*神氣館【 高槻市 天神町道場 ・ 幸町道場 】              Shinkikan aikido dojo tenjincho/saiwaicho         (公財)合気会公認道場                                  Takatsuki-city Osaka JAPAN                               大阪府合気道連盟加盟道場        「概要」に「神氣館の半年カリキュラム」 「道場案内と活動」参照 「『合氣神髄』より合氣道とは」 「ASOB会講演」に第4回ASOB会 2018/12/1                                                                                                               「中心は虚空にある」に「23. 三位の体と残心」11/22                     「24.〝空の気を解脱して〟と〝真空の氣に結ぶ〟の間にある開祖の言葉と動作 」11/25                     「25. 入り身投げと呼吸法の相違点」11/28                     「26. 開祖の言葉から生まれる両手取り天地投げ」11/29                     「27. 手刀と剣を持つ手」 12/6 「おしらせ」に12月の稽古予定                              稽古の記録2010/8/15〜2018/12/5

1. 中心は虚空にある ー 『合気神髄』より

P154

 自分の中心を知らなければなりません。自分の中心、大虚空の中心、中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています。全部は丸によって生み出てくるのであります。きりりっと回るからできるのです。

 

 武術は魂さえ、しっかりしていればいくらでもでき、相手をみるのではない。見るから負けるのであります。何時でも円を描きだし、ものを生みだしていかなければならないのです。

 

 武道と神ながらの道、これまでの武道はまだ充分ではありません。今までのものは魄の時代であり、土台固めであったのです。すべてのものを目にみえる世界ばかり追うといけません。それはいつまでたっても争いが絶えないことになるからです。目に見えざる世界を明らかにして、この世に和合をもたらす。それこそ真の武道の完成であります。今までは形と形のもののすれ合いが武道でありましたが、それを土台としまして、すべてを忘れ、そのうえに自分の魂をのせなければなりません。愛の心が無かったなら万有愛護の大精神の大業は成り難く、愛のかまえこそ正眼の構えであります。無形の真理。日本の武道は相手をこしらえてはいけません。武の極意は形ではありません。心は自在に生じ、気は一切を支配する本源であります。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 相手、接点、自己、目に見える形、そのいずれにも中心は無い。虚空に描く魂氣の円の中心こそが武の極意であり、愛の心なのだ。〝空の気を解脱して真空の氣に結ぶ〟〝魂の比礼振りが起こる〟〝神変なる身の軽さを得る〟〝念を五体から宇宙に氣結びすれば、…… 宇宙の中心に立つことも出来る〟などはいずれも開祖が武の極意を様々に表現しておられるものであろう(動画

                                      2018/5/19

2. 手足腰を動作する元気の源

『合氣神髄 合気道開祖・植芝盛平語録 植芝吉祥丸監修』(柏樹社平成2年発行)から読み解く

 

 運動と心と五感の中枢に加えて神経・筋・骨格のいわゆる運動器が協調して様々な活動が生まれる。意志があっても元気が無ければ動きに現れず、一方、動く元気があっても意志が途絶えておれば目的に叶う動きはなされない。

 

 合気道の植芝盛平開祖は〝魂氣すなわち手〟と呼んでいる(p170181)。その理由は、人の心のたましいを魂といい、ことごとく天に昇り、肉体のたましいは魄と呼んで地に下りるという古い時代からの感じかたに基づき(p80)、同時に、天地の間はすべて氣で充たされているという思いがあって、草木、水火、生き物も、また空間と言えども氣によって(現代では空気と認識されているが)充たされていると考えるのである。

 

 我々は吸気に際して両手をいっぱいに広げて太陽の光と熱を受け、空気を吸い込み、呼気では手を体に巡らせる動作と共にそれら元気の源を身にしみ込ませる思いを抱く。つまり、呼気では空間に二酸化炭素などを吐きだす一方、前述の魂とともに受ける氣は身体にしみわたるものだと考えるから元気が蓄えられる。次の吸気では魂氣を手に受けると同時に母指先を通して下丹田から限界までの魂氣、つまり活気を発していると思うことにする。このように、呼吸とともに天から魂氣が取り入れられることで心に活気が溢れ、手の動作が一層充実するという思いを持つ動作が合気そのものであろう。合気とは禊であるという開祖の言葉は本文中に限っても80回を数える。

 手の隅々までを動作する意志と元気を合わせたものが魂氣であると言い換えることも出来よう。同様に、足腰の動作の源は魄氣である。呼吸との関連では呼気で一足が魄氣を受けて軸足を作れば対側の足は非軸足であり、足先だけが地に接するのみである。また、非軸足は吸気でも呼気でも自在に置き換えて、そのまま軸足へと交代することもできる。唯一直立二足歩行を可能とされたヒトにとって、呼吸とともに行う魄氣による軸足交代と体軸の移動は、上肢の運動、つまり魂氣の働きと協同するところに魂氣と魄氣の結びという思いが生まれるわけである。その中心は各丹田であり、それに連なる体軸でもあるということになる。

 

 呼気で丹田に手足腰が結べば同側のそれらは体軸に与り、対側の手足は自在に置き換わる非軸足と、自由に空間へ差し出せる手となる。呼吸の繰り返しに伴い、この動きは左右の手足で交代が続いて連続の動作となり、様々な体軸移動ができることによって技が生まれことになる(p105)。最も単純な動作が難場歩きであろう。正座では振り子運動に相当する。

 

 体軸に与る手は、受けの真中や手や側頸などのつぼと呼ばれる各くぼみを通して魂氣を及ぼすなら、そののち取りの身体に巡ってその体軸は密着し、魄氣の結びが為されて互いが一体となる。対側の非軸足は更に受けの中心へと差し出され、同側の魂氣は虚空へと円を描いて発せられると、これも受けの体軸へとひびいたのちに取りへ巡って単独呼吸法が為され、同時に相対呼吸法が行われたこととなって合氣の技が生まれる。

 

 魂氣は受けの中を通り過ぎても円を描いて取りに帰ってくることから、活力を使い果たすことにはならず、稽古を繰り返すことでますます氣を練り上げて蓄えることが出来るであろう。

 

 武技の習得に際しての、言葉と、思いと動作の三位一体についても言及され(p178)、具体的には魂、氣、魄の意味と働きを合氣の根本に据えておられる(p177)。

私は、これらを合わせて、魂氣三要素、魄氣三要素として言葉とその思いとそれぞれに対応する動作をまとめることで合気を理解することに努めている。

 すなわち魂氣は、陰陽、巡り、結び、魄氣は陰陽、入り身、転換・回転(軸足交代)である。

                                      2018/5/26

3. 五体と宇宙のひびきの同化

------ 魄氣と魂氣の結び

 

p174

 身心統一をして、それからさらに進んで、そして技の発兆の土台となる。それは念で技が無限に発兆するのである。 中略  稽古は自己の念を我欲に結んだら向上はあり得ない。邪道である。

 

p175

 五体は宇宙の創造した凝体身魂であるから、宇宙の妙精を吸収し、宇宙と同化しているわけである。武道の奥義は、念を五体から宇宙と氣結びし、同化して生死を超越し、宇宙の中心に立つことである。このようにして出た技は、愛の恵みの技となるのである。これは武産合気。これが結びはひびき、それは五体のひびきである。 中略 

 

p176

 宇宙のひびきと、同一化すること。そして相互交流。この変化が技の本となるのである。すなわち「氣の妙用」である。五体と宇宙のひびきの同化。これにより光と熱と力が生まれ、この現象は微妙な妙用である。技は五体のひびきと宇宙のひびきと氣結び、緒結びし、千変万化するのであるけれど、我々は五体のひびきから光と熱と力を生じさせるような稽古をし、宇宙のひびきの中の空に技を生み出していかなくてはいけない。また、念は宇宙と争ってはいけない。気が折れるからである。五体の念は、宇宙から切り離しては考えられない。宇宙と争う念を起こすと、必ず身を滅ぼすのである。

 念の研磨は、自己の意識しない中に、宇宙と同化することが必要であるから、その方向へと逐時稽古増進することである。

p16

 自己の想いで自己を縛ってはだめである。そして真の自己を生み出す場の体を大切に扱い、魄を大事に扱うことを忘れてはならない。

 

p6768

 真空の氣をいっぱいに五体に吸い込み、清らかにならなければなりません。清らかなれば、真空の氣がいちはやく五体の細胞より入って五臓六腑に喰い入り、光と愛と想いになって、技と力を生み、光る合気は己の力や技の生み出しではなく、宇宙の結びの生み出しであります

 また、武は技と光を結ぶことに力を入れなければなりません。その結びは中心がなければなりません。中心があるから動きが行われるのであります。この中心は腹であります。

 

p154

 自分の中心を知らなければなりません。自分の中心、大虚空の中心、中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています。全部は丸によって生み出てくるのであります。きりりっと回るからできるのです。

 

 天の浮橋に立つ 禊 身心統一 魄氣 魂氣 中心は腹 中心は虚空にある 空の気 真空の氣 氣結び 技 光と熱と力 武 愛

                                       2018/6/3

昭和45年頃

4. 呼吸法の仕組み

 合気道の呼吸法とは呼吸とともに氣結びを為すこと、と定義することができる。呼吸は口から吐く呼気と鼻から吸う吸気の反復動作である。つまり口を開く阿(呼気)と閉じる吽(吸気)が呼吸である。

 呼吸と言うところを阿吽の呼吸と強調する場合もあるが、二人で共通のことを同時に動作するとき、調子を合わせる意味に使う場合もある。正反対の呼吸動作によって体の各部にも正反対の動きが伴うわけである。

 また、呼吸法には一人で行う単独呼吸法と取り受けに分かれて二人で行う相対呼吸法がある。

 単独呼吸法とは、自己の手が呼気で丹田に戻っては吸気で空間に伸展して差し出される動作を指す。呼気で腋が閉じて肘と手首と指が弛緩屈曲した手は胸腹部に密着し、体軸の一部に与る状態が魂氣にとっては陰であり、下丹田で魄氣と繋がった状態を思い浮かべ、それと結んでいると表現する。魄氣は軸足そのものである。

 吸気では、常時伸展している母指先から氣が迸り出るように上肢全体が限界まで伸展し、母指先の反りに合わせて空間に円を描くようにして体側へと巡ってくる。このとき魂氣は陽であり、虚空には真空の氣があって、それと一体になるかのような感覚を持って動作するから〝真空の氣に結ぶ〟と表現されるのであろう(動画①)。

 

 相対呼吸法では以下の氣結びが考えられる。すなわち、受けの手と接する点から内に入る魂氣の結び、次に魂氣が受けの体軸に響く魂氣と魄氣の結び、そして体軸が互いに接する魄氣の結びである。

  

 さらに、呼吸は、その動作を裏付ける体の仕組みによって腹式と胸式に分けることが出来る。

 腹式呼吸とは胸を両腕で閉じた場合で、無意識に腹を広げて腹中に空気を吸うごとく吸気を行う。胸式呼吸とは、片手を下丹田に結び、対側を伸展して陽の魂氣で円を描く場合で、腹部は緊張陥凹し胸部が拡張する。ただし、この際、片手を腰仙部に回せば腹部も弛緩膨隆して胸腹式吸気となる。前者は両手取り呼吸法、後者は片手/諸手取り呼吸法に典型である。

 

 相対動作の片手/諸手取り呼吸法では、はじめに陰の魂氣で腰仙部に置いて体軸に与った手が再度軸足交代で体軸側になるとき、下丹田よりも腰仙部に結ぶ方が胸腹式吸気でより大きい陽の魂氣が発せられることになる。より深い吸気によって伸筋と横隔膜が限界まで緊張収縮することで上肢の伸展は胸腹側とともに最大となる。同時に取りの背部は伸展した上肢と共に最大限に後屈して、受けの前胸部に及ぼす圧迫と受けの側頸を経て体軸に及ぶ取りの前腕橈側からのひびきは最大となる(動画②)。

 

 このように背側に回して体幹に密着する陰の魂氣は軸足とともに体軸を安定させるのみならず、胸腹式呼吸による呼吸力の増大を可能とするものである(動画③④)。

                                      2018/6/10

動画①

動画②

動画③

動画④

5. 振りかぶりの呼吸

——— 取りの基本動作

 

呼気の振りかぶりは上丹田への結びである。

陰の魂氣と魄氣による。

呼気で上丹田に結び、吸気で正面打ち、または対側の手で返し突きを、受けの真中へ発する。前者は四方投げ、後者は正面打ち一教裏。

結びの核心は、

 剣では母指球手背面、母指先の反りは頭頂に向かう。非軸足側動画①)。

 四方投げでは示指球手背面、母指先は前方を指す。軸足側から非軸足側へ交代(動画②)。

 徒手の鎬では母指球側面、母指先は水平。軸足側(動画③)。

 杖巡りの陰の魄氣、相半身外転換では非軸足側(動画④の二本目)。吸気で頂丹田への振りかぶりの方がより良い。

 

 

吸気の振りかぶりは頂丹田への結びである。

陽の魂氣と魄氣による。

吸気で頂丹田に結び、呼気で横面打ちを、取り自身の下丹田へ結ぶ。

突きや正面打ちに対する転換/入り身の動作。(動画④の一本目)。

結びの核心は、

 剣では母指球手背面、母指先の反りは後頂に向かう。軸足側(動画⑤)。

 徒手横面打ち(入り身/転換)では母指先が頭頂を指す。軸足側。

呼気で小手返しの手(陰の陽の魂氣)を下丹田に結ぶ。

                                      2018/6/16

動画①

動画②

動画③

動画④

動画⑤

6. 『合気神髄』より開祖の合気

合氣の姿勢(正立)と動作(魄氣と魂氣の三要素)

 

姿勢(正立

 合気について、〝どういうことをやるのかというと、最初は天の浮橋に立たされてというところから始めなければなりません〟(p99)、と開祖は現在までの稽古のありかたをここに指し示している。

〝合気道は天の浮橋に立たねばなりません〟(p65)。〝天の浮橋に立たねば武は生まれません〟(p73)。〝大地の呼吸とともに天の呼吸を受け、その息をことごとく自己の息にして同化し、魂魄を正しく整える〟(p149)のである、と。また、開祖は天の浮橋に立つ姿を〝天地の和合を素直に受けたたとえ〟、〝片寄りがない分です〟(p69)、〝立った姿は全部世界と結んでいる〟(p94)とも説明している。

 一方で〝禊は合気であり、合氣は禊から始める〟(p145) 。また、〝稽古は禊である〟(p93)ということで、天の浮橋に立つ、と禊は同義であることが明らかだ。

 

 禊とは、自然本体で大地から両足を経て魄氣を丹田に受け、吸気と共に両手を左右に緊張伸展して、魂氣を受ける思いで拍手を打つ。その瞬間、五体に魂氣のひびきを感じて呼気で丹田におさめる。開祖はこれを天の浮橋に立つことと表現しているのであろう。

 

動作

 禊の自然本体から一方の足を軸とし、他方を非軸足として〝三位の体にて〟(p70)非軸足を〝軽く半歩出す〟(p70)、と。これは単なる半身にとどまらず、軸足と体軸を後ろに置く呼気相であることから、私は陰の魄氣と呼んでいる。

 そこで、非軸足を後ろに一歩置き換えると、魂氣も腰仙部に陰で巡り、軸足交代によって半身を転換した陰の魄氣により、体軸の後方移動が成立する。体の変更である。

 

 いずれにしても軸足側の手は陰の魂氣となって丹田で魄氣に結び、体軸を確立するから、そのままでは手を差し出すことは出来ない。受けに取らせた手であれば、なおさら魂氣を及ぼすことも手で導くことも出来ない。軸足に連なる魄氣と結ぶ魂氣は体軸を作るものであって動かすわけにはいかないことを開祖は丹念に教えている(p6970、p172)

 

静から動へ

 陰の魄氣からその場で陽の魄氣として軸足を伸展し、非軸足で地を踏み、同側の魂氣を陽で発すると、体軸は前方に片寄り、片手を取って取りの下丹田に結んでいた受けは前方に放たれる。片手取り入り身転換から体の変更である。

 つまり、陽の魄氣の半身では、前方の足腰に連なる体幹は前方に腰と肩が入り、異名側の受けの前胸部はそれに接触しつつ取りの魂氣に導かれて前方へ一歩踏み出すわけであある。

 他方、単独動作で陽の魄氣から呼気で体軸を戻して陰に巡れば鳥船の一呼吸である。

 

 そこで、陰の魄氣で半身の姿勢から軸足を交代して魄氣とともに体軸を対側の足に移せば元の軸足は非軸足となり、〝軽く半歩出し〟(p70)て、足先を地に置く状態となる。同側の手は体軸から解かれて陽の魂氣を発する兆しを持つ。〝空の気を解脱して〟(p67)、〝魂の比礼振りが起これば〟(p106)、不思議な〝身の軽さを得る〟(p105)わけである。

 

 非軸足を一歩進めることによって上肢を最大限に伸展して虚空に円を描くことができる。吸気で上肢を伸展し、虚空に円を描くことを〝真空の氣に結ぶ〟(p67)と表現し、魂氣を発すると同時に天から魂氣を受ける。

 

動から静へ

 相対動作では受けに魂氣を及ぼし、取りに巡ってくることで受けの底を抜き、それによって〝技が出る〟(p67)こととなる。〝中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています〟(p154)〝円の動きのめぐりあわせが、合氣の技であります〟(p120)

 

 置き換えた足は再び軸足に交代し、対側の足は継ぎ足で両足が一本となって体軸を移動させる。入り身による呼吸法の動作である。この一瞬が残心で、魂氣の描いた円は丹田か、もしくは体側に巡り、魄氣と結ぶ陰の魂氣となって再び体軸に与る。禊そのものである。合氣の核心はこの動作にある。

 

 禊とは、〝魄の世界を魂の比礼振りに直すことである。ものをことごとく魂を上にして現すことである〟(p149)。したがって、〝魂の比礼振りは、あらゆる技を生み出す中心である〟(p108)

 

 魂氣の陰陽、巡りを動作するには、同側の足が非軸足へと交代して魂の比礼振りの起こることが要訣である。

                                      2018/7/17

7. 「脱力する」ではなく「身の軽さを得る」

『合気神髄』には脱力という語句は見出せない。力と言う言葉は相当数見られる。一部は以下のような文章である(「 」内)。括弧( )内は筆者の挿入。

 

p18

「自己の肉体は、物だから魄である。それはだめだ。魄力はいきづまるからである。」

p40

「腕力によって滅ぼしたり、武器をもって世界を破滅に導くものではなく、宇宙の気をととのえ、世界の平和を守り、森羅万象を正しく生産し、護り育てることである。この道の鍛錬は、森羅万象を正しく生み、護り育てる神の愛の力を、我が心身のうちでするのである。」

p58

「我々の上には神があると思わねばならない。なぜならば永い間仕組んで出来上がった天や地、そこにある引力 __これは天の気がずうっと下がってくる_天地の妙精力、つまり引力と引力との交流によって世界が収められる。これをもとにして出来たのが合気道で、」

p67

「気がまえが自由に出来ておらぬ人には、充分な力は出せません。空の気と、真空の気の置きどころを知ることが第一であります。真空の気は宇宙に充満しています。中略 空の気は重い力を持っております。また五体は物の気で働きます。身の軽さ、早業は真空の気を持ってせねばなりません。空の気は引力を与える縄であります。自由はこの重い空の気を解脱せねばなりません。これを解脱して真空の気に結べば技が出ます。解脱するには心の持ちようが問題となってきます。」

 

 力を肯定的に捉える場合と否定的に述べている場合がある。そして、ここでは魂氣、つまり手の動作について教示されている。

 一方、p6970では軸足の置き方と非軸足の置き換えに伴う手の動作を説明している。

 禊の姿から、「右足をもう一度、中略 踏む、自転公転の大中心はこの右足であります。こんどは左足、千変万化、これによって体の変化を生じます。左足を三位の体にて軽く半歩出します。」「また右足は 中略 動かしてはなりません。中略 魄を脱して魂に入れば 左(手足)は正勝 中略 右(手足)は吾勝 中略 勝速日の基、左右一つに業の実を生み出します。左(手足)はすべて発し兆し、無量無限の気を生み出すところであります。」「魂の比礼振りが起こったら左(手)が自在に活躍します。左(手)で活殺を握り、右手で止めをさす。これが左(手)の神業の意義であります。技が生か滅か、端的な活殺が武産合気であります。」

 

 これと同内容の記述がp104106にある。

「念は目前の勝敗という形にとらわれることなく、宇宙に正しく、氣結びしなければならない。念は五体にとどまっていると、転生しない。結んではじめて生成してくるのである。このようにすれば、必ずその念は神通力となって、あらゆることが明瞭になってくることであろう。」

「念を五体から宇宙に氣結びすれば、五体は宇宙と一体となって、生滅を超越した宇宙の中心に立つことも出来る。」中略 「五体の左は武の基礎となり、右は宇宙の受ける氣結びの現れる土台となる。この左、右の氣結びがはじめ成就すれば、後は自由自在に出来るようになる。」「すべて左を武の土台根底とし、自在の境地に入れば、神変なる身の軽さを得る。右は左によって主力を生みだされる。また左が盾となって、右の技のなす土台となる。これは自然の法則である。この原則を腹において、臨機応変、自在に動くことが必要である。」

 

 これにより、「空の気を解脱する」とは「魂の比礼振りが起こる」ことと同義であろうことがうかがえる。そして、それは不思議な「身の軽さを得る」こととなるのであって、手の力を抜いて何か動作を試みようというものではなかろう。

 体軸に与る手、つまり軸足側の手はそのまま伸展するには無理がある。軸足に伝わる魄氣と結ぶその手が体軸を離れようとしても、母指先からの魂氣は体軸を指向しているのであり、最早受けの重さを克服する手段として体軸そのものが陰の魂氣すなわち手を必要としているからである。

 軸足交代によって移動した体軸に対側の魂氣が与ることで、受けに与えた方の魂氣が体軸から解かれるやいなや、受けの重さが感じなくなると説いているようだ。

 

「この左、右の氣結びがはじめ成就すれば、後は自由自在に出来るようになる。」とは左と右の氣結びではなく、左の手足の氣結びと右の手足の氣結びがはじめに成立すれば後は交代しながら移動が連続する、という意味であろう。

 すなわち、左の結びで陰の魂氣・軸足・体軸を確立すれば右は互いに解かれて右足の入り身と同時に右手で大きく円を描く呼吸法のごとく、自由に動いた後に陰の魄氣によって軸足交代と体軸移動が起こる。すぐさま左の手足腰の結びが解かれて動きが連なって行く。難場歩きの仕組みであり、あらゆる状況に自然の歩行を臨機応変に当てはめて連動することが出来る。

                                       2018/6/25  

8. 丹田にありながら体軸から解かれた魂氣

 陰の魂氣とは、丹田に結び、なおかつ同側の魄氣つまり軸足に結んでいる場合は体軸に与っている。

 軸足交代によって同側の足が非軸足となれば、丹田に置いた手は体軸から解かれ、自在に伸展することが出来る。このとき母指先から陽の魂氣を虚空へと発している。

 母指先の反りに合わせて円を描き自身の体側に巡って腋が閉じると、再び同側の足が軸となって魂氣は魄氣に結び、体軸に与る陰の魂氣となる。

 このように、丹田にありながら魄氣から解かれて軽くなった手は魂氣を陽で発する兆しを生む。〝魂の比礼振りが起こる〟ということに相当するのであろう。

                                      2018/7/14

9. 「心の持ちよう」を動作する試み

 陰の魂氣で受けに結び、魄氣が受けの軀幹に接して軸足が確立すると、体軸が受けに一体化する。三位に開いた非軸足に軸足を交代させるとき、受けの手と軀幹に結んだまま取りの体軸は交代した方の軸足に移る。与えた手は体軸から解かれて(空の気を解脱して)同側の非軸足と共に自由に空間へ発することが出来る(真空の気に結ぶ)。その手には受けが繋がっている。しかし受けの魄氣は取りの体軸に結んでいる。したがって取りの魂氣は重さを感じていない。

 虚空に発せられた魂氣は受けの側頸に接して、その体軸にひびく。母指先の反りに合わせて円を描き、取りの体側に巡ったなら、魂氣は受けの底丹田を突き抜けた、と思うことができる。つまり昇氣・呼吸法(動画①)や降氣・呼吸投げ(動画②)の技が生まれている。

 

 軸足交代の際、受けの手と体幹を取りの体軸に結んだまま、交代した方の軸足に体軸ごと預けるのが「心の持ちよう」p67で、その結果、受けに与えた手は不思議な「身の軽さを得る」p105ということになるわけだ。

                                      2018/7/20

動画①諸手取りに昇氣・呼吸法

動画②諸手取りに降氣・呼吸投げ

10. 開祖の言葉と思いを動作する試み

『合気神髄』(注)より開祖の言葉と思いを動作する試み

 

《合気について》

〝どういうことをやるのかというと、最初は天の浮橋に立たされてということから始めなければなりません〟p99

〝大地の呼吸とともに天の呼吸を受け、その息をことごとく自己の息にして同化し、魂魄を正しく整える〟p149のである。

 また、開祖は天の浮橋に立つ姿を〝天地の和合を素直に受けたたとえ〟、〝片寄りがない分です〟p69と説明している。⇒自然本体

 

《魄氣の動作(軸足の確立と体軸移動)》

 一方で〝合氣は禊から始める〟p145 〝稽古は禊である〟p93、とも言われている。

〝三位の体にて〟p70 非軸足を〝軽く半歩出す〟p70

   ⇒左/右自然体(陰の魄氣による半身)、鳥船(魄氣の陰陽)

 〝千変万化、これによって体の変化を生じます〟p70

   ⇒軸足交代による入り身、転換、入り身転換、前/後方回転

 

《魂氣の動作(呼吸に伴う上肢の屈伸と円運動)》

 軸足交代によって体軸が移動し、対側の魂氣が陰に巡り、同側の魄氣に結んで体軸に与ることとなれば、受けに連なる手は〝空の気を解脱して〟p67 〝魂の比礼振りが起これば〟p106

不思議な〝身の軽さを得る〟p105

 その手は吸気で伸展し、〝中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く〟p154

 この動作を〝真空の氣に結ぶ〟p67と表現し、魂氣を発すると同時に天から魂氣の受けることを思い、呼気で丹田や体側に巡る。その間に魂氣は受けの側頸から中心にひびき、底を抜く

   ⇒呼吸法と呼吸投げ。

〝円の動きのめぐりあわせが合氣の技であります〟p120

〝魂の比礼振りは、あらゆる技を生みだす中心である〟p108

   ⇒正面打ち、交差取り、片手取り内/外巡り、諸手取り

 

(注)『合気神髄 合気道開祖・植芝盛平語録』

   合気道道主植芝吉祥丸 監修、柏樹社1990120日初版発行

                                      2018/7/28

 

11. 合氣の技が生まれるとは

 与えた魂氣を陰に巡って丹田で魄氣に結んで体軸を作る。空の気に結ぶ、つまり受けに結ぶと同時に同側の魄氣と結んで半身(はんしん)を体軸にして動かさない。同時に反対側の手足腰を自在に置き換えて剣線を外す、内/外の転換で軸足を交代することである。

 体軸が対側の半身に移るから、空の気を解脱することで、その前に受けと一体になった半身に軽さを得る。上肢は自由に伸展して円を描き、魂氣は真空の氣に結ぶ。受けに魂氣が響き、あるいは円の中心を受けと共に成せば、合氣の技が生まれる。呼吸法(動画①)と呼吸投げ(動画②)である。

 受けに結び陰で静止する魂氣が、軸足交代で体軸から解かれて軽く速く陽に発し巡るとき、魂の比礼振りに喩えられる。合氣の技の生まれる瞬間である。

                                       2018/8/4

動画①

動画②

12. 空の気を解脱するには先ず空の気に結ぶこと

 空の気を解脱して真空の氣に結ぶために、先ず空の気に結ぶことが先である。

 非軸足を半歩出して受けに与えた魂氣は陰に巡って、軸足に交代すると同時に丹田で魄氣に結ぶ。つまり〝真空と空の(氣の)結び〟によって体軸が生まれる。魂氣には受けの手が連なり、入り身転換によって互いの体軸が接し、互いの魄氣も結んでいる。

 取りの魂氣は互いの魄氣に連なり体軸に与るからそのままでは動かすことが出来ない。地に繋がる重い空の気に結んでいるわけだ。それを解脱するとは、体軸から解かれることであり、対側の非軸足を軸足に交代して体軸をそちらに移すことが必要である。そうすれば丹田に接している魂氣は陰ではあるが〝軽さを得る〟ことになり、〝魂の比礼振りが起こる〟と表現できるであろう。

 与えているが未だ掌に珠を包んだ手は、丹田を離れて吸気とともに魂氣を陽で発し、その手は掌が開かれて母指先は虚空に円を描くこととなる。

 受けの手は取りに結んで導かれ、取りの魂氣は陰に巡ると受けの体軸にひびき、底を抜いて取りに巡る。取り自身の魄氣に結んで元の姿勢に還るが、その瞬間は、軸足を作って対側を半歩軽く出した三位の体ではない。二足が一本の軸足となって体軸を成す「残心」である。魄氣の陰でもなく陽でもない。しかし、直ぐさま陰陽何れにも魄氣を動作して体軸の確立と移動、合氣の動と静へと応じることが出来る(動画)。

                                      2018/8/14

13. 入り身転換と体の変更の意義

合氣の静と動を考察する

 

 開祖は合氣について、天の浮橋に立つところから始める、としている。つまり大地の呼吸とともに天の呼吸を受け、その息をことごとく自己の息にして同化し、魂魄を正しく整えることである、と。また、その姿は天地の和合を素直に受けたたとえであり、片寄りがない分です、と説明している。これは、稽古のはじめに自然本体で天の魂氣が地に結ぶ動作であり、確かに足腰は左右対称で地を踏んでおり、体軸は中央にあって動かない。

 

 では、合氣の動きとはどのようなものであろうか。開祖はさらに、合氣はから始める、稽古は禊である、とも言われている。すなわち、右足をもう一度踏んで軸とし、動かしてはならない、と。左足は三位の体で軽く半歩出し、これによって様々に変化し、体の変化を生じることができる、と言う。つまり、左自然体とも言うが左半身で後ろの右足に軸を置いた姿勢であり、鳥船において呼気でイェイと両手を下丹田に結んだ瞬間である。私はこの足腰の姿勢を陰の魄氣と呼んでいる。この一瞬の静止から左の非軸足を自在に踏み直すか置き換えることで様々な動作が可能になるというわけである。

 

 例えば鳥船で、ホー、あるいはサーで体軸を前方に寄せて右の軸足を伸展して踏み、左の非軸足を垂直に踏みつけると魂氣を前方に発した姿勢となる。これを陽の魄氣とよんでいるが、体軸を後ろの軸足から前寄りに移動させている動作だ。次の呼気で陰の魄氣となって手を下丹田に結ぶと同時に体軸は元の右軸足上に戻る。つまり、魄氣の陰陽で体軸は前後に揺れ動くわけである。

 

 陰の魄氣(三位の体)から非軸足をさらに半歩前へ置き換えて地を踏み、右足は陽の魄氣で伸展してから地を離れ、軸足交代した左足の踵に接して二足が一本の軸となる場合、完全に体軸が前方に移動した状態であり、入り身と呼ばれている。左半身ではあるが魄氣は陰でも陽でもなく、私はこれを入身一足、または残心と呼んでいる。これは動作の後の一瞬の静止であるが、直ぐに右の足を軸として三位の体に落ち着けば同じ左半身であり、左足を軸として右足を半歩出せば右半身に転換したこととなる(動画①)。

 

 

 

相対動作について考察する

 

 左掌に珠を包んで下段に与えて、受けが右手で取ろうとする。その瞬間左母指先を地の方向から内巡りとすれば腋に隙間ができるから、同側の非軸足はそこで半歩踏み入れて内股にした陽の魄氣から軸足に交代する。入り身である。左手・魂氣は近づいた取り自身の下丹田に巡る形となる。つまり、取りの左足腰に揃えて左手を受けの側方に突き出そうとするのではなく、魂氣を下丹田に引き戻そうとするわけでもない。

 

 左手首は屈曲し、肘は伸展したまま腋が入り身によって閉じる。掌を包んだ手は広義の陰で狭義の陽、つまり小手返しの手で下丹田に結び、上肢全体は側胸部から下腹にかけて隙間なく接しており、まさに体軸の一部となっているわけだ。

 

 腰は反転して元の右軸足は非軸足となり、135度足先を転じて僅かに新たな左軸足側に引き戻され、軽く半歩出した三位の体となる。これで入り身に続いて半身を右に転換したわけだ。

 

 一旦魂氣を体軸(この場合下丹田)に結んで入り身転換すれば、受けに与えた左手も受け自身の手も取りの下丹田で体軸に一体となっており、動かしてはならないし重い受けを動かすことはできない。すなわち、体軸に与る手を躯幹から離して振り出すことはできないし、受けに繋がった手であれば尚更である。地に連なる体軸は一側の手足腰の結びから確立されるものであり、分解することはあってはならない。このとき下丹田の手は空の気に結んでいると表現される。難場歩きの仕組みに通じるものである。

 

 

 

片手取り入り身転換から体の変更で陰の魄氣へ

 

 左半身で下段に与えて右半身へ入り身転換し、陰の魄氣で左手を受けの右手とともに下丹田にて結んでいる。つまり入り身転換で一瞬静止している。そこから右の非軸足を後に置き換えて軸足に交代するなら、下丹田の左手は陰でありながら体軸から解脱して、魄氣との結びは解けている。対側の右手は同時に後ろに回して腰仙部に結び、移動した体軸の確立に与る。魄氣は陰であり再び元の左半身に戻るから、入り身転換の姿勢と区別して体の変更と呼んでいる。 

 

 このとき受けの重さは取りの右手足腰と共に新たな体軸に移っていると考えられる。与えた手は今や身の軽さを得ることとなり、開祖のいわゆる魂の比礼振りが起こるわけである。

 

 

 

体の変更で陽の魄氣と共に陽の魂氣を差し出す

 

 そこで魄氣を陽に転じて下丹田から魂氣を陽で発することが可能となり、体の変更の陰の魄氣に比べて取りの左側の背は受けの異名側の右胸から前方へ離れる。受けは取りの魂氣に連なる右手とともに同側の右足腰を前方に一歩進めて体軸を移動することになる。

 

 片手取り入り身転換から体の変更を行えば、はじめ陰の魄氣で下丹田に結んだままではあるが、体軸から解かれて身の軽さを得る瞬間である。つまり、魂の比礼振りが起こり、真空の氣に結ぶために陽の魂氣を差し出す兆しが生まれている。そこで初めて陽の魄氣とともに陽の魂氣が発せられる。

 

 陽の魄氣は手に連なる受けを前方に放つ動作である(動画②)。陽の魄氣は受けを取りの体軸に留め置く静止ではない。入り身転換の陰の魄氣のみが受けを下丹田で体軸に留めて静止できる(動画①)が、体の変更では陰の魄氣ですでに体軸から解かれ、自在に魂氣を発することで受けを導くことが出来る。いや、動かなければ受けが体軸を立て直し、取りに対して自在に動くこととなろう。

 

 ちなみに体の変更では、陽の魄氣で受けを前方に放てば相対基本動作の繰り返しの動きとなるが、陰の魄氣では外巡り・外転換の動作から隅落としの裏が生まれる。

 

 

 

結論

 

 片手取り体の変更での陰の魄氣は受けを外巡りで後ろに導く兆しとなる。鳥船と同様に陽の魄氣に移れば受けを前に放つ動作であり、いずれも留め置く静止ではない。片手取り入り身転換こそが陰の魄氣で受けを下丹田に結び、体軸側の背を受けの異名側の胸に接して受けの体軸を留め置く静止の姿勢である。

                            2018/8/22

 

動画①

動画②

14. 与えた魂氣を下丹田に結ぶ二法

 (これとは別に腰仙部、中丹田(側頸)、上丹田への結びはそれぞれ稿を改めて述べたい)

 

片手取り入り身転換の場合

 左半身の鳥船イェイで下丹田に結んだ手の掌には魂氣の珠を包んでいることを思い浮かべる(動画①、画像①)。このとき母指だけは伸展しており、弛緩屈曲した示指の作る隙間を塞ぐように軽く置く(画像②)。

 右足腰が軸足を作り、右手は腰仙部に置かれ、右の魄氣と魂氣は結んで体軸を確立している。左足を軽く出すとともに左腕を差し出して受けの下段に魂氣を掌に包んだまま与える(画像③)。受けが逆半身で取ろうとするとき、地を指していた母指先が取りの内側(腹側)を向くように手首を90度回す。これを内巡りと呼ぶことにする(画像④)。

 右軸足に体軸を置いたまま、差し出した左手の内巡りによって腋には正面に対して軽く隙間が生じる。そこで左足腰を更に半歩進め、内股で着地して軸足へと交代すると、左手首は屈曲したまま小指球が取りの下丹田に位置し、肘は伸展し腋は閉じ、相対的に上肢全体が左側胸から下腹に密着する。つまり、魂氣は下丹田で魄氣に結び、入り身によって交代した体軸に与ることとなる。この魂氣と魄氣の結びは天地の結び、すなわち合気である。

 交代した左軸足による体軸移動の確立と同時に対側の右手は腰仙部から自由に伸展して虚空に発せられ、いわゆる真空の氣に結ぶことができる。同時に右足先は非軸足となるから地を離れて母指先に合わせ、135度外に回旋しつつ左の軸足側に引きつける。受けの右手に取らせた左手が、交代した左軸足に連なる体軸に結んで右半身の陰の魄氣に転換したわけである(動画②)。

 

交差取り逆半身入り身の場合

 左半身で受けの下段に魂氣を掌に包んだまま与える。受けが相半身で同名側の左手を伸ばして取ろうとする。取りは地を指していた母指先を受けの下段に向け、手首を伸展する。さらに自身の外に向けて陽の陽で魂氣を発すると、掌は開いて左側の非軸足は母指先に合わせ、外股で剣線に直角を為して軸足へ交代する。つまり、左の腋は閉じて側腹に着いた肘から水平に前腕が伸びたまま、陰の陽の魂氣が受けの手とともに一瞬体軸に与るわけである。

 

交差取り逆半身入り身から転換で空の気を解脱する魂氣

 右の手足腰は体軸から解かれ、横面打ちの逆半身外入り身で一歩右足を踏み込み、内股で軸足交代とする。右手は陰の陽に巡ると受けの同名側の頸部を包み、取りの右側頸に巡って右足腰による体軸に与る。

 受けが握った左手は軸足交代によって魄氣との結びが解ける。つまり、空の気を解脱すると表現される。体軸から解かれて腋は自ずと開き、今や剣線に沿って前方に陽の陽で魂氣を発し、同側の足先は非軸足で同方向を向いている。左半身は変わらないが入り身転換である。受けの右側頸と反屈した背部は取りの右手と右胸部に接し、右足腰を軸とする体軸に結んでいる。

 いずれの場合も非軸足側の手先、足先、腰、目付けは一致しなければならない。

 

片手取りと交差取りの初動とそれに続く魂氣の動作

 魂氣を下丹田に結ぶ動作、つまり同側の軸足を経て魄氣に結び体軸に与る手には、前述のように二通りの姿がある。

 片手取りでは内巡りが初動となって腋の隙間を魄氣の陽で入り身し、肘を伸展したまま小手返しの手で小指球の背側まで体幹に密着する。

 交差取りでは、受けの手の下で母指先が前方を指して手首が伸展した後に、取りの外側へ陽の陽で掌を開き、同側の足先を母指先に揃えて軸とすることで腋が閉じるものの、肘から先は前腕が水平に差し出されたたままで上肢が体軸に与っている。奈良の大仏の左手である。

 引き続き対側の手の返し突き入り身転換によって体軸から解脱した手は、相対的に陽の陽の魂氣で伸展する。同側の足先は非軸足で伸展し、対側の足は軸足で体軸に与る陰の魄氣である。陰の魂氣はたとえば同名側の受けの頸を包む。

 

相対基本動作から術技へ

 体軸に与る魂氣はいずれも腋を閉じる。片手取りでは小指球まで躯幹に密着し、入り身転換においても体軸に与ったままである。交差取りでは、腋が閉じても肘から遠位が伸展して掌を開いたまま体軸を成す。それは入り身の瞬間であって、転換すると体軸から解かれて上肢は伸展し、陽の陽で相対的に差し出す形になる。しかも技の中では、それに止まらず円を描いて母指先の反りの方向に体の変更・入り身転換と連続して巡っては発し、魄氣は後ろ回転に相当する。

                                       2018/9/1

画像①
画像①
画像②
画像②
画像③
画像③
画像④
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15. 合氣道の特質

 合気柔術を含む柔術から派生したといえる柔道、合気道そして競技制合気道などそれぞれの創始者が後生に残して現在まで引き継がれてきた武技は、その基本的特質が様々な手段でそれぞれの後継者に共有されてきたわけである。手ほどき、口伝(言葉と文章)に加えて補助となっているのが近年急速に普及する画像や動画の広がりであろう。

 合気道においては開祖植芝盛平の言葉が二代吉祥丸道主によって編集されて『合気神髄』という書でもって皆に知らされ、その根本を等しく共有することが出来る。そのことが合気道の大いなる特質といえよう。しかし、難解な部分が少なくないことから、現在まで必ずしも術技の具体的な習得に向けて展開されているとは言えない。

 『合気神髄』によると、開祖が強調される合気道の大前提は、天の浮橋に立ち、天地の気(魂氣と魄氣)に結ぶということである。合気道は禊からはじめる、禊そのものである、と繰り返し説かれている。

 つまり、足腰のあるべき動作を詳述し、その上で手の動作について合気道特有の言葉と観念に裏付けられた三位一体として多くの比喩を用いて我々に示してくれる。手足腰と目付け、すなわち体軸は呼吸による気息の巡りに合わせて協働することで合理的な連続性を得る。さらに、両側の手足は剣と杖の操法に則って相対動作での力の及ぶ円を確立する。つまり円内で受けに一体となり地に接する、一方円外への放出という選択もある。何れにしても、禊によって生命と正立正座が確立し、同時に互いを活かす技の生みだされることが合気道の特質であろう。

                                      2018/9/11

16. 片手取り内転換から二教表裏の分水嶺

 左半身片手取りに右手の振込突きにより相半身内入り身で右足に軸足交代し、内転換で左足を剣線から直角に離して置き換え軸とし、右半身の陰の魄氣とする。

 左手は外巡り(二教の手)。受けに払わせた右手は受けの右手小指球を包んでいる。*このとき受けが右足を半歩進めて取りの右非軸足方向へ間を詰めたとき、左足をそのまま軸として後ろ回転とし、左手は陽の陰に発して受けの手を解き、矢筈で受けの右手首屈側を包み、前腕を受けの前腕の上に並べて陰の陽(小手返しの手)で左胸に抱き込む。

 右半身陰の魄氣で体軸は受けと同じ矢状方向で前に位置するため、入り身転換で受けに向き直ると、取りの左胸で両手が陰の陰で二教裏が成立。

 

 *受けが右足を同位置で踏みとどまれば、その右上肢は伸展し、互いの間合いは開く

 取りは右非軸足を外股で軸として一歩入り身し、左手は陽の陰に発して受けの手を解き、矢筈で受けの右肘上を包み、返し突き近似で受けに逆半身内入り身として受けの前三角へ左足を踏み込み、左手を陰の陽に巡って鳥船イェイで陰の魄氣とともに下丹田に結ぶと、左足から膝を着いて地に結び二教表。

                                      2018/9/14

17. 相対動作と合氣

 掌に魂氣の珠を包んで与えると受けの手刀に触れて接点が出来る。そこで空間に掌を開きながら天に向けると陽で間合いに入り、これを結びという。このときはじめに接点で重心を掛けると、同側の足は魂氣が接した間合いで地を踏み軸となり、魄氣(足腰)の働きが接点に拡がることとなる。天から受ける魂氣の働きではなく魄の力を用いて、受けの重さと競合しつつ接点を押すことになる。そこでは、魂氣の珠を忘れてただ掌を開くから魂氣の陰陽・巡り・結びの三要素が欠如し、魄氣は陽(鳥船のホー)で静止して軸足交代が行われないため、体軸が大地の魄氣に直結することはない。つまり、足・腰・体軸の動きが失われる。

 (入り身・継ぎ足の残心、あるいは井桁に進む軸足交代で初めて体軸は移動する。)

 取りの手が受けの重さとともに接点を押して移動させることは、力が圧倒的でなければまず出来ない。ぶつかって押し返す動作である。接点で腕が重力に抵抗するなら魂氣の思いは詰まるだけである。

 また、手刀で尺側を接して小指先を天に向け、小指球を擦り上げても魂氣が巡って前方で円を描くことはなく、円の中心、つまり結びによる技は生まれない。

 

 接点で母指先から魂氣を発して陰から陽へと掌の分だけ内に入り、同時に同側の足先を母指に揃えて入り身したあと軸足にすると、軸足交代と継ぎ足によって体軸が移動する(入り身一足)。間合いは詰まり、上肢は畳まれて魂氣は広義の陰となり、体軸に与ることとなる。

 この初動は魂氣が広義の陽から陰に巡り、その位置においては取りの上肢に重心が掛かることも受けの重さを感じることもない。魄氣がすべてを支えて体軸は直立し、同側の魂氣はすでに体軸の一部となり、それを離れて動かすことは出来ない。ただし対側の手足は非軸側であり自由に動作できる。

 そこで対側の返し突き近似で逆半身外入り身によって軸足を交代し、それまでの体軸が対側に移動した瞬間、初動の手には〝不思議なほどの身の軽さを得る〟ことになる。相対的に陽の陽となった手は伸展して掌を天から陰に巡って、受けの同名側の頸部を包む取りの返し突きの手に被せると、受けの背側に魂氣がひびき、底を抜けて取りの下丹田に巡る。魄氣は入り身・残心と動作して正面打ち入り身投げ表に相当する。

 

 合氣道では、相手にぶつからない、押さない、力を抜くなどとよく言われるが、実際の稽古では気の言葉と思いの伴わない動作を選んでしまい、合氣から離れてしまいがちであった。

 魂氣の陰陽・巡り・結びと魄氣の陰陽で禊が行われ、魄氣の入り身・転換回転が加わって手足腰の左と右で氣結びし、軸足交代に伴う体軸移動と魂の比礼振りが起こって、不思議な身の軽さを得ることが合氣道の術技の本体であろう。

                                      2018/9/17

18. 交差取り入り身投げは体の変更か後ろ回転か

 逆半身外入り身転換から体の変更・四股立ちか、後ろ回転・陰の魄氣か

 

 左半身で交差取りに〝陽の陽〟で左足を母指先に合わせて外股で軸とし、右手の横面打ちで一歩進めて逆半身外入り身転換としたとき、非軸足となった左足を後ろに一歩置き代え、左手も同時に母指先の反りに合わせて後方に巡ると、左手足が体軸に与る右半身へ軸足交代を繰り返すわけであるが、受けの右側頸は取りの右魂氣に包まれたまま取りの左側頸に移動する。

 前述のように一歩右半身で進み、転換して左半身になると左手を陽で差し出す形となり、受けは取りの左手首に繋がっているからその方向に導かれる。この瞬間右半身への体の変更だけで静止せず、その場で引き続き入り身転換を行えば、はじめの左半身に戻って左手は陽の陽のまま受けの正面にかざすことができる。それに合わせて非軸足に戻った左足を受けの後三角に置き換え、入り身運動で魂氣を〝陽の陰〟に巡って受けの右側頸へ当てて結び、体軸へとひびかせて取りの下丹田に巡ると左半身で残心に至り、入り身投げが生まれる。

 

 初動から右横面打ちで一歩入り身転換が右足を軸とする後ろ回転の始まりということになり、それを完結しなければ受けを導ききれない。体の変更で後ろに一歩置き換えた陰の魄氣のまま静止すれば、取りは四股立ちで受けの背部を体軸正面に受け止めることとなる。たちまち陰の魂気に巡った左手は動きが止まり、それを取った受けの左手と共に受けの背部の重さを感じることとなる。受けに対して取りは両手の力による動作へと移る必要が生じる。それは受けの腰を後ろに崩して地に落とす動作ということになろう。あるいは左手で受けの前頸部を掬い上げて上体を起こし、後ろに反らして投げを打とうとするであろう。

 

 合氣の動作を現せば、取りの左手には魂の比礼振りが起こり、陽の陽で虚空に円を描いて自らはその中心に立たねばならない。

 

 このとき魄氣は後ろ回転の終末である。受けの体軸は取りの右手足腰からなる体軸に結んでおり、取りの左手は空の気を解脱して、左非軸足と共に真空の氣に結ぶことができる。即ち、受けは取りの陽の魂氣に向かって導かれ、取りの左足先は受けの後三角に進め、左手は陽の陽で受けの右側頸を擦り上げて陽の陰に巡り、受けの体軸から腰仙部へと魂氣が抜けて取りの下丹田に結んで残心となる。入り身投げが生まれる。

  入り身転換から体の変更は陰の魄氣で終えるが、その軸足側の陰の魂氣は体軸に与る。そのまま魂氣を陽に発して受けの上体を起こそうとしても、いわゆる〝空の気に結ぶ〟手は自身と受けの重さに繋がり、動くものではない。その場で再度入り身転換で軸足交代することで体軸から解かれて〝空の気を解脱して〟、〝魂の比礼振り〟が起こり身の軽さを得て、陽で発した魂氣によって自由に手を差し上げて受けの中丹田にひびかせる〝真空の氣に結ぶ〟ことができる。

                                      2018/9/29

  

19. 開祖の言葉と合氣の動作

 開祖の言葉と気の思いに裏打ちされた動きは合氣そのものである。

 

 与えた手の接点に気持ちを込めて、そこから気力を出すような気持ちで同側の足腰を半歩進めて軸足とし、取らせた受けの腕と共に差し出そうとするか、あるいは振り上げるといった動作を試みるなら、そもそも難場歩きから逸脱していることに気付かねばならない。

 武術における手足腰の動作の原理は難場歩きであることを現代の武道家が我々愛好家に伝授してくれたわけであるから、軸足側の手が体軸を離れて受けの中心にひびくほどの動作ができるとは思えない。

 

 与えた手は受けの重さと同時に取りの重さをも魄氣に結んで体軸に与り、所謂〝空の気に結ぶ〟こととなる。それは魂氣(手)と魄氣の丹田における呼気に伴う結びであり、下丹田であれば腋は閉じ、上丹田であれば開くのであるが、いずれにしても上肢はこのとき体軸の一部を成している。呼気とともに母指先が体軸上を昇り降りする以外は手が動作にかかわることはない。また、吸気とともに〝右手を陽に現し左手を陰に返し〟て上段に発する、「両手で氣の巡り」の動作は、いわゆる〝真空の氣に結ぶ〟動きであって、右左それぞれの上肢は同側の非軸足(あるいは膝)とともに吸気で動くしかない。坐技呼吸法による正面打ち一教(動画①②)が典型である。立ち技では下段に与えて軸足交代に伴う昇氣呼吸法(動画③)であろう。

 

 体軸が浮動したまま、あるいは両足に軸、非軸の別がないまま手を動かそうとすることは、陰陽・巡り・結びの魂氣三要素の動きではなく、両足から魄氣の延長を思う動きになっているのだ。このことを開祖は〝魄ではだめだ〟、と指摘されているに違いあるまい。まして、体軸に与る軸足側の手を受けに連なったまま空間へと動かそうとすることは理に反する。重いのである。宇宙の理に適う動作をしなければならないという教えの真意であろう。 

 軸足交代によって体軸が対側の足に移動すると、与えた手は体表に着いたままで体軸からは解かれていることになる。〝空の気を解脱する〟わけである。同側の足は非軸足となって自在に置き換えることができる。〝三位の体〟と開祖は表現されており、このとき取りは〝身の軽さを得て〟母指先から空間に向かって魂氣を発して、上肢で自由に円を描くことができる。つまり、その手には〝魂の比礼振り〟が起こって〝真空の氣に結ぶ〟ことができるのである。

 

 円の中心には互いの体軸が一体となって在り、魂氣は受けの「つぼ」から体軸にひびき、底を抜いて取りの丹田に巡って魄氣と結べば合氣が成り立ち、受けには技が生まれることとなる。このとき取りの軸足は二足で一本となって体軸が移動する。これを残心の姿と理解している。

 

 難場歩きは魂氣と同側の魄氣が結んで体軸を天地に確立し、対側の手足腰は〝神変なる身の軽さを得る〟ことで自由に天地の間の氣に結ぶわけである。

                                      2018/10/6

動画①

動画②

動画③

20. 振り子運動は正立の単独基本動作に繋がるのか

 正座での単独呼吸法入り身運動は、正立でもそのまま単独基本動作に入り身運動があり、横面打ち、突き、下段/上段受け流し(一教運動裏)、一教運動表へと繋がるし、更には入り身転換へと発展する。

 これらはそもそも魄氣の陰陽が元になっており、坐技入り身運動が立ち技での鳥船の形を生み、そこから単独基本動作入り身が形作られ、転換・回転へと正立の基本動作が展開される。継ぎ足により二足が一本の体軸に与る瞬間、吸気の終末による体軸の完全移動と直立が維持される。次に一本の足を体軸に任せて軸足とし、対側の足先を軽く半歩進めて何時どの方向へも移動できる状態に置く。これは呼気に伴い陰の魄氣と呼ぶことにする。

 前方の足先を吸気とともに更に半歩踏み出すと体軸はその方向に移動する。これは陽の魄氣であり、両足が地を踏む間は軸足交代がなく体軸の完全移動も為されていない。

 

 ところで、振り子運動をそのまま正立で表現することはできない。それは先ず魄氣の陰陽に現れるべきものであろう。鳥船の足腰・体軸の形である。開祖は鳥船について言及し、変わって行くべきものだと仰っている。

 また、鳥船の足腰、つまり魄氣の陰陽に、入り身運動を順応させることがすべてでないことは、有川師範の鳥船や諸手取り呼吸法、一教を見れば明らかである。体軸は常に鉛直であるべし、ではなく、片寄りをつくりながらも両足底で地を踏む魄氣の結び(摺り足)を前提とし、体軸の前後左右への傾斜で重心を完全移動することが鳥船の核心とうかがえる。

  魄氣の陽で後ろの非軸足が伸展して地を踏む限り、移動し終える体軸は前傾し、陰では後傾するであろう。結果非軸足は引き寄せられることなく足底が全体で地に接し、入り身に続く体の変更では非軸足の伸展のまま大きく一歩置き換えると同時に軸足交代せず魄氣の陽で成立させ得る。さらにその半回転した非軸足を同時にその場で軸足へ交代すると、一気に陽の魄氣で後ろ回転まで進めることが出来る。振り子運動を二回で後ろ回転となる。

 

 軸足を作って対側の足先を軽く半歩出す三位の体は体軸を直立させた陰の魄氣であり、振り子運動の対極であることになろう。

 振り子運動では非軸足であれ足底からの魄氣を思い、たとえ一瞬地を離れてもその思いは続いている。また、軸足は地を踏みながらも方向を変えることが出来る。一方、入り身運動の非軸足は足先が地に着いてはいても魄氣を受けているわけではない。すべて軸足だけで体重を支えている。足先は方向を持って進むのみであるが、足底・踵は地を踏んで体軸を固定する。ただし45度までは捻ることが出来る。軸足交代の際は地を蹴って離れる。

 振り子運動では非軸足が地を離れず半回転して軸足に交代する瞬間90度以上方向を変えることが出来る。

                                     2018/10/31

21. 魂氣三要素と母指先

 上肢を緊張伸展して掌を天に向け、魂の気を受ける思いで深く息を吸う。このとき母指先からは魂氣を発しているという意識を持つ(画像①)。

 呼気に移るに連れて上肢を弛緩屈曲して腋を閉じて肘を畳み、包んだ掌とともに両母指先は両側頸を指す。あるいは、腋を閉じるとともに前腕尺側を体幹に密着し、手首を屈曲すると両母指先は下丹田で互いに接する。同時に両小指球外縁を経て下丹田から魂氣が取り込まれたとの思いで静止する。このとき陰の魂氣が丹田に結んだと言い表す(画像⑤)。

 

 つまり、呼気相で掌が包まれるときも母指は伸展したままで常に魂氣を発し、陰の巡りにもその方向を定め(画像②③④)、吸気で手を伸展して魂氣を陽で発するとき(画像⑥)はその先駆けとなっている。まさに種火のようなものである。

 徒手とは常に伸展した母指が剣に相当するものであって、極端に短い剣先から魂氣を常時発しているわけである。したがって両手の使い方と形は自ずと決まるのであって、母指を念わない相対動作は氣という言葉と思いを欠落しており、氣の武道を忘れた格闘技となる。

                                     2018/11/2

画像①禊
画像①禊
画像②陰の陽
画像②陰の陽
画像③手首を伸展しつつ母指先より魂氣を発して行く
画像③手首を伸展しつつ母指先より魂氣を発して行く
画像④掌に包み下段に与える魂氣、母指先は地を指す。
画像④掌に包み下段に与える魂氣、母指先は地を指す。
画像⑤下丹田に巡る陰の陽の魂氣、母指先は常に伸展して下丹田を指している。
画像⑤下丹田に巡る陰の陽の魂氣、母指先は常に伸展して下丹田を指している。
画像⑥陽の陽の魂氣、掌を開き母指先の反りの方向へ魂氣を発する。真空の氣に結ぶ。
画像⑥陽の陽の魂氣、掌を開き母指先の反りの方向へ魂氣を発する。真空の氣に結ぶ。

22. 魂氣と魄氣での氣結びの違い

 魂氣の結びとは単独動作で手の丹田への結びを指し、相対動作では受けとの接点から空間に発して中に入ること。また、そのうえで受けのつぼから体軸へとひびき魄氣に結んで底を抜き、取りの丹田へと巡って残心では単独動作で完結する。

 魄氣の結びとは相対動作の入り身である。単独動作の入り身とは、陰の魄氣で軽く半歩出した非軸足先を更に半歩進めて、魄氣の陽に続く軸足交代と継ぎ足から成る体軸移動に他ならない。入り身の完結した瞬間は二足が一本の直立した軸となり、これを残心と呼んでいる。相対動作では受けとの剣線を外して互いの体軸が密着することを言い、そのために魂氣は陰に巡って受けと接点を持った瞬間にも陽で空間に発して受けの中に入る。つまり魂氣の結びと共に、非軸足先を進めて魄氣の陽から軸足交代して残心と共に魂氣を丹田に陰で巡る。または、魂氣を陽で上丹田に結んで入り身して軸足へ交代し、対側の継ぎ足は軸足に被せてから受けの真中へその足先を進めると同時に同側の魂氣を陽に発して受けの力の及ぶ空間へと入る(井桁に進む)ことが肝要である。

 軸足側から非軸足側の魂氣へと体軸から解かれて身(手)の軽さを得ることを〝空の気を解脱して真空の氣に結ぶ〟と開祖は説明しておられる。『五輪の書』では体軸の密着を「漆膠の身」、接点で当たらず手を陰に巡って(畳んで)接することを「秋猴の身」と表現している。

 陽の魄氣で魂氣も陽のまま受けに接すると同側の足が軸足交代に至らない。前傾して体軸を移した場合はなおさら同側の魂氣は体軸に与り、受けの手に接してその足腰から離れたままとなる。したがって互いの魄氣は結ぶには至らない。軸足で体軸を固定してなおかつ同側の魂氣を手によって受けに及ぼそうとする動作は、魄力を行使しているわけだ。開祖はこれを良しとされない。魄力は詰まる、魂の力に振り替えなければならない、と言われる。

 魂氣を陰に巡ってから接点の内側へ陽で入っていくことにより、体軸(魄氣)から解かれた手の自由な動きが可能となる。このように弛緩屈曲から緊張伸展へと魂の氣による結びが受けの手刀に対して為されることを、〝魂の比礼振りが起こる〟と表現されているのであろう。

                                     2018/11/13

23, 三位の体と残心

 自然本体は左右対称に開いた足で直立する姿勢であるが、合気道ではそのなかに魂氣と魄氣を受けて立つという思いが加わる。言葉と思いと動作が一つになって初めて合気道の姿、すなわち動静となる。つまり、天の浮橋に立つと表現される姿である。

 右/左自然体とは右/左半身と呼んでいるが、それぞれ軸足を作ると同時に対側の右/左足先を非軸足として地に軽く半歩出す姿勢である。これを三位の体と開祖は『合気神髄』の中で表している(p70)。

 軸足を作って対側の足先を軽く半歩出すと三位の体であるという。剣術の教えから解釈すれば三位の体とは、静止しているが常に機を待つ、また、氣充つれば素早く動く、そして静止しつつ気配を感じ取る、これら三つの働きが一つの姿勢に備わっていることを意味する。

 

 合気道では開祖が次のように教えている。軽く半歩出した非軸足先は、一旦動けば様々に尽きない動きを連ねることが出来る、と。以下はその解釈の例である。すなわち、その場で内外へ踏み換えて軸とする。あるいは半身から更に半歩前へ、内へ、外へ半歩置き換える、または後ろに一歩置き換えることでそれぞれ軸足に交代する。同時に対側の足は非軸足となり速やかに動きを連ねるなど、千変万化、すなわち様々に変化して尽きることがない。

 

 この三位の体、つまり陰の魄氣、から非軸足先を伸展したまま更に半歩前に進めた後、垂直に地を踏みしめたとき、後ろの軸足は緊張伸展してなおも足底で地を踏み続ける。一瞬両足底で地を踏み、体軸は自然本体とは異なって前方に偏る。これは、半身となって吸気でホーまたはサーと魂氣を差し出した鳥船の動作であり、この姿勢を陽の魄氣と呼んでいる。 

 

 吸気相から呼気相へは止まることのない一点で移行する。イェイで再び後ろの足が膝で弛緩屈曲して軸足となり、体軸はその直上に連なって地から屹立する。三位の体へと巡ったことになる。呼気相の間は陰の魄氣で静止し、吸気相は一気に軸足を伸展して動作するときである。また、陰の魄氣から非軸足を一歩後ろに置き換えて陰の魄氣のまま半身を転換すれば体の変更であり、これは呼気相の中で動作する。軸足が伸展して非軸足となって地を突っ張らないから吸気相はないわけだ。

 

 魄氣の陽から後ろの足底が地を蹴って離れ、それとともに前の足が伸展・直立して完全な軸足となり、後ろの足が軸足の踵に接してこれも足底で地を踏んで、共に一本の軸となる一瞬を入り身と呼ぶ。吸気相の極地であり、この点から呼気で陰の魄氣へと再び軸足・非軸足の確立する間際が残心ということになる。すなわち、残心とは、魄氣の陽に続いて軸足交代と送り足(前足の踵に繋ぐと継ぎ足)からなる二足が一足となる瞬間に始まり、陰の魄氣(三位の体)に戻ることを言う。

 言い換えると、残心は、吸気相の終わりから動作と静止が一つになって心の働きを繋ぎ、次の動作に備えることであり、姿は同じ三位の体である。

                                     2018/11/22

天の浮橋に立ち、天地の結び、鳥船、振り魂、氣の巡り

剣素振りで魄氣の陰陽と入り身・残心

24. 〝空の気を解脱して〟と〝真空の氣に結ぶ〟の間にある開祖の言葉と動作

〝三位の体にて〟p70 非軸足を〝軽く半歩出す〟p70

        左/右自然体(陰の魄氣による半身)、鳥船(魄氣の陰)

〝千変万化、これによって体の変化を生じます〟p70

     ⇒ 鳥船(魄氣の陰陽)、軸足交代、転換・回転、入り身、体の変更

〝空の気を解脱して〟p67 ⇒ 軸足交代により魄氣との結びを解いて、

 

〝魂の比礼振りが起これば〟p106

不思議な〝身の軽さを得る〟p105

その手は吸気で伸展し、〝中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く〟p154

この動作を〝真空の氣に結ぶ〟p67と表現されたのであろう。

 

 つまり、接点で抗わず母指先から空間へ魂氣を発する思いで。

 

〝円の動きのめぐりあわせが合氣の技であります〟p120

〝魂の比礼振りは、あらゆる技を生みだす中心である〟p108 

             ⇒ 魂氣の陰陽・巡り、呼吸法

                                     2018/11/25

25. 入り身投げと呼吸法の相違点

 入り身投げは受けの後に向かい、呼吸法は受けの前に背を着けて上体を合わせる。

 

 呼吸法の表裏即ち外転換も外入り身転換も目付けはいずれも180度転換し、体軸は受けの前に在って背を受けの異名側の胸に合わせる。取りの側頸に結んだ陰の魂氣は後へ陽で発し、取りの撓側前腕が受けの同名側の頸部を衝き、受けの体軸に魂氣が響いて魄氣と結び、底を抜いて取りの体側に巡って取り自身の魄氣と結ぶ。残心である。技が生まれている(動画①②③)。入り身投げは橈側前腕が受けの異名側の頸部を後ろから衝く(動画④⑤⑥

 

 母指先の反りに合わせて掌を開きつつ吸気と共に上肢を伸展させて虚空に円を描く。体側に巡って腋が閉じると上肢は伸展したまま体軸に全体が密着し、魂氣と魄氣の結びが二足で一本の体軸を確立し、残心の姿勢となる。

 

 吸気の終末は途切れることなく呼気相に入り、三位の体、つまり陰の魄氣ですぐさま魂氣も魄氣も陽で発し得る状態となる。吸気の終わりから呼気相は残心の確立であり、徒手では入身一足、剣では三位の体で正眼の構えが基本である。

 

 魂氣と魄氣の要素が呼吸に応じてそれぞれに現わす基本動作は、連なる息に合わせて絶妙な術技を生むのであって、これぞ合氣である。

 動きをなぞって形を全うするは、手足腰目付けの核心から遥遠いふるまいに過ぎない。

                                     2018/11/28

動画①

動画②

動画③

動画④

動画⑤

動画⑥

26. 開祖の言葉から生まれる両手取り天地投げ

空の気を解脱して真空の氣に結ぶと言う言葉が現す動作について

 両手取り天地投げを例として考察する。

 

 地を指す取りの手が、より大切である、とよく言われる。それによって受けの体軸を後下方に崩すことができるからこそ、対側の手が天を指して受けの一方の手を上に差し挙げさせることが可能となり、受けの体軸の直立を一層破綻させて投げを生むこととなるからであろう。

 

 しかし、魂氣をよく働かせるには足腰の基本動作が肝心であることを思い起こすべきである。なぜなら、魄氣の動作と両手の協働に着目することが本来合気の根本であるからだ。

 

 すなわち、両手取りに際し左半身、三位の体の陰の魄氣から軸足を交代して右半身で一歩外入り身による右手の外巡り、これが地に向かう右手の動作を可能にする。左手は軸足側となり、畳んで陰の陽で側頸の高さにあって受けの右胸部に接する。入り身によって右足に軸が交代し、右の地の手は交代した右軸足側で次の体軸に与っている。左手は取りの体軸から解脱して、直ぐに左の送り足とともに受けの右胸部を昇氣で受けの右側頸まで上げることができる。

 したがって、次に左半身で左足先が受けの後三角に井桁で進むときも、同時に左手は空の気を解脱しており、つまり取り自身の体軸から自由となって受けの右肩から陽で天に差し上げて背を超え、陰に巡って空間から取りの下丹田に向かう。つまり真空の氣に結ぶということになる。

 

 受けは取りの下丹田を経て、二足で一本の軸足となった取りの右足後方へ螺旋で落ちる(動画)。

                                     2018/11/29

動画

27. 手刀と剣を持つ手

 小指球と母指球

 

 上段から剣を切り降ろした瞬間、刃筋は取りの体外にあって体の芯では剣を把持している。つまり剣を持つ両手は腋を閉めて体軸におさまり、下丹田で母指先が剣に対して魂氣を発し続けているからこそ手に持って操作し得るのである。

 剣の素振りを繰り返し、その理合を修錬して母指先に魂氣を現し続けた動作から、徒手では一転して小指球に気持ちを込めて手刀を振るっても母指先は常に天を指したままで、それは巡りのない氣の発散である。受けにも取りにも及ぶことなく、ただ散失するのみである。これでは剣を操る動作と手刀の動きに魂気の理が通底するとは言い難い。

 徒手では禊として吸気で両手を拡げて魂氣を受け、拍手を打ってから呼気で下丹田に足腰の魄氣と結ぶ。これを天の浮橋に立つことと理解している。開祖の教える合氣の動作であろう。

 次に鳥船と振り魂で掌に魂氣の珠を包む。小指から弛緩屈曲して掌を軽く包み、これに蓋をした母指の先から魂氣を発する思いで陰陽の巡りを動作することが禊である画像

 正座のまま足腰の動作を抜きにして両手で魂氣の動作を呼吸とともに行うとき、これを坐技単独呼吸法と呼んでいる。

 吸気で魂氣を発するときは陽、呼気で丹田に巡ることを陰とする。また、陽の魂氣は母指先の反りに合わせて上肢が伸展し、その他の指も順次伸展して掌が開いて行く。魂氣の珠を放っても限界まで伸展した上肢には天から新たに魂氣を受けており、呼気によって掌が包まれるとき、丹田に巡って密着すると魂氣がそこに凝集される、という思いをもつ。呼吸の反復で魂氣は常に天空と丹田の間を巡って上肢が連動されるわけである。

 地に降りている魄氣は軸足を経て、同側の腰に包まれた丹田で魂氣と結ぶことで体軸が屹立すると思うことにする。したがって、丹田の核心は軸足交代に伴い非軸足に連なって移動することになり、体軸が移動する本体がここにある。しかも非軸足の置き換えには同時に丹田から離れた魂氣の珠が伴って行き、母指先から空間へと陽の魂氣が発せられることで同側の上肢は伸展して、呼気とともに母指先の反りに合わせて円を描いて体側や丹田に巡って体軸に与る(動画)。合氣とは円の動きの巡り合わせであるということであろう。

 魂氣が陰陽に巡る過程で手刀を見出す瞬間は難しい。

 徒手において剣に相当する魂氣の体現は伸展した母指である。

 魂氣三要素の陰陽、巡り、結びの過程で、開いた掌は天に向け、巡って地に向かう間の一瞬に手刀の形が現れるのみである。

                                      2018/12/6 

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