*神氣館【 高槻市 天神町道場 】               Shinkikan aikido tenjinmachi-dojo (公財)合気会公認道場                                   Takatsuki-city Osaka JAPAN         大阪府合気道連盟加盟道場                                       開祖植芝盛平の言葉と思いを動作する basic techniques from words and thoughts of the Founder, Morihei Ueshiba        不動の軸足に陰の魂氣:〝吾勝〟  非軸足と魂の比礼振り:〝正勝〟        〝この左、右の気結びがはじめ成就すれば、後は自由自在に出来るようになる〟:軸足交代         二つはこんで一と足すすむ・入り身一足と、体軸に与る両手の巡り:〝左右一つに勝速日、業の実を生む〟        〝正勝吾勝〟で剣素振り   合気の剣は〝勝速日〟                      「天の浮橋」のタイトルに 3. 合気道は争わない、表と裏で気結びする 2024/5/20                     4. 種火 2024/7/4                     5. 合気道の指導法 2024/7/16                     「令和6年のおしらせ」に7月の稽古予定(再度変更有り)                  稽古の記録 2010/8/15〜2024/7/24

1. 『合気神髄』を読み解く動作

 『合気神髄』に語られる「気」という語は457件に上る。

 

 ただし目次・序・あとがき、見出し、巻末の道歌を除き、本文中にあっても以下の語句は省いた。すなわち、合気道、病気、気がつく、空気、凶気、迷い気、呼気、気息、気持ち、湯気、合気神社、血気、活気である。

 

 「気」のなかには様々な語句が含まれるのであるが、一部を示すと、気魂、魂気、魂気すなわち手、気結び、宇宙の気、天地万有の気、陰陽の気、神気、真気、一気、気育、松竹梅の気、気のありかた、気の置きどころ、気の仕組み、森羅万象の気、物の気、空の気、真空の気、皆空の気、気の妙用、気の流れ、気力、気形、気の線、合気、天地の合気、天地人合気、武産合気、合気の道などなど、50余に上る。

 

 ちなみに、「禊」という言葉は80件、「天の浮橋」は47件であった。「気」が桁違いに多いということから、開祖が合気道を伝えるにあたって、言葉と思いについては「気」を圧倒的に重要視されたことが明らかである。

 

 故小林裕和師範が還暦を迎えた頃「合気道とは? …… 気の武道だ!」と喝破されたことにより、長年修練して到達された師範の武技の極みが、「気」と言う言葉と思いと動作の三位一体に他ならないことをわたしたちは教えられた。

 その言葉を耳にするまでは、手足の先まで緻密にして柔軟、かつ豪快にして俊敏な体軸移動を見せる師範の圧倒的な術技から、到達不可能、真似のできない全身動作、常識を超える才能と修錬の深さ…というような印象をもっていた人がほとんどであろう。当時「気」という観念的な言葉が小林師範から出ようとは思いもよらなかったのである。

 

 今、合気道の指導や修錬の場に立ち、開祖やその直弟子の師範がこれほどに語られた「気」について、それぞれを動作で現さずには済まされないと感じている愛好家は少なくないと思われる。

 『合気神髄』を読み解き、開祖や先達の息にひびき合う瞬間を動作の中から感じ取りたいものだ。それは単に「気」を念じるだけではないし、動作に工夫を凝らすだけでもない

 

  〝合氣とは筆や口にはつくされず 言ぶれせずに悟り行え〟

 

と歌われる一方、技と言う働きをただ形に求めるばかりであっては、合氣でなくても良いことになる。

 

 今こそ『合気神髄』を読み解く動作の稽古をする合気道であるべきだ。

                                      2018/3/14

2. 非軸足の置き換え/踏み換えと魂の比礼振り

『合気神髄』

P69

 右足をもう一度、(中略)踏む、(中略)自転公転の大中心はこの右足であります。

P70

 こんどは左足、千変万化、これによって体の変化を生じます。左足を三位の体にて軽く半歩出します。左足は(中略)これが千変万化の無量無限、神変、神秘を表わすことになります。

 また右足は(中略)動かしてはなりません。全ての気を握るのは、この右足 (中略)であります。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 右足は軸として動かすこと無く、左足をはじめに軽く半歩出すことで体軸を右半部の身体で確立することとなる。その左足の動きによって種々さまざまに多くの不思議な体の変化を発揮することができる。

 

 右足は軸足として魄氣を受けて直立した体軸を支える。その軸足側の魂氣(手)は受けの手や体に連なったまま陰で体幹に着けることで、右半部の身体は受けに結んで一体となった柱を地に立てているわけである。

 

 軸足が体軸を確立させたうえで対側の非軸足との間で交代することによって、入り身転換が反復して行われる。そのとき、連なっている受けの身体と共に取りの手は非軸足側になるわけである。体軸から解かれて非軸足とともに同側の魂氣は自在に空間へと発することが出来るようになる。

 つまり、手は伸展して受けを導き、あるいは受けの体軸に魂氣を及ぼして底を抜くまでに至ることも可能である。即ち取りの体軸から魂氣と魄氣が解脱して対側の手足腰によって体軸が支えられる瞬間に、受けは取りの魂氣に結んだまま取りの丹田において一体となって客観的な重さを失い、取りの身体の中にあると言える。

 軸足交代は呼気においてなされ、非軸足とともに魂氣を発するときは吸気相で行われるから、この動作は呼吸法と呼ばれてきたのであろう。

 

 非軸足を半歩置き換えて軸足へ交代すると直角の転換が可能となる(動画①)。

 

  非軸足を後方へ置き換えて軸足交代し目付けを180 度転換して、非軸足を180度内向きに踏み換えて軸足とすれば目付けは更に180度転換でき、後方への一回転となる(動画②)。

 

 非軸足とした後方の足を前方から後方へ360 度置き換えて軸足交代し、目付けを180度後方へ転換し、非軸足を135度外向きに踏み換えて軸とし180度目付けを更に転換し、後ろの足を45度内向きに踏み換えて軸足とすれば前方へ一回転(動画③)。

 

 このように軸足を作ることでそれを非軸足と交代し、その足先を置き換えて再び踏んで軸足とすることを続けていくうちに、転換、入り身、入り身転換、前/後方回転が動作される。軸足に交代せず井桁に進むことで滞ることなく受けに食い入る入り身が為される。これは受けの背腹両側において行われ、入り身投げや一教表の核心を為す動作だ。

 

 体軸を作る手は呼気で畳まれ体幹に密着しても手首から母指先は丹田に直結して魂氣を自在に発することが叶う。魂氣の陰陽、すなわち呼吸に伴い狭義の陰陽である屈曲伸展は常に巡らすことが可能であって、このことが魂の比礼振りに喩えられているのであろう(動画④)。

 

    足腰は魄氣の三要素:陰陽/入り身/転換・回転

 手は魂氣の三要素:陰陽/巡り/結び

 軸足交代に伴う非軸足と魂の比礼振りが産む体の変化とは、それぞれの三要素が相互に存分に発揮される動きの中に術技が生み出されることを示している。

                                      2018/3/22

動画①外転換に着目。手は陰で昇氣によって陽で発する、魂の比礼振りとみる。

動画②

動画③

動画④

3. 武器を用いても魂の比礼振り

〝魂の比礼振り〟がなければ氣結びをなし得ない。

魂氣を陰陽に巡ってこそ氣結びが叶う。

すなわち、〝魂の比礼振り〟がおこらなければ鍔迫り合いに終始するか、あるいは咄嗟に二教の手で受けの手刀を掴み止めようとするにちがいない。

 この瞬間が魄に任せた力ということであろう。つまり、軸足側の手を外に発して働かそうとする動作である。そこでは陰の魂氣の働きを取り違えることとなり、体軸の瓦解を意味する。そして非軸足側の手の魂氣が生かされない。

 合気道の稽古においては〝気の仕組み〟や〝気の置きどころ〟と言う言葉を動作や静止の姿として読み解くために、剣と杖をその助けとしてきたに違いない。したがってそこに体軸を感得しないはずはないのである。〝合気の剣/杖〟と呼ばれる理由を明確にしつつ稽古すべきである(動画①②③)。

 剣先/杖先と母指先の一致は魂氣の陰陽・巡り・結びに通じ、軸足による体軸の確立と非軸足による体の変化は武技の普遍的要素である。

                                      2018/3/27

動画①

動画②

動画③

4. 稽古で共有する合氣道

 合気道の指導とは、禊と合気体操と基本動作について、言葉と思いと動作を三位一体で教え、残心とともに技が生まれているのを体感してもらうことであろう。

 禊に関連しては、魂氣と魄氣のそれぞれ三要素を言葉とともに思い浮かべて手足腰の一致した動作を行えばそのまま武技となる。

 魄氣は軸足に伝わり身体を支えて体軸を直立させ、対側に非軸足と陽の魂氣の兆しを整える。吸気でその手を緊張伸展させるとき、同側の非軸足を置き換えて踏み換え、再び軸足へと交代すると、呼気相にあって手は陰に巡り丹田に結んで体軸に与る。そこには魄氣の働きと共に直立したままの体軸移動があり、同時に魂氣が存分に手を働かせて丹田が合気の場となる(画像①②

 気の仕組みと気の置きどころを知るという開祖のお言葉に繋がるものではないだろうか(動画①②③)。

                                      2018/3/31

画像① 単独基本動作入り身転換の陰の魄氣:左が非軸足、右は軸足の陰の魄氣に、左手は陽の陽、右手は陰の陽で下丹田に結ぶ。
画像① 単独基本動作入り身転換の陰の魄氣:左が非軸足、右は軸足の陰の魄氣に、左手は陽の陽、右手は陰の陽で下丹田に結ぶ。
画像② 右半身の陰の魄氣
画像② 右半身の陰の魄氣

動画①杖正面打ちで入り身継ぎ足・魄氣の陰で残心

動画②杖直突き・杖巡りで魄氣の陽・継ぎ足・魄氣の陰を動作する。

動画③剣正面打ち入り身転換に見る陰の魄氣の非軸足の働き

5. 一眼二足三胆四力の前に

 体軸移動においても一眼二足三胆四力である。

 すなわち、入り身あるいは転換・入り身では非軸足先方向へ目付けを置き、その足先を地に滑らせて半歩進めるとき、魄氣は陰から陽へと体軸を寄せる働きに与る。つまりはじめに腰腹は陰の魄氣で軸足上に載っていたが、陽の魄氣で前方の足へ片寄り、後ろの足が地を離れて軸足交代と送り足によって二本の足が一本の軸になり、しかも体軸がその足に真直ぐ連なることで体軸移動が完成すると、入り身一足である。

 この瞬間、徒手では受けと体軸を接して手は吸気で緊張伸展し、受けの丹田へと魂氣を及ぼしている(画像①)。剣を持てば剣先が面を打ち、杖を持てば受けの真中を杖先が貫く(動画①)。すなわち、一眼二足三胆四力で手が初めて魂氣を働かせて陰から陽へと呼吸力を発揮することができる。徒手も、剣・杖も、テニスや野球で使う得物も理屈は同じである。

 ところで、受けの側には自在な手の動作が有り、それは取りにしてみれば後手となる苛烈な攻撃の場合も有ろう。それでは合氣道で言うところの入り身までの間に手をどのように用いるのか。つまり、魂氣の働きをどのような動きで現すのか。

 『合気神髄』から要約した開祖の以下の言葉はその答えを示唆するものであろう。

 

 自転公転の大中心はこの右足であります。こんどは左足、千変万化、これによって体の変化を生じます。左足を三位の体にて軽く半歩出します(動画②)。 左(手)は氣を生み出すところ、 魂の比礼振りが起こったら左が自在に活躍します。 左で活殺を握り、右手で止めをさす。これが左の神業の意義であります。技が生か滅か、端的な活殺が武産合気であります(p70)

 合気とは、魄の世界を魂の比礼振りに直すことである、ものをことごとく魂を上にして現すことである(p149)

 人を直すことではなく自己の心を直すのが合氣(p150)

 

 手を一番後で働かすには足腰、つまり魄氣が体軸を確立し、受けに対して力の及ぶところへ入り身するわけであるが、まず、そのこと自体に魂氣を働かす必要があるわけだ。魂の比礼振りと呼ぶ陰陽の巡りから受けの魂氣に結ぶことこそがそれに相当するであろう。言葉を代えるなら、『五輪の書』にある「秋猴の身」で「漆膠の身」である入り身を行うことになる(動画③)。

 魂の比礼振りも秋猴の身も形を作って力み反る動作ではない。陰の魂氣である。正に呼気相から吸気に移ろうとするときである。受けに当たらず空間へと吸気で魂氣を発する(陽の魂氣)入り身・転換の終末で、手は最大限に働くわけである(動画④)。互いの体軸が接するなかに取りの手から魂氣が全て受けに響き、再び呼気で取りの丹田へと巡るから残心となり、魂氣が受けの底を抜いてその体幹は地に崩れる(動画⑤)。結果、技が生まれるのであり、技をかけて形作ることではない。

 

 * 武器を持つ手では柄頭/杖尻を持つ手が陰の魄氣で下丹田に巡った瞬間が残心である(動画⑥)。

                                                                      2018/4/7

画像 坐技片手取り入り身運動で昇氣呼吸法:受けの同名側の頸部に陽の陽の魂氣が結ぶ
画像 坐技片手取り入り身運動で昇氣呼吸法:受けの同名側の頸部に陽の陽の魂氣が結ぶ

動画①

動画②

動画③

動画④

動画⑤

動画⑥

6. 〝魂の比礼振りが起こる〟とは

 〝魂の比礼振りが起こる〟とは、軸足交代に伴い体軸を為していた陰の魂氣が対側の魂氣と入れ替わり、陽へと発せられる兆しの生まれることである。〝空の気を解脱する〟ことに相当する。同側の足は非軸足となって〝半歩軽く出す〟ことができ、開祖はこれを〝三位の体〟と呼ばれている。

 単独/相対基本動作の入り身転換に現される。つまり、非軸足を更に入り身で進め、空の気を解脱した魂氣は母指先から陽の陽で発せられる。

 

 魂氣が陰から陽へ発する際、空の気を解脱する、すなわちその手が軸足側から非軸足側へと移ることで、次の吸気で軽く、素早く伸展することが可能となる。

 

 相対動作の昇氣呼吸法は〝魂の比礼振りが起こる〟ことを含めた動作の典型であろう。

                                      2018/4/12

7. 『合気神髄』から左、右の魂氣と魄氣の結び

P86

「氣の妙用」によって、心身を統一して、合気道を行ずると、呼吸の微妙な変化は、これによって得られ、業が自由自在にでる。

この呼吸の変化は、宇宙に氣結び(中略)し、(中略)また、五体に深く喰い込み、喰い入ることによって、五体はその働きを、活発にし、千変万化神変の働きを示すことができる。(中略)

この呼吸の微妙な変化を感得することによって各自に合気道の業が生ずるのである。呼吸の微妙な変化は真空の氣に波動を生じさせる。(中略)

p87

 呼吸の凝結が、心身に漲(みなぎ)ると、己れが意識的にせずとも、自然に呼吸が宇宙に同化し、丸く宇宙に拡がっていくのが感じられる。その次には一度拡がった呼吸が、再び自己に集まってくるのを感ずる。

P104

 五体は宇宙の創造した凝体身魂で、宇宙の妙精を吸収し、宇宙と一体となって人生行路を修している。また、人は宇宙生成化育の大道の本旨を受け、現世を守り清めなければいけない。これにはまず自己の肝心な心を練り、念の活力を研ぎ澄まし、心身の統一をはかることに専念することが必要である。心身の統一は進んで、業の発兆の土台となり、念で業が無限に発兆する。

(中略)念は目前の勝敗という形にとらわれることなく、宇宙に正しく、氣結びしなければならない。

P105

 念は五体にとどまっていると、転生しない。結んではじめて生成してくるのである。

 このようにすれば、必ずその念は神通力となって、あらゆることが明瞭になってくることであろう。

 また、念を五体から宇宙に氣結びすれば、五体は宇宙と一体となって、生滅を超越した宇宙の中心に立つことも出来る。これが武道の奥義である。(中略)

 また、「気の妙用」に結ぶと、五体の左は武の基礎となり、右は宇宙の受ける氣結びの現れる土台となる。この左、右の氣結びがはじめ成就すれば、後は自由自在に出来るようになる。

 すべて左を武の土台根底とし、自在の境地に入れば、神変なる身の軽さを得る。右は左によって主力を生みだされる。また、左が盾となって、右の技のなす土台となる。これは自然の法則である。

 左はすべて、無量無限の氣を生みだすことができる。右は受ける氣結びの作用であるからすべて氣を握ることができる。

P106

 すなわち、魂の比礼振りが起これば、左手ですべての活殺を握り、右手で止めをさすことができるのである。これが神業(かむわざ)である。

 

 

 「気の妙用」を念えば呼吸に微妙な変化が得られる。つまり、呼吸と共に真空の氣に波動を生じさせ、あるいは五体に食い込んで働きを活発にすることができる。呼氣と共に魂氣は身体に漲るが、吸気で空間に発せられ、再び呼気で巡ってくることを感得し無意識の呼吸で魂氣の陰陽・巡り・結びが動作出来るようになる。これを呼吸法と呼んでいる。

 魂氣は陰のままで留まっておれば体軸の確立あるのみだが、陽へ発することで武技の基礎として大きな力を現すことができる。このように不思議な気の作用を思うことで呼吸をするとき、動作は無限に技を生みだすこととなる。これが氣の武道、すなわち合気道の極意である。

 また、呼吸と共に氣結びを為せば、身体の右と左の魂氣三要素と魄氣の三要素がそれぞれ自在に動作で現され、魄氣の陰により軸足の確立と非軸足への交代、魂氣の陰から陽、陽から陰で丹田に巡り体軸で魂氣と魄氣が結んだり解けたりして、自在に動作することが出来る。

 すなわち、魂氣と魄氣が陰で結ぶと体軸となり、その際対側は非軸足が自在に置き換わり、魂氣(手)は吸気で空間に発せられ(空の気を解脱して真空の氣に結ぶ)、受けの体軸に響いて、呼気で取りの魄氣に巡る。この動作は呼吸とともになされ合気と呼ぶ。

 したがって体軸に与る陰の魂氣を武技の基礎として空間から受けの身体へと響かせることは出来ない。

左、右の氣結びがはじめ成就すれば、後は自由自在に出来るようになる。

ここでは、「左と右の氣結び」では意味が通じない。はじめのうちに右の手足腰が陰で結び体軸を確立すれば、左の手は陽で空間に差し出し、足は非軸足で自在に置き換えることで、手は陰陽・巡り・結びの動作を、足腰は陰陽・入り身・転換回転を行うことができる。後は次々に軸足交代することで様々な技が生まれる。つまり受けに連なった方の手足腰は結んで体軸を作り受けをも結び、軸足交代して(〝空の気を解脱して〟)非軸足とともに軽くなった手を陽で発する(〝真空の氣に結ぶ〟)ことができる(動画

                                      2018/4/19

動画 片手取り/交差取り魂の比礼振り

8. 〝合気道には形はない〟の意味するところ

 開祖の言葉の〝形〟には肯定的意味を現す場合と、明らかに否定的意味で用いられている場合の二通りがある。『合気神髄』には42回出てくるうち24回が否定的である。

 そこで、否定的な意味について、例えば〝合気道には形はない〟p17、という〝形〟について、よくよく味読すると、単に型とか上面の動きに終始することを意味するに止まらず、より具体的な教えを含んでいることがうかがえる。たとえば、

 〝魂の比礼振りであり形ではない〟p26

 〝魄の世界は有形〟

 〝形より離れたる自在の気なる魂〟p130

 〝空の気は物であります。それがあるから五体は崩れず保っております〟、〝空の気は重い力を持っております。また五体(「合気道師範ブログ」による訂正)は物の氣で働きます。自由はこの重い空の氣を解脱せねばなりません。これを解脱して真空の氣に結べば技が出ます〟p67

 

 

 体軸を作る魂氣は地から足腰に受ける魄氣と結んでおり、自在に働かすことが出来ない。つまり三要素の陰陽、巡り、結びのうち、陰で結び体軸に与るのみである。同側の軸足が対側の足と交代して体軸から分かれたなら、魂氣は形から離れた自在の氣となり、非軸足に合わせて陽で発し十分働かすことが出来る。陰陽、巡りの魂氣を現す手の自由な動きを比礼振りに喩えられているのであろう。

 体軸に与る軸足側の手は魄氣に結び陰のままで各丹田に置くものであり、受けに前腕を与えた後は尚更、上腕を体側に結ばなければ掌の魂氣の珠を活かすことができなくなる。たとえば諸手取り呼吸法では、与えた後に空間へ魂氣を発し、受けの諸手を経てその体軸にひびかせ底を抜くには、己の魄氣つまり形から離れた自由で軽い魂の比礼振りでなければならない。すなわち、与えた手は直ぐ体軸に戻した後、軸足交代によって体軸から解かれ、魄という形から離れて(空の気を解脱して)、初めて自由な陽の魂氣として空間に発することが出来る(真空の氣に結ぶ)、ということである。

 形ではないとは、魄氣(身体)に結んだままでは魂氣を発することができないということであろう。軸足側の手を陰の魂氣として体軸に留めておればこそ、対側の手は自在に陽で空間に発して働かすことが出来るのである。したがって体軸に着けた手は、軸足を交代すればまるで比礼振りのように軽く、非軸足とともに、心よりの一致によって動作できるというわけだ。

                                      2018/4/24

9. 剣と合氣呼吸法

 剣先から陽の魂氣を吸気で発して正面を打ち、呼気で下丹田に巡って陰の魂氣が陰の魄氣と結ぶ合気によって、再び吸気で非軸足に合わせて剣先を陽で突き、入身一足。再度呼気で下丹田に巡って陰の魂氣が陰の魄氣と結ぶ合気を為す。

                                      2018/4/23

動画 剣の陰陽

10. 与えた手はすでに己のものではない

 はじめに片手取り外転換昇氣呼吸法(表)を例にして考察する。

非軸足側の与えた手を受けが掴むとき、〝与えた手はすでに己のものではない〟。小林裕和師範の言葉である。

 少なくともその前腕はすでに取りのものではない。肘関節を弛緩屈曲して上腕を足腰や体幹側の自身のものとするため、呼気で陰に巡って同側の足腰を外に半歩置き換えて軸足へと交代する。つまり腋を閉じて上腕が体側に密着し、同時に同側の足を軸として体軸を確立するから、対側の足先は剣線を外して直角を為すように置き換わり、非軸足となる。外転換による半身であり軸足に対して軽く半歩出す、所謂三位の体である(画像)。

 この間、掌は魂氣を包んだままであるが、地を指す母指先は常時伸展して魂氣を発しているから、相対的に内を指して小手返しの手で下丹田に結ぶか、外を指して二教の手で発するか、あるいは上肢を畳んで母指先を地から天へ、さらに側頸を指した後、回外して母指先を前方に向けてから一気に降氣で地に結ぶか、上丹田に結んで鎬を作る(動画①)。

 片手取り外転換昇氣呼吸法(表)では、下丹田に小手返しの手で結んだ後、腋を直角に開いて陰の陽のまま母指を除く指が中丹田を超えて上昇し、魂氣を掬い上げる手で限界まで上昇させ、側頸に母指先を着ける。手首は伸展して母指先から手首と前腕が一線で水平に繋がり、一旦与えた手は魂氣が側頸で体軸に結び合気が起こる。

 開祖の言われる千変万化である。前腕は与えても上肢の魂氣は各丹田において体軸、つまり魄氣に結んで合気を為すのである。

 

 諸手取り呼吸法では吸気で鳥船の陽の陰の手を差し出すのが基本である。諸手で前腕を握らせるあいだに呼気相にて外転換で上腕は腋が閉じて体幹に密着し、軸足側となって体軸に与る。同時に掌に真空の氣の珠を包む思いで陰の陽の魂氣へと巡る。このとき、掌を包む示指側で蓋をするように母指を置けば、常に伸展した母指先の反りに合わせて魂氣を発し続けることになる。さらに、母指先は地から天へと向いて、やがて手首の弛緩屈曲によって上肢が完全に畳まれると側頸を指すようになる。そこで、腋を開いて母指先が側頸に着けば受けに与えた前腕は、伸展した手首と母指先まで一直線となって取りの体軸に結ぶ。つまり、受けの諸手は自身の足腰に連なっており、取りの体軸へと結ばれる。

 取りの中丹田に相当する側頸で自身の魂氣と魄氣を結んで体軸が確立すると、受けの胸骨上窩に嵌まった肘頭と側頸に結んだ母指先の間で前腕は水平となり、その上に繋がった諸手を通して氣結びが為される。与えた手は軸足交代で陰の魄氣の体軸に預かり受けの体軸とも接している。

 

 陰の陽で与えたところ受けが諸手で掴むこともあろうが、その際は同側の足をその場に踏んで軸足とし、体軸を寄せると腋が閉じて上腕は体軸に与り、母指先からの魂氣は地から直突きで下丹田から発せられるが陰の魂氣である。そこで後ろの非軸足を内に置き換えて軸足へ交代すると内転換の陰の魄氣となり(三位の体)、取らせた魂氣は母指先から陽の陽で発して上肢は相対的に伸展し、同側の非軸足と共に入り身転換の反復で魂氣を更に陰陽で巡らせることが出来る。

 こうして体軸に預かる陰の魂氣は様々な働きを持って形を作るが、いずれにしても同側の足腰と共に体軸を成したままでは魂氣を陽へと発することは出来ない。そこは難場歩きの理合である。

 陽に発する兆しができなければ手を伸展する動作はできない、ということである。自由に手の伸展することを〝魂の比礼振り〟と呼び、開祖はその兆しを〝魂の比礼振りが起こる〟と表現されているのであろう。つまり、反対側の足腰が軸足へと交代して体軸は反対側の手を陰の魂氣とするとき、元の魂氣は取りの体軸の魄氣から解かれて受けの手が繋がっている。受けの魄氣は取りの入り身でその魄氣と一体になり、取りの魂氣はそれら体軸から解かれている。これが〝空の気を解脱した〟状態であり、同側の非軸足は相対的に軽く半歩出している(三位の体)。吸気で足先をさらに進めて入り身し、同時に魂氣は母指先から陽の陽で発して上肢を過伸展すると、〝真空の氣に結ぶ〟こととなる。〝手足腰の心よりの一致〟である。〝この左、右の氣結びがはじめ成就すれば、後は自由自在に出来るようになる。〟〝すべて左を武の土台根底とし、自在の境地に入れば、神変なる身の軽さを得る。右は左によって主力を生み出される。また左が盾となって、右の技のなす土台となる。これは自然の法則である。〟〝左はすべて、無量無限の氣を生み出すことができる。右は受ける氣結びの作用であるからすべて氣を握ることができる。すなわち、魂の比礼振りが起これば、左手ですべての活殺を握り、右手で止めをさすことができるのである。〟

 同時に魂氣は受けの側頸を通して中丹田、下丹田へと体軸をひびいて体の底に達する。その間は呼気に移り陰の陽で魂氣は受けの底を抜いて取りの体側に巡り、腋は閉じて上肢は伸展したまま体側に密着する。魂氣と魄氣は下丹田の高さで結び、再び合気が為される。同時に魄氣は継ぎ足で残心が確立する。入り身一足とは、この二本の足が前後で一本の足となって体軸を作る一瞬ではないかと考えている。このとき受けは取りの体軸を螺旋で落ちて合気の技が生まれる(動画②

 

 今、与えた手と同側の軸足で体軸を作り、陰の魂氣が体軸に与ることなくそのまま陽で受けの手共々前か上かに差し出そうと緊張伸展すれば、すでに難場歩きではなくなる。開祖のお言葉の諸々について思いと動作で三位一体に捉えること無く、ただ受けの体の制圧を念じて魄力(体軸からの余力)によって動かそうとすることになる。受けの重さを取りの体軸と与えた陰の魂氣に受け止めつつ、その上で体軸に与るべきその手を自由に動作しようとすることは、合気から逸脱するものとなろう。その間対側の手と足は陰陽の巡り、軸足・非軸足の交代という役割を与えられず、〝手足腰目付けの心からの一致〟にはほど遠い動作に終始してしまう。何よりも、呼吸と魂氣の陰陽が動作されないなら呼吸法とは言えない。

 

 魂氣を陽で発する兆しとは、未だ陰であって呼気相の終末だが既に体軸から解かれた状態であることを意味する。〝魂の比礼振りが起こる〟と比喩されるところであろう。

 吸気相に入ると一気に陽で発してたちまち呼気相に移り、魂氣は広義の陰へと巡るから、上肢は円を描いて再度合氣を為し、体側、つまり魄氣に結ぶ。

 

  〝合気とは筆や口にはつくされず 

         言ぶれせずに悟り行へ〟

と、道歌にある。この意味するところは、言葉と思いと動作の三位一体にこそ合氣の悟りがあるという開祖直々の教えであろう。しかし、こうも言えまいか。合氣の稽古を尽くして完成へと近づくためには、ただ動くばかりでなく多くの言葉と思いを重ねないわけにはいかない、と。

                                      2018/4/24

画像 陽の陰で与えて諸手取りに外転換で掌に氣の珠を包み上肢を畳んで母指先は側頸を指す。非軸足へと交代した左の足先は半歩前に出す。
画像 陽の陰で与えて諸手取りに外転換で掌に氣の珠を包み上肢を畳んで母指先は側頸を指す。非軸足へと交代した左の足先は半歩前に出す。

動画① 剣と徒手に共通の魂氣の三要素と、魄氣の陰陽と入り身

動画② 諸手取り呼吸法

11. 『合気神髄』から片手取り昇氣呼吸法を読み解く

 陽の魄氣とは、陰の魄氣の非軸足が半歩進んで踏みながら膝が垂直に立ち上がるまでであり、後ろの足は膝で屈曲した軸足であったのが伸展して地を突っ張るので,腰は内下方を向き体軸は前方へ揺れる。

  入り身では、この陽の魄氣で後ろの伸展した足は地を蹴って離れ、前の軸足の踵へ着けて二足が一本の直立した軸足となる。つまり、体軸は陰の魄氣の軸足から、直立して一本になった軸足へと前方に進み、この状態を残心とする。

  この間に魂氣は〝両手で氣の巡り〟の動作に尽きるから、陽の陽か陽の陰か、その両方同時か、ということになる。呼吸法なら陽の陽、入り身投げなら陽の陰、一教なら両手である。一方の手で魂氣を動作すれば、魂氣は受けの底を抜けて巡り、取りの体軸に体側か下丹田で結んだ瞬間、受けは腰から地に落ちて技が生まれているから残心である。両手の場合は、受けの上肢が天地に円を描いて取りの下丹田に取り込まれ、足下の地に腹から落ちて伏せる。

 

  合気剣・杖の打突では継ぎ足の瞬間に魂氣が受けの真中に響くから、巡って丹田にて柄頭や杖尻を把持するのは陰の魄氣である。したがって、入り身の終末は徒手の場合と違って、残心たりえず、陰の魄氣で上丹田や中丹田に巡った構えが残心となる。

 

  何れにしても陽の魄氣で静止しておき、手を伸ばして魂氣を陽で発しようとすれば、氣結び、巡り、そして自身での魄氣との結びという一連の動作が滞り、体軸は軸足で魄氣と連なることはない。すなわち、合気がなされず技は生まれない、ということになる。

 

  はじめに受けの魂氣と結ぶため、取りは転換にて接点で体軸と上腕が入るべく動作する。外転換で下丹田を接近して、上腕は脇を閉めて体幹に密着することで体軸に与り、母指先は内に巡り掌は包まれたまま同側の軸足とともに魂氣と魄氣の結びが下丹田にて為される。続けて上体の入り身を行うことで魂氣は体軸を前胸部から側頸へ昇り、母指先が鎖骨上窩(後頸三角)に着くと、受けの手足腰体軸と繋がった取りの陰の魂氣として自身の体軸に納めることができる。

 

 しかし、このままでは受けに連なる側頸の魂氣を陽で発することは出来ない。なぜなら自身の軸足は動かしてはならず、開祖は〝国之常立神の観念にて踏む〟と表現されていると考えられる。体軸に与る魂氣は開祖の所謂〝空の気に結んでいる〟と表現される。体軸を分断して魂氣を働かそうとすれば軸足の魄氣との結びが解ける。つまり取りの主柱は合気を失い、瞬時に崩れ落ちる。そこで、非軸足を踏み換えて軸足に交代することで、側頸の魂氣も体軸から解放され(〝空の気を解脱して〟)、受けの体軸を自身の交代した軸足側に留めておいて、吸気で同側の非軸足を受けの外に軽く半歩進めて入り身する。同時に母指先を側頸から〝比礼振り〟のごとく空間に発して(〝真空の気に結ぶ〟)受けの同名側の頸部に密着し、継ぎ足に移ることが出来る。入り身一足で両足が一本の軸足となった瞬間、呼気に移った残心では魂氣が取りの体側に巡り、技が生まれる。片手取り昇氣呼吸法表である。

 

  開祖の言葉通り、魂の比礼振りが起こらなければ真空の氣に結ぶことがなく、受けにひびくものもない。体軸が宙に浮き、非軸足になり得ない足から魄氣が後押しして、手刀の形にこもった魄の力は魂氣のように空間に発せられることはない。

 

 言葉と思いの伴わない動作は合気に含めようがないわけである。

 

 片手取り昇氣呼吸法裏は、表の外転換・入り身に対して入り身転換・反復によって踏み換え(軸足交代)を行う(「12.下から上へ」の動画参照)。諸手取り呼吸法表は昇氣ではなく、降氣の形から腋を開いて陰の陽で側頸に母指先を着ける。

                                      2018/4/28

12. 下から上へ

体軸に与る魂氣は軸足を通して魄氣に結び陰の魂氣(空の気)。

軸足交代で体軸の魄氣を離れて(空の気を解脱して)、母指先から空間に発する(真空の氣に結ぶ)と陽の魂氣と呼び、母指先の反りにより円の動きで体軸に巡る。残心が合氣の技を生む。

 

〝円の動きのめぐり合わせが、合氣の技であります。技の動きが五体に感応して、おさまるのが円の魂であります〟『合気神髄』(動画

                                       2018/5/1

動画 交差取り、正面打ち入り身投げ裏、正面打ち一教表、片手取り昇氣呼吸法表裏

13. 魂の円の動きに現われる上肢の特性

 〝〟内は『合気神髄』から一部改変して引用、

 

  陽の陽の魂氣、つまり広義の陽で狭義の陽の魂氣は母指先から魂氣を発する思いで掌を天に向けて上肢を過伸展し、母指先の反りに合わせて体側へと円の動きで巡る。

 

 一方、陽の陰の魂氣は、はじめ陽の陽の魂氣で母指先から魂氣を発する思いで上肢を伸展したのち陰に巡り(掌を地に向け)、母指先の反りに合わせて魂氣は取りの下丹田へ巡る。

 

  肘は反屈できない関節であるから、上腕から撓側前腕にかけて母指先の反りの方向へ円の動作の後、陽の陽のままでは上肢が肘で伸展したまま腋を閉じて体側に着く。それに比べて、陽の陰に掌を返した前腕は肘で屈曲し、母指先の反りに応じて取りの下丹田へと急峻な円運動で巡り、上腕は腋を閉じて側胸に、前腕は二教の手で腹部正中に結ぶ。

 

 上肢の限界まで伸展する瞬間は魂氣が陽で空間に発せられるわけで、巡る際には陰の陽ですみやかに腋を閉じて取りは体軸を確立し、入身一足で円を描いて上肢伸側が体側に密着する。片手取り/諸手取り呼吸法の魂氣(手)の動作と残心に典型である(動画①②③)。

 

 一方、入り身投げでは、はじめ陽の陽の魂氣が受けの中丹田を擦り上がり、同側の非軸足先は同時に受けの外から体軸に向かう相半身入り身で置き換え、受けの側頸において魂氣を陽の陰へと巡らす。その動作は急峻な円運動であり、肘関節が屈曲可能であることから母指先の方向の反りに合わせて上肢は受けの背部に密着し、腰仙部で底を抜いて取りの下丹田へと巡る動作が可能となる(動画④⑤)。

 

 呼吸法も入り身投げも、入り身に伴う継ぎ足で残心の姿勢を取る際、上肢を伸展して掌を上に広げた魂氣は円を描いて体側へ、または掌を返して地に向けることで母指先は下丹田に結び、何れにしても取りの体軸へと上肢は巡ってくる。それで受けは取りの体軸上を螺旋で落ちることとなり、技が生まれる。

 

 体側に伸展したまま陰の陽で結び、一方、下丹田に弛緩屈曲して陰の陰で結ぶそれぞれの上肢の動作は、坐技単独呼吸法の「両手で氣の巡り」に相当し、一教運動の魂氣の動作にも通底する。

  

 道歌〝右手をば陽にあらはし左手は陰にかへして相手みちびけ〟

 

 と、開祖が具体的に動作を教示されているのはこのことであろう。 

 

  陰から陽、陽から陰へと巡る動作がかなうには軸足の交代によらなければならない。体軸に与るままでは上肢が陽で魂氣を発することは出来ず、陰に巡る際は軸足交代による体軸の確立を伴って初めて下丹田で魄氣と結ぶことになる。これについても、〝空の気を解脱して〟〝魂の比礼振りが起こったら〟〝神変なる身の軽さを得る〟そして〝真空の氣に結ぶ〟。〝これは自然の法則である〟と開祖は珍しく直接的な表現を選んでおられる。

 

 しかし、この文脈には軸足の確立を説く一方で、その交代することについては言葉を伏せておられるようだ。ただ、〝この原則を腹において、臨機応変、自在に動くことが必要である。〟という部分で、左右の足腰が軸足と非軸足に踏み換えながら交代して行く動作を思い浮かべることが出来る(動画⑥)。

 軸足側の手は〝すべて…武の土台根底とし〟、非軸足側の手は軸足側の手によって〝主力を生み出される〟〝無量無限の氣を生み出すことができる〟、と。

                                      2018/5/9

動画①

動画②

動画③

動画④

動画⑤

動画⑥

14. 呼吸とともに魂氣三要素を動作する

『合気神髄』より

P84

 我々は神人和合して、(中略) 無限の力と実力を整え、和合の道に進んでいかなくてはならない。人の身の内には天地の真理が宿されている。(中略) それは人の生命に秘められているのである。本性のなかに真理が宿っている。

 天地万有は呼吸(いき)をもっている。(中略) おのが呼吸の動きは、ことごとく天地万有に連なっている。つまり己れの心のひびきを、(中略) ことごとく天地に響かせ、つらぬくようにしなければならない。

 また、息の動きはすべての万有万神へ、己れの精神から発するところのひびきである。 (中略)

P86

「氣の妙用」によって、心身を統一して、合気道を行ずると、呼吸の微妙な変化が得られる。この呼吸の変化は、宇宙に氣結び (中略) される。

 また、呼吸の微妙な変化が五体に深く喰い込み、喰い入ることによって、五体はその働きを、活発にし、千変万化神変の働きを示すことができる。(中略)

この呼吸の微妙な変化を感得することによって各自に合気道の業が生ずるのである。

 呼吸の微妙な変化は真空の氣に波動を生じさせる。(中略)この波動の極烈と遅鈍によって、心身の凝結が知られる。

 技は、すべて宇宙の法則に合していなければならないが、宇宙の法則に合していない技は、すべて身を滅ぼすのである。(中略) 宇宙に結ばれる技は、人を横に結ぶ愛の恵みの武ともなる。宇宙と結ばれる武を武産の武というのである。

P87

 武産の武の結びの第一歩はひびきである。

(中略)

 呼吸の凝結が、心身に漲ると、己が意識的にせずとも、自然に呼吸が宇宙に同化し、丸く宇宙に拡がっていくのが感じられる。その次には一度拡がった呼吸が、再び自己に集まってくるのを感ずる。

 

 以上を〝呼吸とともに氣結びを為す:合気呼吸法〟の教えと解釈する。

すなわち、 呼吸とともに魂氣と魄氣を思い浮かべて禊(動画①)を行い、手を広げて魂氣を発しては下丹田に納め、呼吸の度に魂氣が身心に取り込まれ、上肢の動作に伴って不思議な充実感と確かな力量が発揮され、再び身体に巡ってくるという実感が湧く(動画②)

 魂氣が丹田で魄氣に結び体軸に漲るやいなや、吸気によって母指先から広がるひびきを陽の魂氣、呼気とともに再び自己に集まってくる魂氣を陰の魂氣が巡ると呼ぶことにしている。

  

 魂氣の働きの三要素、陰陽・巡り・結びが、呼吸とともに上肢の緊張伸展、弛緩屈曲という限界から限界までの動作と働きを裏付けてくれる。

                                     2018/5/13

動画① 禊

動画② 禊と坐技単独呼吸法

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