*神氣館【 高槻市 天神町道場 ・ 幸町道場 】              Shinkikan aikido dojo tenjincho/saiwaicho         (公財)合気会公認道場                                  Takatsuki-city Osaka JAPAN                               大阪府合気道連盟加盟道場        「概要」に「神氣館の半年カリキュラム」 「道場案内と活動」 「『合氣神髄』より合氣道とは」 「ASOB会講演」に第4回ASOB会 2018/12/1                                                          「円に十を書く」に「4. 神に喩えられた軸足(合気神髄より)」8/1          「5. 正面打ちに対する捌きのすべて」8/14          「6. 魄氣の陰陽と軸足」8/22          「7. 同側の魂氣と魄氣が反対方向に動作する」8/24          「8. 天之常立神」8/29          「9. 入り身と二教」9/1          「10. 魂氣と魄氣の陰陽/空の気と真空の気」9/14          「11. 入り身転換から体の変更で生まれる技」10/5          「12. 姿勢を決める入り身転換」10/14 「おしらせ」に10月の稽古予定                              稽古の記録2010/8/15〜2019/10/13

1. 両足で踏ん張ることと両手で剣・杖を握ることは非合気の象徴

『合気神髄』より、

〝円に十を書く、その十の上に自己の左右の足で立つ〟p172

〝天地の和合を素直に受けたたとえ、これが天の浮橋であります。片寄りがない分です〟〝右足をもう一度〟〝踏む〟〝自転公転の大中心はこの右足であります〟p69

〝こんどは左足、千変万化、これによって体の変化を生じます。左足を三位の体にて軽く半歩出します〟〝また右足は〟〝動かしてはなりません〟〝すべての気を握るのは、この右足〟である。P70

〝左足だけで巡るのである〟p172

このとき魂氣を受けた手の動作においては〝左はすべて発し兆し、無量無限の気を生み出すところであります〟〝魂の比礼振りが起こったら左が自在に活躍します〟p70

〝魂の比礼振りは、あらゆる技を生み出す中心である〟p108

 

p105について

 開祖が左、右と限定して説明する言葉には、手と足の役割が左右それぞれ移り代わるなかに技の生まれる仕組みが表わされている。また、自然の法則、原則というわかりやすい表現にとどめて、臨機応変、自在に動くことが必要と説いている。

 曰く、〝五体の左は武の基礎となり、右は宇宙の受ける氣結びの現れる土台となる。この左、右の氣結びがはじめ成就すれば、後は自由自在に出来るようになる〟

〝すべて左を武の土台根底とし、自在の境地に入れば〟つまり軸足交代によって、不思議な〝身の軽さを得〟て、〝魂の比礼振りが起これば〟〝右は左によって主力を生みだされる。また左が盾となって、右の技のなす土台となる。これは自然の法則である。この原則を腹において、臨機応変、自在に動くことが必要である〟

 

 開祖の「動き」とは、はじめ右足を動かさず左足を巡らす。左に軸を移せば右の手は軽くなって技を生み出す主力となる。これは自然の法則である、という。

 

 

 開祖の言う〝三位の体〟とは結局、軸足と非軸足をつくることであろう。体軸側の手は重く、自由に巡る非軸足側の手は自在に空間へと発することが出来る。したがって、軸足を交代すれば体軸側であった手は自由な非軸足側となって技を生むことができる。このときの手は不思議な軽さを得て魂の比礼振りが起こると比喩されており、〝心の持ちよう〟でこのことが可能になる、と開祖は言う。

 

かねてより私は魂氣三要素、陰陽・巡り・結びが手の働きをなすものと考えている。魂の比礼振りとは手が魂氣によって働くことを指し、魂氣三要素と同義であろう。

 

これらのことから、左右の手を働かす際も、杖を用いるときも、軸足側と非軸足側を随時使い分けるのが原則であって、両足で同時に踏ん張ることや、同時に両手で剣・杖を握ることはそれぞれ非合気の象徴であると言えよう。

                                      2019/7/11

2. 驚くほどに直截的な開祖の言葉

 驚くほどに直截的な開祖の言葉を『合気神髄』の中から見出したときは、後生に向けられた深い思いやりを感じずにはおれない。

 

 さらに、開祖が擬態語を発せられるくだりもある。

p118〝すべてのものをやるさいに、天の浮橋に立たされてということになれ、と、こうなる〟

p119〝こう立ったなれば、空の気と真空の氣を通じてくるところの、宇宙のひびきをことごとく自分の鏡に写しとる。そしてそれを実践する〟中略

 〝相手が歩いてくる折りにじゃなア……。全部知らなければいけない。合気は相手がきたらスパーといく。今ここに相手がくる。坐って立とうとすると必ず分かる。あまれるところをもってホイ。小戸の神業である。

 今日のすべての世の中の出来事は、神さまがなさる。そして立て直しは各自がしなければならない責任がある〟 中略

〝合気は相手の目を見たり、手を見たりしてはいかん。自分の心の問題、絶対に見ない。こういう具合に……。いわば法華経の念彼観音力である〟

 

〝スパーといく〟と言う動作は、p70〝三位の体〟で軽く半歩出した左足に始まる千変万化、たとえば燕返しのような入り身転換であろう。鳥船の魄氣の陽と陰、すなわち禊である。

〝自分の心の問題〟という指摘は、相手の動作を見て、受け止めて考えてから動作をはじめるのではない、ということか。

 さらには、P67〝自由はこの重い空の気を解脱せねばなりません。これを解脱して真空の氣に結べば技が出ます。解脱するには心の持ちようが問題となってきます〟と言う言葉にも通じる。すなわち、受けと一体になった取りの魂氣と魄氣(空の気)の結びが軸足交代によって対側の手足に移ると、受けに連なった手はそのまま自身と受けの体軸から解かれて、p103〝身の軽さを得る〟のであって、言いかえると、

p70〝魂の比礼振りが起こったら〟丹田から発して母指先で虚空に円を描く(真空の氣に結ぶ)ことができる。

 逆に、このことを心にとめるから自然に軸足交代がなされるわけだ。合氣の思いが緻密な動作を裏付けることになり、言葉と思いと動作の三位一体が合氣の根元である(p178参照)。

 さらに、p178〝「心」と「肉体」と、それを結ぶ「気」の三つが完全に一致して、しかも宇宙万有の活動と調和しなければいけないと悟った〟。ということは、天にある心のたましい魂から手に受ける氣と、地にある肉体のたましい魄から足腰に受ける氣が、呼吸とともに丹田において一致すること、つまり合気は禊そのものであり、p179〝真理の力が身心に加わるのである〟と。

                                      2019/7/14

3. 〝「言葉は神とともにありき」の状態に〟

 言葉と思いと動作の三位一体は人の行いそのものである。

 もちろん合気道だけの概念ではない。密教では三密加持、法華経では念彼観音力。

 ところで、合気とは魂氣魄の三要素が呼吸とともに一致して身心を調和させ、そのことで新たに加わる生命力を実感することである、と開祖の『合気神髄』からうかがえるところである。

 吸気で拡げた両手に天から魂氣を受け、地からは足腰に魄氣を受け、呼気で丹田に巡った手は軸足を経た体軸で魄氣と結び、再び吸気で上肢を伸展して母指先から魂氣を虚空に発し、呼気にあわせて丹田に巡る。

 丹田で体軸に与る魂氣は〝空の気に結ぶ〟とも表現され、軸足とともに動かすことの出来ない体軸内に在り、その手は体軸上においてのみ呼気で上下させることが出来る。

 一方、非軸足側の手は吸気で虚空に伸展して魂氣を母指先から、更には掌やすべての指先から、発することが出来る。『合気神髄』によると開祖はこれを、とらわれの心が一切無い〝真空の気に結ぶ〟、と表現されている。

 私は真空の氣を陽の魂氣、空の気を陰の魂氣と呼んで、手のあらゆる動作を言葉で表現して伝えることが出来るようにしている。これをさらに狭義の陰陽、つまり手掌が地に向けられると陰、天に向けると陽と言うふうに分けている。そこで、広義の魂氣を先に呼んで、たとえば陽の陰とか、陰の陰というふうに呼べば手の4通りの位置が表現できる。

 一方、合気道など武術に限らず、社会生活においても、言葉の概念がはじめに曖昧であれば、とんでもない判断の誤りに陥ることとなり、やがて自己存立にまで瓦解が及ぶのは自明である。

 開祖曰く〝「言葉は神とともにありき」の状態におかなければいけない〟〝心を表現する言葉〟と〝調和した肉体の活動が無ければならない〟(p178)

 魂氣三要素の陰陽、巡り、結びがそれぞれ呼吸とともに動作として確立しなければ技を生じることも無いのである。曖昧な言葉で動作を表現しても、技を伝えることは出来ない。

 言葉は客観性を無視して個人の観念の内にあるものではない。真理を表すものでなければならない。〝「言葉は神とともにありき」の状態におかなければいけない〟

                                      2019/7/19

 

4. 神に喩えられた軸足(合気神髄より)

1. 天の浮橋に喩える禊の念い

P28〝合気道は天地の合気、 中略 天と地を結んでしまうのであります〟  中略 〝天の浮橋〟に立ち、〝舞い上がり舞い下がるところの気を動かすことが肝要であります〟

p69〝天地の和合を素直に受けたたとえ、これが天の浮橋であります。片寄りがない分です〟

P29〝気が巡るのです〟 中略 〝魂の気で結ぶのです〟(動画①

p95〝阿吽の呼吸が、左、右、左と巡環に払って禊すれば〟 中略 それによって〝生じた武の兆しは、世の泥沼から蓮の浄い花咲く不思議なる巡り合わせのように、不思議なる魂の花が開き、各自の使命の実を結ばせ、心で身を自由自在に結ぶ〟 

P96〝すなわち魂魄の結合の武の本義を現わす〟(動画②

 

2. 五体と宇宙に働く魂氣の陰陽

P104〝念は目前の勝敗という形にとらわれることなく、宇宙に正しく、気結びしなければならない〟

P105〝念は五体にとどまっていると、転生しない。結んではじめて生成してくるのである〟 中略

〝また、念を五体から宇宙に気結びすれば、五体は宇宙と一体となって、生滅を超越した宇宙の中心に立つことも出来る。これが武道の奥義である〟 

 

私は天から受ける魂の気は丹田に結ぶと陰、吸気で虚空に発する手を陽の魂氣と表すことにしている。

 

3. 国之常立神に喩える呼気相の軸足確立

p75〝口を一ぱいに開いて、のどの奥底より、呼気を吐き出すこと。この時必ず「ア」と鳴り出す。 中略

ア声はいかに鳴らしても常立(とこたち)にして変化はありません。ゆえにア声を国之常立の神、国底主(くにそこぬし)の神と申します〟

P69〝左は発し、右はこれを受ける〟中略

〝右足をもう一度、国之常立神(くにのとこたちのかみ)の観念にて踏む〟 中略 〝自転公転の大中心はこの右足であります〟

P70〝今度は左足、千変万化、これによって体の変化を生じます。左足を三位の体にて軽く半歩出します〟 中略

〝右足は国之常立神として動かしてはなりません。すべての気を握るのはこの右足国之常立であります〟  

 

4. 体軸から解かれる魂氣の喩え「比礼振り」

 p70〝左はすべて発し兆し、無量無限の気を生み出すところであります〟 中略

〝魂の比礼振りが起こったら左が自在に活躍します。左で活殺を握り、右手で止めをさす。これが左の神業の意義であります〟

 p105〝すべて左を武の土台根底とし、自在の境地に入れば、神変なる身の軽さを得る。右は左によって主力を生みだされる。また左が盾となって、右の技のなす土台となる。これは自然の法則である。この原則を腹において、臨機応変、自在に動くことが必要である〟

P106〝すなわち、魂の比礼振(ひれふ)りが起これば、左手ですべての活殺を握り、右手で止めをさすことができるのである。これが神業(かむわざ)である〟

 

5. 空の気と真空の気を魂氣の陰陽で表す

魂の比礼振りが起これば左手ですべての活殺を握る、という動作の実際は、以下の言葉からうかがうことができる。

p67〝気がまえが自由に出来ておらぬ人には、充分な力は出せません。空の気と、真空の気の置きどころを知ることが第一であります〟

〝真空の気は宇宙に充満しています。これは宇宙の万物を生み出す根元であります。空の気は物であります。それがあるから五体は崩れず保っております。空の気は重い力を持っております〟中略

〝自由はこの重い空の気を解脱せねばなりません。これを解脱して真空の気に結べば技が出ます〟〝解脱するには心の持ちようが問題となってきます〟

 

〝魂の比礼振りが起こる〟とは即ち〝空の気を解脱して真空の気に結ぶ〟動作が可能となることと同義であろう。さらに、右の軸足つまり空の気(魄氣)と共に体軸に与っていた右の魂氣が、左に軸足交代することで体軸から解かれて〝身の軽さを得る〟こととなる。〝これは自然の法則である。この原則を腹において、臨機応変、〟〝左手で全ての活殺を握り、右手で止めをさすことができるのである〟。

 

つまり、相手の魄氣と結んだ体軸が右から左手足腰に移ることで、右手は同側の足先に合わせて吸気で自在に魂氣を発することが出来る。相手にはP179〝真理の力が心身に加わる〟こととなり、これこそは呼吸力である。

 

6. 魄氣と魂氣それぞれの円

P171〝人間の力というものは、その者を中心として五体の届く円を描く、その円内のみが力のおよぶ範囲であり、領域である〟 中略

〝己れはたえず円転しつつ、なお己の円内に中心をおき、そして逆に、相手を相手の円外に導き出してしまいさえすれば、それですべては決してしまうというわけである〟

P172〝すべての円を、キリリと描くのである。円に十を書く。その十の上に自己の左右の足で立つのである〟 中略

〝立ったおりに、右足を動かしてはいけない。左足だけで巡るのである。そして天の気、地の気、要するに天地の気と気結びすることである〟 中略

〝円に十、気の線を描いているのである。合気というものは、宇宙の気と合気しているのである〟

P175〝五体のひびき〟と

P176〝宇宙のひびきと、同一化すること。そして相互交流。この変化が技の本となるのである。

 すなわち「気の妙用」である。五体と宇宙のひびきの同化。これにより光と熱と力が生まれ、この現象は微妙な妙用である。技は五体のひびきと宇宙のひびきと氣結び、緒結びし、千変万化するのであるけれど、我々は五体のひびきから光と熱と力を生じさせるような稽古をし、宇宙のひびきの中の空に技を生み出していかなくてはいけない〟 中略 

〝心身の統一は技の発兆の土台となるが、技はこのようにして宇宙の法則に合しなければいけないのである。宇宙の法則に合した技は止まることなく生成化育の大道を歩み、千変万化の技を生みなすのである〟 中略 〝我々の宇宙の本と人の本の一元を知り、すべての中心を確立しなければいけない〟

 

7. 軸足交代で可能となる自由な手足の働き

 以下は国之常立神に喩えられた軸足についての私見である。

 

 呼気でイエイと下丹田に魂氣を結び右足を軸とし、左足を半歩軽く出した三位の体は、禊の際、鳥船の左半身で軸足を右に置いた姿勢である(動画②)。また、右半身片手取り入り身転換で、与えた手を下丹田に結んで軸足側とし、対側の左手足先を三位の体で開いた左半身の姿勢(陰の魄氣)である。受けの左手は取りの右手にすがったまま取りの下丹田に接着する。体幹は側湾して左半側は取りの右軸足に連なる体軸へ密着する(動画③)。

 はじめに〝右足を動かしてはいけない。左足だけで巡るのである〟ということで、〝後は自由自在に出来るようになる〟。転換から入り身、入り身転換、体の変更、回転など軸足交代を連ねる体軸移動と共に非軸足側の魂氣は自在に発せられ、相手に結んで竟には自身に巡って合気がなされる。その際、魂氣は受けの底を抜いて技が生まれるのである。つまり、腰仙部に抜けると受けは螺旋で落ち、下丹田と上丹田の上下に抜けると前方への投げや固めとなる(動画④)。

 

 右半身諸手取りでは、アーと呼気で魂氣を掌に包んで上肢を畳み、右母指先で右側頸を指して魂氣を結びつつ、外転換により右足を軸として左足を半歩軽く出すと三位の体となる。右の手足腰が体軸を確立すると受けの体軸は側湾となって取りの魄氣に結ぶ。そこで左足に軸足交代すると、右の手足は入り身で呼吸法、あるいは回外した右母指先とともに右膝を地に着いて呼吸投げ、または入り身転換反復で二教入り身投げなどが生まれる。

 

 体の変更とは、左半身の陰の魄氣で入り身転換が成った後に、左足を後方に一歩置き換えて右半身の陰の魄氣で非軸足側となった右手は下丹田に在りながら今や魂氣を発する体勢にある。しかし、一般には右半身の陽の魄氣にて鳥船で前方に両手を差し出す姿勢がとられる。これでは三位の体や軸足確立と無縁であることが明らかである。また、二足を一本の軸足とする入身一足の残心についても、常立神を比喩にした千変万化の起点とする合気特有の立ち姿ではない。むしろ、三位の体から様々に変化する足腰の動作で体軸移動が臨機応変に為された瞬間の形であろう。

 

8. 体軸に与る魂氣

p105を要約すると、右は宇宙の受ける気結びの現われる土台となるが、全て左を武の土台根底とし、軸足交代して自在の境地に入れば神変なる身の軽さを得る。すなわち右は左によって主力を生み出される。左が盾となって、右の技のなす土台となる。

 右で全て気を握っていたものを、魂の比礼振りが起こって左手が全ての活殺を握るようになって、右手は止めさすことができるのである。

 体軸から解脱した魂氣(手)こそは相手を自在に導くことが出来るのである。それに反して、相手の重さも自己の体軸も右手に受けて、右足を軸としたままで虚空へ掲げようとする動作は、五体に止まった念いが宇宙に正しく氣結びしていないわけである。宇宙と争っては気が折れかねない(p105要約)。自己の念いが宇宙を忘れて動作しようとする限り、進歩向上は存在しない(p104要約)。空の気を解脱せずして真空の気に結ぶことはできない。

                                      2019/8/1

動画①禊

動画②鳥船

動画③入り身転換の陰の魄氣は後ろの軸足側の手が空の気に結んでいる。受けの手と取り自身の体軸(魄氣)である。

動画④軸足交代で可能となる自由な手足の働き、真空の氣に結ぶと受けの同名側の頸にひびく

5. 正面打ちに対する捌きのすべて

自然本体で後手/同時 

 自然本体で受けの右正面打ちに、後手で外転換は杖巡りか横面打ちでの「両手で氣の巡り」。同時なら受けの振りかぶりに同名側の右手を相半身振込突きで合わせて、続く左手の横面打ちで逆半身外入り身転換とし、同時に右手は腰仙部に大きく巡らす。

 

相半身で後手

 右正面打ちに相半身で後手のとき、つまり、右半身で陰の魄氣(三位の体)により右手で魂氣を与えようとした瞬間、受けの正面打ちの振りかぶりがある場合。右手は上丹田に鎬を作って陰の魂氣となるから自ずと軸足側とするために右足の踵は剣線を受けの外へ外して踏み、軸足とする。左手の返し突きで逆半身左外入り身は一教裏。

 

相半身で同時 

 右正面打ちを相半身で同時に合わせて対側の左手を上丹田に鎬で置くと受けの手刀の遠位に触れる。内転換で右非軸足を剣線に直角に置き換え、同時に右手は下丹田に巡って左半身の陰の魄氣(三位の体)で左手は陽の陽で受けの手刀を抑えている。左足をその場で軸として右半身振込突きの内入り身で真中を撃って受けの左手の返し突き近似で払わせる。右足を軸として左足を後方に置き換える内転換で右半身陰の魄氣とし、右非軸足先は剣線を超えて進めると同時に、払わせた右手は外巡りで受けの手刀を近位で外に払って(交差取り入り身転換同様、母指先と拇趾先は反対方向へ捌く)右足に軸を交代し、対側の左手で逆半身横面打ちにより外入り身。「転進」と呼ばれている。

 

相半身で先手

 先手では取りが掌に包んだ魂氣を上段に与えて受けの同名側の手刀で正面を守らせ、接触と同時に陽の陽で発して相半身内入り身で残心とする。つまり魂氣は取りの上丹田に結び右手足は体軸側となる。左足は右の足背に被り、足先は直角に逆半身内入り身の方向に進める(井桁に進む)。左手は振込突きで足先に合わせて受けの右手刀の上腕を矢筈で包み、両手で氣の巡りによって魄氣の陰の姿勢で受けの全体を下丹田に吸い込む。相対動作の一教運動表。

 

 

参考:片手/交差取りの逆半身/相半身

 三位の体から下段に与えたあとの入り身においては足先をさらに半歩進めるが、片手取りにしろ交差取りにしろ、与えた手の母指先は足先とは反対側に巡らせて入り身の進路に隙間を作ることが必要。前者は取りの内に巡らせ、後者は取りの外に巡らせる。いずれも受けに対しては背側へ入り身の足先をすすめる。

 

参考:横面打ちに同時(後手は省略)

 逆半身横面打ちに異名側の手で鎬を造って相半身入り身にて対側の手で振込突きとするが受けに払わせることで相半身のまま内転換で陰の魄氣(三位の体)とする。払わせた手を外巡りで受けの上体と手刀を取りの外へ捌いて、同側の非軸足を受けの背側へさらに半歩進めて軸とし、対側の手で逆半身横面打ちにて外入り身転換とする。このときも、外巡りの母指と同側の半歩進めて軸とする足先(対側の手による横面打ちあるいは返し突きのための軸足)は剣線を境として互いに反対方向へと動作する。

 

 魂氣と魄氣の動作の方向が反対になる場合がある。一方で、取りの胸と受けの背を合わせる入り身投げや、取りの背と受けの異名側の胸を合わせる昇氣呼吸法のように、陽の魂氣を虚空に発する際は同側の非軸足先を同方向へ大きく半歩出すことになる。

 「転進」と入り身投げ・昇氣呼吸法は同側の手足の動作が対照的であることに留意すべきである。

                             2019/8/14

6. 魄氣の陰陽と軸足

 禊は合気であり、合気は禊からはじめる(合気神髄p145)、合気は禊である(同p150)。

禊とは、左右かたよりのない足で立って天地の気を思い、これに結ぶ(天の浮橋に立つ)。そして鳥船である。呼気でイェイと体軸を後の軸足に載せて上体を直立させ、前の足先は軽く半歩出して地に触れるのみとする。これは開祖の教えである三位の体(同p70)と考えられ、私はこれを魄氣の陰と呼ぶことにした。

 吸気でホーあるいはサーと両足で地を踏みつけて体軸をその間に進めるが、上体はあくまで直立し、両手は魂氣を発する思いで半身にて差し出す。自ずと後ろの足は伸展し、前は下腿が直立して体軸は前方に寄り、魄氣との直接の連なりは消えて軸足を失う。これを魄氣の陽とする。鳥船では息を止めずに呼気相へ移るから静止せずに魄氣の陰へと巡る。

 「合気神髄」から、三位の体は千変万化、合気道の足腰の動作における基本である。たとえば魄氣の陽を経て継ぎ足によって入身一足の残心、つまり両足が揃って一本の軸足となり体軸が直立する。同時に吸気で魂氣が極限まで発せられ、伸展した手で円を描いた瞬間が魄氣の陽であり、体軸に巡った手が呼気で魄氣に結んだときこそ残心である。呼気の終末には再び三位の体を表し、あくまで体軸は一本の軸足に預ける。

 一方、前の非軸足が対側の踵の後に回って軸足交代すると体の変更となり、さらに軸足交代で入り身転換、後ろ回転へと動作出来る。前の非軸足がその場で外股の軸足へと交代すれば後の非軸足は一歩前に進んで内方へと回転出来る。前方回転である。

 また、前方の非軸足を畳んで膝を地に着けば軸足交代で体軸は膝と共に直立し、他方の足も畳んで膝を着くとその場に正座が可能である。

 すなわち、両足が前後に踏ん張って(魄氣の陽で)、体軸がその間で地に結ばず、言わば浮いた状態にあって、そのまま静止することは天地に結ぶ合気の姿とは言えまい。つまり、魄氣の陽は動作の中にあるべき姿勢であって、静止の形や残心の姿とはなり得ない。

 

 魄氣の陽は入り身から残心に繋がる動作の瞬間に現われる足腰である。

それに比べて魄氣の陰はあらゆる変化へ向かう静止の姿勢である。魄氣の働きは軸足の交代で足腰が陰陽に巡って体軸の動静を確立させることにある、と言えよう。

                                      2019/8/22 

7. 同側の魂氣と魄氣が反対方向に動作する

 手刀は広義の陽であるが狭義の陰でも陽でもない。受けの手刀に取りが手刀を同時に合わせた瞬間、掌に包んで与えた先手の場合のように陰から陽への結びに伴う入り身は実現しない。すなわち三位の体から陽の魄氣で受けの内に入ることはできない。

 また、後手のときは陰の陽で上丹田に結ぶ鎬を造り、同側の非軸足で剣線を外して軸とし、体軸に与ることができる。一教裏の初動である。もっとも、剣線を外せない瞬間にはそのまま軸として外転換で魂氣は陰から陽へ結ぶことが出来る。軸足交代して陰の魄氣となることで剣線を外すわけである。

 すなわち、同時の手刀は先手でも後手でもなく、敢えて先手と同様の動作に入れば接点で抵抗に会い、後手の動作へ退けば剣線を外す間もなく詰められる。手刀の片手単独では魂氣の巡りと結びが生まれない。

 

 受けの手刀へ同時に手刀で触れた瞬間、対側の魂氣を陰の陽で鎬にして、手刀は陰で巡って同側の非軸足と共に外巡りで受けの内に転換するしかない。そうすれば、剣線は外れ、鎬の手は陽の陽で開くから受けの手刀を取りの下段へ抑えることが出来る。そこで軸足交代すると外巡りの手は陽の陰で正面当てへと滞ることがない。その相半身内入り身によって陰の魄氣から軸足が前に代わる瞬間、受けは対側の手で取りの外から内へ正面当てを払うのが理合である。取りは即座に相半身内転換で再度剣線は外し、払わせた手は受けの手刀の上腕から遠位へ再度外巡りで外へ払うと、同時に前の非軸足先を外股でさらに半歩踏み入れて軸とし、受けに対して逆半身横面打ち入り身転換とする。

 互いの形を考えて動きを繋ぐことは現実的ではない。軸足交代と両手の陰陽・巡りが理合いとして息継ぎの中で連なることが肝要である。

 

 外巡りの手と反対に同側の非軸足を前へ進めるのは「転身」と呼ばれている。たとえば片手取り入り身転換では与えた手を内に巡って同側の非軸足が入り身し、交差取り入り身転換では外に巡って同側の非軸足が入り身する。魂氣と魄氣が同時に逆方向へ巡り・発せられる動作である。

 

 これと対照的には、入り身投げや昇氣呼吸法、あるいは一教表の振込突きに伴う逆半身内入り身のように、大きく半歩進む非軸足先に合わせて、体軸から解かれた同側の魂氣が同方向へ最大限に円を描いて虚空へ発せられる動作がある。

 

 左右の魂氣については、単独動作や片手取りにおいて入り身転換反復の際の取りのそれぞれの陰陽が軸足交代との恊働に与る。あるいは、両手取りに見られる陰陽・天地と反対に動作するのは受けの体軸に捻れを造り、合気の合理的恊働と言えるが、同側の魂氣と魄氣にも反対方向への動作があってよいわけだ。それと言うのも、魂氣は円を描いて巡るうえに、魄氣は必ず軸足が交代して転換を連ね、速やかに同側で互いの氣結びが為されて合気が生まれるからである。

                                      2019/8/24

8. 天之常立神

天之常立神(あめのとこたちのかみ)は天の床立ちの神:天(てん)の床は確固と立っていて、天が落ちてくることはないという確信を伝えた神

国之常立神(くにのとこたちのかみ)は国の床立ちの神:国土の床は堅固に立っていて、床が抜けて落ち崩れることはないという確信を伝えた神

 

これらの神が姿を現した時は、我々の先祖が物の認識を始めた時期であり、言葉を持つようになった時期であろう。

 

  大津栄一郎 古事記上つ巻 きんのくわがた社

                                      2019/8/29 

9. 入り身と二教

 入り身と二教は合氣道を特徴づける代表的動作・技である。よく稽古に取り上げられ、独特の動作は確かに取り受け双方にとって印象が強い。私も初めて稽古をつけてもらって数日のうちに、体の芯が崩される圧力と、腕の先から体の底に抜ける圧倒的な激痛を知った。しかも、繰り返し技を受けて体が故障するわけではなかった。受けが合図と同時に解放される瞬間には安堵感と達成感が同時に湧き上がりこれも独特の快感であった。

 無論二教では常に阿吽の呼吸が肝要である。これを怠れば怪我を生じることとなり、試合のない合気道においては恥ずべきこととなる。また、二教の秘訣は、母指球から小指球へと魂氣の作用点が掌の幅だけ受けの手首尺側から伸側近位へ入り、同時に下丹田へ母指先が巡ってくる動作に尽きる。

 今、鳥船の足腰の動作を魄氣の陰陽と呼び、陽の魄氣から軸足を前に交代させた時を単独動作の入り身の完成、すなわち残心とする。二本の足が一つの軸足となって直立する瞬間である。

 魄氣の陰から陽を経て静止せず入り身の完成する動作、つまり継ぎ足から軸足交代によって体軸が受けの中心部に密着する瞬間は、二教において母指球から小指球へと接点が受けの手首上で近位に移り、魂氣がその中心にまで及ぶことと近似している。軸足交代による入り身と母指球から小指球への交代による二教は、魄氣と魂氣の違いはあるものの、動きの特徴が近似する。その特徴とは気結びである。

 

 二教が単に受けの手首を捻り押さえつける動作ではなく合気・呼吸法であることを以下に詳述する。

 片手取りに外巡りから陽の陰で母指先が受けの真中の空間に入って地を指すと母指先の反りに合わせて受けの橈側手首に母指球外縁が接し、それを支点として小指球が掌の幅だけ受けの手首近位に狭義の陰で入り、同時に上肢全体が広義の陽で緊張伸展すると、母指先の反りは円を描いて下丹田を指す。魂氣は陰の陽に巡り下丹田に氣結びすることで二教の技が生まれる。

 

 入り身は軸足交代による体軸移動、つまり魄気の陰陽から残心で受けの芯に喰い入る。二教は母指球から小指球への交代に連なる魂氣の巡りが受けの芯を掬い取り、下丹田へと結ぶ。

 立技片手取り外巡り・外転換二教では、魄氣の陰陽陰の巡り(入り身)が魂氣の陰陽・巡り・結びと同期する動きになることは言うまでもない。

                                       2019/9/1

10. 魂氣と魄氣の陰陽/空の気と真空の氣

 魄氣という言葉には、地から肉体のたましいに由来する氣が足腰を経て下丹田に結び、軸足を作って体軸を直立させるという思いが込められている。また、非軸足を自在に置き換えては軸足を交代し、体軸の位置は様々に変化する、という動作も含まれている。

 他方、魂氣という言葉には、吸気で掌を天に向けて拡げ、虚空の気とともに天から心のたましいを受けては、呼気で丹田を経て体軸に取り込むという思いと手の動作が含まれている。坐技の単独動作呼吸法である。更に吸気で上肢を伸展しては母指先から魂氣を空間に発し、呼気で掌の魂氣を包んでは丹田に巡らせる手の動作がそれぞれ魂氣の陽と陰の働きによるものと考えることにする。

 いま右足腰に魄氣が結んで軸足の確立したとき、同側の魂氣は陰で巡って軸足とともに体軸に与る。腋が閉じて上肢は体幹に密着し、まさに体軸の一部となる。手首が弛緩屈曲して上を向けた掌に魂氣を包んだ手が狭義の陽で下丹田に密着する。このとき左の手は広義の陽で虚空に掌を開いて差し出し、同側の非軸足は軽く半歩出して足先が地に触れており、〝三位の体〟と呼ぶ(『合気神髄』より)。単独基本動作入り身転換・左半身の姿である。足腰に限って言えば鳥船の呼気で下丹田に魂氣を取り込んだ姿勢であり、これを陰の魄氣の働きによると考えることにする。

 そこで、左手足を後ろに置き換えて軸足交代すれば左手は腰仙部に密着して、左手足腰が体軸に与り、右手は下丹田に在りながら最早体軸から解かれている。右足は軽く半歩出した姿勢となって足先が地に触れるのみだ。右半身の三位の体である。左半身から右半身へ(三位の)体の変更が軸足交代によって行われたわけだ。左足腰を軸とする右半身の陰の魄氣となる。

 今、鳥船のイェイで吸気とともに右手の掌を上にして魂氣を差し出し、後ろの左軸足を伸展して体軸が前に偏ったとき、魄氣は右半身の陽と呼ぶことにする。つまり、体の変更とは鳥船近似で陰の魄氣(三位の体)から陽の魄氣へ体軸が前に振れて、魂氣は下丹田の陰から虚空へ陽で差し出される動作である。

 

 次に相対基本動作である。左の掌に包んだ魂氣を陰の魄氣で差し出し、左手首を取らせる瞬間、母指先を地から内方へ巡らせて同側の非軸足と腰を腋の隙間から受けの外側に進め、内股で着地すると魄氣は陽となって腋が閉じる。

 軸足を前方の左足に交代して左上腕は体幹に密着し、左足底が地を踏みつけてさらに45度内方の捻りによって腰が180度転換すると、受けの手に連なった左手首は弛緩屈曲したまま掌が上を向く狭義の陽で相対的に下丹田と結ぶ。これと同期して右手は陽で正面に差し出し右足は非軸足となるから爪先を右手指先方向に合わせて半歩軽く出した状態となる。左半身から右半身へ入り身転換して陰の魄氣、すなわち三位の体に戻ったわけである。受けの手と取りの左手足腰は体軸となって地から直立している。したがって受けの体軸は側湾となって取りの上体に寄りかかっている。片手取り入り身転換は受けの魂氣のみならず魄氣も取りの下丹田に結んでいると言える。

 

 そこで、右手足を後ろに置き換えて軸足交代すれば右手は腰仙部に密着して、右手足腰が体軸に与り、左手は下丹田に在りながら最早体軸から解かれている。左足は軽く半歩出した姿勢となって足先が地に触れるのみである。左半身の三位の体である。

 左半身で魂氣を与えて右半身への入り身転換から再び左半身へと(三位の)体の変更が二度の軸足交代によって行われたわけだ。足腰は左半身の陰の魄氣である。

 今、鳥船のホー(またはサー)で吸気とともに左手の掌を上にして母指先から魂氣を差し出し、後ろの右軸足を伸展して体軸が前に偏ったとき、魄氣は左半身の陽と呼ぶことにする。つまり、体の変更では鳥船近似で左半身の陰の魄氣(三位の体)から陽の魄氣へ体軸が前に振れて、魂氣は下丹田の陰から左手で虚空へ陽で差し出される。同時に左手首に連なる受けの右上肢も、取りの左足腰からなる体軸に結んでいた受けの魄氣も、今や体軸から解かれて前方へと放たれる。

 下丹田に結んで体軸に与る魂氣は、同時に虚空へ発することはできない。体軸は上中下丹田を連ねて魄氣と結んで地に根を張るのであって、「空の気」(合気神髄)に相当する。また、「真空の気」(合気神髄)とは天空に広がる自由なる魂氣そのものであろう。

 〝空の気を解脱して真空の気に結ぶ〟という表現は、互いの魄氣が結んだ取りの体軸から、軸足交代によって解かれた手を伸展させて受けに取らせたまま自在に虚空へ魂氣が発せられることと考えられる。体軸に与る陰の魂氣が魄氣との結びを解かれて陽で発せられるということである。

 開祖は、〝身の軽さを得る〟、〝魂の比礼振りが起こる〟とも表現されている。

11. 入り身転換から体の変更で生まれる技

 単独動作の入り身転換とは、鳥船近似で陰の魄氣から魂氣を与えて内巡りとし、下丹田に巡ると同時に腋の隙間から同側の非軸足を半歩入り身し、内股で軸足交代の上に目付けを180度転換して陰の魄氣(三位の体)に戻る。つまり魂氣は与えかけたものの、巡って下丹田に結び体軸に与る。対側の手は始めの腰仙部の体軸から解かれ、非軸足先に合わせて目付けの先へ陽の陽で掲げる(動画①)。

 体の変更は、入り身転換から非軸足と同側の魂氣を後ろに置き換えて軸足交代し、陰の魄氣(三位の体)で始めの半身に戻る。対側の手は陰の陽で魂氣を包んだまま下丹田に置かれているが、体軸から解かれて〝身の軽さを得る〟状態である。つまり何時でも陽で発することができる。

 このとき、鳥船近似で魄氣を陽として下丹田から魂氣を陽の陽で差し出すと、相対動作で片手取りの場合、受けの手と体軸は前方に放たれる(動画②)。

 または、前方の非軸足を目付けとともに外へ直角に置き換えて同側の魂氣を下丹円から陽の陰で発する、つまり外巡りで腋を大きく開くと、軸足交代によって対側の足先を非軸足として剣線に直角に向ける。したがって目付けも同方向に置く。魂氣は陽の陰から腰仙部へ陰で巡り体軸に与る。半身を転換して三位の体を維持すると、受けの手は取りの陰の魂氣に結んで腰仙部に導かれ、隅落とし裏が生まれる(動画③)。

                                      2019/10/5

動画①

動画② 体の変更で陽の魄氣は受けを前方に放つ

動画③ 残心が〝陰の魄氣〟と〝二教の手で入り身運動〟の二法

12. 姿勢を決める入り身転換

 片手取りでは呼気で掌に魂氣を包んで内に巡ると、同側の非軸足先は半歩内股で前に置き換えて軸足に交代し、転換することにより下丹田で魄氣と結ぶ、つまり合気である。同時に魄氣の働きとして体軸を確立する。

 そのとき対側の足は非軸足となって伸展し、外股に転換した足先を地に置くだけで、いわゆる三位の体を維持する。今や、受けに取らせた手は体幹に密着して受けの体軸と共に下丹田に結んで自己の体軸に与る。

 反面対側の手足は体軸から解かれて陰の陽で差し出せば、天から掌に魂氣を受け、目付けは正にその反射を見ることで体軸を直立させる。呼吸法のように陽の陽で過伸展して円を描く手ではない。鏡返しの手そのものである。

 姿勢の良さとは正にこの機序による。

                                     2019/10/14

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