1. 体軸に置いて手を休ませる

 軸足と同側の魂氣、つまり手を膝や丹田に結んで体軸を安定・直立させ、対側の足を置き換えてその場で軸足に交代させる。いわゆる難場歩きである。合氣道では差し出して伸展させた手は陽の魂氣の働きであり、同側の置き換える足は非軸足である。鳥船の陽の魄氣が体軸を移動させ、軸足へと交代する兆しとなる。このとき、いよいよ軸足へと交代して体軸がそこに繋がって移動し終えたなら、同側の手は陰に巡ってその膝や丹田に置かれなければならない。入り身運動である。つまり魂氣と魄氣の結び、単独動作での合氣が為されたわけである。片方の手足腰が静止という体軸に与ることは、対側の手足腰に自由な動作を生むわけで、このことが合氣の本体と言ってよいだろう。

 鳥船は正にその動作であり、開祖が合氣とは禊であるということを繰り返し述べておられる。入り身、入り身転換、体の変更、回転、いずれにも軸足交代を伴う体軸の確立が通底している。

 

 ところで非軸足を進めるとき、魂氣が下段に差し出されると動線上に手が置かれるから、足は半歩も進まない。そこで魂氣を内に巡って下丹田へ手を還すと、腋の下が開いて足腰は容易に進められる。鳥船のホー・イェイである。

 一方、上段に振りかぶる際は同時に腋の下が大きく開き、同側の非軸足は半歩進めることが容易となる。手が下丹田に巡るときは既に軸足交代が終わり継ぎ足で残心の段階となる。

 

 このように相対動作で下段と上段に魂氣を与えたなら、それぞれで魂氣の陰陽・巡りと非軸足の入り身は微妙にずれることが解るであろう。手足腰目付けの一致とは、単に同時に動かせばよいというものではない。与えて触れた点では魂の比礼振りで結ぶが、取らせた点は陽の魂氣としては既に自身のものではない。母指先から陰に巡って、同時に入り身した魄氣に結んで自身の体軸に預かり、その体軸上を各丹田に魂氣が上り下りする間に軸足を交代して、初めて非軸足とともに陽で発することができる。

 

 体軸に置いて手を休ませても、それは陰の働きを持つ。

 

 したがって軸足と共に体軸を作る魂氣は同時に陽で発することが出来ない。魂氣が魄氣に結ぶことこそ合氣であるからだ。合氣が解けるとき、非軸足側の手は垂れている。陽でも陰でもなく働きのない手は、巡りのない手刀と同じだ。

                                      2017/10/8

2. 目線は受けに合わせようがない

 相手を見てはならない。というよりも、見ることの出来ない動作にならざるを得ない。これが合氣である。その理由を述べる。

 まず、目付けは非軸足の先に合わせる。左右の目や耳や手が最大限に働くのは、転換や回転の結果、受けの存立を奪った取りの体軸の進む方向に、左右対称の位置を占めるときである。但しこのとき既に受けは螺旋で落ち、互いの目線は合うことがない。

 

 入り身では受けの真中を取りの陽の魂氣とともに見るが、受けとの剣線は後ろの継ぎ足で外すことにより目線も外れる。たとえ坐技であれ、魂氣が陽で結ぶ時や陰で巡る際、あるいは上体のみを入り身・転換するときは剣線に対して直角から180度の転換を目線で行う。これが体軸の転換・移動における原則、一眼二足三胆四力である。

 

 互いの体軸が結んでからは陽で魂氣を発し、交代した非軸足先とともに体軸の向かう先を見ることで技が生まれるのである。すなわち残心である(動画)。受けは落ちているから目線の合いようがない。固め技の際は受けが地に伏せていて取りの目付けが水平であるから、目線は受けに向くことはない。天地の間を広く見渡しているから受け以外のあらゆるものを目で捉えているわけである。

 

 意識して目線を逸らせることは、転換や入り身転換そして上体の入り身・転換などが緻密に行われないときの対症療法のひとつであり、根本的には基本動作からの矯正が必要であることは言うまでもない。

                                     2017/10/10

3. 軸足なき上体軸に魂氣の兆しは生まれず

 丹田における魂氣の陰陽の巡りは地から屹立する体軸上においてのみ可能である。地に繋ぐ軸足の存在は対側の非軸足を生む。その交代が緻密に行われて体軸から非軸足が解かれるとき、同側の魂氣には陰から陽への兆しが生まれる(動画①)。

 つまり、一旦魄氣と結んだ魂氣は、軸足交代によって体軸の形成から自由になり、同側の非軸足の進行とともに丹田を経て母指先から陽で発する。空の氣を解脱して真空の氣に結ぶという表現に相当する動作であろう。

 鳥船の陰の魄氣であれば両足が軸足と非軸足に分かれているが、陽の魄氣は両足共地に突っ張り、軸足でも非軸足でもない。体軸は地に繋がらないから両手は丹田に結ぶことなく、魂氣は中に浮いたまま両足から直に魄氣を受ける瞬間である。このまま魄氣が静止して手を働かそうとするとき、これを所謂力と呼ぶ。

 また、軸足を交代して入り身転換、非軸足を後ろに置き換え半身を戻して体を変更する過程で、転換に際して体軸に結んでいる軸足側の魂氣を早々と陽で発し、取らせた受けの手を前に差し出そうとすれば、難場歩きの原理は破綻する。

 合氣によって受けに結び、取りの残心で体軸が移動して丹田に巡るのが氣結びの力、つまり呼吸力であって、所謂力とは異なることを銘記すべきである(動画②)。

                                     2017/10/14

動画①

動画②

4. 入り身投げの受け

 受けが取りに正面打ちを動作する際、入り身投げの稽古においては取りの魂氣が受けの手刀への氣結びから正面当てが及ぶことは当然受けが予知している。そこで、受けは対側の手で取りの真中を打つ(突く)ことなく、取りの正面当てから頭頸部を守るために、手刀を眼前に翳す動作が受けの手順として指導されていることもあるようだ。

 

 入り身から投げの成立には、取りの魂氣が受けの側頸から体軸にひびき、降氣で受けの仙腰部から底を抜き、取りの下丹田に巡る残心を作ろうとする。受けは魄氣で体軸を支え、自身の下丹田で取りの魂氣を受け止めようとする。受けの体軸上に生まれる取りの魂氣と受けの魄氣の摩擦が、互いの体軸の確立である魂氣と魄氣の結び、つまり合氣による命の覚醒を生むのである。

 

 取りから発せられる魂氣を避けて自ら受け身だけを行う相対動作は、そもそも合氣の理合を解さない稽古であるが、おそらく承知したうえでの健康上の選択であろうか。

                                      2017/11/1

 

5. 返し突きと大仏の手の間

陽の陰からと陰の陰からでの魂氣の陰の陽への巡りの違いに伴う魄氣の動作の違い

 

 正面打ち一教裏は、上段受け流しで魂氣を陽の陰の返し突きとして外入り身転換を行い、その魂氣を陰の陽に巡って受けの上腕を包んで下丹田に結ぶのが基本であろう。

 ところが外入り身で静止した場合は魂氣を下丹田まで巡らすことが出来ない。継ぎ足の直後、受けに密着した体軸上を魂氣は陰で中丹田(側頸)に結ばざるを得ない。なぜなら、そこで手を伸ばそうと動作すれば筋力に頼るしかなく、難場歩きの理に反する。継ぎ足に至らず体軸移動を欠く陽の魄氣のままでは尚更であるが、稽古ではよく経験することだ。

 魂氣の巡りを魄氣の動作と同期して完結するまでを合氣とするなら、意図して上肢の動作のみを偏重するわけにはいかない。所謂力みのない合氣の動きとは、後手に始まる相対の結びから、緩急と、陰陽(体軸を通る最小の円運動と上肢を伸展する最大の円運動)で巡るうちに足腰が置き換えられ、軸足交代が可能となって初めて成立するのである。

 そこで、入り身に続く転換の足腰が魂氣の巡りに同期する機序を考察する。まず単独基本動作の入り身転換を知ることから始めるべきであろう。すなわち、魂氣の内巡りに合わせて一歩入って軸足へと着地した足先が、剣線に直角からその場で更に45度内旋して踏みしめると入り身・転換の軸足交代が完了する。したがって着地したとき魂氣は陽の陰から狭義の陽へと返して(狭義の巡り)おかなければ、後に続く45度の踏み込みで陰の陽への降氣の動作(腋を閉める)に移れない。つまり、踏み込んで軸足となってからでは魂氣を上丹田の高さから下丹田まで巡らせる(腋を閉めて上肢を降ろす)ことができない。腕の力のみで受けの上肢を降ろさせようとする動作になってしまう。むしろ、魂氣が巡るから45度の踏み込み(陰の魄氣で軸足を確立すること)ができるわけで、片手取り入り身転換の術理に一致する。

 

 入り身の位置で足を踏み込み軸足としてしまった場合は残心に相当し、このとき体軸は互いに密着して返し突きの手は陽の陰で受けの上腕伸側を包んだ直後に入り身とともに陰の陰で取りの側頸の高さに結んでいる。対側の手は陰の陽で受けの手首に接して下丹田の前に有り、両手は大仏の手に近似している。陰の陽から返して受けの手首の屈側を包んで下丹田に結び、同側の非軸足を後ろに置き換えて軸とし、後ろ回転に合わせて再び非軸足として踏み換えて、同時に受けの上腕を包む魂氣を取の下丹田へと巡り、受けの手首は取りが上から屈側を把持して下丹田から外へ出し、正座に合わせて地に結ぶ。

 

まとめ

 正面打ち一教裏について、返し突きで入り身転換から後ろ回転のときと、入り身から後ろ回転のときを比較した。前者は魂氣が陽の陰から下丹田に陰の陽で巡る。

 後者は、受けの上肢の遠位が取りの下丹田に結んで後ろ回転と共に螺旋で降りるにつれて、受けの上腕を包む取りの魂氣が陰の陰から陰の陽で取りの体軸を降りることによって下丹田に結ぶ。大仏の両手のうち、側頸の高さからは下丹田へ陰の陽で降り、それと交代して対側の手は杖尻を取って後ろへ手繰るように下丹田を離れる。

                                      2017/11/5

6. 体軸が地に立たない瞬間は常態にあらず

 一側の手足腰が体軸を作り魄氣の陰を表し、対側の手足腰と目付けがその回りで置き換わって軸足交代することで入り身、転換・回転の動作を生み出す。

 その間に在って両足とも地を突っ張って軸足を持たず、体軸が地に立たない瞬間を魄氣の陽とする。これは軸足交代、つまり体軸の移動の後地上に確立する兆しであって、静止した姿ではない。鳥船のホー、またはサーの姿勢に相当する。体の変更から魂氣を差し出して上体まで半身tに開き受けを前方へ送る動作である。入り身・残心で投げ技に繋がる。

 これに反して、魄氣の陰は体軸を地に立てた静止の瞬間であるが、常に動作への兆しを保持している。鳥船のイェイであり、入り身転換や体の変更の瞬間である。

                                      2017/11/9

7. 技を生む合氣

 魂氣を受けの体軸上で各丹田に及ぼし、取りの丹田に巡ることでそれを浸透させ、受けの魄氣と魂氣の結びを解かせると同時に、取りの魂氣が受けの底を抜くことで技が生まれる。魂氣の動作で円を作り、その中心に取りが体軸を確立することに相当する。

 あるいは魂氣が真空の氣に結ぶと共に円空の中心に入り身すると取りの体軸が受けの軸足を地から抜いて技を生む(動画)。

 

 いずれも取りの魂氣(手)三要素:陰陽/巡り/結びと、魄氣(足腰)三要素:陰陽/入り身/転換・回転それぞれを合わせて動作すること、これが合氣である。

 体軸の移動を伴わない合氣は自然本体で立つ禊の姿であり、天地に結ぶこの動作こそ天の浮橋に立つことの本体であろう。

                                     2017/11/14

8. 呼吸投げと天地投げの天について

①両手取り呼吸投げと②天地投げの、天の魂氣について

 

 地については、①では陽の陽または陰の陽で地に結ぶ。②では陰の陰で外巡りから逆半身外入り身で地に向かう。

 天については、①では陰の陽で畳む手の母指先を回外して前に向け、受けの手首屈側の下に拳一つ分入ってから地の方の足が軸となり、非軸足に交代した天の足先とともに陽の陰で受けの真中に発する。

 ②では陰の陽で畳む手の母指先から魂氣を発し、入り身による相対的な陽の陽で受けの前胸部に密着して同側の非軸足を相半身外入り身で受けの軸足近くに差し出す。直後に継ぎ足で残心の魄氣が必須であり、魂氣は下丹田に陰の陰、体側は腰仙部に陰の陽で巡る。つまり受けは取りの後ろに螺旋で落ちる。

 

 ②では天の魂氣を受けの側頸を超えて上方に差し上げなければ天地投げにならない。中丹田かせいぜい上丹田の高さでは隅落としか呼吸投げということになる。

 天に差し上げることの出来ない場合は背伸びすることなく、陰の陰から陽の陰でともかく受けの真中に魂氣を与えるべきであろう。

                                     2017/11/26

9. 動と静の原理

 動とは体軸の移動、静は体軸が地に立つこと

地に立つとは軸足が魄氣を受けて体軸に連なること。したがって体軸の静止した状態で対側は非軸足となって自在に置き換えることが出来る。それと同時に同側の手は同じ方向に魂氣を陽で発することが出来る。難場歩きである。

 体軸が移動するとはこの軸足から離れて、交代した対側の軸足へ移ることである。つまり、移動する瞬間には魂氣は丹田に巡って結んでいる。

 魂氣三要素つまり手の動きは、陽で発するときに同側の足腰は非軸足となる。体軸は非軸足の方向に移動しようとする。

 手が陰の魂氣で体軸を昇降するとき、つまり体表面を上下する際は同側の足腰が体軸を確立する。したがって陰の魄氣で静止している時に限られる。

 

 魂氣の陽は魄氣の陰に同期し、一瞬の魄氣の陽に続く入り身・残心または入り身・転換には魂氣の陰が対応する。

                                     2017/11/27

10. 合氣道の技

 合氣に関する言葉;右手を陽、左手を陰、氣の巡り、氣結び、魂の比礼振り、鳥船、入り身、転換、空の気を解脱する、残心など、それぞれの表す魂氣と魄氣を思い浮かべて、それぞれを動作すること、すなわち語句と思いと動作の三位一体を行えば合氣道の稽古となる。つまり技が生まれることになる。

 はじめに禊があり、単独呼吸法坐技、単独基本動作、相対基本動作へと進めて行く。そして相対基本動作を連ねると、それが合氣道の技となるのである。

 

 魂氣三要素と魄氣三要素のそれぞれの思いに相当する動作が連なっていくことで形を生み出すのであるから、基本動作を行うことによって技が出来上がるわけである。

 一方、技を見ることで瞬間の形を連続して取り出し、それぞれをなぞりつつ動きを繋いで行く稽古法は合氣の技を生み出す三位一体の稽古法とは異なる。技を見ることで抽出できる形は、ある一点に限られる場合が多くなる。手であったり、足であったり、しかも片側に限られることさえある。それらを繋いで動作しても、手足腰目付けの一致を捉えることは先ず期待できないであろう。

 形をなぞることで再現した技では、それら瞬間ごとに切り取った姿の中に、手足腰目付けの一致はおろか魂氣と魄氣の結ぶ形も目にすることができないかもしれない。むしろ魂氣と魄氣のそれぞれの要素が手足腰の動作に現れないことこそが際立つはずである。

                                     2017/11/28

11. 合氣道の武技の成り立ち

 合氣道とは、魂氣と魄氣を思い、それぞれの動作を呼吸とともに合わせることから産まれる武道である。それ故に、稽古を始める際は禊から入るわけである。開祖は、〝はじめに天の浮橋に立たされて〟と教えておられる。まさにそのことを示唆されているのであろう(画像①)。

 魂氣には、陰陽・巡り・結び、魄氣には陰陽・入り身・転換回転というそれぞれの三要素があり、それらには氣の思いとそれぞれに対応する動作がある。つまり、言葉と思いと動作の三位一体が呼吸に伴って順次連なることで技が産まれる。これが合氣道の核心であろう。

 魂氣と魄氣の陰陽を合わせて呼吸とともに動作するのが鳥船であり、左半身そして右半身、さらに左半身と伝統に則って行う(動画)。禊から合氣道が産まれるというまさに三位一体の稽古である。

 たとえば受けとの相対動作では、的に立たないこと、そして間合いを詰めるか空けると直に氣力を受けの真中に及ぼすことが武技において必須である。これを合氣によって動作するのが氣の武道である。単独動作の合気の基本が欠如するなら、その先は形の武技となろう。

 また、接触の瞬間にはその部位で結ぶことが必須だ。つまり接点から受けの中に珠を包んだ取りの掌が入ることであり、以後受けの勢いはことごとく取りの真中を外れて上下左右に逸れるから、受けの中心軸は正立を維持することが出来ない(画像②、③)。取りの魂氣が受けの手に結ぶことで入り身が可能となるのである。

                                      2017/12/3

画像① 禊
画像① 禊

動画

画像② 正面打ち氣結び表の接触、陰の陽で差し出すと受けは手刀で守る。
画像② 正面打ち氣結び表の接触、陰の陽で差し出すと受けは手刀で守る。
画像③ 陽の陽で発して氣結び。
画像③ 陽の陽で発して氣結び。

12. 『合気神髄』より術理を読み解く

   両手足・腰・目付けの連動

      『養心』第44号 2017神戸大学体育会合気道部 2017年11月発行 p68〜p71

 

 『合氣神髄 植芝吉祥丸監修』柏樹社平成2年発行

 P60

  世の根元たる一元は精神の本と物体の本の二元を生み出し、複雑微妙なる理をつくり、全宇宙を営み、また天地万有に生命と体を与え、万有愛護達成に生成化育の大道を営み、天地万有は一家のごとく一身のごとく、 中略

 

P61

  正しく調和した天地万有の気と、人の正しく整いし世となれば、この世に人々の争いはなくなり、平和となるべし。それには我らの合気道も天の運化に遅れず、身体の武道のみにては、これを達成するにあたわず、身体の技は力少なし。

 

 精神の武は魄阿吽をもって明らかなる健やかなる清き力を出し、つとめて尽くすに至るべし。(魄とは身体の上に魂の花を開き結んで、人としてあらゆる条件に叶えるもの)ゆえに合気道は自己を知り、宇宙万有の妙精を自己に吸収し、大宇宙の真象に学び、理を溶解し、法を知り、光ある自己の妙技をつくる道である。

 

P16

  真の自己を生み出す場の体を大切に扱い、魄を大事に扱うことを忘れてはならない。

 

 

 

 いのちの成り立ち、魂・氣・魄

  天地の間は氣で充たされている。そして、いのちある者の心のたましいは天に昇って魂と呼ばれる。吸気と共に天から両手に魂の氣を受けて、呼気で丹田に結んでは再び呼吸によって母指先から周りに発せられては丹田に巡る。つまり、呼吸と共に魂氣を思うとき上肢の動きは体軸の周りを巡るのであって、稽古のはじめに坐技単独呼吸法として行われる。

  また、体のたましいは地に下りて魄と呼ばれる。地から足を経て腰、下丹田、体軸へと魄氣が伝わって体の芯を作る。

 

 直立歩行という体軸移動

  われら人の直立二足歩行とは、非軸足から軸足へと交代することによって移動する体軸が、その軸足を経て常時地から直立していることを特徴とする。

 

 魂氣三要素と魄氣三要素

  地から受ける魄氣によって足・腰・体軸は支えられ、その動作は三要素(陰陽、入り身、転換・回転)から成ると考えられる。

  手の運動については魂氣三要素(陰陽、巡り、結び)で全てを現すことができる。母指先を中心とする指先が魂氣の発するところであり、また、伸展した上肢の屈側は吸気とともに天から魂氣を受けるところである。魂氣と魄氣が丹田に結ぶ呼吸こそは合氣であり、いのちの姿であり動きである。鳥船を中心とする禊では、まず天地に結ぶ動作を二回繰り返すのであるが、天の浮橋に立つ姿と動作はまさにこれを指しているのであろう。

 

 残心という気構え

  今、呼気から吸気・呼気の一呼吸で軸足交代を行う。そこで移動の終わった体軸上で魂氣が上体に密着して体は静止する。生命をもたらす合氣により二足は一本の軸足として体軸に直結し、左右の魂氣(手)も一体となって地に直立している。つまり、残心である。

  そこには心の持ち方で即座に非軸足と軸足を作り、陰の魄氣となるべく気構えがある。

 したがって、魄氣の三要素を十分に尽くした上で二足と体軸の動静が正しく行われ、はじめて両手のあらゆる動きが可能となり、呼吸と共に真の力を発揮することが出来る。開祖はそのことを「健やかなる清き力」と表現され、さらに、

 「身体の技は力少なし。精神の武は魄阿吽をもって尽くすべし」

 と述べておられる。

 

 自由な手と同側の非軸足

  さらに、開祖は「充分な力を出す」ために「空の気を解脱して真空の気に結べば技が出ます」「氣の置きどころを知ることが第一であります」と表現しておられる(P6667)。

 

  魄氣は軸足と体軸を作るのであるが、そのときすくなくとも同側の手の魂氣は陰に巡って丹田に結ぶのであって、これを空の気に結んだ手と理解しよう。すると対側の足は非軸足であり、自在に足先を置き換えることが出来る。さらに、自由な他方の手はその他の丹田に結ぶ陰の魂氣である場合や、陽で伸展している場合もあろうが、いずれにしても次の軸足交代では新たな体軸の確立に与り、下丹田や腰仙部に巡って結ぶこととなる。

  即ち、はじめ受けに与えて転換することで空の気に結んだ魂氣は、軸足交代に伴って同側の足が再び非軸足となり、手の方も体軸から解かれて空の気を解脱したと表現できる。そして、その魂氣は陽で発して手が自在に伸展し、自由な空間へと動作することが出来るわけである。片手取り入り身転換から体の変更の術理である。

  呼気で交代する軸足に「心の持ち方によって」体軸を預けると、対側の非軸足は自由に進み、丹田から陰のまま側頸に昇っている同側の手から吸気によって自在に魂氣を発し(「解脱」し)、それを空間へ差し出すことが出来る(「真空の氣に結ぶ」)。片手取り外転換昇氣・呼吸法の術理である。

 

 魄を大事に扱うということ

  軸足交代による体軸移動の際、手を非軸足と同時に差し出すことが合氣道の原則であり、魄を大事に扱うこととは、軸足が体軸を作る際に魄氣を思って確実に行うべきことを示唆しているのであろう。陽の魄氣で停止したり、いきなり自然本体や四股立ちとなれば魄氣による軸足の確立が成されない。体軸が魄氣に結ばないため、地から離れて漂ったまま静止していれば、非軸足と陽の魂氣の自由な動作が始まらないのである。

 

 まとめ

 魄を大事に扱うからこそ軸足と同側の魂氣は陰で体軸を確立し、目付けは極大の視野を持つ。体軸が確立すればなおのこと、そこから陰の魂氣を引き出すことは出来ない。それは、魄と結んだ体軸の中の魂氣を陽で働かそうとすることであり、そのことを〝魄ではだめだ〟とおっしゃったのであろう。魄氣から離れた非軸足は入り身で置き換えることが出来、その同側の手こそ陽の魂氣を発することが可能となるのだ。

 

 一部訂正して引用                                       2017/12/5

13. 難場歩きと合氣の術理

 体軸を作る陰の魂氣が受けと結ばないまま、それを陽で発しようと動作することこそ難場歩きを放棄する暴挙である。なぜなら、それは手足腰目付けで確立した体軸を自ら壊すことに止まらず、魂氣が受けとの接点で詰まったまま自身の腕や肩を押し進めなければならないからである。脱力を唱えながら筋力に固まらざるを得ない動作が未熟性によるものと判断してしまえば、以後習熟する機会を失うことになるわけだ。

 魂氣を発することなく受けに連なった自身の腕や肩を動作するということは、魄氣によって地につながったまま体軸を前傾してから軸足交代して移動するという矛盾に他ならない。つまり、はじめの魂氣と魄氣の結び(体軸)を解いてしまうだけでなく、一方の手に魂氣を天から受けて掌に包んで自身に巡っては体軸上の丹田に結ぶという、合氣の動作までが欠落することに気付かなければならない。

 魄氣即ち足腰は左右を軸と非軸足で使い、魂氣、即ち手は左右を動静、つまり陽陰で使わなければ体軸の移動と自由な手の動作は産まれない。

 合気の術理とは、軸足を交代させるべく非軸足を置き換えて、同時に両手で魂氣の陰陽を巡らせて同側の魂氣を発する思いで手を差し出すことである。

 体軸を作るのは軸足側の手であり、丹田に結び、体軸上を昇り降りすることは出来るが、空間に差し出すことは出来ない。魂氣における広義の陰陽の理である(動画)。

 難場歩きそのものである。

                                      2017/12/9

14. 転進への魄氣

       ———— 逆半身外入り身に備える相半身内転換は陰の魄氣

 

 

 

 横面打ちで撃たせた逆半身非軸足側はその場で軸足に交代し、魂氣は軸の一部であるから陰で体軸上の、たとえば上丹田、に結んでいる。そのとき対側の非軸足と魂氣は受けの真中に進めて、手は振込突きである。

 

 受けの横面打ちは取りの体軸側の魂氣が作る鎬によって取りの真中に響かない。取りの相半身内入り身・振込み突きに続く内転換の陰の魄氣で鎬の陰の陽の魂氣は受けの手刀に結んで上丹田から下丹田まで降りる。受けの手刀は体側表面を擦り降りて、取りの魂氣は体軸内を陰のまま降りるのが魂氣の陰の動作の理である。体軸の確立には同側の魂氣と魄氣が体軸上で結ばなければならない。難場歩きの原則である。

 

 以上は横面打ち四方投げの基本動作である(動画)。さらに、この相半身内転換の陰の魄氣から、取りが転進で逆半身横面打ち外入り身転換により小手返しや入り身投げに進むためにも、それに先立つ相半身内転換が陰の魄氣であることは必須である。

 振込突きを払わせた流れでその魂氣は外巡りで受けの同名側の手刀を取りの外に払い、軸足交代の直後、対側の鎬から陰の陽に巡っていた魂氣を下丹田から受けに逆半身横面打で発する。つまり、受けの横面打ちに異名側の手で鎬を作って内転換し、取りが転進で横面打ちへ切り返す外入り身転換によって、入り身投げや小手返しに進めることが出来る。

 魂氣の外巡りに同側の非軸足を受けの外へ半歩進め、陽の魄氣から軸足交代して一歩入り身で横面打ちに切り返すことこそ転進の本体である。それに先立つ内転換が陽の魄氣なら半歩の入り身が出来ず、その場で一歩の入り身となり、受けの剣線を外せない。すなわち、切り返しのない

まま入り身投げや小手返しには進めない。                                                             2017/12/12

 

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