1. 手刀を与える坐技両手取り呼吸法

魂気三要素と手刀

手刀については、その働きが小指球や尺側の手首に着目されがちである。その上で脇を開いて肘が伸展すると、上肢全体が刀になるといった思いであろう。

そもそも掌を開いて全ての指を緊張伸展する手は吸気で指先から魂氣を虚空に発する、開祖の所謂〝真空の気に結ぶ〟という動作そのものだ。

そこで、魂氣が発せられることを陽、丹田や腰仙部や側頸などの体軸に巡ることを陰と呼べば、魂氣の陰陽、巡り、結びはその働きの三要素ということになろう。

魂氣の陽は主として母指先から発せられ、順番に全手指が緊張伸展して掌が開かれる。陰は魂氣を受けてそれを包むようにして小指から順に指全体が弛緩屈曲して掌に魂氣の珠を包む思いで体軸に向かう。

 

狭義の陰陽の魂氣

 掌を天に向けて丹田で魄氣と結んだ手は陰の魂氣であるうえに、狭義の陽と呼ぶことにしているが、小林裕和師範(以下師範とする)は小手返しの手と説明された。

また、陰の魂氣には母指先が体軸に向かい、示指から順に弛緩屈曲して掌を包み、下丹田に結ぶ場合がある。掌は地を向いており、狭義の陰ということになるが、師範によるとこれは二教の手となる。いずれにしても魂氣三要素のうちの陰陽には広義と狭義の動作があることをまず認識することが肝要である。つまり、ことごとく心の持ちように裏打ちされた言葉と、それに相当する動作が合気の動きの特徴であると言える。 

 

魂気の陰陽と母指

掌に魂氣の珠を包む思いで小指から順番に弛緩屈曲していくと示指が半円を作るから、伸展したままの母指で蓋をする。示指の第2関節で母指先がわずかに突き出して見えるのが良い形であると師範は教えている。魂氣を包む思いで体軸に与り(〝空の気〟に結び)、その軸足を交代して〝空の気を解脱〟した時、開祖の謂わゆる〝魂の比礼振りが起こる〟と解釈できる。単に腕が軽くなるのではなく、開祖は〝身の軽さを得る〟と表現する。むろん、力を抜くという表現は見当たらない。それ故にしっかり握りしめた拳ではなく、柔らかく包まれた掌であるべきなのだ。その時、蓋の役目をする緊張進展した母指はその先の反りを通して一層魂氣が奔出し始め、掌・肘・脇の順に開いて広義の陽で狭義でも陽の魂氣が動作を生み出す。これを陽の陽の魂氣と略することにする。

 

手刀と母指先

手の働きは四通りを広義と狭義のそれぞれ魂氣の陰陽で説明できる。また、手刀では広義の陰陽にかかわらず常に掌を開いている。そして狭義の陰でも陽でもない形が手刀である。

あらためて手刀での魂氣の発兆に着目すると、掌に魂氣を包んだ広義の陰から指先まで緊張伸展するとき、残された母指先だけが他の指に対して直角方向に反っていることに気付くであろう。

手刀を差出した時、合気の思いからは魂氣が母指先を通って虚空に発せられるわけだ。特に、正面打ちにおいて受けとの接点を手刀で抑えに懸かる動作では、魂氣は母指先から天に発せられるばかりである。上肢の動作は魂氣の働く方向と真逆になる。これは呼気相で息を止めた筋肉の収縮力による仕事量であって、魂氣に裏打ちされた気結びの動作ではない。

 

 陰の手刀と体軸

手刀を差し出す片手取りに対して手首を上に挙げようとするなら、受けの重さを接点で被らないことが必要であろう。では、受けの重さ、あるいは取りを圧する力はどこに向かうのか。それは、取りの体軸を経て地に吸収するしかない。そこで、前傾して脇を閉じると、相対的に肘が臍下丹田に近い中腹部に結ぶ。その時、受け全体が取りの体軸から底丹田を経て地に繋がり、取りの手首での接点と前腕も体軸に繋がっていて、地の一部であるから腕として動かす訳にはいかない。つまり手刀は陰の魂氣となる。接点では機能的に繋がって一体となっている。したがって取りの前腕と手首では一瞬軽さを感得できる。

 

バットとボール

 その様な感覚は例えば野球においても経験できる。重い速球をフルスイングでジャストミートした瞬間、球が消えた様に感じると快心のホームランになる。ところが、芯を外すと球の速さに応じた力と重さがバットの表面をまともに伝わり、打者の手はバットを強く振るほどに重さと堅さも加わって激しい衝撃を受けることになる。バットが折れることもあるし、指や手首を捻挫する場合もあろう。つまり、受けの力に対して取りが単に脱力することで衝撃を吸収出来るわけではない。

 坐技において、受けの魂氣と魄氣を取りの魄氣に結んで底丹田からそのまま地に繋いだ瞬間、取りの土台は地の魄氣そのものであり、受けによる迫力が無に等しく感じられる。身の軽さを得るのだ。与えた手が実は取り自身の体軸の一部となったので、もう力んで動かすことはできないのだ。所謂〝空の気に結ぶ〟、という開祖による合氣の定義である禊に他ならない。体軸を確立する思いに裏打ちされた動作と静止の巡り合わせである。

 

 呼吸法

前傾した体軸が直立に戻りつつ脇は緩み体軸から解かれて魂氣は広義の陽となって空の気を解脱し、手刀の指先から受けの中心に及んで行く。母指先は魂氣を発し続けて〝真空の氣に結ぶ〟のである。

 合気における気結びとは、一方で呼吸法と呼ばれるように、吸気で魂氣を発して、受けが掴みにくる瞬間呼気で魂氣を陰に巡って体軸になり、受けのすべてが間髪を容れず魄氣の土台に取り込まれ、釣り合った一瞬に母指先から天に魂氣を発しつつ体軸を直立に戻し、なおも上体を反らすとき、取りの母指先は受けとの接点を越えて虚空に発せられ、身の軽さを得て初めて吸気で腋が開き、上肢は緊張伸展して真空の氣に結ぶ。取りの手刀は受けとの接点より中に入って気結びが成り立っている。呼吸とともに受けと氣結びしており、これは手刀を与えた呼吸法と言う。

 

 呼吸法の難易度

この術技にはどれほどの効用があるのか。つまり、格闘術の基本動作として習得し、有効に用いることができるのか、どれほどの修練が必要なのか、ということも問題である。ちなみに、喩えとしてあげたホームランについて、その難しさを知ることも参考になろう。2019年、ピッチャーが打たせまいとして投げた打数440に対して31本(14.19打数に対して1本)のホームランを打った岡本和真(読売ジャイアンツ)、パシフィックでは432打数に32(13.5打数に対して1本)の浅村栄斗(東北楽天)が最多本塁打王である。100球近い球数で1本のホームランが飛び出すのだろうか。また同じ年のオールスター・ホームラン競走では、打たせようとして2分間投げて、球数無制限で筒香嘉智(当時横浜DeNA)の6本が最多であった。4〜5球に1本ぐらいであろう。

 

 呼吸法の稽古

 呼吸法の稽古に際しても、受けがどの様な意図で関わるかということが重要になる。不成立が許されない模範演武でさえ、息が合わなければ技が生まれないことになる。打たせようとしてもピッチャーの手を離れたボールに対して100100中を求めるのは無理があるのだが、呼吸法の際の受けは微妙に息を合わせることが可能であろう。ただし、それはことごとく合気の技が生まれたことを意味しない。技が作られる中で快心の気結びがどれだけ達成できるかと言う問題である。

 修練としての呼吸法で、受けが合氣の達成を極力妨げるために動作すれば100回に1回成功するかどうかというレベルであろうか。一方、受けが呼吸法についてまったく無知であれば、それを妨げる動作が瞬時に生まれることは考え難い。

熟知した指導者が受けをとれば、はじめから妨げるか、どの体感で取りの動作に息を合わせるか、〝心の持ちようが問題に〟なってくる。

                               2020/12/29

2. 体の変更と正勝吾勝勝速日

『合気神髄』から開祖の言葉を動作する

 

与えた手の同側の足を内股に踏んで軸として、その踵側を回るように対側の非軸足をいきなり一歩前方へ置き換えて目付けは後方へ転じるとき、つまり後ろ回転の前半であるが、受けの掴もうとしている手は下丹田(片手取り)や腰仙部(交差取り)に置いて一旦体軸に与り、対側の手は非軸足と同時に自在に動作できる。その非軸足は一歩置き換わった位置で即座に軸足へと交代するからその同側の手はたちまち体軸に結ばなければならない。 

 

 

 例えば片手取りの場合、正勝とは、受けに掴ませながら下丹田に結び、体軸に与るや忽ち軸足交代によって非軸足側となる自由な魂氣である。体軸から解かれて身の軽さを得る瞬間は〝魂の比礼振りが起こる〟(p70)と表現されているようだ。すぐさま陽の魂氣として虚空に、あるいは前方に発することができ、体の変更の形となる。このとき受けは手足の結びを解いて取りの手を掴んでおり、体軸は魄氣から切り離されている。すなわち、受けは取りの手首を異名側の手で掴んだまま、陽の陽で伸展される取りの上肢に沿って前方へ体軸をさらに移動させた上で(魄氣の陽)、前方の足を軸として体軸の確立を行ない、再び取りに対峙しようとする。つまり取りの前方へ放たれて一歩出して向き直る。

 

片手取り入り身転換から前方の非軸足を後方へ大きく一歩置き換えて軸足交代に至る体の変更にたいして、ここでは一気に後ろ回転前半部の動作で行なう体の変更を一例とした。いずれにしても終末は後ろの軸足で体軸を確立した陰の魄氣であり、与えた手の接点で魄氣が受けの内に入って互いの魄氣が氣結びしている体勢である。

 

 一方、吾勝は体軸に与る軸足側の陰の魂氣を象徴している。すなわち、交差取りで外入り身転換の軸足側として腰仙部に置かれていても対側の非軸足がすでに一歩後ろに置き代わって体の変更後の軸足となり、同時に同側の魂氣は昇氣で側頸に結んだときその魂氣と魄氣が結んで体軸に与る。そのとき掴ませた手は体軸から解かれて空の気を解脱し、魂の比礼振りが起こって腰仙部に結びながら身の軽さを得る。したがってその場で入り身転換へと非軸足先を内股で軸足側に交代させ、魂氣は受けに掴ませたまま腰とともに180度転換し、再度体軸に与って武の土台となる。この時の陰の魂氣こそ吾勝である(p70)。

 対側の魂氣はそこで空の気を解脱して魂の比礼振りが起こり、自在に虚空へ魂氣を発することができる。呼吸法であれば、取りの側頸から受けの同名側の頸部へと上肢を伸展して魂氣を十分ひびかせることになる。これはもともと腰仙部で体軸に与っていた陰の魂氣であり、一旦側頸に結んで陰の魂氣に戻った後、軸足交代によって魂の比礼振りが起こった前述の正勝である。そして魂氣が陽から陰に巡って取りの体側に気結びすると禊の動作そのものとなって、しかも合気の技が生まれる。このことを勝速日(p70)という言葉に喩えているのではなかろうか。

正勝吾勝勝速日とは古事記による天忍穂耳尊という天照大神の子の勝ち名乗りであり、正しく勝った、私が勝った、勝つこと日の昇るが如く速いという意味であるという。

 

合気とは、右の魂氣と魄氣が結んで体軸に与れば左の魂氣と魄氣は体軸から解かれ、それぞれが自在に、しかし母指先と母趾先の方向は一致して一方は虚空へ他方は地を這って、置き換わったところで互いが再び結んで左手足が体軸に与る(p105)。このとき右の魂氣と魄氣が体軸から解かれて左手足の体軸へと継ぎ足によって二本が一本の軸足となり、右の魂氣は一瞬腰仙部を通して体軸に与り、魂氣は両側とも魄氣に結ぶこととなる。これは呼吸法(取りの背・受けの異名側の胸が密着の入り身)の残心の姿勢である。

一瞬不安定な印象を与えるが、相対動作では受けの底が抜けて地に落ち、いわゆる合気の技が産まれている。しかも、例えば右足がその場で軸足となって同側の魂氣が体軸に与ると左が非軸足となり、同側の手には魂の比礼振りが起こって身の軽さを得ている。その左掌を包んで弛緩屈曲した示指の輪から母指先だけが僅かに出て常時魂氣が発せられている。左足を三位の体で軽く半歩出す陰の魄氣である(p70)。体軸が確立されて同時に動作への変化に対応した静止であってこれ以上の安定はない。                          20213/19

 

『合気真髄 合気道開祖・植芝盛平語録合気道道主植芝吉祥丸 監修   柏樹社1990110

3. 開祖の言葉と呼吸法

取りの背と受けの異名側の胸を合わす入り身投げについて、『合気神髄』の開祖の言葉からその術理に迫る。

P105

〝五体の左は武の基礎となり、右は宇宙の受ける気結びの現われる土台となる。この左、右の気結びがはじめ成就すれば、後は自由自在に出来るようになる。〟

 

〝宇宙〟とは天地である。右手は天から魂氣を受け、右足は地から魄気を受けて魂氣と魄気が結び体軸を確立する。つまり禊である。

このとき左手は左足腰の魄気(空の気)を解脱し、体軸から解かれて自由となる。

〝後は自由自在にできるようになる〟ということは軸足交代が次々に繰り返され、左、右それぞれの気結びがその都度体軸に与って土台となり、対側の魂氣と魄気(手と足腰)は体軸から解かれて自在に動作できるようになるということだろう。動作は途切れることがないわけだ。

ついには受けの体軸に魂気をひびかせて底を抜くとともに、左右の魂氣と魄気が同時に一体となる。すなわち二足が一本の軸足となり、両手が共に魄気と結んで体軸に与る一瞬を迎える。それはまさに合気の技を産む残心であり、禊の姿そのものなのである。

                                2021/1/9

4. 入り身転換・体の変更と後ろ半回転における軸足交代に機序の違いをみる(1)

〝天の浮橋に立たされて天地の氣に氣結びする〟ことから始める。

 

次は動作に入る。

 

正勝吾勝で軸足を作って半身になる。すなわち魂氣の軸足側は腰仙部に結んで体軸に与り、吾勝に喩える。非軸足は軽く半歩出し、同側の手に魂氣の珠を包んで下丹田に置く。これは正勝に喩える。

 この軸足の確立を動作の第一段階とする。

 

 下丹田に置かれた魂氣は体軸に与らず、非軸足の魄気にも結んではいない。例えば下段に差し出す。受けに与える動作である。但し〝一眼二足三胆四力〟(手足腰目付)〟であるから同時に同側の非軸足先を手の先端に合わせてさらに半歩進める第二段階である。

 

 この瞬間に受けが異名側の手で取りの手首を掴みにかかり、同時に逆半身の体勢とするのが片手取りの理合である。取りは魂氣の母指先を地から内へ向けて、それに足先も揃えて更に半歩出し、下腿を垂直にして内股で地を踏む後ろの軸足は初めて伸展して地を踏ん張る。つまり軸足を無くして体軸が初めて前方に偏る。鳥船の陽の魄気に準じた姿勢であるが目付も前方の足先に一致し、剣線に対して直角に転換しているのが異なるところである。第三段階であり、入り身転換の核心であると言えよう。

 というのも、第三段階の足腰の動作、つまり魄気の働きには魂氣の母指先が内に巡るという微細な協働があってのことなのだ。しかもこの足腰が所謂入り身に差し掛かったとき、魂氣は相対的に下丹田へと戻され、上肢は全体として体幹に密着するという陰の魂氣への巡りが為されるのである。但し、軸足はまだ前方の足へと交代したわけではない。まさに体幹軸が魂氣によって作られてはいるが、底丹田の真下には新たな体軸となるべき足腰、すなわち魄気が地から及んではいない。前方の足先が内股で地を踏んでいるから、今さら後ろの足を継ぎ足で入り身一足の体勢にするわけにもいかない。

 

 第四段階でいよいよ軸足交代の完了、体軸確立である。前段階で体軸は失われ、体幹軸が一瞬前方の足に近づいている。鳥船であれば陽の魄気に相当するから呼気で陰の魄気に巡り、体幹軸は膝で弛緩屈曲する後方の軸足へと戻り、体軸が巡るわけであるが、上述のように、前方の足は内股で体幹軸と足腰は内側に90度転換している。このまま静止するとたちまち不安定になる。しかし、母指先から魂氣が常に発せられている思いこそ合氣道の動作の三位一体たるところであるから、静止や後戻りはあり得ない。母指先方向、目付の転じられる方向へ更に足腰を45度その場で捻ると、体幹と目付は足腰の上にあって90度内方に放たれ、結局180度転換して体幹軸は足腰に繋り体軸が確立する。すなわちここに軸足交代が初めて成り立つのである。また、下丹田の魂氣はそこで体軸に与り、同側の足腰、つまり魄気と結ぶわけでこのことが合氣そのものなのだ。

 

 伸展したまま非軸足へと交代した今や前方の足先は、入り身の分だけ軸足側に引き寄せられる。非軸足側の手は掌を上にして足先に合わせて差し出すが、体軸に与らず魄気に結ぶこともなく、脇は閉じ気味であるがつねに魂氣を発する兆しがあり、魂の比礼振りが起こっているという言葉に相当するのであろう。受けに与えた手は下丹田に繋がり、体軸は受けの体幹を引き寄せ、受けの手足腰には結びがない。以上第四段階で片手取り入り身転換が生まれる。段階的入り身転換は合気の動作である。

 

 次に(2)として、入り身転換から体の変更に進めることと、第二段階までで下段に与えたのち後ろ半回転が体の変更そのものになる、という二つの相対基本動作について術理の説明を行う。

                                2021/2/2

 

5. 入り身転換・体の変更と後ろ半回転における軸足交代に機序の違いをみる(2)

 次に(2)として、入り身転換から体の変更に進めることと、第二段階から下段に与えたあとに後ろ半回転が体の変更そのものになる、という二つの相対基本動作について術理の説明を行う。

 第一段階から第四段階へと入り身転換が為された後、非軸足に合わせて前方へ発せられた陽の陽の魂氣を小指先から内に巡って陰の陽(小手返しの手)で下丹田からは母指先が腰部に沿って腰仙部まで巡り、同時に非軸足先は軸足の後ろに一歩置き換えて軸足に交代する。同側の手は腰仙部で魄氣に結んで体軸に与る。半身を変更して同じ魄氣の陰に戻る。下丹田の魂氣は陰の陽で下丹田に置かれたままではあるが、今や体軸から解かれて同側の足は非軸足となって足先が地に行くのみで自在に置き換えることができる。即ち、受けに連なったままの手には魂の比礼振りが起こって身の軽さを得て、同側の非軸足は千変万化の動作が可能である。これははじめの第一段階に相当する姿勢であり、体の向きは180度転じている。

 第五段階で体の変更が為されたわけだ。

 

一方、入り身をせずに、その場で軸足を作る後ろ半回転でも体の変更を生み出すこととなる。第三段階で手足腰目付の一致により後ろ回転の軸足を作るのである。非軸足先をその場で内股にし、地を踏みしめて屈曲すると下丹田が内方に転換し、同時に脇が閉じ、地を指す母指先が後方に向き、目付は内側後上方に向ける。このとき魂氣は鼠蹊下部の太腿部に密着して体軸に与る。つまり、その瞬間に軸足交代・体軸移動・魂氣と魄氣の結び・合氣が為されるわけだから後ろの足は弛緩屈曲したまま非軸足となる。ここが緊張伸展した入り身転換の場合と異なるところである。後ろの足底全体が瞬時に非軸足となるから足先の接触を残すことなく、一気に跳ね上がることで非軸足・軸足の交代が確立する。

跳ね上げた非軸足は交代したばかりの軸足の脹脛から踵に沿って地についた途端に地を踏みしめてすぐ軸足に戻る。同側の魂氣は腰仙部から相対的に鼠蹊下部の太腿部に回り込む。目付と下丹田は結局180度転換し、元の半身に戻って体の変更がなされた。今や前方に位置する非軸足は相対的に外股となる。

両側の母指趾先は左右を指して下丹田と目付は正面を向く。この姿勢は小林裕和師範が〝体を三面に開く〟と表現された。

 

入り身転換から体の変更では両手が下丹田と腰仙部にあり、前方の母指先と母趾先は前方正面を指している。体捌きの微妙な違いがさらなる〝千変万化〟の動作につながっていく。

 

体の変更の定義は半身を変えずに体の方向を180度換えることであり、途中で一回の軸足交代を要する。

                               2021/3/12

6. 軸足は同側の陰の魂氣と結んで体軸に与る

天から掌に受ける氣を思い、魂氣と呼ぶ。また、吸気で腋を開いて母指先から発せられる気を陽、呼気で腋を閉じて母指や小指から丹田に巡る氣を陰とする。

 原則として、軸足は同側の陰の魂氣と結んで体軸に与る。このとき軸足には陰の魄気が働いていると考えることにする。

 軸足は地(魄氣)に結ぶ体軸の土台である。開祖はこれを国之常立神に喩えて、動かしてはならない、という。もっとも、転換においては足底を45度まで捻って地を踏み込むことはできるが、それ以上軸足を回せないし置き換えることは到底できない。体軸から解脱して軸足でなくなれば、地から浮かせてでも外股か内股に180度は回旋させることが出来るであろう。それでも、すぐその場で軸足に戻らなければ体軸は五体を保ち得ない。

 

技につながる体捌きでは軸足と非軸足の確立なくして体軸の静止も移動も成り立ち得ない。一方、両足に偏りのない禊の正立では体軸が軸足を伴わず、両足の対称性で体軸を支えている。つまり体幹軸が直接軸足に連なって地に直立しているわけではない。この場合は両足で平衡を保ちながら同時に両足底をそれぞれ内股と外股へ回旋することは可能であろう。軸足無きその場入り身(180度)転換とも言える。

 次に、鳥船でホーと軸足を伸展して非軸足は下腿が直立するように地を踏み込んだ姿勢を、魄氣の陽の働きによると思うことにする。そこでは軸足の消失に伴って体軸が前方に放たれ、両足の間にあって前方に偏っている。

 膝が前にせり出して、下腿が前傾していけば前の足は限りなく軸足に近付く。そこで伸展した後の足に一瞬体軸を預けて前の足をかすかに浮かせ、直角の内回旋を行なうことは不可能ではない。その直後対側の足を伸展させたまま大きく円を書いて後方に回す。すなわち、魄氣の陽で入り身して体を変更するという動作が出来たわけだ。しかし、そこには開祖の所謂国之常立神を思い浮かべることが出来ない。ほぼ軸足に交代しつつある前の足を大きく動作するからである。

 それに比べて、魄気の陰から非軸足が大きく半歩前進して内股で着地し、さらに足底を45度捻って体軸を載せれば135度回旋が出来て軸足交代となり、体軸は速やかに移動し陰の魄氣に戻って半身は転換している。そこで前方の非軸足を一歩後ろに置き換えて再度軸足交代すれば、180度転換して元の半身で陰の魄気に戻っている。入り身転換からの体の変更である。

 以上のことから、禊で正立した姿勢や、魄氣の陽の足腰から即座に軸足の確立も軸足交代も望めないことは明らかである。千変万化の体捌きは生まれないこととなり、歩けば技が生まれる、という極意の説明がつかなくなる。

 

 開祖が説明されたように、軸足を確立した上で非軸足を自由に回旋して次の軸足へと交代したなら、対側の足は体軸から解脱して非軸足へと転換し、半歩進めたりその場で内股に180度踏み換えたり、真横に開いて再び軸足交代(外転換)など存分に置き換え・踏み換えができる。その上で魂氣は一方が体軸に与り、対側にはいわゆる魂の比礼振りが起こって魂氣は魄の土台の上(表)で自由に虚空へ発せられる。円を書いて丹田に巡るから魄氣と結んで合気が成立する。

                            2021/4/3

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