸気で左半身陽の魄氣のホー、呼気で陰の魄氣イェイ
画像② 吸気で左半身陽の魄氣のホー、呼気で陰の魄氣イェイ

7. 鎬と手刀

 手刀を作り上段に動作するとき、手背にも手掌にも鎬を見いだすことは出来ない。

 元来剣の鎬は刃と棟(峰)の間で厚みを持つ部分である。受けの剣は刃から鎬にかけて取りのそれに接触して擦り降りていく。つまり、取りの外に離れて落ちる。しかし、取りが手刀を垂直に立てて剣線を主張するとき、手首を境界として手背と前腕伸側の間に凹みが出来ることとなる。手首の外側にできる凹みは形においても原理においても鎬の正反対である。

 剣線を先取りする受けの手刀の小指球の厚さを、取りの手刀が手背から腕の間でそれを外しつつ互いを接するように擦り上げる術理は如何様であろうか。取りの手背よりも受けの手刀の厚みの方が鎬の役割を果たし得るのではないだろうか。取りが振りかぶりながら手刀で受けに合わせるとき、その母指球手背部や手首との境界部には鎬の厚みは決して生まれない。

 徒手において剣に代わるのは母指である。掌を包み陰で丹田に結ぶときも、陽で発して上肢を伸展するときも、母指だけは常に伸びて反っている。自然本体で正立するとき、掌を包み母指で蓋をするとその外側に位置する示指球の背部まではほぼ平坦であり、その厚みは鎬というよりも棟(峰)に相当する。また、小林裕和師範は突きでは母指先を正面に向けたが、与えるときは必ず母指先を内に向けて、つまり手首を屈曲して差し出した。そこから陽の陽で発するには手首を母指先の反りの方向へ180度外側に廻す。外巡りでは小指側が丹田に巡り、さらに母指先が一旦地を向きながら外側へ出て行くように手首を回す。小手返しの手で与えて二教の手で外巡りである。

 すなわち、母指が剣としての動作を行うには先ず手首を直角に畳んで小手返しの手で上段に与え、受けの手刀に接したとき、手背は棟となり手首から前腕橈側にかけては受けの手刀に対して鎬の厚みを作ることが出来る。手首を伸展して母指先が抜刀の如く正面に向かっていくと、受けの手刀はすでに落ちている。陽の陽で掌が十分に開いてしまうと魂氣を与えた状態である。手首は反屈となって手背と手首の作る凹みには受けの手刀の撓側が嵌まり、正に魂氣の結びが為された形となる。

 陽の陽から陽の陰へとなおも巡ると母指先は受けの体軸に向かい、手掌は受けの顔を包むように結ぶ。取りの魂氣は終に受けの魄氣に結ぶこととなる。

 手首の屈曲と共に取りの頭上で平坦となった手背があたかも棟となり、同時に肘が外へ僅かに張り、脇の開きを伴い、剣線にたいして厚みを持って鎬として働くことは徒手の剣に劣らぬ妙味である。しかも手首を伸展して魂氣を陽に発する途中で取りの手が手刀を形作る一瞬は、腋が閉じて肘は内側に引きつけられ、反屈した手背と手首に凹みができる。それについては、最早相手の手刀を受けるのではなく、過伸展した前湾屈側と掌がすでに受けの前面と手刀の間に入ることとなる動作なのである。つまり取りの母指と手背は受けの手首の尺側から伸側そして撓側に沿って巡り、その真空の氣に結んだと言うことができる。

 徒手では、魂氣を陰の陽で与えると手首と肘の間に鎬が現れ、母指先から陽の陽で発すると反屈した取りの手背の下で受けの手首に魂氣が結び、上肢が丹田から一直線で母指に連なると鎬は役目を終えて消え去る()。

                                      2015/12/7

図 陰の陰で額に結んで鎬を作り、受けの手刀に接すると陽の陽で受けの橈側に結ぶ。
図 陰の陰で額に結んで鎬を作り、受けの手刀に接すると陽の陽で受けの橈側に結ぶ。

8. 手足腰目付けの一致とは

 軸足と同側の手は魂氣の陰で丹田、腰仙部、膝または側頸、額から体軸へと結び、対側の足は自在に置き換えたうえで同側の魂氣を陽に発して陰に巡るうちに、踏み替えて次の軸足とすることで、直立したままの体軸を常に軸足に連ねて移動することが出来る。両手で陰陽の巡りから結びを繰り返し、魄氣の陰陽で入り身、転換・回転を同期させるなら、これらの結びが体軸の確立を伴って自ずと目付けの維持をもたらすであろう。

 手足腰目付けの一致とは、軸足によって地から真中に連なる体軸の確立を示しているのである(画像①②③)。

                                     2015/12/25

画像① 単独基本動作右半身入り身転換から体の変更:3から4コマ目、丹田に巡って脇の下に出来る隙間へ足腰を進めて入り身転換。5コマ目、左手足を後ろに置き換えて体の変更。
画像① 単独基本動作右半身入り身転換から体の変更:3から4コマ目、丹田に巡って脇の下に出来る隙間へ足腰を進めて入り身転換。5コマ目、左手足を後ろに置き換えて体の変更。
画像② 単独基本動作左半身入り身転換から体の変更:3コマ目、丹田に巡って脇の下に出来る隙間へ足腰を進めて入り身転換。4コマ目右手足を後ろに置き換えて体の変更。
画像② 単独基本動作左半身入り身転換から体の変更:3コマ目、丹田に巡って脇の下に出来る隙間へ足腰を進めて入り身転換。4コマ目右手足を後ろに置き換えて体の変更。
画像③ 相対基本動作片手取り入り身転換から体の変更
画像③ 相対基本動作片手取り入り身転換から体の変更

9. 鳥船の上肢

鳥船ホー・イェイの魂氣(上肢の動作)

 イェイは胸を開いて腹式呼気で魂氣は丹田から杖の扱き近似で後方へ伸展する。ホーは胸を閉じて腹式吸気を杖直突き近似で両上肢の肘を伸展し、魂氣は陰の陽で手首から遠位を屈曲して与える。吸気の終末には母指を除く指が丹田に向かって巡り始める。

 基本動作としての意義を再確認する。

                                   2016/1/13

10. 開祖から伝わる武道

 開祖が創始された合氣の理は、技法そのものや、二代道主監修による『合気神髄』所載のお言葉によって今に伝えられ、それを共有していく人は年々増えているようである。

 さて、その本態は、合氣道に伴う言葉と、その意味するところの統一的な考え方や見方、そしてそれぞれに対応する動作の表現が一体となったものであるはずだ。しかも、それは合氣道の技以外のなにものでもない。

 いま、技としていくつかの動作を連ねるとき、それぞれが開祖の遺された言葉やその思いに繋がらなければ合氣道と呼ぶことの根拠がなくなる。また、語句とその意味についてそれぞれを追究する姿勢は、開祖の示される合氣道へと深化する態度であることに違いは無い。ただし、迂回することや越えていくこと、あるいは深めることには、いずれも回帰する伝統と言う中心点を伴わなければいつの間にか開祖の合氣道とのつながりが希薄になる。もっとも、ゆかりのある一つの武道的な体系を確立することにもそれなりの大きな意義はあろう。

 合氣道では魂氣と魄氣が丹田に結ぶことで初めて確かな動きが産まれることを訓えている。相対動作では互いの結びを経て合氣の技となるのである。 “氣融和せざれば形従わず”というが、魂氣と魄氣それぞれの三要素ではすでに、ことばと、思いと、動作による形が一体となっている。その上で、魂氣と魄氣に結ばれた体軸のもとに手足腰目付けの動作がさらに技を生み出すのである。

                                      2016/1/17

11. 魄氣の思いと動作、外転換と入り身

 地から受ける魄氣が軸足を作り同側の腰と体軸は連なり、頭頂まで貫く思いで直立することが対側の足と両上肢を自在に最大限動作させ得る。

 転換とは半身を左から右、または右から左に転じ、同時に体軸の向かう方向も自在に転じることである。動作の本体は陰の魄氣から陽を経て陰に至るあいだに軸足の交代を為すことである。または、自然本体から左右何れかの足で軸足をつくり陰の魄氣で半身となることである。

 陰の魄氣から前方の足をさらに半歩前に進めると入り身であるが、転換は入り身を伴わない。後手を引いた時のように前方には進めることはできず、外側方に置き換える。剣線に対する角度を真横と45度の二通りについて詳述する。

⑴陰の魄氣から前方の足先を外の真横に置き換える。そこを次の軸足として対側の足を寄せてその足先を剣線に直角の方向で置く。軸足はその場で踏み込むから足先を大きく転じることはできないが、腰に連ねて剣線に対し45度以内で足底を捻ることはあって良い。目付けも元の剣線に直角を為す。

 単独動作の観点からは半身の転換により臍下丹田は陰の魂氣に近づき、それと結ぶことができる。ただし、相対動作では受けの体軸に取りのそれを接するまでには至らない。つまり互いの魄氣の結びは無く、剣線を外すのみであり、入り身までは伴わない。陰の魄氣で前の足を踏んで軸とし、後ろの足を半歩元の剣線に沿って陽で進めると再び半身を転じて(転換前の半身で)入り身である。片手取り呼吸法表、隅落とし表に典型である。

⑵陰の魄氣の前方の足先を剣線に45度外方に進めて軸とし、新たな軸足の土踏まずの内側に後ろの足を送ってその踵を被せ、足先はその剣線に対し90度の角度を取り、元の剣線に向けて半身を転じて陰の魄氣の姿勢とする。そのまま半歩踏み出せば体軸が元の剣線に稲妻形で食い入る動作となる。一教表、天地投げ、入り身投げに連なる。

 45度外に退いて軸とすれば後方回転の軸足とするか、半身を転換して前の足先を元の剣線方向へ入り身する場合がある。前者は入り身転換から小手返し、後者は片手取り入り身転換から隅落とし裏を産む。

 ⑴は半身を外に転換してから元の半身で剣線に沿って入り身

 ⑵は半身を外に転換してそのままの半身で真中に入り身

 

 内、外とは半身で単独動作の場合剣線の腹側を内、背側を外とする。相対動作の場合は受けの腹側は内、背側は外と表現する。相半身で受けの腹側で転換すると内転換(横面打ち後手で振込突きを払わせて内入り身転換)、受けの背側で転換すると外転換である。交差取りで後ろの足を取りに対して剣線の外へ90度置き換え、それを軸として元の半身で目付けは剣線に直角を為すと外転換。同じ動作を逆半身の片手取りで行えば内転換と呼ぶこととなる。

                                      2016/1/19

12. 氣結びの見方

 ⑴互いの魂氣の接点で取りの魂氣が受けの魂氣に拳一つ以上入ること

つまり取りの手が陽の陽や、陰の陰の回外で受けの手首の上下の空間(真空の氣、空の氣)に入ること。

 ⑵互いの魂氣の接点で取りの魄氣・体軸が入る、つまり取りの魂氣が受けの魂氣とともに取りの丹田や額に結び、足腰の入り身・転換で互いの魄氣が結ぶこと。

 ⑴は互いの魂氣の結び。次に魄氣が結ぶ。

 ⑵は取りの魂氣と魄氣の結びにより互いの魂氣の接点で取りの手足腰体軸が中に入ること、つまり互いの魄氣の結び。次に互いの魂氣が結ぶ。

 ⑴は表、⑵は裏

                                      2016/1/23

13. 動と静の術理

 不定の攻撃に対して一定の対応に限局した体勢をとる静止状態が所謂「構え」であろう。両手で魂氣を前方中段に発し、狭義の陰でも陽でもない手刀として固定した状態に加えて、下半身は魄氣の陽である場合と陰の場合があることを様々な画像で目にする。

 しかし、合氣道において静止とは、左右自然体である陰の魄氣と自然本体以外になく、魂氣は体軸に巡りそれぞれが丹田を中心に結んでいる状態と言える。一方、動作とは軸足の交代による体軸の移動である。入り身で軸足が交代した瞬間、対側の足が一瞬新たな軸足と一本になり軸と成る。その直後たとえば後ろの足に軸足が移れば陰の魄氣で静止に入ることとなる。魂氣の動作については陰陽の巡りに尽きる。取りの体軸に巡り結んで静止となる。

 静止のとき軸足の確立が伴っているから動への移行は円滑であり、これを動静一如と表現できる。一方、軸足を持たない状態、つまり自然本体を静止と見なす場合はまず軸足をつくってそれに体軸を一旦繋ぎ、そこから軸足の交代という動作に入らなければならない。

 入り身転換や体の変更の終末で魄氣の陰陽に伴い魂氣を陽で差し出す姿は、元来静止ではなく、一連の動作を稽古する上で、いくつかに区切った型の一つである。確かに、一瞬の動作を修練する際、部分的に切り取った停止の型として左右半身で反復稽古をすることは一般的に有効である。だからといってそれを常態化して「構え」とすることは、不定の攻撃に対する瞬時の最善動作を始めから限定することに繋がる。

 静止から動作を経て静止に終わる間、魂氣の陰陽・巡りや魄氣の陰陽・軸足の交代は切れ切れに進めるものではない。今、動作を敢えて細分してそれぞれを修錬し、さらに繋ぎ合わせるという稽古において、手足腰目付けの一致という動作の要訣が不備となりかねない。注意すべきことで、生理的な呼吸の繰り返しに緩急・深浅はあれ、切れ切れの様相があってはならないということに通じるであろう。

                                      2016/1/28

14. 後手と鳥船

 上段や下段に与えようとして、目に受けの手刀や突きの動作が先と映ったとき、

これを同時打ちまたは後手という。

 待って受けるのではなく、陽の魂氣を途中で陰に巡る動作、鳥船のホー・イェイに通じる。

あらためて発する陽の魂氣ははイェイ・イェイに近似する。

                                       2016/2/3

15. 巨人のキャンプにおける松井臨時コーチ

 巨人のキャンプで松井臨時コーチが円陣の中にいてバッティングの理論的指導を行っていた。音声が伝わらない中で、彼が自らバットを振り出して当てるところまでを手足腰のフォームを示して説明しているのがうかがえた。

 身振りだけを見ていると入り身の指導と酷似していることに気付き少し驚いたが、運動の形に現れるものは手足腰目付けの連動に尽きる訳であるから、共通するカットの発見は多々あってしかるべきであろう。

 外転換の陰の魄氣から前の足を踏んで軸足とし、対側の足を剣線方向へ半歩踏み出して伸展した状態を作り、それに合わせて上肢を一気に伸展する。伸びきったところで後ろの足が伸展し、重心が前の足寄りへ揺れて魄氣の陽で体軸が捻転する。バッティングでは残心の動作は見られないし、目付けは転換せず始めから入り身方向へ向いている(「体軸と軸足」の動画「片手取り昇氣・呼吸法表裏」参照)。

 振りが鈍くなるとは、振って後ろに回る全体のバット動作が、体軸の一気に捻転する動作と速さに同期しないことを意味している。いずれにしてもバットからボールに十分な力の移行が為されるかどうかである。つぼに正しく嵌まって氣力が十分深く伝わる思いで動作を行うのが合氣道の三位一体である。芯でボールに当てて、腰と体軸に支えられた最大限の力が一気に伝わるよう動作することに通じる。

 重心が前寄りに移動して体軸が捻転しなければ、陰の魄氣のまま手だけで受けに力を及ぼそうとする動作になる。また、重心が先に前へ揺れると前足の踏ん張りによって体軸の捻転は途絶えて、やはり手だけでバットを後ろに廻すこととなる。入り身が残心にまで進んでから取りの手が伸びるようでは足腰と大きく分離し、受けの上体に取りの魂氣が響くことは無い。

 魂氣と魄氣の結びという言葉は、このような手足腰目付けの統合を氣流の天地を巡る様子に喩え、そして実際の動作と一体となって技が成り立つのである。この術理はバッティング技術論にも当然矛盾しないのである。

                                       2016/2/4

16. 魂氣が陰で魄氣は陽の場合と残心の場合

片手取り逆半身外入り身/外入り身転換

 魂氣が陰の陽で丹田に巡るとき足先は入れ替わって半歩進む。入り身転換では内股に踏んで軸足とする。腕を丹田に引き戻すという表現ではなく、与えるにつれて手首から先を弛緩屈曲するだけで自ずと呼気で丹田に戻るような動きといえる。前腕伸側の伸展する感じは高まるが、屈筋の緊縮で引き寄せる自覚は乏しい(画像①)。

 

正面打ち一教運動表/裏

 一教運動表では、同じく逆半身であるが内入り身であり、受けの手刀に両手で氣の巡りを行う。取りの魂氣が陽の陰から陰の陽で丹田に巡る間に受けの上腕を包む。つまり、陽の陰の魂氣は、同側の足先が逆半身の半歩内入り身で進むと同時に発し(画像②)、残心で魂氣は陰の陽で丹田に巡る。

 

呼吸法から見た両基本動作 

 片手取り入り身では呼気で魂氣が同側の足腰と入れ違いで丹田に結ぶ。

 一教運動表では、吸気で逆半身内入り身と同時に同側の魂氣を陽の陰で受けの上腕に沿わせ(画像③)、後ろの足を継ぐ残心と同時に呼気で魂氣を陰の陽に巡らせて丹田に結ぶ(画像④)。

 裏では吸気の逆半身外入り身(内股で踏み込む)と同時に同側の魂氣を陽の陰で受けの上腕に沿わせ、入り身転換と同時に呼気で陰の陽に巡り、上腕を包んで丹田に結ぶ。

 

魂氣の違いに着目

 片手取り入り身/入り身転換は鳥船の陰陽の魂氣。ただし魂氣が陰に魄氣は陽。

一教は単独呼吸法坐技の両手で氣の巡りの魂氣。魂氣が陽に魄氣は陽で、魂氣が陰に巡るときは残心へ。

                                      2016/2/15

画像①片手取り入り身転換、魂氣は陰、魄氣は半歩入り身。
画像①片手取り入り身転換、魂氣は陰、魄氣は半歩入り身。
画像②一教表、魂氣の陽に魄氣も同側を半歩進めて入り身。
画像②一教表、魂氣の陽に魄氣も同側を半歩進めて入り身。
画像③鳥船近似で陰の陽の魂氣を差し出し、魄氣は陽。
画像③鳥船近似で陰の陽の魂氣を差し出し、魄氣は陽。
画像④魂氣は丹田に陰の陽で結び、魄氣は残心。
画像④魂氣は丹田に陰の陽で結び、魄氣は残心。

17. 上段か下段かで一教運動の違い

上段に与えるか下段に与えるかで一教運動の違い

 

上段に与える:正面打ち一教運動

下段に与える:交差取り一教運動

 

正面打ち一教運動:受けの手刀に触れて陰の陽から陽の陽へ発して結ぶ。

そのために始めは呼気で魄氣の陰として魂氣を丹田に陰の陽で置き、そっと吸気に移行しながら魂氣を差し出し同側の足はかすかに同方向に浮動する。相半身内入り身である(画像①)。受けに触れて吸気が一気に進み魂氣とともに魄氣は半歩入り身で軸足の交代を成し、送り足は軸足の甲に踵を被せてさらに逆半身内入り身で受けの真中へ進め、同時に同側の魂氣を陽の陰で発して受けの手刀の上腕を伸側で包み(画像②)、呼気に移って残心とともに陰の陽に巡って丹田に結ぶ。

 

交差取り一教運動:交差取りには呼気で外転換にて上肢を畳み(降氣の形)、母指先は側頸を前から指すが(画像③)、吸気に転じて母指先から順次上肢を伸展してゆき、陽の陽で受けの手の伸側の上を中段の高さで内側に入っていく(画像④)。魄氣は陽で入り身運度であるが、“く”の字で入るから軸足の交代に入り身運動の送り足をその軸足の甲に踵を被せて同側の手を陰の陰で受けの上腕伸側に沿わせ、逆半身内入り身で魂氣は陰の陽で差し出し、初動の手は陽の陽から陽の陰に巡ることで受けの手首を屈側から掴む。残心で陰の陽の魂氣は受けの上腕と共に丹田へ巡り、陽の陰は鳥船の(ホー・)イェイで受けの手首と共に後ろへ送る。

                                      2016/2/15

画像①右半身陰の陽で与え、陽の陽に発して相半身内入り身
画像①右半身陰の陽で与え、陽の陽に発して相半身内入り身
画像②逆半身内入り身で左足先は受けの左足もと、左手は陽の陰。
画像②逆半身内入り身で左足先は受けの左足もと、左手は陽の陰。
画像①の左半身
画像①の左半身
画像②の左半身
画像②の左半身
画像③外転換で降氣の形に上肢を畳み母指先は側頸を指す。
画像③外転換で降氣の形に上肢を畳み母指先は側頸を指す。
画像④陽の陽で母指先から発して相半身内入り身。
画像④陽の陽で母指先から発して相半身内入り身。

18. 思いと動作

 合氣道とは開祖のお言葉にある如く氣の武道に違いない。

魂氣を思う動作は合氣道の上肢の働きであり、魄氣を思う動作は足・腰・体軸の働きであると言えよう。

 では魂氣をどのようにして上肢に受け入れ、何処から発する思いによって手を動かすのか。吸気から呼気、呼気から吸気へと巡るうちに上肢全体と各部分は合氣の形を生みながら動作していくはずである。魂氣の働きの三要素である陰陽・巡り・結びの動作が呼吸とともにあるという思いこそが上肢の働きの基本である。魄氣にあっては足腰体軸が陰陽、入り身、転換・回転の三要素で現される思いと動作によって働きを持つ。

 目付け・頸・肩・脇・肘・手首・指の動静と形が働きを生み出すとき、合氣道は何処にあるのか、どれが合氣なのか、ということである。

 思いの低迷は動作の停滞に通じるように、言葉と思いと動作の一体ならずしてことは為し得ない。

                                      2016/2/18

19. 左/右半身の思いを動作すると

 転換や入り身転換において交代した軸足は45度以上捻って地に踏みこむことはできない。畳の上でも土の上でも感じ取る摩擦抵抗に大差はない。

 ただし、体軸に連なることのない足なら、両方とも同時に90度以上は捻ることもできよう。その際は両足共に体軸の周りで地を擦らせているに過ぎない。そこでは次の動作の前に先ず軸足をつくる拍子から始めざるを得ない。なぜなら、体軸が両足のいずれにも繋がらないときは、正に静止の状態であるからだ。

 自然本体や鳥船の陽で静止した場合がその典型である。前者は正対する姿勢でありそれなりの間合いを保っている。後者は単独動作で意識的に静止した状態である。つまりいずれも、動中の静とは言い難い。

 説明演武ではたびたび動作の途中で静止することが必要となる。静止にならない瞬間を敢えて区切って示すことは指導上それなりに効果がある。たとえば前方回転における軸足交代の瞬間における静止である。崩れないで静止の姿勢を正しく示すことは困難である。

 自然本体はそもそも動作の過程ではない。軸足を持たず体軸が地表との間で途絶えているが、そこに捻転が無い分安定が得られる。初動においてはその場でいずれかを軸足として左/右自然体の陰の魄氣とすればよい。

 転換や回転では、始めの軸足も次の軸足となる対側も、足先の内方向への一時的な捻転が必須である。ところが、次の軸足先を捻転せずに踏み(すでに下肢全体が剣線に対してほぼ45度外に向いてはいるが)、そして後ろの足をその場で外側に135 度捻転して踏みかえ、再度軸足として目付けと体軸を反転し、今や後ろになった足をその場で90度内方に捻転して置く。その瞬間体軸は今や前の足から解けて両足の間に位置する。そのときは左/右半身ではあるが陰でも陽でもない魄氣であり、残心でもない。また、直後に体軸を後の足に連ねて軸足とし、陰の魄氣となれば軸足の交代は三回となる。

 合氣道では。陰の魄氣と残心が、入り身、転換、回転という動作の直前と直後に相当する。今、前後に開いた両足に重力が分割されると、両膝は共に弛緩屈曲が可能で、その間を体軸の延長が地に向かう。陰の魄氣でも陽の魄氣でもなく、無論残心でもない。魂氣であれば陽でも陰でもない手刀に相当する。

 入り身・転換の直後は残心か陰の魄氣でなければ次に繋ぐことができない。その意味で動中の静は自然本体ではないし、陽の魄氣でもない。左/右自然体と自然本体の違いはよく認識しなければならない。

 

 剣線上に目付けと足先を置き対側の足を剣線上で後ろに廻す、所謂左/右半身という用語は、①左/右自然体(陰の魄氣)と②二足が一本の軸足である残心、③鳥船の陽の魄氣、④体軸を両足の中間点に降ろす四股立ち近似の半身の4種類に分けることができる。左右自然体と残心は動中の静と呼べるが、陽の魄氣は鳥船の説明に用いる静止であり、④はその何れでもないと言わざるを得ない。

                                      2016/2/21

20. 転換と入り身転換の中間、二法

⑴外/内転換と⑵入り身転換。

 これらの用語はこれまで

剣線に対して直角に向けて半身を転換する(画像①②)。

入り身をして剣線に沿って180度反転し半身を転換する(画像③)、

という理解であった。

そこで、以下の二法について整理する。

として、剣線に45度で外に進めて軸足を交代してその踵に引き寄せた対側の足を軸足の内側にその踵を進めて前に置き半身を転換する。今や前に位置する足の踵が軸足の甲を被う状態で、動きの途中であり、引き続き前の足先が半歩入り身で剣線に戻り、後の足を引きつけて残心となる(画像④)。

相半身内入り身して後の足を剣線に直角に退き、半身を転じずに内転換するとき。陰の魄氣ばかりでなく陽の場合もあり得る。陽ならそこから逆半身外入り身転換に入り易い。陰の魄氣なら当然後ろ回転に繋がる。横面打ちに振込突き相半身内入り身から内転換して、陽の魄氣は逆半身外入り身転換入り身投げや小手返し、陰の魄氣は四方投げ表/裏が代表的である(画像⑤)。

                                      2016/2/23

画像①
画像①
画像②
画像②
画像③
画像③
画像④右相半身両手取り(3コマ)から左半身で外入り身、前の左足を軸として右足踵を左足の甲に被せて(4コマ)右足先を受けの左足もとに進めて残心。剣線に戻る。受けは取りの腹側から背側へらせんで落ちる。
画像④右相半身両手取り(3コマ)から左半身で外入り身、前の左足を軸として右足踵を左足の甲に被せて(4コマ)右足先を受けの左足もとに進めて残心。剣線に戻る。受けは取りの腹側から背側へらせんで落ちる。
画像⑤内転換は陽の魄氣で外巡り逆半身外入り身転換まで。これより入り身投げに続く。
画像⑤内転換は陽の魄氣で外巡り逆半身外入り身転換まで。これより入り身投げに続く。

21. 合氣の整理 

合氣

 

単独動作

 ⑴魂氣と魄氣の臍下丹田での結び  

   魂氣三要素:陰陽・巡り・結び

   魄氣三要素:陰陽・入り身・転換回転

    臍下丹田は軀幹つまり体軸の底

  

   ①魂氣と臍下丹田の結び=坐技単独呼吸法

     降氣の形、昇氣、一気、入り身運動、振り子運動、両手で氣の巡り

   ②魄氣と臍下丹田の結び

    ・静:体軸の静止

      正立=自然本体

    ・動:体軸の揺れと体軸の移動

      半身=左右自然体即ち軸足の確立(軸足と体軸の直結)で魄氣の陰

       揺れは

        鳥船:魄氣の陰→陽→陰の巡り

       移動は

        入り身:動中静(陰の魄氣)から

             動(陽の魄氣)→軸足の交代→残心→動中静(陰の魄氣)   

        転換:半身の90度転換

        入り身転換:体軸の移動と半身の180度転換

        回転:軸足の反復交代に伴う体軸の捻りで360 度回転

 ⑵魂氣と魄氣の結び 魂氣の結びと魄氣の結びの同期

   入り身運動

   一教運動

   片手取り入り身転換/体の変更  以上単独動作

 

相対動作

 魂氣と受けの魂氣との結び:坐技上段に与えて氣の巡りで結び正面当て

 魄氣と受けの魄氣との結び:片手取り入り身転換、入り身投げ

 魂氣と受けの魄氣との結び:片手取り呼吸法

 魄氣と受けの魂氣の結び:正面打ち一教、四方投げ

                                      2016/2/26

22. ことば

 用語については、三位一体の一つである。

 

裏打ちされる概念が明確で、相当する動作が特定しておれば、そのことばは躊躇せず共有しあってよい。

 

そのように、ことばを用いるには慎重を期するべきである。

 

 再度、次の『論語』の教えを噛み締めよう。

 

 

 道に聴きて 塗に説くは 徳を之れ棄つるなり

 

 

 其の之を言いて 忸じざれば 則ち之を 為すや難し

                                       2016/3/1

 

 

23. 技とこころ

 言葉と思いと動作の三位一体なくして合氣道の演武は生まれない。技ありきではなく魂氣と魄氣の結びを示す動作があるのだ。

 往々にして、緻密な動作を伴うこと無しに言葉が飛び交い、または氣を念じることで受けに術技を及ぼそうとしたり、あるいは体の使い方に苦心していながら合氣がどうなのか不明瞭であったりする。

 禊で立ち、魂氣の巡りを座して行い、魄氣と結ぶ単独基本動作で禊を再認識できれば、相対基本動作がそのまま演武を生み出す。

 基本を技に活用しようとするのではなく、基本そのものを稽古することが合氣の技を生むのである。その技が平常心を培っていくのであって、平常心で技を施すのではない。

                                       2016/3/5

24. 後ろ両手取り呼吸法に見る合氣の理

 上段に与えて始まる後両手取り呼吸法は、与えた手を取らせたまま入り身転換により陰の陰で額に結び、前/後方回転で頬を巡って陰の陽で側頸に結ぶ。

 回転の軸足を作る際の目付けが側頸の開きに通じて魂氣の巡りに呼応する手順は、魂氣と魄氣の結びという天地の理に手足腰目付けの動作が一つとなることを体感させられる。

 再度入り身転換により側頸から魂氣が陽の陽で発せられるとき、体側に巡って単独動作で残心に終わる姿こそ天地の間に正立した合氣の姿である。

                                      2016/3/12

25. 直立2足歩行再考

 直立とは自然本体、左/右自然体または残心による体軸の直立を指すと考える。その際、体軸は静止している。残心は二足が伸展して重なり、一本の軸足となって体軸に直結する。自然本体も両足が伸展するものの、直立した体軸を左右対称的に両側から支えており、軸足は存在しない。軸足とは、体軸上の重力に釣り合って地から受ける抗力を伝える一足である。抗力を魄氣と置き換えるなら、上肢を介する重力は魂氣である。

 左/右自然体は後の足が軸足となって膝で僅かに屈曲しつつ体軸に直結し、前の足は伸展して足先が地に触れているのみで、重力は軸足にのみ懸かっている。

 二足とは軸足と非軸足の決定を意味し、体軸の静止には軸足の確立を伴う。軸足の確立とは、自然本体または残心から左右自然体の陰の魄氣へ移行することと同義である。

 歩行とは体軸の移動であり、そのために軸足が順次左右の足で交代されることである。歩行と言う動作には、陰の魄氣の軸足が陽の魄氣を経て前方の足に移り、残心から再び陰の魄氣に戻るまでの半歩前に進み半身を変えない動がある。

 素早く後の足を前の踵から新たな軸足の内側に並べて半身を変えて陰の魄氣とし、止まらずそれを前に進めて陽の魄氣として再び軸足が交代して次の残心に至ると、一歩進めて半身を交代したことになる。即ち陽の魄氣を経て軸足が交代し、体軸が移動することを歩行といい、陽の魄氣はその動作の瞬間である。

 このように魄氣の陰陽と残心は歩行の基本であり、転換、回転を合わせて自在の向きに歩行が可能となる。そして、陽の魄氣は動作の形であり、残心と陰の魄氣は静止の形である。

 今、陽の魄氣を静止とすれば、軸足を持たない上に体軸は前足側に寄った二足の間にある。つまり動作へと移るには残心または陰の魄氣に移行して、軸足をまず確立することが必要となる。その後で動作に移らざるを得ないからだ。一瞬の滞りは避けられない。術理にそぐわないことは明らかである。しかし、自然本体では左右何れかの足に上体を僅かに振れば軸足を確立することができるし、残心からは後ろの足に呼気を落とす思いによって軸足を作り、陰の魄氣となることができる。

                                      2016/3/28

26. 魂氣三要素の一つ広義の陰陽

 広義の陰は腕を体軸に寄せて魄氣との結びであり、広義の陽は逆に体軸から腕を伸ばして手を差し出すこと、すなわち魂氣を発する想いの動作である。

  単独呼吸法での魄氣との結びは臍下丹田、腰仙部、側頸、額、体側において行われ、それらは体軸に通じる部位である。したがって、魂氣を中心から発するのもこの部分を通ってということになる。

  広義の陽では、腕を差し出す方向が様々に想定され、天地、上中下段、内外、前後である。いずれにしても魂氣を発する部位は母指先であり、陰に巡る際も母指先が主たる部位となる。このことは陰陽に関わらず手指のなかで母指は唯一常時伸展していることで裏付けられる。

  また、母指先には反りの見られることから、魂氣が通ることで陽の魂氣がいつのまにか陰へと巡るのであって、何ら意図する動作ではない。しかし魂氣は天と体軸の間を巡っているという想いを持つことが合氣の動作であるから、その意味では無意識でなく意識的動作とも言えるであろう。

  陰において母指先は、それ以外の弛緩屈曲した指に対して正反対の方を指し、陽においてもその方向は、進展した他指と直角を為すことがわかる。つまり、腕を差し出す際は、母指先を天地、上中下段、内外、前後に向けて腋、肘、手首を開いていくことになる。それによって陰から陽へ発することで受けに結び、その連なりで広義の陰に巡って取りの体軸に還っていくのである。

  取らせた受けの腕を何らかの形に沿うよう動かすことよりも、呼吸と共に体の中心から動作することが優先されるべき本質である。だから陰、つまり呼気で弛緩屈曲する以外にない。それは自身に巡らせることとなり、禊と、呼吸法そのものである。合気道での動作はこれらのことを無視しては成り立たない。相対動作においてもその術理に変化はない。

  魂氣三要素の一つ陰陽は、巡りと結びに繋がり、上肢の動作に所謂合氣の働きをもたらすこととなる。

                                       2016/4/5

27. 体の変更と呼吸投げの術理

 自然本体で対峙する受けに対して、取りが魂氣を与え、受けが伸ばした手によって互いの間合いは天地に分かれ、剣線を外して取りの魂氣と魄氣がそれぞれ間を詰める。この術技の一つは外転換で上肢を畳んで母指先を側頸に向ける形である。

 つまり魄氣は受けの背側で剣線に直角として半身を左右転換する。魂氣は、受けに取らせるべく伸展した上肢の母指先から地に発しているが、手首を内へ回して母指先を天へ180度回転し、腋と肘で畳んで手首も屈曲して行けば、母指先は同側の頸部の高さでその方向を指す。腋を閉じたまま母指先を前方に向けるよう手首を外に回すと、所謂“降氣の形から回外”という動作である。そこから肘を伸展し母指先を地に向けて直下に降ろし、同側の軸足を膝から同時に降ろして地に結べば呼吸投げとなる(画像①)。このとき、諸手取りに外転換してから前の足を後方に置き換えて陽の魄氣とする体の変更で、取らせた手は“降氣の形から回外”として額に結び、母指先から陰の陽で丹田に結べば、受けを前に放つ呼吸投げとなる。太刀取り呼吸投げに相当する。回外と額への結びで片手が鎬となって、次に陰の陽で丹田に結べば受けの鍔元の手は陰の陽となり、取りの丹田に結びつつ前方に放たれる。

 体の変更では陰の入り身転換から陽の魄氣に魂氣を陽の陽で差し出し受けを前方に放ち(画像②)、回転投げでは一歩踏み出す陽の魄氣で受けを前方に放つ(画像③)。体の変更で魄氣を陽とするには、前者の如く陰の魄氣から前の足を後に置き換える動作と、後者の如く陰の魄氣から陽に起こし、後の足を一歩前に進めて半身を換えて陽の魄氣とする場合がある。

                                      2016/4/28

画像①諸手取り外転換で半身を換えて降氣の形から回外して(3コマ目)母指先と同側の軸足の膝を地に結ぶ。
画像①諸手取り外転換で半身を換えて降氣の形から回外して(3コマ目)母指先と同側の軸足の膝を地に結ぶ。
画像②片手取り入り身転換から体の変更。陰の魄氣から陽で入り身、陰で転換、体の変更は陽。
画像②片手取り入り身転換から体の変更。陰の魄氣から陽で入り身、陰で転換、体の変更は陽。
画像③片手取り相半身外入り身転換から回転投げの陽の魄氣
画像③片手取り相半身外入り身転換から回転投げの陽の魄氣

28. 陰の魄氣で現される体の変更

 魂氣三要素の陰陽、巡り、結びで両手を使い、魄氣三要素の陰陽、入り身、転換・回転で足腰を使って動くのが合氣道の基本である。

 体の変更とは、入り身転換や転換から陰の魄氣の前の足を後方に置き換えて後ろ回転の途中、踏み換えないでそのまま陽の魄氣とする動作である。したがって、入り身転換や転換の前の半身に戻る。

 しかし、入り身転換や転換から後方に置き換えて半身を再び転換するとき、同じ陰の魄氣とする場合もあり、片手取り隅落とし裏や小手返し裏では核心となる基本動作である。

前者では元の半身に戻した陰の魄氣から外巡りの魂氣で陽の魄氣による逆半身外入り身へ、後者では、陰の魄氣で半身を元に戻した後方の足を軸足として後方回転することで受けの手背を包む。

 一方、片手取りで入り身転換から体の変更によって陽の魄氣とする場合は、受けを前方に放って入り身転換を左右連続で繰り返す稽古法となる。また、諸手取りで転換から体の変更で陽の魄氣とする場合は、降氣の形から回外する魂氣の動作に伴って呼吸投げや太刀取りの基本動作を形作る。

                                      2016/4/26

29. 陽の魄氣は静止ではない

 陽の魄氣とは、正面打ちや突きで魂氣を発するとき、あるいは横面打ちで切り降ろす寸前の振りかぶりに際し、半身で間を詰める足腰の動作である。つまり、入り身の初動に相当する(画像①)。

 また、それぞれ踏み込んだ前足の踵に後の足を同時に送って二足が一本の軸足となり、徒手の場合はこれを残心としている。それは陽の魄氣に続く動作であり、入り身の終末であるから一瞬の静止である(画像②)。

 その残心を伴わず、前に踏み込んで両足が前後に地を踏んだ瞬間を敢えて静止で現す姿勢が鳥船の陽の魄氣であるが、実際の鳥船では前に揺らいだ体軸を静止させず後ろの軸足に戻す。つまり陰の魄氣に戻すのである(ホー・イェイ)。

 鳥船の左半身ではその陰の魄氣で静止し、右半身では陰の魄氣から陽への変化を一連の動作としている(イェイ・イェイ)。何れにしても後方にある軸足の交代や体軸の明らかな移動は無く、その場で魄氣の陰陽を繰り返す。

 基本動作として両足底で地を踏みしめている間は陽の魄氣で静止することになり、体軸が両足間で停滞し軸足交代に至らない。そこで手を動作し、半身を換えてまた両足底を地に着けて手を働かそうとする繰り返しは、魄氣の生み出す体軸の俊敏な移動を伴っていない。

 すなわち、陽の魄氣で静止すると、両方を前後に踏ん張った二足の間で体軸は揺れるのみで、軸足の不在により真に体軸が移動することはなく、そこで手の働きにこだわれば体軸が大きく曲がるしかない。しかも屈めば腰が引けて臍下丹田や地に魂氣の結ぶことは叶わず、同時に目付けをも失う。

 氣結びによる動静を基軸とする合氣道であるから、残心によって直立する左右自然体は陰の魄氣とともに、安定と変化を併せ持つ静止であると言えよう(画像③)。一方、陽の魄氣は、入り身による軸足の交代で体軸を移そうとする一瞬の動作である。

                                       2016/5/4

画像①正面打ちに横面打ち入り身の陽の魄氣
画像①正面打ちに横面打ち入り身の陽の魄氣
画像②四方投げ単独動作の正面打ち近似、相半身外入り身で項を打ち残心
画像②四方投げ単独動作の正面打ち近似、相半身外入り身で項を打ち残心
画像③突き外転換呼吸法残心 魂氣は陽の陽から体側に巡り脇が閉じる
画像③突き外転換呼吸法残心 魂氣は陽の陽から体側に巡り脇が閉じる

30. 陰の魄氣から入り身

 魄氣の陰から入り身・残心では、足先から進めるか、膝から進めるか。

 

 体軸の前進と共に膝を伸ばしたまま下肢を伸展して足先を進める。

つまり陰の魄氣のまま前の足先を進めてから後の足を進展しつつ前の足が屈曲する。さらに後ろの足で地を蹴って両足ともに進展して一本の軸足となって残心。

 一方、陰の魄氣から前の足の膝を先ず屈曲して、引き続き後の足が伸展すると共に前の足を置き換えて前進を試みても、左右斜めの方向への入り身や適切な間合いの詰め方が困難となる。それは鳥船の陽の延長で入り身を試みた場合に相当する。

 前に倒した体軸を引き摺って膝で入ろうとするのではなく、直立した体軸を足先が先導して滑るように入る(画像①②)。

動画:片手取り昇氣・呼吸法表裏

                                       2016/5/7

画像①右半身片手取り外転換・昇氣で呼吸法(表):外転換で左半身の陰の魄氣と共に昇氣で側頸に陰の陽で結ぶ。ここから左足先を踏み込んで軸足を交代し、右半身とする。
画像①右半身片手取り外転換・昇氣で呼吸法(表):外転換で左半身の陰の魄氣と共に昇氣で側頸に陰の陽で結ぶ。ここから左足先を踏み込んで軸足を交代し、右半身とする。
画像②右半身陰の魄氣で魂氣を側頸から陽の陽で発すると同時に、右足先を上肢の伸展に合わせて(拇趾先と母指先を合わせて)、伸展したまま滑らせ、半歩入る。魂氣を母指先の反りの方向に巡らせ左軸足を伸展して地を突き放し右踵に接すると右膝は一瞬屈曲するが両足は揃って直立した一本の軸となり、魂氣は右体側に結び右脇が閉じて残心。受けは取りの背側に落ちる。
画像②右半身陰の魄氣で魂氣を側頸から陽の陽で発すると同時に、右足先を上肢の伸展に合わせて(拇趾先と母指先を合わせて)、伸展したまま滑らせ、半歩入る。魂氣を母指先の反りの方向に巡らせ左軸足を伸展して地を突き放し右踵に接すると右膝は一瞬屈曲するが両足は揃って直立した一本の軸となり、魂氣は右体側に結び右脇が閉じて残心。受けは取りの背側に落ちる。

31. 合氣道で動く

 自然本体は両足を左右対称にして体軸を両側から支えて立つ静止である。それに対して、陰の魄氣(画像①)では一方の足に体軸を載せ、直立して軸足を作り、対側の足先は地に触れているだけである。つまり対側の足は自由に置き換えることができる。入り身、転換・回転という動きの直前/直後の姿勢でもある(画像②)。したがって動作が可能となっている静止ということもできよう。

 動作とは、手足腰目付けが動くことで一定の働きを成すことと言える。突き詰めると、中心から動くことであり、体軸の移動に集約される。また、意志や知覚による動作や意識下のあらゆる動作は直立歩行によって最大限に可能となる。

 体軸の移動に際しては軸足に載せて直立した状態で他側の足を置き換えて、そこで軸足を作ることで体軸を移し、そのとき元の軸足を置き換えて再び軸足に戻れば、動作が連なっていく。または、元の軸足をその場で踏み換えて足先の方向を目付けに合わせて改めると、半身の転換が成り立つ。これが入り身、転換・回転の機序である(画像③④)。

 この軸足が移るという動作の本体は陰の魄氣の軸足の交代であるから、伸展している対側の非軸足側に体軸が振れることによって始まる。つまり、軸足を伸展しつつ対側の膝が屈曲していくことで体軸は後ろの軸足を離れて両足の間に振れ、足の伸展屈曲が逆転すれば体軸は前方の足に近づいている。鳥船のホーの姿勢である(画像⑤)。しかし、この時点では両足のいずれもが軸足ではない。そこで、対側の屈曲した足が再び伸展するとき体軸はそこに移り軸足が交代する。

 伸展の末に地を離れた元の軸足(陰の魄氣の軸足)は新たな軸足の後ろから密着し、一本の足となって直立する。自然本体に似て両足共に伸展して地を踏んでおり、陰の魄氣のような軸足と非軸足は確立していない。ただし、即座に陰の魄氣となることが可能な瞬間である。これが残心の姿勢である(画像⑥)。

 動作の核心とは、軸足が地の結びを解いて対側の足に軸が完全に交代し、体軸の移動が成る瞬間である。魄氣の陽はその動作の寸前であり、魄氣の陰という静止と、軸足交代という動作(入り身・残心、転換、回転)の狭間である。言い換えると、静止でも動作でもない。それは魂氣の陽でも陰でもない手刀に近似している。何故なら、いずれもそのままでは働きを成さないからである。

                                      2016/5/14

画像①陰の魄氣・鳥船(イェイ)
画像①陰の魄氣・鳥船(イェイ)
画像②単独動作入り身転換1コマは左半身自然体(残心)、2コマは陰の魄氣、3コマは陽の魄氣の寸前、4コマは陽の魄氣の直後、軸足の交代と半身の転換による陰の魄氣。
画像②単独動作入り身転換1コマは左半身自然体(残心)、2コマは陰の魄氣、3コマは陽の魄氣の寸前、4コマは陽の魄氣の直後、軸足の交代と半身の転換による陰の魄氣。
画像③右半身から横面打ち入り身転換:1コマ自然本体、2コマ陰の魄氣から横面に振りかぶり、3コマ(陽の魄氣で)入り身から軸足を右足に交代して左半身陰の魄氣へ。
画像③右半身から横面打ち入り身転換:1コマ自然本体、2コマ陰の魄氣から横面に振りかぶり、3コマ(陽の魄氣で)入り身から軸足を右足に交代して左半身陰の魄氣へ。
画像④自然本体から前方回転:右足を軸とし、左足を置き換えて交代軸とし、右足先を外方にその場で踏み換え右半身陰の魄氣。
画像④自然本体から前方回転:右足を軸とし、左足を置き換えて交代軸とし、右足先を外方にその場で踏み換え右半身陰の魄氣。
画像⑤陽の魄氣・鳥船(ホー)
画像⑤陽の魄氣・鳥船(ホー)
画像⑥横面打ち入り身運動:陰の魄氣から残心。体軸が前に振れ、軸足の交代せんとする陽の魄氣は二コマの間に一瞬の動作として。
画像⑥横面打ち入り身運動:陰の魄氣から残心。体軸が前に振れ、軸足の交代せんとする陽の魄氣は二コマの間に一瞬の動作として。

32. 軸足交代が解く体軸の捻れから生まれる氣力

 陰の魄氣では伸展した非軸足先に目付けを合わす。また、目付けと屈曲した軸足先の作る角度は45度である(画像①)。

 目付けの回転は体軸の回転である。つまり、それは軸足交代による体軸の捻れの復元である(画像②③④)。交代した軸足の魄氣から捻れの戻りによるエネルギーとして丹田に結んでいた魂氣が発せられる。それに先立ち魂氣は魄氣(体軸)に結んで軸足と一体になって固定され、その間に非軸足の自由な置き換えによって捻れの氣力(魂氣と魄氣の合氣)が蓄積される。

 

外転換

 非軸足を外側方に置き換えるとき足先は剣線に対して内に45度向け、目付けはその方向に合わす。踏みつけて軸とするとき、目付けはさらに45度軸足からは馴れる。対側の新たな非軸足先は目付けに合わせて剣線と直角を成す。半身を転換した陰の魄氣となる。

 

入り身

 非軸足を剣線に沿わせて前方に伸展して、地に着き膝を曲げつつ下腿を直立し、対側の元の軸足は伸展して陽の魄氣となる。そこで地を蹴り離れると同時に、伸展直立して軸足となった前の足の踵に着き、二足が伸展した一足の軸足となる。この状態を残心としている(剣で打った際は陰の魄氣で柄頭を丹田に結んだ状態を残心とする)

 非軸足が前方に半歩伸展して地に着くと膝で屈曲しつつ元の軸足が伸展し、前方に進んだ方の腰は、伸展した足の方の腰より前にある。したがって臍下丹田は剣線と目付け及び前方の足先に対して45度内方を向いている。陽の魄氣、残心いずれの場合も臍下丹田は後の足先方向に一致する。これこそが半身である。

  陰の魄氣では軸足の確立にともない臍下丹田(腰)の方向は目付けと共に剣線上にあり、非軸足が前方に置かれていることで半身と呼べる。厳密には未だ軸足とは言えない一足の足が前方にある陽の魄氣や、二足が一本の伸展した軸足と成り互いに前後して密着した残心では、いずれも目付けは剣線上にあるものの体軸は内方に45度捻れている。

 一足の足先が剣線に沿い、他側がその後方にあって足先が45度内方に向くとき、広義の半身であるが、陽の魄氣と残心は狭義の半身といえる。

 

入り身転換

 非軸足を前に進めて置き換えるとき陽の魄氣を経て、足先は剣線に対して内に90度向け、目付けはその方向に合わす。踏み込んで軸とする際、足底を地に捻ってさらに45度内に向け、目付けは軸足先と45度の角度を成し、後ろにあった元の軸足は地の結びが解けて非軸足となり、体軸との捻れが解けることでその先は(135度外に向き)剣線に沿うこととなる。目付けは180度回転しており、半身を転換して陰の魄氣にもどる。

 

体の変更

 入り身転換の陰の魄氣で前の非軸足を後ろに置き換えて始めの半身に戻って陽の魄氣とする。前に位置する足は45度地を内に捻って剣線上に足先が一致する。

 

前方回転

 陰の魄氣から前方の非軸足先を剣線に対して外方へ直角に向け、目付けをその方向に合わせて軸足とする。後ろの非軸足が前方の軸足先を回って巡る置き換えのとき、その足先方向へと目付けを合わす。一回転撓って足先の着いたところで軸足に交代すれば対側の足はその場で270度回って陰の魄氣の非軸足となる。

 

後方回転

 陰の魄氣から前方の非軸足先を90度内方に向けて軸足とする。後ろの足はその軸足の踵側を回して180度置き換えるとき目付けは反対側に180度向ける。軸足を交代すると前の非軸足をその場で225度内方向に回転して再度軸足とする。このとき目付けは(体軸は)足先に合わせて捻れが戻る。最終的な非軸足先に目付けを合わせて陰の魄氣で後ろ回転が完了する。

 

 軸足交代で前方回転では新たな非軸足先の回転に会わせて目付けを向ける。後方回転では踵を回る非軸足と反対方向に目付けを転換し、次の非軸足が225度内方回転するときはその足先に目付けを合わせる。

                                      2016/5/24

 

画像①鳥船の陰の魄氣 右半身
画像①鳥船の陰の魄氣 右半身
画像②魂氣の巡りに伴い右非軸足を半歩進め、内旋して体軸に捻れを作る。
画像②魂氣の巡りに伴い右非軸足を半歩進め、内旋して体軸に捻れを作る。
画像③軸足は右に交代。丹田と左足は捻れが解放されて軸足との間は45度の角度に戻り、入り身転換の陰の魄氣。
画像③軸足は右に交代。丹田と左足は捻れが解放されて軸足との間は45度の角度に戻り、入り身転換の陰の魄氣。
画像④鳥船の陰の魄氣 左半身
画像④鳥船の陰の魄氣 左半身

33. 開祖の言葉に学ぶ片手取り入り身転換

キーワード:真空の気、空の気、天の浮橋、魂の比礼振り

 (魂氣、魄氣、陰陽、巡り、結び、入り身、転換、軸足、非軸足等の説明は他のタイトル参照)

 

 左半身の陰の魄氣から非軸足が半歩入る置き換えに合わせて、軸足の膝の屈曲がはやばやと伸展するなら、後方に蹴って体軸を前方に移動させる魄氣の仕事量が減少する。所謂腰高の入り身であって、前方に詰める速さと深さについて十分に動作しきれない。つまり、軸が上方に伸びることでその分非軸足の進入深度は半減する。

 入り身・転換の核心としては、半身で陽の魄氣に進み、なおかつ非軸足が内旋することによって体軸と臍下丹田では内下方への捻れが強まるのであるが、軸足の膝を中心とする発条(ばね)が初動で戻るなら、体軸は左右の非軸足に支えられて、捻れによる発条の“ため”を失うこととなる。その状態で軸足の交代による転換が動作されるとき、本来なら捻れが解けて “ため”が魄力として体軸と目付けを反転させるのであるが、その仕事量は甚だしく減少する訳である。切れがなくなるという表現の本体はこれであろう。

 さらに、魂氣を与えるときから陽の魄氣となるようであれば、すでにその位置から入り身はできないし、前後の非軸足に支えられつつ体軸そのものが自転して向き直らなければならない。その上で受けに取らせた魂氣が取り自身の体軸に結んでいなければ、取らせた手の周りを取りが向き直り、自身の体軸を公転させることで受けを相対的に移動させようとすることになる。

 魂氣の陰陽・巡り・結びは接点がつくる空間においてこそ働くことができるのであって、接点を移動させる仕事を体軸と肩が足腰の魄氣の力で行えば、魂氣がそれに縛られて機能せず、正に魄の力で動作しようとすることになる。

『合氣神髄』に、p67 “真空の気は宇宙に充満しています。” “空の気はものであります。それがあるから五体は崩れず保っております。” “空の気は重い力を持っております。中略 身の軽さ、早業は真空の気を持ってせねばなりません。空の気は引力を与える縄であります。自由はこの重い空の気を解脱せねばなりません。これを解脱して真空の気に結べば技が出ます。” と述べられている。

 また、p69 “左足を軽く天降りの第一歩として、左足を天、右足を地とつき、受けることになります。これが武産合気の「うぶす」の社の構えであります。天地の和合を素直に受けたたとえ、これが天の浮橋であります。片寄りがない分です。” 

 ここでは天地の間に自然本体で両足が左右対称に立ち、天地に結ぶ禊の姿を指しておられるのではと想像する。

 次に、“右足をもう一度、国之常立神の観念にて踏む、右足は、淤能碁呂島、自転公転の大中心はこの右足であります。” p70 “こんどは左足、千変万化、これによって体の変化を生じます。” 中略 “右足は国之常立神(女神)として動かしてはなりません。”

 右足をもう一度踏み、そして動かしてはなりません、ということの解釈は、例えば踏み替えて軸とするがその軸足は地上で回ることはできない、つまり動かさない。非軸足を置き換えて一瞬軸とすれば、捻れた元の軸足はその場で(移動させず)解かれて体軸までが回転する、と言う解釈も成り立つが、これでは半身を転換しており軸足は交代している。右左が変わることになる。実際に連続動作へ移れば左右の足が軸を交代するわけであるから、体軸の捻る間は地を踏む軸足の底は動かさないことを示しているのではないだろうか。

 “魄を脱して魂に入れば 中略 左はすべて発し兆し、無量無限の気を生み出すところであります。 中略 魂の比礼振りが起こったら左が自在に活躍します。”

 与えた腕の接点とその近位は一瞬受けのものであるが、入り身・転換によって腋が閉じて取り自身の魄氣に巡り、体軸に連なるのである。そして、坐技単独呼吸法や相対動作の坐技呼吸法でも明らかなように、手首から遠位は真空の気に結び弛緩屈曲と緊張伸展を自在に繰り返して魂氣そのものの働き、即ち陰陽・巡りによって受けの手を取り返したり、二教で結んだり、臍下丹田から昇氣で側頸に結んだり、外巡りから受けの手首伸側に結ぶなど、空間で陰陽に巡り動くことができる。立ち技で直接丹田に結ぶと入り身転換の陰の魂氣となる。これが魂の比礼振りの本体であろう。

 今や、手・足・腰・体軸は連なって直立し、陰の魄氣により受けの体軸に結んでいる。右手だけは腰の陰の魂氣から陽で発して、同側の非軸足と共に前方に置かれている。受けの魂氣は取りの左の魂氣と共に臍下丹田に一瞬結んだところである。基本技では、ここで静止したり、左右の手を交代して反復動作をするようなことはない。臍下丹田から呼吸と共に昇氣、外巡り、内巡りなどの氣の巡りによって取りの丹田から陽で発して、受けの体軸に取りの魂氣が響くまで、そして再び丹田に巡って残心となるまで、静止することはない。

                                       2016/6/8

34. 技を生み出す合氣

 天から下りてくる魂氣と、地に繋がる魄氣が一つとなって命が現れる。

 禊を行うことでそれぞれが手足腰を経て丹田において凝結し、振り魂で掌の中に動く球が臍下丹田で静止すると、心身の隅々まで行き渡る思いを持つ。これを魂氣と魄氣の結び、合氣と言うのである。

 吸気とともに合氣そのものを母指先から発するとき、魂氣に変わりはなく自由な空間に巡り、受けの魂氣に結ぶ。また、足腰が受けに入り身して互いの魄氣の結びによって、魂氣が受けの体軸に響くこととなる。さらに受けの底を抜けて呼気とともに取りの丹田に巡り、再び取りの魄氣に結ぶとき、この合氣は技(武)を生み出す。武産合氣とはこの思いを表わす言葉であろう。

 かくして言葉と思いと動作の三位一体は合氣道と名付けられ、天地の間を正立正座する自己に新たな命をもたらすのである。

                                      2016/6/18

35. 正面打ち一教の表と裏に見る初動の違い

 魂氣と魄氣の思いが現れる動作

 

 表は上段に魂氣を与えるため、母指先の反りに合わせて受けの内側へ母趾先を揃える。即ち爪先を剣線上から受けの内側へ向けて置き換え、魂氣が受けの手刀に触れて陽の陽へと発して結ぶとき、さらにその母指先に合わせて掌の幅だけ踏み込むところで軸足の交代が確立する。同時に後方の足は軸足の足背上まで進めて非軸足とし、受けの腹側へ向かう半身の転換した陰の魄氣となる。対側の魂氣は降氣の形から回外して矢筈に開き、すぐさま逆半身内入り身・返し突きで魂氣を陽の陰で発する。

 裏は、上段に魂氣を与えようとするが、後手のため額に陰の陽で結ぶ。陰の陰では指が正面にむきだしとなり、肘は微かに受けとの剣線を越えて鎬の用を成さない。同側の非軸足は、魂氣の上丹田への巡りに合わせ、受けの手刀に応じて踵で剣線を受けの背側に外して軸足とする。そこで逆半身外入り身によって一歩入り、返し突きで受けの上腕伸側に陽の陰の魂氣を発する。

 

 初動に絞って魂氣と魄氣の動作を見れば、表は魂氣を上段に与えて受けの手刀に陽の陽で結び、受けの手刀で開いた空の気に足先を魂氣の掌に合わせて進め、剣線から受けの内側で軸足とする。

 裏は魂氣を上丹田に結び、踵を剣線から受けの外に外して軸足とする。

                                      2016/6/30

36. 基本動作は手順に非ず

 手の働きは魂氣三要素による単独呼吸法が基本である。

 つまり、言葉(魂氣)と思い(魂氣三要素)と動作(手を含めた呼吸運動)の三位一体が単独呼吸法と言えよう。同時に足腰の働きが魄氣三要素によってなされると、基本動作となって技が生まれる。

 すなわち、技の形の体得では魂氣と魄氣の思いが不在となる。

 

 返し突きで丹田に巡る動作と横面打ちで丹田に巡る動作を比較して検討してみよう。

 陽の陰の矢筈で掴むのは陰の陽で包む前段階である。

返し突きでは、矢筈の陽の陰から陰の陰で巡り、さらに陰の陽で結ぶ際、母指が示指とともに輪っかを作るのではなく、母指球とともに小指から示指で包んだ掌に母指が示指の外で蓋をするのである。

 一方、横面打ちでは陽の陽から陰の陽に巡り、小指球から掌を包んで行き、受けの母指球や小指球あるいは側頸を包む思いで動く。母指の使い方は同じで、掌を塞ぐため伸展したまま示指の外側を閉じるように被せる。

 

 合氣とは形の手順ではない、魂氣と魄氣の思いが現れる動作である。氣を思い、それを心身に取り戻し、陽で発して陰で巡らせ、動作が生まれ、合気の技となる。

                                       2016/7/7

37. 杖取りに学ぶ昇氣の理

   ……陰の陽で側頸に結ぶこと

 杖直突きに徒手横面打ち外転換で頂丹田から振り降りた魂氣は下丹田の前に陰の陽で杖先を包む。対側の手は腰の後ろに結び、同側の非軸足は間合いを詰めて置き換え、軸足として地から魄氣に結ぶ。それに合わせて同側の魂氣を腰仙部から発して受けの両手の間で杖の上に被せると、交代した軸足による上体の入り身運動で下丹田はその手に結び、目付けが剣線に沿うことで対側頸が開くから杖先の手はすでに下丹田を離れて陰の陽で側頸まで一気に昇って結ぶ。 

 このとき後の足は地からの結びが解け(つまり離れ)、入り身で伸展するとともに側頸から陽の陽で魂氣を発すれば、同名側の受けの側頸に前腕橈側が密着し、揃えた母指と拇趾が開祖の言われる真空の氣と空の氣に結び、母指先の反りに合わせて陰の陽に巡れば、足腰は魄氣の陽から再度軸足の交代と継ぎ足による残心で入り身が完了し、体側に魂氣が結んで技が産まれる。なぜなら、取りの魂氣は体側で魄氣と結ぶ間に、受けの側頸からその体軸に響き底丹田に抜けるため、受けが螺旋で落ちるのである (画像)。

 魂氣が受けの体軸に響いても何れかの足腰に伝われば、受けは軸足を作って魄氣の結びを伴うため、取りの魂氣は受けの丹田で結ばずに競うこととなろう。取りの母指先の反りが受けの魄氣を避けて魂氣を発し、受けの底を抜くことで取り自身の魄氣に結び、取りの正立、つまり合氣が確立する一方で、受けは魄氣と下丹田の結びを失い、その体軸は足腰の支えを欠いて地に落ちることとなる。

 片手取り外転換・昇氣による呼吸法表においても、魂氣は陰の陽で結んだ下丹田から腹胸部を昇って側頸に結び、初めて陽の陽で発する。つまり、側頸まで最短・最速で魂氣が陰の陽で昇るまでは、受けの側頸に魂氣を陽の陽で発することができないのである。まして、昇氣の間に肘や上体で受けの腕や胸に明らかな圧迫を加えたり、下丹田から早くも陽で上肢を伸展するなら、瞬時に受けの腕や体幹から相当の反撥が取りの各部に及ぼされるのである。それは揉み合う動作に他ならない。

                                      2016/7/11

画像 杖直突きに横面打ち外転換・間を詰めて軸足交代で同側の手を受けの両手の間で杖の上から被せ、上体の入り身運動で開いた側頸に対側の手を昇氣で結び・同側の足を後ろから入り身で進める(拇趾先と母指先の一致)と同時に陽の陽で発して継ぎ足で残心。
画像 杖直突きに横面打ち外転換・間を詰めて軸足交代で同側の手を受けの両手の間で杖の上から被せ、上体の入り身運動で開いた側頸に対側の手を昇氣で結び・同側の足を後ろから入り身で進める(拇趾先と母指先の一致)と同時に陽の陽で発して継ぎ足で残心。

38. 魂氣が受けの魄氣に結ぶ本体

 互いの魄氣の結びとは体軸が接することで、つまるところ魂氣の結びも加わり受けは正立正座の位置を奪われることとなる。

 このとき、魂氣は受けの魂氣に結ぶが、魄氣にも結ぶはずである。単独動作では魂氣が丹田で魄氣と結べば、手足腰目付けが体軸上で一筋に連なる。残心や陰の魄氣である。

 しかし、相対動作で魂氣が受けの魄氣と結ぶことの本体は、取りの魄氣に結ぶ場合とは異なるようだ。魂氣が受けの魄氣に融合する思いは浮かばないからである。

 受けの下丹田では軸足が魄氣を受けて地に結び、体軸は取りと同様に上丹田や側頸を通じて手の魂氣が通る。取りの魂氣が受けの各丹田から体軸に響いても受けの魄氣に当たり、受けは体勢に直接影響を被ることはない。つまり魂氣が受けの足腰から逸れることにより底丹田を抜け、取りに巡って自身の下丹田と結んで初めて合氣が生まれる。すなわち受けの正立が破綻する。魂氣の流れが直ではなく螺旋であることの必然がそこにあり、母指先の反りこそがそれを可能としている。

 受けの下丹田と魄氣の結びは、受けの底を抜ける取りの魂氣によって断ち切られ、受けの体は地に落ちるのである。その思いに相当する動作は単独基本動作の入り身運動であり、相対基本動作・昇氣呼吸法である。基本技を挙げると隅落とし、四方投げ、入り身投げ(胸合わせ/背合わせ:いわゆる呼吸法)、天地投げ、一教などであろう。

                                      2016/7/20

39. 内巡り、外巡り

 鳥船のはじめに左半身で陰の陽の魂氣を前方に発すると、母指先は地を指し他の指は揃って下丹田を向いたままであるから、吸気で腋が開くにつれて手首は屈曲を強め、発せられる魂氣は指先を通じて益々下丹田に巡り、呼気に移るときは既に腋が閉じはじめて魂氣は元の下丹田に巡る。呼気の終わりには母指先が直下の地を指したまま魂氣は下丹田に結ぶ(画像①)。

 陰の魄氣で下段に与えて片手取り(画像②)なら母指先を内に向ける、つまり取りの腹側に母指先が向かうように手首を屈曲したまま内に向けることを内巡り(画像③)と呼ぶことにする。 呼気とともに腋が閉じて魂氣が内巡りで下丹田へ結ぶうちに、陰の魄氣の非軸足側の腰には下丹田と結ぶ上肢との間に隙間ができ、受けの上肢は取りの下丹田に伸びているため隙間は受けの異名側の足腰まで連なる。その隙間に非軸足が最大限に伸展すると足先が前方に進み、着地した点で足底を踏み込んで後ろの軸足は屈曲から伸展へと一瞬陽の魄氣となるが、さらに地を蹴り軸足が前方の足に交代し、体軸とあらたな軸足が連なって直立するとその踵に後方の足を送り密着する。二足が一足の軸となり入り身が完遂する。

 非軸足が入り身する際、内股で軸足とすれば入り身転換で、与えた魂氣は丹田に陰の陽で結ぶ。 

 内巡りで与えて片手取り(画像④)から外転換とともに外に巡れば(画像⑤)母指先は180 度巡る。

 下段に与えて交差取り(画像⑥)なら母指先を外に向けると同時に同側の非軸足先は反対側の腹側(内側)に向けて剣線を外す(画像⑦)。与えた魂氣は入り身転換で腰仙部に結ぶ。

 

                                       2016/8/8

 

画像①鳥船(ホー・イェイ)
画像①鳥船(ホー・イェイ)
画像②陰の陽で与えると逆半身で片手を取る
画像②陰の陽で与えると逆半身で片手を取る
画像③内巡り
画像③内巡り
画像④内巡りで与えて
画像④内巡りで与えて
画像⑤外巡りで外転換へ
画像⑤外巡りで外転換へ
画像⑥陰の陽で与えて交差取り
画像⑥陰の陽で与えて交差取り
画像⑦外巡りで相半身の外転換であるから母指先と拇趾先は反対を指す
画像⑦外巡りで相半身の外転換であるから母指先と拇趾先は反対を指す

40. 切ることと結ぶこと

 片手取り外巡りから陽の陰に発して母指先の反りに合わせ、受けの手首に沿って陰の陽に巡り、小指から示指までが下丹田を指すと二教である。魂氣は陽の陰から陰の陽に巡る、すなわち手背を見る陽で魂氣を発し、手掌を見る陰に巡るときから、母指先は地を指し続けることが氣を思う心の持ち方である(画像①)。

 単独動作では、いよいよ陰の陽で結ぶと母指先は内巡りとなって体表に平行となり、小手返しの手で手背が下丹田に着く。相対動作では、通常下丹田へ結ばない内に、母指球の接点から手掌の幅だけ受けの手首上で近位に小指球が接点を持てば氣結びが成立する(画像②)。魂氣が受けに入ることを氣結びと定義できる。さらに取り自身の下丹田に巡って結べば二教の技が生まれる。

 陽の陰から陰の陽に巡るとき、魂氣がほとばしる母指先に思い至らなければ、たびたび途中で手刀となることに気付かない。つまり、手刀は陰でも陽でもなく、母指先は天を向いている。この状態で受けの手首の尺側に手刀を接して、小指球で上から押し切る動作をしても、肝心の魂氣は母指先を通して天に向かっており、受けの手首に向かうのは取りの肩から肘を経て小指球に至る筋力に他ならない。気が巡って結ぶという思いに伴う動作ではなく、力を使って受けの手首を下に押し切ろうとする動作である。

 魂氣三要素、陰陽・巡り・結びの動作が魂氣の働きを示す。魂氣とその概念と動作の三位一体が働きを持つのである。したがって合氣道では受けの手首のほぼ全周に魂氣三要素が働いていくのであるが、手刀では接点に力が及ぶだけである。

 陽でも陰でもない手刀で切るという動作が、効果を持つときは武技として使えることは言うまでもない。しかし、形が似ていても合気の動作とは本質的に異なるわけである。合氣道の研鑽では、形の繰り返しで確信を持つことよりも、氣の特徴と働きに思いを持って呼吸と共に動作を連ねることが肝要である。

                                      2016/8/16

画像①
画像①
画像②
画像②

41. 動作を伴わない言葉

 言葉と、その意味と、相当する動作の三位一体によって合氣道特有の技を体得するうちに、あたかも氣という観念力が関わったように感じるという主観的な経験は稀ではない。

 

 取りのみならず受けにとっても、不思議な崩れ方や非常識な痛みを感じて技が成立したとき、意志を越えたものの介在を思うこともあろう。

 

 しかし、技の成立を見ない多くの場合、動作の中に氣の力を欠くこととして結論すれば、三位一体の稽古法が省みられなくなる。

 

 また、単純かつ緻密な動作を伴わない、意味の不確かな語句を介して、合気道の基本動作や技を共有することはできない。

 

 他方、技としての形に確信を深めることによって、語句やその意味に相応しない稽古が常態化すれば、一定しない受けの動作に応じて取り自身が理合の動作を連ねることは困難であろう。

                                      2016/8/23

42. 足腰目付けの動作で技を括る

 魄氣の動作、つまり足腰目付けの動作は魄氣三要素の陰陽、入り身、転換・回転に由来する単独基本動作から成り、体軸が不特定に動かざるを得ない場合もこの基本動作を連ねる他にはない。その際、軸足の交代・確立が体軸の直立をもたらし、目付けの変転も可能となる。これに反して、不規則で魄氣なき足腰の動作は単に体軸と目付けが揺れ動くだけで、魂氣の相対動作を最善のものとして支えきれないであろう。

 一般に、技の整理をする上で、手数の少ない技、一呼吸や一呼吸半のように呼吸相の短い順番で分ける方法や、正面で対峙するか後で受けるかで技を分ける場合、あるいは受けの初動の違いで様々な技を一括りにするとか、同一の技で受けの初動の違いを一括りにするなど、多くの分類法が知られているところである。

 そこで、魄氣の単独動作を種々連ねることで、それが共通する技を一括りにしながら種類分けすることを試みた。つまり、足腰目付けの基本動作の組み合わせに着目することで、合氣の技が一層習熟できることを期待した。

 

  • 一教運動表:正面打ち一教表/入り身投げ表、片手取り隅落とし表/両手取り天地投げ表、
  • 一教運動裏:正面打ち一教裏/入り身投げ裏、
  • 入り身転換・陰の魄氣で体の変更・外転換:正面打ち入り身投げ裏/片手取り隅落とし裏/交差取り入り身投げ裏/突きに横面打ち入り身転換・陰の魄氣で体の変更と同時に母指球を包めないとき外転換で入り身投げ
  • 外転換・入り身(転換):片手取り外転換隅落とし表/昇氣呼吸法/突きに横面打ち外転換で母指球を包めないとき昇氣呼吸法/片手取り外巡り肘を落として横面打ち入り身転換呼吸投げ/片手取り外巡り肘を落として陰の陽で側頸に包んで入り身で回外して取り返す
  • 横面打ち入り身転換:突き/正面打ちに小手返し裏(陰の魄氣で体の変更から後ろ回転)/入り身投げ裏(陰の魄氣で体の変更から外転換または反復転換)

 魄氣を体感するための技の選択に、これらを考慮すべきであろう。

                                      2016/9/3

43. 母指と小指の反対側への働き

 合氣道の手は魂氣を思い浮かべて動かす、足・腰・目付けは魄氣に繋いで軸とする。

魂氣は丹田から母指先の反りの方向に出て、母指先から巡ってくる。掌を包み、母指で蓋をすると母指先と小指は互いに反対方向を指す(画像1)。

 

 小指の先から丹田に巡ると魂氣は陰の陽と表現し、母指先は他の指と直角方向に向き、一旦結んだ丹田から直ぐさま魂氣が発せられる方向は自ずと決まる(画像2)。屈曲した手首を中心とする上肢の内外への転回は母指先から発する魂氣を内(うち)外(そと)へ向けるための動作である(画像3)。内/外巡りと表す。

 

 陽の陰で下段に与えた手は母指先が既に地を指し、陰に巡って小指が丹田に向かえば母指先は次第に内に巡り、腋が閉じて小指が丹田に結ぶときは母指先の反りが外方に向かう魂氣を発し始める。肘を畳むにつれて手首の屈曲により母指先は天に向き、さらに側頸を指すこととなる。そこは中丹田から左右に開く体軸への魂氣の出入り口である(画像4)。

 腋を開くと母指先は側頸に接して、魂氣が体軸へと降りて行く、との思いで、中丹田の前胸部を下丹田へと母指先が降りて行き、下丹田で静止すると、そこに結んだと考える。魂氣は陰の陰で二教の手を下丹田に置く形である。小指は下丹田を指し両母指先は下丹田にあって地を指している。これらは降氣と表現できる。

                                      2016/9/22

画像1
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画像3
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画像4
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44. 合氣道で手を動かすには

 単独動作も相対動作も手を動かすには魂氣に関する言葉とその意味がなければ合氣道ではない。つまり、陰陽の動作に巡りが連続円運動をもたらし、結びで体軸を立てると共に他者との和合が為される。

 魂氣の結びの定義は、各丹田に手が接することと、相対動作では受けの魂氣との接点で拳一つ分以上内側に入ることである。その上で取りの魂氣が受けの各丹田に接して体軸に響くことも、受けの魄氣への結びとされる。呼気で陰、吸気で陽と動作することから巡り、結びが為されるので、呼吸法とも呼ばれている。

 したがって、結びが無ければ受けと一体で動くことは無く、陰から陽に巡らなければ結ぶことができないから、手を広義と狭義の陰陽で動かすことがそもそもの基本である。それは、とりもなおさず呼吸に裏付けられる禊の動作である。

 禊が合氣道の核心であることをあれだけ開祖が強調しておられ、さらに、右手が陽なら左手は陰に返すとまで教示されているのであるから、それを離れて魂氣を両方とも陽のままで巡りも結びもなく動かそうとすれば、呼吸を忘れて互いに競り合うばかりとなろう。その上、軸足の交代が為されないで陽の魄氣で止まり、体軸と地の間が空虚となっては重心が浮つく。

 たとえ軸足を作っても、同側の魂氣を陽で振り上げては上体が伸び、軸足までが膝を伸ばしてしまい、魄氣の陰陽は消え去る。すなわち、陰の魄氣で軸足側の魂氣こそ丹田に結び、対側の魂氣は非軸足とともに自在に発し、軸足交代とともに魂氣は丹田に巡り陰で結ぶのが術理である。

                                      2016/9/29

45. 入り身なき転換とは

入り身

 陰の魄氣から非軸足を半歩進めるとき、伸展したまま足先を滑らせるに従い、股が開き、踵が地に着くと踏みつけて下腿が垂直となる。同時に後ろの軸足は地を踏んだまま伸展するから、鳥船の陽の魄氣となった瞬間である。則ち後ろの足が地を蹴らないで踏んだままなら、鳥船のように呼気で陰の魄氣に戻る訳である。

 非軸足が地を踏むと同時に、伸展した後ろの軸足が一連の動きとして地を蹴ることで瞬時に非軸足が軸足に交代する。つまり前の足と腰・体軸は一直線で直立する。後ろの足は前の踵に引き寄せ、二本の足が一本の軸となる。この瞬間を残心と呼んでいるところである。“入り身一足”という言葉は、この残心の姿を表すものと考えられるのではないか。

 

入り身転換

 陰の魄氣から半歩進めて非軸足が地を踏むとき、足先が地に着くと同時に踵をそれに並べて足底の長さだけ前に捻って着地するなら、軸足へと交代する上でそれに連なる腰と体軸は直角に内方へ捻転される。そのために後ろの足が伸展して地を蹴る際に、離れた踵に対して未だ着いている足先が内側を向くように転じて行き、交代した軸足は腰と体軸の捻転を受け止めて膝で屈曲し、陰の魄氣の軸足となっていく。腰と体軸は目付けの転換に連なり剣線上を一気に180度転換する。今や前方の非軸足となった足先は目付けに合わせて、入り身転換の陰の魄氣が成立する。

 要約すると、入り身とは陰の魄氣から軸足を交代して残心に至る魄氣の動作であり、入り身転換とは陰の魄氣から軸足交代に伴い半身と目付けを転換し陰の魄氣となる動作である。

 

転換

 非軸足を前に進めないで真横に置き換えての軸足交代を単に転換と呼んでおり、目付けは直角に、半身は左右を転換することになる。軸足交代を伴うことから入り身転換の範疇には入るであろう。

 

入り身なき転換

 表題の入り身なき転換とは、軸足交代を伴わない、半身と目付けの転換である、と定義した。つまり、元々軸足を作らないから軸足交代が無く、入り身もないわけである。体軸は常時両足の間に在って、その地に向う延長は底丹田で途切れ、空気を経て地に下りる。両足で左右前後から体重を支え、上体の直立を保ち止まる。両足先の方向を同時に転じて上体を180度転換する。体軸の前後への移動は両足の間に止まり、“転換”を終えた魄氣は陽でも陰でもない。ということは動中の静ではない。自然本体に近く、その間は静止していることに相当する。

 軸足を交代して陰の魄氣で敢えて静止し続けたなら、相対動作の途中である限りは不安定と言わざるを得ない。指導演武の途中で説明しながら静止するにはこの入り身なき転換が効果的となる。

                                     2016/10/11

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