『古事記』上つ巻  大津栄一郎  きんのくわがた社

P10 別天つ神と神世七代(ことあまつかみとかみよななよ)の2行

 

  天地(あめつち)の初発(はじめ)の時に、高天の原(たかまのはら)に成れる神の名は、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に、神産巣日神(かみむすひのかみ)である。この三柱の神は、ともに独り神となりまして、身を隠された。

 

P11 わが国の『古事記』は、このように、神々の誕生をもってはじまっている。しかし、どのような神々であるのか、わからないし、誕生のされかたも、よく分からない。中略

(同じ天地開闢の物語である『旧約聖書』の)「創世記」では、はじめに神が存在し、神が天地を創造する。そして自らの意志で歴史の第一日をつくられる。

P12 これにたいして、『古事記』では天地ははじめから存在している。そこに神々が生まれる。そしてその神々はどのような神であるのかよく分からない。中略

 しかし、中略 『古事記』の物語は、思考の加わらない、人間の歴史を伝える、素朴な、かけがえのない物語であるように思われる 中略 

「天地の初発の時に」中略 この句は、中略  「初めて発(おこ)りしとき」と読むのが普通になっているようである。しかし、私は、中略 「初発」を「はじめ」と読むことにする。中略  

 P13 「天地が起こる」とか「天地が開ける」というような動的な発想は、われわれの先祖にはできなかったであろうと思うからである。中略 それに、 中略  おそらく、「初」と「発」の二字をあてて、「はじめ」と読ませようとしたものと思われる。

 つぎの「高天原」は、天つ神が住む天上の国といった意味に解釈されている。しかし、この説話が生まれたときには、そういう思考の勝った意味は持たなかったと思われる。中略  「天の原」は、中略  「天の広々としたところ」、「大空」である。それに「高」という形容詞がついているわけだから、「高天原」は「高い空」、「高空」である。

 そこに神が「成られる」わけだが、「成る」は「なかったものが在るようになる」ことである。そこで、ここでは、空に「忽然と現われる」ということであろう。

 では、「独り神となりまして、身を隠された」とは、どういうことであろうか。 中略  

 P14「子孫のない神」、「このときだけ姿を現された神」であるとするほうが、文脈に合うように思われる。そして、その神は、すぐ、「身を隠された」わけである。

 そこで私は想像するのである。 中略  今の表現で言えば、「空の高みにふと神が見えたような気がした」ということであろうか、と。それは、今日的な言葉で言えば、心のひらめき、観念の誕生、を伝えた表現ということになろう。同時に、それは、われわれの先祖が心を得たときを伝える説話でもあろう。

 観念は言葉なしで作られるものではないので、それは、また、われわれの先祖が言葉を得たときであったとも言えよう。

 では、われわれの先祖がはじめて得た観念とはどういうものであったろうか。それが、ここの神々である。中略  われわれの先祖は観念的なことがらはまず人にたとえることで理解したように思われる。

P15 では、天御中主神とはどういう観念を表したものであろうか。中略  「空のまん中にいる大人が見えた」ということは、「空が見えた」ということで、それは、おそらく、「頭上の、なにもない、広がりは、空である」ということを認識したということであろう。天御中主神の話は、われわれの先祖が空という観念を得たことを伝えた説話であろう。

 つぎの高御産巣日神神産巣日神の話は、何をつたえているだろうか。

この二柱の神の名義は産巣日にある。産巣日は「むすひ」とか「むすび」とよまれるが、中略  「むすび」は、いまも「実を結ぶ」として用いられている「結ぶ」の連用形である。「結ふ」、「結ぶ」は「産む」という意味になる。この神は、つまり、「結びの神」、「産みの神」である。

P16 「むすび」についている「高御」と「神」という接頭辞は、ともに畏敬を表わした語であると推測できるが、中略  「高御」は本来は「高み」で 中略  

「神」は本来は「上」であっただろう。中略  そう考えると、高御産巣日神は「高い処に住む結びの神」となり、神産巣日神は「遠い昔の結びの神」ということになる。そうすると、中略  高御産巣日神は「高天の原の結びの神」、すなわち、「天孫部族の生みの神」であろうかという気もする。後に、高御産巣日神は、天照大御神の後見をなされているらしいくだりが出てくるからである。すると、神産巣日神は「ほかの部族の生みの神」であろうと思われる。中略 それに、ほかの動植物すべての生みの神でもあられるような箇所も出てくる。中略  

P17 高御産巣日神と神産巣日神の伝承は、われわれの先祖が人は、それに、おそらく動物も、産まれることによって在るということを知ったことを、あるいは、出産の観念を得たことを、伝える説話であろう。中略

P18 中略 別天つ神とは、どういう神であろうか。 

 それは、「異なる天つ神」、「別の類いの天つ神」であるが、「別の類」は、一度だけ姿を現して、その後二度と姿を現さなかった点にあるように思われる。中略  

P19 つまり、観念としてだけ存在している神で、それが「別天つ神」と呼ばれた所以なわけである。

 (  )内は引用者の注釈

 * 空の氣、真空の氣、天に昇る魂、地に降りる魄、魂氣、魄氣、結び、など開祖のお言葉に関連する語が現れている。

2013/11/26

次に、国が稚(わか)くて、浮いた脂のようで、海月(くらげ)のように漂っていたときに、葦牙(あしかび)のように萌えあがるものを因(もと)として、成れる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)である。次に、天之常立神(あめのとこたちのかみ)である。この二柱の神もまた、独り神となりまして、身を隠された。

 

上(かみ)の件(くだり)の五柱の神は、別天つ神(ことあまつかみ)である。

 

P17 次に宇摩志阿斯訶備比古遅神が姿を現す。「宇摩志」は「美(うま)しい」という美称の形容詞で、「比古遅」は「彦遅(ひこぢ)」という男子にたいする敬称の語であるから、この神の名義は「阿斯訶備」にある。しかし、「阿斯訶備の神」では意味が通じないかもしれぬという配慮からか、この神にだけは説明の句が添えてある。中略 葦牙(あしかび)(葦の芽)のように 中略 「萌えあがるもの」とは、「芽を出し成長するもの」である。中略  つまりは、植物は発芽、成長するという認識を、あるいは、成長という観念を、われわれの先祖が得たことを伝える神であろう。

 上代には、男子の貴人は「御子(みこ)」、「日子(彦)」と呼ばれた。その敬称にさらに敬意を加えると、「みこ」の場合は、「と」を後に添えて、「みこと(命)」となり、「ひこ」の場合は、「ぢ」を添えて、「ひこぢ」となっているように思われる。この「と」は漢字で表せば、「人」で、

P18「ぢ」は、「親爺」や「お爺さん」あるいは、「小父」、「叔父」の「ぢ」で、男子への敬称である。つまり、「御子の人」、「御子である人」が「みこと」で、「日子の爺」、「日子である爺」が「ひこぢ」なわけである。 中略

 次に姿を現すのは天之常立神である。前にも触れたが、「天は常に立っている」というような擬人的、動的な表現はわれわれの先祖はしなかったと思われる。この神は、『日本書紀』には記録がなく、中略  国底立尊(くにのとこたちのみこと)という名前で登場している。それを参考にすると、常立は実は底立で、底立はまた床立であろうから、この神は天之床立神とするほうが、名義を伝えた表記になるものと思われる。そして 中略  

天の床は確固と立っていて、天が落ちてくることはないという確信を伝えた神ということになろう。

 そして、この五柱の神は別天つ神である、と注記が入るが、別天つ神とは、どういう神であろうか。 前記のP19へ続く

2013/11/27

次に成れる神の名は、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、次に、豊雲野神(とよくものかみ)である。この二柱の神もまた、独り神となりまして、身を隠された。

 

P19 次は神世七代の神になる。

国之常立神は、天之常立神と対となっているようなので、中略 国之床立神とするほうが、名義を伝えた表記になろう。「国の床立ちの神」とは、国土の床は堅固に立っていて、床が抜け落ち崩れることはないという確信を伝えた神ということになろう。次の豊雲野神は、野は「乃」、「の」で、「豊雲の神」であろう。「豊かな雲の神」で、雲は後から後から湧いてきて、絶えることはないという事実を教えた神であろう。中略  この二柱の神は別天つ神には加えられていない。中略  おそらく、この二柱の神は目に見えない神と考えられなかったからであろう。中略  国土は目に見え、足で触知できるものであるから、中略  雲は目に見えるものであるからであろう。別天つ神は目に見えない、身を隠された神なのであろう。

 しかし、この二柱の神の誕生は、別天つ神と時を同じくしたものと思われる。国之常立神は天之常立神と対となっていると考えられるし、中略  

P20 神世七代のうちの二代(ふたよ)を占めている神だからである。

 以上の合わせて七柱の神が生まれた時が、おそらく、われわれの先祖が物の認識を始めた時期であり、言葉を持つようになった時期であろう。

2013/11/27

P20 中略 『古事記』の神がどのような神であるか、あらかじめ、少し考えてみたい。

 われわれが今日抱いている「神」の概念は、複合化していて、われわれ自身にもよく分からないものになっている。 中略 外来の観念が入ってくる前の上代古来のわが国の神は、どういうものであったと考えられるだろうか。中略 日本古来の神の原型にもっとも近いのは、私には、「氏神」であるように思われる。氏神とは、「氏の上(かみ)」、「氏族の上」、「氏族の上つ祖(おや)」である。おそらく、一族を率いてどこかに定住地を定め、開墾を始めた始祖であろう。そして日本全体では、無数の氏族、部族があり、

P21 それぞれが氏神を戴いているわけだから、わが国は、「八百万(やおろず)の神の国」なのである。その八百万の神のなかで、もっとも重きをなすのが、天孫部族の祖とされる天照大御神(あまてらすおおみかみ)であろう。しかし、天照大御神は八百万の神を統率、支配している神ではない。八百万の神と同列の氏神の一柱である。

 氏神は自分の氏族の祖であるから、当然、われわれの親のように、われわれを慈しみ、庇護してくれる存在である。中略  われわれに祟ったり、われわれを懲罰する存在ではない。われわれが今も初詣に土地の神社に詣で、一年の幸運を祈る習俗は、そこに遠因があるように思われる。

 中略  和語は単音節の語で始まり、中略 「神」と「上」は同一だったと考えてもよいように思われる。中略  わが国の神は元来は氏族の祖であったが、やがて、なにかの祖も「神」と呼ばれるようになったようである。さらに、遠くにいて、姿を見せずに、われわれが畏敬したいものも、「神」と呼ばれるようになったようである。中略  『古事記』の神は、中略  なんらかの祖の場合が多いように思われる。それに、『古事記』編纂の頃は、どの和語にはどの漢字を当てるという慣用がまだ確立していなかったようであるから、本来は「上」とあるべきところに「神」の字が当てられていることも多いと考えられる。

2013/11/28

次に成れる神の名は、宇比地邇神(うひぢにのかみ)、次に、妹・須比智邇神(いも・すひぢにのかみ)、次に、角杙神(つのぐいのかみ)、次に妹・活杙神(いも・いくぐいのかみ)、次に、意富斗能地神(おほとのぢのかみ)、次に、妹・大斗乃辨神(いも・おおとのべのかみ)、次に、於母陀流神(おもだるのかみ)、次に、妹・阿夜訶志古泥神(いも・あやかしこねのかみ)、次に、伊邪那岐神(いざなきのかみ)、次に、伊邪那美神(いざなみのかみ)である。

上(かみ)の件(くだり)の国之常立神より以下(しも)、伊邪那美神より以前(さき)を、併せて、神世七代と言う。{上の二柱の独り神はおのおの一代(ひとよ)と言う。次に並べる十神(とはしらのかみ)は、おのおの二神(ふたはしら)を合わせて一代と言う。}

 

P22 まず、宇比地邇神と妹・須比智邇神であるが、妹は当時男が妻や恋人など「いとしい者」を親しみをこめて呼ぶ時の語である。ここでは「配偶者」、「協力者」として一対の存在であることを示す語であろう。「比地」と「比智」は文字は違うが、同一のもので、従来「泥(ひじ)」として読まれている。この「ひじ(ぢ)」を私は、土方氏、土黒村などの例によって、「土」と読むことにし、そして、「宇」は「初(うい)」、「須」は「砂(す)」と読むことにする。すると、「宇比地」は「初土(ういひじ)」、「須日智」は「砂土(すひじ)」となる。「邇」は、後に、「にわ」となる語の、単音節の頃の語として「庭」と読む。

 すると、この二柱の神は、「初土の庭の神」、「砂土の庭の神」となる。

2013/11/29

 

「初土の庭」とはなんであろうか。縄文時代には日本全土が原野であったろう。一族、一家族がどこかを居住の地と定めたならば、まず、木や薮を根こそぎにして、草を抜き、現われた土を平らにし、歩き易いように堅く踏み固めたことであろう。それが、おそらく、「初土(うひじ)」である。庭は、今でも農家で呼ばれているように、土が現われている場所全域のことであろう。しかし、初土は、雨が降ればぬかるみ、

P23 夏には雑草が生い茂る。それを防ぐため、初土のうえに洲や浜の砂を敷き詰めることもあったのではなかろうか。それが「砂土(すひじ)」である。伊勢神宮の社殿が小岩を敷き詰めた庭に立ち、寺が石庭を作るのは、「砂土」の名残ではなかろうか。二柱の神の名義は、「初土の庭を作った祖(おや)の神」とその配偶者・協力者の「砂土の庭を作った祖の神」であろう。

2013/11/29

 次の角杙神と妹・活杙神とはどんな神であろうか。「杙」は、今は普通「杭」の字を当てている。つまり、土のなかに打ち込む丸太の棒である。角杙とは、「角のような杭」、「角のように出ている丸太の棒」であろう。すると、庭に関連させて考えると、これは円錐形の竪穴住居の骨格となる幾本かの丸太の棒、中央の頂点で束ねて、角を出させて括った幾本かの丸太の棒であろう。 中略 その配偶者の活杙神 中略 ここでは、「いくぐい」の読み方がよいように思われる。 

P24 中略  「活く」は、「活きる(活動する)」と「活かす(活動させる)」という意味になるが、ここでは後者であろう。では「活かす杙」はどういう杙であろうか。想像するに、それは、 中略  中央で組まれた支柱の角杙を堅固にするため、角杙から角杙へと横にさし渡されて、括られ、角杙を活かす横木の杙、丸太の棒であろう。この二柱の神は、角杙と活杙を発案した祖の神であろう。

2013/11/30

 次の意富斗能地神と妹・大斗乃弁神はどんな神と推測できるだろうか。「意富斗能」と「大斗乃」は、同一の「おほとの」で、いまの字に直せば「大殿」であろう。地は「地面」、弁(べ)は「へっつい」としてかすかに音が残っているが、「竈(かまど)」である。中略  竪穴住居の内は、 中略  突き固めた土の床になっていたとのことである。この床が、ここで言う「大殿の地面」であろう。そして住居内に竈もしつらえるようになったのであろう。それが「大殿の竈」である。この二柱の神は、大型の、すなわち、大殿の、竪穴住居内の土の床を発案し、竈も住居内に置くようにした祖の神である。

P25 次の於母陀流神はどんな神だろうか。名義的に表記すれば、この神は「表垂(おもたる)の神」であろう。表垂は、「表に垂らす」で、角杙と活杙による竪穴住居の屋根の木組みの表側に萱や葦を垂らして、雨風を防ぐ屋根を葺くことであろう、この神は、萱や葦を垂らして屋根を葺くことを始めた祖の神である。その妹・阿夜訶志古泥神はどんな神だろうか。 中略  「阿夜」は「綾」か「青」、「訶志」は「橿」、すなわち、「樫」、「古」は「木」であろう。「泥(ね)」は、後の助詞「の」であろう。すると名義の核は「樫の木」である。そこで「綾」か「青」かであるが、中略 「青」のほうが似つかわしいように思われる。この神は「青樫の木の神」である。中略  この神は「表垂の神」の配偶者であることを思うと、表に垂らした萱や葦を横に渡した青樫の木で抑えて、それを屋根の木組みに括りつけて、萱や葦の屋根を堅固にしたものと思われる。萱や足の屋根を青樫の木で抑えることを発案した祖の神が、「青樫の木の神」であろう。

 次の伊邪那岐神と妹・伊邪那美神は、万物創造の神として、『古事記』のなかでいちばん有名な神である。しかし、この段での二柱の神の名は、別の意味を表しているように思われる。

P26 まず、「伊邪」の意味であるが、いまは死語になりかかっている語に「いざり」がある。漢字では 中略 「膝行(いざり)」と書かれ、意味は、『広辞苑』には、「いざること。尻を地につけたまま進むこと。また、いざる人。」とある。「いざり」の「り」は、「ひとり」、「ふたり」の「り」で、「いざり」は「いざの人」、「居坐の人」になる 中略 。とにかく、「伊邪」とは、「居坐」、「坐っていること」、「立たないでなにかすること」という意味であろう。そして、「那」は後に助詞「の」に吸収される語で、「岐」は「木」、「美」は「水」であるように思われる。すると、この二柱の神は、「立たないで取る木の神」と「坐ったまま汲む水の神」となる。「木」とは「薪」のことであろう。

 この二柱の神は、立たないでくべられるように、また、坐ったまま汲めるように、住居内に薪を貯え、水を汲んでおくことを始めた祖の神であろう。

 そして、薪を用意するのは男の仕事で、水を汲んで来るのは女の仕事という習慣ができていたためであろうか、伊邪那岐神は男の神で、伊邪那美神は女の神である。おそらく、そのためか、次の段で万物創造の男女の神となったのであろう。「き」と「み」が男と女を指すということがいまも現れているのは、「おきな」、「おみな」という言葉である。

 神の名前をこのように読むと、この十柱の神、すなわち、神世五代の神は、竪穴住居の構造と住居内での生活を伝えた神であるように思われる。われわれの先祖は、おそらく、遠い昔の生活をこれらの神々の名前を通して後世に伝えたのである。

P27 別天つ神と神世七代の初めの二代の神は、同時に生まれた神であろうと前に推測したが、おそらく、そうであったろう。それらの神は天地の初発の時にまで遡っての神である。そして、この「神世七代」という言葉は、上つ世、上代が、長い長い時代であったことを伝えた表現であろう。

2013/12/1

P28 伊邪那岐命、伊邪那美命の国生み

さて、そのとき、天つ神、それぞれ御言葉を以って伊邪那岐命と伊邪那美命の二柱の神に仰せられた。

「この漂える国を繕い、固めよ。」と。

そして、天の沼矛(矛)を賜って、その事を命じ給うた。

伊邪那岐命、伊邪那美命は、天と地の間にかかる階段に立ち天の矛を指し降ろして、掻き混ぜられたが、すると、塩がこおろこおろと音をたてた。沼矛を引き上げになると、矛の先から滴り落ちる塩が重なり、積もり、島となった。

これが淤能碁呂島(おのころじま)である。

 

P34 中略  まず、「天つ神 それぞれ御言葉をもって、伊邪那岐命、伊邪那美命……に、仰せられた」と訳した。

P35 これから分かることは、われわれは漠然と伊邪那岐命と伊邪那美命が神々の祖であると考えているが、この二柱の神の祖である天つ神がさらに居られたということである。「それぞれ御言葉をもって」と訳したのは、本文、「諸命以」である。「命(みこと)」は「御言(みこと)」であるが、問題は「諸」で、宣長はそれを「もろもろ」と読み、「もろもろの御言を以って」と解している。私はそれを「それぞれ」とした。宣長の「もろもろの御言」も結局示唆しているように思うのだが、ここの天つ神は、ひとりではなく、幾柱か複数でその場に居られるような感じがする。その感じが伝わるように、私は「それぞれ」としたわけである。

 それに、この天つ神は、別天つ神ではなく、現し世の天つ神で、しかも、名前を持たれぬ天つ神である。このように、われわれは、そもそもの始まりの始まりは茫漠たる遠い彼方のこととして、そもそもの始まりの始まりまでは考えなくてすむ民族なのであろう。

P38 中略 「淤能(おの)」は「生(お)の」で「生まれたばかりの」といった意味であろう。「碁呂」は古くは「ころ」で、濁音が始まってから「ごろ」になったものと思われる。中略 碁呂島は「ころころした石の島」、「ごろごろした石の島」であろう。「生まれたままのころころした石の島」が、その名の意味である。 中略 

 2014/1/2

二柱の神は、その島に天降られて、天の御柱を立てられ、八尋殿を建てられた。 中略

P39  中略 天の御柱は八尋殿(やひろどの)の柱である。「八(や)」は「多数」を意味するめでたい数である。「尋」は両手を左右に伸ばした長さを基にした長さの単位で、今の一間(約1.8メートル)。

中略 身を合わされて、生まれたのが、淡道之穂之狭別島(あわぢのほのさわけじま)である。

淡路島のことであろう。「淡道」は[泡潮]で、明石海峡や鳴門海峡の泡の沸き立つ潮流のことであろう。「穂」は稲の穂で、「狭別」は「早別」で、「早く分かれる」、「早く芽を出す」であろう。

次に伊予の二名島(ふたなのしま)を生まれる。

P43 「伊予」という名は、今の愛媛県を指す場合と、四国全土をさす場合とがある。

この「伊予」は後者の場合である。「二名島」は、四国の各国は名前を二つ持っていたので、付いた名前である。 中略  伊予国は愛比売(えひめ)と言い、讃岐国は飯依比古(いいよりひこ)と言い、粟国は大宣都比売(おおげつひめ)と言い、土佐国は建依別(たけよりわけ)と言うのである。

愛比売(えひめ)は「優しい姫」、「伊予」はおそらく、元来は「威男(いを)」であろう。「愛媛」と好一対をなすわけである。

P44 中略 「飯依比古」の「飯(いひ)」はおそらく「伊予」の転音で、「伊予より分かれた彦」、「伊予から分かれた者」という意味であろう。「讃岐」の国名の淵源については、この国は租庸調のほかに特産品として「矛竿(ほこさお)」を献上していて、 中略 「ぬ」は後の助詞「の」であるとして、「さぬき」は「さのき」、「竿(さ)の木」、「笹(さ)の木」とするほうが、素朴でふさわしいように思う。ちなみに、木の名を国名、地名にしているところは大変多い。

「粟国(あわのくに)」は、今は阿波国と記されるが、「粟のよく稔る国」が原意であろう。大宣津比売の「宣」は「食」が表意の字で、「け」、あるいは「げ」と読まれている。「津」は「の」、「比売」は「姫」。そこで、名義は「豊かな食物に恵まれた姫」、あるいは、「豊かな食物の姫」である。ただし、「大」は美称で、「大きい」、「量の多い」という意味より、中略  

P45 「祖の」、「初代の」、「順序が上の」といった意味の場合が多い。しかし、この場合は、中略  「豊かな」の意にしておいた。

「土佐」は、由来不明ということになっているが、「遠渚(とほさ)」、「遠い渚」であろう。 中略 「建依別」の「建」は、中略  熊襲の国のに住む部族の名前である。「建人(たけびと)」(猛人)、あるいは、「建族」(猛族)と呼ばれていたのであろう。中略  「建依別」は「建族から分かれた一国」ということになる。土佐の国は熊襲の国の建族が移住して、開いた国なのであろう。

P46 次に、隠伎の三子島(みつごのしま)を生まれる。

「隠伎」は「隠岐」。島前の三つの島のことであろう。中略  三つの島ではなく、三つの入植地だったと思われる。中略  またの名は、天之忍許呂別(あめのおしころわけ)と言う。

 「天之」は美称、「忍」は「雄し」、「雄々しい」、「許呂」は 中略 「ころころした石」、「別」は、中略 「分かれた国」、中略 であろう。

名義は「天の雄々しいころころ石でできたひとつの国」である。

 なお、「隠岐」の語源は、「沖」であろう。

中略

P49 次に、筑紫島(つくしのしま)を生まれた。ここの「筑紫」は九州全土を指す。「尽くす(尽きる)」の連用形「尽くし」から来ているから、「果ての国」の意で、この呼称は畿内が国の中心になってから生まれたことが分かる。中略  筑紫国は白日別と言い 「筑紫国」は筑前、筑後を合わせた国である。「白日別」の「別」は、いままで通り、「分かれた国」、「分かれて一国になったところ」であろう。「日」は「ひ・ふ・み」の「ひ」、「ひとつ」の「ひ」であろう。そこで、「日別」は、「ひとつの分かれた国」、「分かれて一国をなしているところ」となる。問題は「白」だが、「白」は、突拍子もないように思われるかもしれないが、朝鮮の「新羅(しらぎ)」のことであろう。「新羅国」は 中略 四世紀に「新羅」になる前は、「斯盧国(しろこく)」と呼ばれていた。ここの「白」は、

P50 この「斯盧」、あるいは、「斯盧人」であろう。一時期、新羅人が北九州一帯に渡来してきて、やがてそこをみずからの安住地としたという事実があったのではなかろうか。その事実がこういう言い伝えとして残ったのであろう。

 豊国は豊日別(とよひわけ)と言う

「豊(とよ)」は「豊人」、「豊族」であろう。中略  「豊」は「鳥男(とを)」に由来しているのであろうかと思う。佐賀県の鳥栖という地名は、中略  鳥栖は「鳥巣(とす)」である。中略  この国の人は、鳥を捕らえたり、飼い馴らしたりするのが巧みであったのを自慢して、

P51 みずからを「鳥男(とを)」と呼んだのではなかろうか。中略  

 肥国(ひのくに)は建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)と言う

「肥国」は肥前、肥後、日向を合わせた国のようである。雲仙岳、阿蘇山、霧島火山群をかかえる地域であるから、「火の国」が国の名の由来であろう。中略 「日向」の名は「火向(ひむか)」から出ているのであろう。中略  「建」は、前に見た「建人」、「建日」で「建人(たけびと)(族)のひとつの」の意であろう。

P52 「向日(むかひ)」は「向人(族)のひとつの」となる。「向人(むかびと)」は 中略  「日向人(ひむかびと)」のことであろう。 問題は「豊久士比」であるが、「久士(くじ)」はおそらく「旧士(くじ)」、「旧人(くじ)」、「旧住人」で、豊人(族)の旧住人のひとつ、「旧住人の豊人(族)のひとつの」であろう。「泥(ね)」は「の」である。

 そこで、「建日向日豊久士比泥別」は、「建人の一国、向人の一国、旧住人の豊人の一国、の国」ということになる。

 「建人の一国」は、肥後、いまの熊本県、「向人の一国」は、日向、いまの宮崎県、「旧住人の豊人の一国」は、肥前いまの佐賀県、長崎県であろう。そして、この記述からすると、豊人は、もともと、豊前、豊後の豊国から、筑前、筑後の筑紫の国、さらには肥前の国まで広がって住んでいたが、そこに、斯盧人が渡来してきて、筑紫の国を占拠したため、豊国と肥前のへと、東西に追われたということになるような気がする。

熊曽国(くまそのくに)は建日別(たけひわけ)と言う

「建日別」は、「建人(たけびと)のひとつの国」である。「熊曽」の語源については、中略  「熊」は「隈」で、「曽」は「所」、「処」であろう。「隈」は「隅(すみ)」、「奥まった所」であるから、 国名は「筑紫の国のもっとも奥まった国」で、十分意味が通るし、機内が国の中心になってからの名前であろうとする仮説にも合致するからである。 

 

P53 中略  次に、伊伎島(いきのしま)を生まれる。

いまの「壱岐の島」である。またの名、天比登都柱(あめのひとつばしら)は、海中に立つ「雄々しい一本の柱」である。「天」は、 中略  「雄々しい」といったことであろう。

 「壱伎」は、「魏志倭人伝」では、「一大(支の誤記)」となっている。これを「一木(いき)」と読み、また、またの名と考え合わせれば、その名は、巨木が一本聳(そび)えているのが遠くから見えたことに由来するのだろう。

2013/12/10

次に、津島を生まれる。

津島 いまの「対馬」である。またの名、天之狭手依比得売(あめのさでよりひめ)は、「天之」は畏称、「差」は「坂」、「手」は「出」、「依」は「〜よりできた」で、「雄々しい、坂が突き出てできた姫(島)」であろう。中略  

P54 「津島」の「津」は、「港」ではなかろう。「港」の概念が生まれるのは、後世になってのことと考えられるからである。この「津」は、「尽く」の語幹「尽(つ)」で、「津島」は「尽きの島」であろう。

 次に、佐渡島(さどのしま)を生まれる。

 いまの「佐渡島」であろう。この島には、またの名がついていない。「佐渡」の原意は「砂土(さど)」で、「砂浜の多い島」としてその名がついたものであろう。

2014/1/2 

 次に、大倭豊秋津島(おおやまととよあきづしま)をうまれる。またの名は天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきづねわけ)。中略  『後漢書』「倭伝」に、「大倭王は、邪馬台国に居る」という記述がある。ここの「大倭」は、その大倭王の「大倭」、すなわち、「倭国全土を治める」といった意の表現であろう。そして、「豊秋(とよあき)」は、「豊かに稔る秋」、「津」は「の」、「島」は、今でも「縄張り」などの意味で残っているように、「範囲」、「区域」で、「大倭豊秋津島」は「倭国全土を統べる、秋には豊かに稔る国」、すなわち、「邪馬台国(やまとのくに)」ということであろう。またの名の「天御虚空」は、「天の下のみ空の」、「天の下のみ空の広い」、といった意味であろう。大和の枕詞は「そらみつ」であるが、

P55 それを、「空満つ」、「空の広い」と解すれば、意味が通じ合う。「根別」の「根」は、ここでは、文字通りの「根」、「根幹」、「別」は「分国」、「一国」で、またの名は「天の下の空の広い、秋には豊かに稔る、根幹の国」ということであろう。「根別」という表現から、大和が国の中心になってからの呼称であるのが知られる。中略  

2014/1/3

 そこで、この八島を先に生まれたので、大八島国と言うのである。

これは、「そこでわが国を大八島国(おおやしまぐに)というのである」ということである。しかし、この場合の「国」は、対外的に主権を主張する国家ではまだなかろう。中略 「八つの居住地連合」というくらいの意味であろうか。 しかし、「八(や)」は 中略 「多数」を表わす雅辞であるから、「多数の島からなる国」が原意かもしれない。

 このあと、帰られるとき、吉備の児島を生まれた。

吉備の児島は、吉備の国、今の岡山県の、児島半島のことであろう。児島半島に新たに居住地を作られたわけである。またの名、「建日方別(たけひかたわけ)」の「方」は、「片」、「一部」で、「建日方別」は「建人のひとつの片国」、「建人(たけびと)が開いたひとつの小分国」であろう。

2014/1/4

P56 前に、「建」は「強い」、「勇ましい」という意味であるとしたが、建人はおそらく後の隼人族(はやとぞく)である。隼人族が天孫族を支えた有力な部族だったらしいことは、『古事記』の後の記述に現れている。これまでの記述から推測すると、隼人族は、熊曽の国をおそらく本拠地にして、肥後に進出し、土佐を押さえ、児島半島にも分国を作ったのである。隼人族は上代の最有力の集団であったものと思われる。しかし、吉備の国では、児島半島にしか進出できなかった。奥地の岡山平野には、有力な吉備族がすでに勢力を張っていたからであろう。

 なお、隼人は「速人」、「敏捷な者」が原意であろう。

 

 

 次に、小豆島(あづきじま)を生まれる。またの名は大野出比売(おおのでひめ)

小豆島(あづきじま) いまの香川県、もと讃岐国の、「小豆島(しょうどしま)」であろう。中略  

P57 中略  またの名の「大野出比売」は、文字の通りで、「大きな野の突き出た姫(島)」であろう。小豆島は西側が標高七百メートルほどの広い「美しの原」という台地になっていると聞くので、その山容の形容から、この名前が出たものであろう。もちろん、「大野出比売」が「小豆島(あずきじま)」よりも古い名前。

 次に、大島を生まれる。またの名は大多麻流別(おおたまるわけ)

大島 いまの山口県、もと周防国(すおうのくに)の「大島」であろう。またの名の大多麻流別(おおたまるわけ)は、原意は、「大泊別(おおとまるわけ)」であろう。「とまる」が後に「たまる」と誤って伝えられたか、逆に、「たまる」「溜まる」から「泊まる」、「留まる」、「停泊する」という語が派生したか、のどちらかであろう。いずれにせよ、「大多麻流別」は「大きな停泊地、港のある国」で、大島は良い港のある島だったわけである。

2014/1/5

 次に、女島(ひめじま)を生まれる。またの名は天一根(あめのひとつね)

女島 宣長以来だいたい「姫島」のこととされている。白い石が美女となって新羅から渡ってきて、

P58 比売碁曽の神となって鎮座なされているという伝説の残っている「姫島」が、佐賀県唐津湾沖と大分県国東半島の東北の海中にあるからである。中略  またの名「天一根」の「根」は「峰(ね)」で、荒漠たる海中に浮かぶ「雄々しいひとつ峰(みね)」がその名義であろう。そう解釈すると、荒涼、峻厳たる姿の点で、国東半島沖の姫島の方がふさわしいように思われる。中略

「天之(あめの)」にはどういう意味が込められているのだろうか。中略  私は、中略  「高天原の」、「地上のことでない」、「目に見えない」、「現世のものとは思えないほど、美しい、雄々しい、強い」、「神々しい」、「畏敬すべき」、「恐ろしい」といった意味の言葉として受け取っている。

2014/1/7

次に、知訶島(ちかのしま)を生まれる。またの名は天之忍男(あめのおしを)

P59 知訶島(ちかのしま) 長崎県の五島列島のことである。五島列島は古くは「値嘉島(ちかのしま)」と呼ばれていたという史実があるし、現にいまも「小値嘉島(おちかしま)」という名前の島がある。「知訶」という名前の源はおそらく「近」であろう。「近の島」から、「知訶の島」へ、さらに「値嘉の島」へと、縁起のよい字を選んで、島名が変わったものと思われる。中略  

 またの名「天之忍男」は、「忍(おし)」は「雄々しい」で、「遠く離れた、雄々しい男(島)」であろう。

2014/1/8

 次に、両児島(ふたごのじま)を生まれる。またの名は天両屋(あめふたや)

両児島(ふたごのじま)宣長は否定しているが、五島列島のさらに西の男女群島のこととされている。またの名「天両屋」は、「屋」は「屋根」で、「現し世のものとは思えない二つの屋根」であろう。

 そして、ここで、「吉備の児島から、天両屋島まで、合わせて六島(むしま)である」という注がつけられて、この段は終わる。

 ところで、この六つの島は、伊邪那岐命、伊邪那美命が大倭豊秋津島(おおやまととよあきづしま)を生んで、帰られるときに、

P60 生まれたことになっている。そして、生まれた島の位置は、順々に西に移っている。伊邪那岐命、伊邪那美命は、淤能碁呂島を出て、国を生まれたわけであるから、帰るとすれば、淤能碁呂島へであろう。淤能碁呂島は男女群島よりさらに西にあるということであろうか。いかにも神話的な記述で、この記述にはどういう意味がこめられているのか、想像しようがないが、興味をかき立てられる。

2014/1/9

これからは神生みの段に入る。

 

P61 伊邪那岐命、伊邪那美命の神生み  中略

P63  中略  伊邪那岐命、伊邪那美命は、国を生まれた後、神々を生まれた。

P64 中略 命(みこと)は現世的、人間的な存在への呼称であるが、神は現世を超えた、遠い、生命の域の外の存在への呼称である。わが国の神は元来は「上(かみ)つ祖(おや)」であると述べたが、いま述べた意味で、「上つ祖」は神である。そこで、人間的な命がなにかの「上つ祖」である神を生むことはありうるわけである。

 こうして、大事忍男神(おおことおしおのかみ)が初めに生まれになる。

 この神の名義について言うと、「大事」は、宣長も推測している通り、「大いなる事」であろう。 中略  この「おし」は、当時「おす」、「雄す」(「雄々しいことを為す」)という動詞があったと想定した上で、その連用形と見るほうがよいように思う。天下を治めるという意味の「食(お)す」、事を推し進めるという意味の「推す」、手で押すという意味の「押す」などの同類音の動詞が残っているのを見ると、「雄す」という動詞を想定することはそれほど無理なことではないように思う。そう想定すると、大事忍男神は、「大いなる事を成された男の上つ祖(の神)」となる。 

2014/1/15

P65 次に生まれた石土毘古神(いわつちひこのかみ)、石巣比売神(いわすひめのかみ)は、対偶の神である。石土は、「岩の土」、「岩を置いた土」で、つまりは、建物の柱の「礎石」のことであろう。石巣は、「岩砂」、「岩の砂」、「小岩」で、礎石の下に敷く「小さな石」、いまで言う「ころ石」のことであろう。中略  この二柱の神は、建物の柱の下に「礎石を置き始めた上つ祖の男神」と、礎石の下に「ころ石を敷き始めた上つ祖の女神」であろう。

 次の神、大戸日別神(おおとひわけのかみ)は、「日別」は、中略  「ひとつの分かれたもの」、「ひとつの分け」であろう。「大戸」は「大殿」であろう。そこで、この神は「独立した大殿を作った上つ祖の神」「周りから離して大殿を建てた上つ祖の神」であろう。

 次の神、天之吹男神(あめのふきおのかみ)の「天之」は「雄々しい」であろう。中略  この神の名義は、「雄々しい屋根葺きの上つ祖の神」となる。板葺きや桧皮葺(ひわだふ)きが始まったことを伝える神であろう。

2014/1/17

 次の神、大屋毘古神(おおやひこのかみ)の「屋」は、「屋根」であろう。

名義は、「大きな屋根を作った上つ祖の男神」であろう。

 次の神、風木津別之忍男神(かざきつわけのおしおのかみ)の「風木」は、「飾木(かざき)」、つまり「飾り木」であろう。中略  

P66 「津」は「の」、「別」は「分け」、「分立」、「分け立て」、「忍男」は、ここでは「遂行する男」で、この神は、「飾り木を分けて立てることを為しとげた上つ祖の男神」であろう。

 このように見ると、この段は、いまも神明造りや大社造りとして残っている建物の誕生を伝えた神話であろうと思われる。大事忍男神は、竪穴住居の集落から離れたところに、独立させて、大殿を建てた上つ祖の神であろう。以下の神々は、その建築の模様を伝えた神と思われる。神世七代の段には竪穴住居の建築の模様を伝えたと思われる神々の名があったが、それは、いま言う縄文時代のことであったろう。この段から想像される、板葺き、あるいは、桧皮葺きの大殿の建築は、時代が移って、弥生時代に入ってからのことであろう。

2014/1/21

 次に、海の神、大綿津見神(おおわたつみのかみ)を生まれた。

「綿」は、海の神という説明が示しているように、「海」である。語源はあきらかではない。 中略  古くから海は「渡る」と言い、山は「越ゆ」と云うので、「渡(わた)」で海を意味するようになったという賀茂真淵の説  中略  しかし、朝鮮語の海「ぱた」(pa-ta)から来ているという説もある。素人の私には、後者の方が納得しやすい。 中略  「ぱた」→「はた」→「わた」と

P67 転音するのは、自然な変化に感じられるからである。そして、さらに、「わた」はまた「わだ」ともなったのであろう。いずれにせよ「綿」は「海」である。次の「津」は、「天つ神」の例と同じで、いまの助詞「の」である。「見」は、おそらく、「御」である。大綿津見神は、すなわち、「大いなる海の御神」である。

2014/1/25

しかし、この原意は早く忘れられたのか、あるいは、漢字で表記するときに音によって字を選んだため、意味が分からなくなったためか、奈良時代に入る前にすでに「わたつみ」で「海」を意味するようになっていた。天智(てんじ)天皇(在位六六八から六七一)の有名な歌にも現れている。 中略

 また日本の各地に、海の神社として、表記は違うことがあるが、和多津美(わたつみ)神社がある。

 しかし、「わた」だけで海をさしている場合もある。『古今和歌集』中の小野篁(おののたかむら)(八〇二〜八五二)の歌に、その例がある。中略  

P68

 和田(わた)の原 八十島かけて 漕ぎ出ぬと

 人には告げよ 海女の釣り船

 

和田はやがて「わだ」と読まれるようになり、いまではむしろそう読むのが普通になっているようである。前の戦争の戦没学生の手記は『きけ わだつみのこえ』となっている。

2014/2/4

次に、水戸神(みなとのかみ)を生まれる。

 水戸は、「水門」である。つまり、「水な門(みなと)」、「川の出口」、「港」である。中略  川口というものを表わしている神であろう。

「水戸神」のまたの名は、速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)で、この神の後に、速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)が生まれる。中略  「速秋」は「速開き」、「速く開く」であろう。中略  満潮になればすぐ船を出せるようなところ 中略  そういうところが、「速開きの川口」であろう。中略  日子の神と比売の神の違いはどこにあるのだろうか。干満にかかわりのあるような川のなかで、大きな川が男神の川で、小さな川が女神の川であろうか。

中略  速秋津日子神と速秋津比売神が先ず生まれるのは、沫那芸神(あわなぎのかみ)、沫那美神(あわなみのかみ)である。

「沫」は「泡」、「泡立つ水」、「那芸」は「凪ぎ」、「那美」は「波」とよめるので二柱の神は「泡が凪ぐ神」と、「泡が立つ神」であろう。

P70 中略  次に、頰那芸神(つらなぎのかみ)頰那美神(つらなみのかみ)を生まれる。

 「頰」は「面(おもて)」、「表(おもて)」で、水面のことだろう。頰那芸神は日子神で、川の神になる。川の水面が凪ぐのは、この神のお陰であるというわけであろう。頰那美神は比売神の子で、女神で、海に神である。海の水面が波立つのは、この神が女神であるから、それを抑えられないからだというわけであろうか。

2014/2/24

 次に、天之水分神(あめのみくまりのかみ)国之水分神(くにのみくまりのかみ)を生まれる。

 「水分」は「水を分けて配ること」である。水分神は、水田耕作が始まって、水の配分が始まったことを伝える神であろう。  中略

P71 次に、天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)ち、国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)を生まれる。

 中略  「久比」は、「杙」、「杭」で、「奢」は「座」、「母智」は「持ち」、「保(も)ち」で、「奢母智」で「座保ち」ということであろう。いまでも「座持ちの上手な女」といった表現が残っているが、ここの「座保ち」は、おそらく、その元となった表現で、「自分の座を保ち続けること」、「自分の座っている場所を持ちこたえること」、であろう。「久比奢母智神」とは、「杭の座を保ち続ける神」であろう。水分神と結びつけて考えると、水田耕作が始まったとき、田に水を引くため、川を堰とめたり、分流させたりしたと思われるが、それは、杭を並べて打ち込んで、人工の岸や堰を作ることによってであったろう。その杭が、ここの久比であろう。中略  杭の座を堅固にしたことと思われる。そういうことを始めた上つ神が、久比奢母智神であろう。「天之」と「国之」は、水分神の場合と同じように、「山地の」と「平地の」であろう。

P72 こう見ると、この段の神々は、上代人が川の入り口を発見して、川に沿って奥地に入り、生活圏を海沿いから山地へと広げ、意味沿いの平地だけでなく、山地でも水田耕作を始めたことを伝えている神であろう。

 ここで、沫那芸神から国之久比奢母智神まで、併せて、八柱の神である、という注が入る。

2014/3/1

次に、風の神、名は志那都比古神(しなつひこのかみ)を生まれる。

中略「都比古神」は「の日子(彦)の神」である。「志那」は「風」である。中略 この神は、『書紀』からも、当時、風が「しな」と呼ばれていたらしいことが分かる。中略  風はもっとも古くは「し」であったと推測できる。「し」がやがて「しな」になり、それが、信濃の国の国名、「信濃(しな)」{「科な」(しな)、「風の」(しの)}や、「しなる」、「しなびる」などの語の源になったものと思われる。

P73 次に、木の神、名は久久能智神(くくのちのかみ)を生まれる。中略

P74 次に、山の神、名は、大山津見神(おおやまつみのかみ)を生まれる。

中略 「津見」は「之御」で、中略 この神は「大山の御神(おおやまのみかみ)」である。

 次に、野の神、名は鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)を生まれる。亦の名を野椎神(のづちのかみ)と言う。

2014/3/12

「鹿屋」は、屋根を葺くのに用いるいね科の植物の総称で、「葺草(かや)」、「萱」であろう。 中略  亦の名の野椎神は 中略 名義は、「野の尊い神」であろう。 中略  

 この段で、風、木、山、野の神が生まれ、前の段で、海、川口(あるいは、川)の神が生まれている。これは、われわれの先祖が自分の住んでいる場をこれらの神を通して認識していったことを伝えた伝承であろう。

     2014/3/31

中略

P75 二柱の神(大山津見神と野椎神)は、最初に天之狭土神(あめのさづちのかみ)国之狭土神(くにのさづちのかみ)を生まれる。「天之」と「国之」は文脈から判断して、 中略 「山の」と「野の」の意味であろう。狭土神の「狭」は、中略 「坂」であろう。狭土神の名義は「阪土の神」であろう。宮崎県高原町に美しい神杉で知られている狭野神社があるが、参道は1キロメートルほどのゆるやかな坂になっている。狭野神社の本来の意味は、坂野神社、「坂の神の社」であろう。佐野や坂野などの姓は狭野から出たものであろう。

 次に、天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)と、国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)を生まれる。

 この神の名義、「さぎり」は、「さえぎり」、「遮り」であろう。中略 「さえぎる」、「さえきる」は鎌倉時代に入ってからの音で、平安時代は「さいきる」であったとのことであり、『日本国語大辞典』は「さききる→さいきる→さえきる」という語源説を採っている。「「さききる」は「先切る」で、そうであれば、その前の音は「先切る(さきる)」、「さぎる」であったろう。

2014/4/1

P76 次に、天之闇戸神(あめのくらどのかみ)国之闇戸神(くにのくらどのかみ)を生まれる。

「闇戸」の名義は、「闇」は「暗」、「戸」は「処」で、「暗所」であろう。中略 「戸」を「殿」と読んだのにならうと、「暗殿」で、すなわち、「倉殿」、いまの「倉」、「蔵」であろう。闇戸神は「倉の神」である。

 次に大戸惑子神(おおとまどひこのかみ)大戸惑女神(おおとまどひめのかみ)を生まれる。

この神の名は多くの注釈者を悩ませているが、中略 この神は、「大戸、窓の彦の神」、「大戸、窓の姫の神」であろう。

 そこで、この段の神をどう推測するかであるが、前に竪穴住居の造作を伝えているらしい神々を見、次いで大殿の誕生を伝えているらしい神々を見たことを思うと、ここは「倉」、「倉殿」の建築の始まりを伝えている段であるように思われる。 中略 「狭土の神」「坂土の神」について考えると、倉を建てるには、まず、それを建てるための土台を作らねばならなかっただろう。

P77 その場合、水や湿気を防ぐため、土を盛って、方形や円形の台地を作り、上面は固く突き固めて平らにし、四辺の、あるいは、円周の壁面は固く突き固めて斜面にしたであろう。この傾斜した壁面を作った上つ祖の神が「狭土の神」であろうと思われる。 中略

「狭霧神」「遮りの神」は、では、どういう神であろうか。

2014/4/15

 

 倉は一族の大事な食料の貯蔵所であるから、 中略  建物を高床にし、床を柱の外に張り出させて広幅の縁で倉を囲み、ねずみ返しの仕掛けなども作り、梯子段は普段は取り外しておけるようにして、ねずみや蛇や不心得者などの侵入を遮る工夫をした上つ祖が、「狭霧神」であろう。

 「闇戸神(くらどのかみ)」、「倉殿の神」は、食料の貯蔵所として倉を発案した神であろう。闇戸は原意は「暗処(くらど)」、「暗いところ」であろうが、いまは「倉殿」である。 中略 

P78 「大戸惑子神(おおとまどひこのかみ)」「大戸惑女神(おおとまどひめのかみ)」は、中略  正面の大扉だけでなく、間にも戸を、つまり、窓を、作った神であろう。中略 ここで、「天之狭土神より大戸惑女神まで、併せて八神(やはしら)」という注が入るから、これからは次の段である。その段で生まれる神は、前の名義から考えて、ふたたび、伊邪那岐命、伊邪那美命が生まれた子の神になる。

 次に、鳥之石楠船神(とりのいわくすぶねのかみ)を生まれる。亦の名は天鳥船(あめのとりふね)である。

「鳥之」は、「鳥のように速い」であろう。「石楠」は、「岩のように堅い楠の木の」で、この神は、鳥のように速く滑る船を楠の木で初めて作った神であろう。亦の名は、「雄々しい、鳥のような船」であろう。

P79 「天之」は、「空の」と読みたい気がするが、当時は天と空は違ったものだったようなので、「現し世のものとは思えない」、「地上のものとは思えない」、「雄々しい」と読んでおく。

2014/5/7 

 次に、大宣津比売神(おおげつひめのかみ)を生まれる。

この神は、前に阿波国の亦の名として出た大宣都比売(おおげつひめ)である。もちろん、この神は、ここでの誕生が古く、後にこの神の名が阿波国の名になったのであろう。 中略  「宣」は「食べ物」、「食料」のことで、この神の名義は「豊かな食物の神」である。この「げ」は、「朝げ」、「昼餉」、「夕げ」として残っている。なお。「げ」はさらに古くは「け」であったろう。

 次に火之夜芸速男神(ひのやぎはやおのかみ)を生まれる。 中略  亦の名は、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)と言う。「火之夜芸速男神」の名義の核は、「夜芸(やぎ)」にある。 中略  いま「輝く」、

P80 「花やぐ」、「若やぐ」などとして残っている元の動詞として、「やく」、あるいは、「やぐ」という語が当時あったように想われるからである。「やく」は後の「焼く」で、「やぐ」は後の「輝く」であろうか。「夜芸(やぎ)」は「やぐ」の連用形である。そうすると、「火之夜芸」は、「火のかがやき」である。速男の「速」は、後の速須佐之男命の場合のように、「猛き」、「強い」といった意味で、男子への尊称である。そこで、この神の名義は、「火の輝きの元の猛き男神」であろう。 中略   

もうひとつの亦の名「火之迦具土神」の「迦具」は、おそらく「輝く」の元の語で、名詞「火(か)」からでた動詞「火ぐ」であろう。この「かぐ」がやがて「かがやく」になり、みずからは消滅していったものと思われる。そこで、「火之迦具土」は、「火の輝く土」で、「火の輝く土」とは、「火となって燃える土」、「火を吐く土」、つまり、「溶岩の土」や「噴火する土」などであったろう。「火ぐ」の本来の意味は、あるいは、「火となる」、「火を出す」という意味だったかもしれない。とにかく、この神は、噴火や火山の神であろう。

 2014/6/10

 さて、この火之迦具土神を生まれたため、伊邪那美命は、御陰(みほと)にやけどを負い、病んで、床に伏された。その病の床で、伊邪那美命は、さらに多くの神を生まれる。

P81  まず、たぐりから、金山毘古神(かなやまひこのかみ)、ついで、金山毘売神(かなやまひめのかみ)が生まれる。

「吐り(たぐり)」は、「嘔吐した物」である。「金山」は「鉱山」のことである。この神は「鉱山の男神」、「鉱山の女神」である。もっとも、この鉱山は、鉄鉱山であろう。焼けて熔けた鉄鉱石は、どろどろしている点で、嘔吐した食べ物ににているので、こういう誕生譚が生まれたと思われる。

 次に、屎(くそ)から、波邇夜須毘古神(はにやすひこのかみ)波邇夜須毘売神(はにやすひめのかみ)が生まれる。 

「はにやす」は、のちには「埴安」と表記されるようになるが、意味は不詳とされている。ただ、この神は、だいたい土の神とされている。私は「はにやす」は「はやす」の転音であろうと考えている。「はやす」には、古語辞典では、「生やす」、「囃す」、「栄す」が当ててあって、意味はそれぞれ、「成長させる」、「はやし立てて調子に乗せる」、「誉めそやして元気づける」となっている。 中略  そう考えると、文脈から推して、この神は「生やすの神」であろうという気がする。人糞が肥料として有効なのを発見して、人糞の利用を始めた神であろう。                                                  

2014/7/16

                                                            

P82  中略  次に、尿(ゆまり)から彌都波能売神(みつはのめのかみ)、ついで、和久産巣日神(わくむすひのかみ)が生まれる。

 彌都波能売神は、『書紀』では水の神であるが、名義は字の通りで「瑞葉(みつは)の女神」であろう。瑞葉は、「瑞々しい葉」で、この神は、尿(ゆまり)を肥料として与えると、瑞々しい葉が育つことを教えた神であろう。

 和久産巣日神の「和久」は、「稚」、「若」で、「後代の」、「次代の」といった意味であろう。産巣日は、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)の「産巣日」、「結び」である。この神は、「若い結びの神」、「次代の産みの神」であろう。人糞や尿を肥料として利用することで、食物の生産が飛躍した時代を伝えた神であろう。

 この神の子は、豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)と言う。

 大宣都比売神(おおげつひめのかみ)のところで、「け」、「げ」は「食物」であると述べたが、「うけ」も「食物」である。「豊」は「豊かな」である。この神の名義は。「豊かな食物の姫神」である。「和久産巣日神」、つまり次代の「若い産みの神」の時代になると、食物が豊かになったことを伝える神であろう。

 この段の神は、鉄を農具などに利用し、人糞や尿を「肥(こえ)」として利用して、食物が俄に豊かになった時代を伝えた神であろう。

2014/8/20

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