神氣館【 高槻市 天神町道場 ・ 幸町道場 】              Shinkikan aikido dojo tenjincho/saiwaicho         (公財)合気会公認道場                                  Takatsuki-city Osaka JAPAN                               大阪府合気道連盟加盟道場        「概要」に「神氣館の半年カリキュラム」 「道場案内と活動」参照 「『合氣神髄』より合氣道とは」                                                                                                           「中心は虚空にある」に「10. 開祖の言葉と思いを動作する試み」7/28                                   「11. 合氣の技が生まれるとは」8/4                                   「12. 空の気を解脱するには先ず空の気に結ぶこと」8/14 「体軸と軸足」に動画「禊」 「おしらせ」に8月/9月の稽古予定                     稽古の記録2010/8/15〜2018/8/11

1. 中心は虚空にある ー 『合気神髄』より

P154

 自分の中心を知らなければなりません。自分の中心、大虚空の中心、中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています。全部は丸によって生み出てくるのであります。きりりっと回るからできるのです。

 

 武術は魂さえ、しっかりしていればいくらでもでき、相手をみるのではない。見るから負けるのであります。何時でも円を描きだし、ものを生みだしていかなければならないのです。

 

 武道と神ながらの道、これまでの武道はまだ充分ではありません。今までのものは魄の時代であり、土台固めであったのです。すべてのものを目にみえる世界ばかり追うといけません。それはいつまでたっても争いが絶えないことになるからです。目に見えざる世界を明らかにして、この世に和合をもたらす。それこそ真の武道の完成であります。今までは形と形のもののすれ合いが武道でありましたが、それを土台としまして、すべてを忘れ、そのうえに自分の魂をのせなければなりません。愛の心が無かったなら万有愛護の大精神の大業は成り難く、愛のかまえこそ正眼の構えであります。無形の真理。日本の武道は相手をこしらえてはいけません。武の極意は形ではありません。心は自在に生じ、気は一切を支配する本源であります。

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 相手、接点、自己、目に見える形、そのいずれにも中心は無い。虚空に描く魂氣の円の中心こそが武の極意であり、愛の心なのだ。〝空の気を解脱して真空の氣に結ぶ〟〝魂の比礼振りが起こる〟〝神変なる身の軽さを得る〟〝念を五体から宇宙に氣結びすれば、…… 宇宙の中心に立つことも出来る〟などはいずれも開祖が武の極意を様々に表現しておられるものであろう(動画

                                      2018/5/19

2. 手足腰を動作する元気の源

『合氣神髄 合気道開祖・植芝盛平語録 植芝吉祥丸監修』(柏樹社平成2年発行)から読み解く

 

 運動と心と五感の中枢に加えて神経・筋・骨格のいわゆる運動器が協調して様々な活動が生まれる。意志があっても元気が無ければ動きに現れず、一方、動く元気があっても意志が途絶えておれば目的に叶う動きはなされない。

 

 合気道の植芝盛平開祖は〝魂氣すなわち手〟と呼んでいる(p170181)。その理由は、人の心のたましいを魂といい、ことごとく天に昇り、肉体のたましいは魄と呼んで地に下りるという古い時代からの感じかたに基づき(p80)、同時に、天地の間はすべて氣で充たされているという思いがあって、草木、水火、生き物も、また空間と言えども氣によって(現代では空気と認識されているが)充たされていると考えるのである。

 

 我々は吸気に際して両手をいっぱいに広げて太陽の光と熱を受け、空気を吸い込み、呼気では手を体に巡らせる動作と共にそれら元気の源を身にしみ込ませる思いを抱く。つまり、呼気では空間に二酸化炭素などを吐きだす一方、前述の魂とともに受ける氣は身体にしみわたるものだと考えるから元気が蓄えられる。次の吸気では魂氣を手に受けると同時に母指先を通して下丹田から限界までの魂氣、つまり活気を発していると思うことにする。このように、呼吸とともに天から魂氣が取り入れられることで心に活気が溢れ、手の動作が一層充実するという思いを持つ動作が合気そのものであろう。合気とは禊であるという開祖の言葉は本文中に限っても80回を数える。

 手の隅々までを動作する意志と元気を合わせたものが魂氣であると言い換えることも出来よう。同様に、足腰の動作の源は魄氣である。呼吸との関連では呼気で一足が魄氣を受けて軸足を作れば対側の足は非軸足であり、足先だけが地に接するのみである。また、非軸足は吸気でも呼気でも自在に置き換えて、そのまま軸足へと交代することもできる。唯一直立二足歩行を可能とされたヒトにとって、呼吸とともに行う魄氣による軸足交代と体軸の移動は、上肢の運動、つまり魂氣の働きと協同するところに魂氣と魄氣の結びという思いが生まれるわけである。その中心は各丹田であり、それに連なる体軸でもあるということになる。

 

 呼気で丹田に手足腰が結べば同側のそれらは体軸に与り、対側の手足は自在に置き換わる非軸足と、自由に空間へ差し出せる手となる。呼吸の繰り返しに伴い、この動きは左右の手足で交代が続いて連続の動作となり、様々な体軸移動ができることによって技が生まれことになる(p105)。最も単純な動作が難場歩きであろう。正座では振り子運動に相当する。

 

 体軸に与る手は、受けの真中や手や側頸などのつぼと呼ばれる各くぼみを通して魂氣を及ぼすなら、そののち取りの身体に巡ってその体軸は密着し、魄氣の結びが為されて互いが一体となる。対側の非軸足は更に受けの中心へと差し出され、同側の魂氣は虚空へと円を描いて発せられると、これも受けの体軸へとひびいたのちに取りへ巡って単独呼吸法が為され、同時に相対呼吸法が行われたこととなって合氣の技が生まれる。

 

 魂氣は受けの中を通り過ぎても円を描いて取りに帰ってくることから、活力を使い果たすことにはならず、稽古を繰り返すことでますます氣を練り上げて蓄えることが出来るであろう。

 

 武技の習得に際しての、言葉と、思いと動作の三位一体についても言及され(p178)、具体的には魂、氣、魄の意味と働きを合氣の根本に据えておられる(p177)。

私は、これらを合わせて、魂氣三要素、魄氣三要素として言葉とその思いとそれぞれに対応する動作をまとめることで合気を理解することに努めている。

 すなわち魂氣は、陰陽、巡り、結び、魄氣は陰陽、入り身、転換・回転(軸足交代)である。

                                      2018/5/26

3. 五体と宇宙のひびきの同化

------ 魄氣と魂氣の結び

 

p174

 身心統一をして、それからさらに進んで、そして技の発兆の土台となる。それは念で技が無限に発兆するのである。 中略  稽古は自己の念を我欲に結んだら向上はあり得ない。邪道である。

 

p175

 五体は宇宙の創造した凝体身魂であるから、宇宙の妙精を吸収し、宇宙と同化しているわけである。武道の奥義は、念を五体から宇宙と氣結びし、同化して生死を超越し、宇宙の中心に立つことである。このようにして出た技は、愛の恵みの技となるのである。これは武産合気。これが結びはひびき、それは五体のひびきである。 中略 

 

p176

 宇宙のひびきと、同一化すること。そして相互交流。この変化が技の本となるのである。すなわち「氣の妙用」である。五体と宇宙のひびきの同化。これにより光と熱と力が生まれ、この現象は微妙な妙用である。技は五体のひびきと宇宙のひびきと氣結び、緒結びし、千変万化するのであるけれど、我々は五体のひびきから光と熱と力を生じさせるような稽古をし、宇宙のひびきの中の空に技を生み出していかなくてはいけない。また、念は宇宙と争ってはいけない。気が折れるからである。五体の念は、宇宙から切り離しては考えられない。宇宙と争う念を起こすと、必ず身を滅ぼすのである。

 念の研磨は、自己の意識しない中に、宇宙と同化することが必要であるから、その方向へと逐時稽古増進することである。

p16

 自己の想いで自己を縛ってはだめである。そして真の自己を生み出す場の体を大切に扱い、魄を大事に扱うことを忘れてはならない。

 

p6768

 真空の氣をいっぱいに五体に吸い込み、清らかにならなければなりません。清らかなれば、真空の氣がいちはやく五体の細胞より入って五臓六腑に喰い入り、光と愛と想いになって、技と力を生み、光る合気は己の力や技の生み出しではなく、宇宙の結びの生み出しであります

 また、武は技と光を結ぶことに力を入れなければなりません。その結びは中心がなければなりません。中心があるから動きが行われるのであります。この中心は腹であります。

 

p154

 自分の中心を知らなければなりません。自分の中心、大虚空の中心、中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています。全部は丸によって生み出てくるのであります。きりりっと回るからできるのです。

 

 天の浮橋に立つ 禊 身心統一 魄氣 魂氣 中心は腹 中心は虚空にある 空の気 真空の氣 氣結び 技 光と熱と力 武 愛

                                       2018/6/3

昭和45年頃

4. 呼吸法の仕組み

 合気道の呼吸法とは呼吸とともに氣結びを為すこと、と定義することができる。呼吸は口から吐く呼気と鼻から吸う吸気の反復動作である。つまり口を開く阿(呼気)と閉じる吽(吸気)が呼吸である。

 呼吸と言うところを阿吽の呼吸と強調する場合もあるが、二人で共通のことを同時に動作するとき、調子を合わせる意味に使う場合もある。正反対の呼吸動作によって体の各部にも正反対の動きが伴うわけである。

 また、呼吸法には一人で行う単独呼吸法と取り受けに分かれて二人で行う相対呼吸法がある。

 単独呼吸法とは、自己の手が呼気で丹田に戻っては吸気で空間に伸展して差し出される動作を指す。呼気で腋が閉じて肘と手首と指が弛緩屈曲した手は胸腹部に密着し、体軸の一部に与る状態が魂氣にとっては陰であり、下丹田で魄氣と繋がった状態を思い浮かべ、それと結んでいると表現する。魄氣は軸足そのものである。

 吸気では、常時伸展している母指先から氣が迸り出るように上肢全体が限界まで伸展し、母指先の反りに合わせて空間に円を描くようにして体側へと巡ってくる。このとき魂氣は陽であり、虚空には真空の氣があって、それと一体になるかのような感覚を持って動作するから〝真空の氣に結ぶ〟と表現されるのであろう(動画①)。

 

 相対呼吸法では以下の氣結びが考えられる。すなわち、受けの手と接する点から内に入る魂氣の結び、次に魂氣が受けの体軸に響く魂氣と魄氣の結び、そして体軸が互いに接する魄氣の結びである。

  

 さらに、呼吸は、その動作を裏付ける体の仕組みによって腹式と胸式に分けることが出来る。

 腹式呼吸とは胸を両腕で閉じた場合で、無意識に腹を広げて腹中に空気を吸うごとく吸気を行う。胸式呼吸とは、片手を下丹田に結び、対側を伸展して陽の魂氣で円を描く場合で、腹部は緊張陥凹し胸部が拡張する。ただし、この際、片手を腰仙部に回せば腹部も弛緩膨隆して胸腹式吸気となる。前者は両手取り呼吸法、後者は片手/諸手取り呼吸法に典型である。

 

 相対動作の片手/諸手取り呼吸法では、はじめに陰の魂氣で腰仙部に置いて体軸に与った手が再度軸足交代で体軸側になるとき、下丹田よりも腰仙部に結ぶ方が胸腹式吸気でより大きい陽の魂氣が発せられることになる。より深い吸気によって伸筋と横隔膜が限界まで緊張収縮することで上肢の伸展は胸腹側とともに最大となる。同時に取りの背部は伸展した上肢と共に最大限に後屈して、受けの前胸部に及ぼす圧迫と受けの側頸を経て体軸に及ぶ取りの前腕橈側からのひびきは最大となる(動画②)。

 

 このように背側に回して体幹に密着する陰の魂氣は軸足とともに体軸を安定させるのみならず、胸腹式呼吸による呼吸力の増大を可能とするものである(動画③④)。

                                      2018/6/10

動画①

動画②

動画③

動画④

5. 振りかぶりの呼吸

——— 取りの基本動作

 

呼気の振りかぶりは上丹田への結びである。

陰の魂氣と魄氣による。

呼気で上丹田に結び、吸気で正面打ち、または対側の手で返し突きを、受けの真中へ発する。前者は四方投げ、後者は正面打ち一教裏。

結びの核心は、

 剣では母指球手背面、母指先の反りは頭頂に向かう。非軸足側動画①)。

 四方投げでは示指球手背面、母指先は前方を指す。軸足側から非軸足側へ交代(動画②)。

 徒手の鎬では母指球側面、母指先は水平。軸足側(動画③)。

 杖巡りの陰の魄氣、相半身外転換では非軸足側(動画④の二本目)。吸気で頂丹田への振りかぶりの方がより良い。

 

 

吸気の振りかぶりは頂丹田への結びである。

陽の魂氣と魄氣による。

吸気で頂丹田に結び、呼気で横面打ちを、取り自身の下丹田へ結ぶ。

突きや正面打ちに対する転換/入り身の動作。(動画④の一本目)。

結びの核心は、

 剣では母指球手背面、母指先の反りは後頂に向かう。軸足側(動画⑤)。

 徒手横面打ち(入り身/転換)では母指先が頭頂を指す。軸足側。

呼気で小手返しの手(陰の陽の魂氣)を下丹田に結ぶ。

                                      2018/6/16

動画①

動画②

動画③

動画④

動画⑤

6. 『合気神髄』より開祖の合気

合氣の姿勢(正立)と動作(魄氣と魂氣の三要素)

 

姿勢(正立

 合気について、〝どういうことをやるのかというと、最初は天の浮橋に立たされてというところから始めなければなりません〟(p99)、と開祖は現在までの稽古のありかたをここに指し示している。

〝合気道は天の浮橋に立たねばなりません〟(p65)。〝天の浮橋に立たねば武は生まれません〟(p73)。〝大地の呼吸とともに天の呼吸を受け、その息をことごとく自己の息にして同化し、魂魄を正しく整える〟(p149)のである、と。また、開祖は天の浮橋に立つ姿を〝天地の和合を素直に受けたたとえ〟、〝片寄りがない分です〟(p69)、〝立った姿は全部世界と結んでいる〟(p94)とも説明している。

 一方で〝禊は合気であり、合氣は禊から始める〟(p145) 。また、〝稽古は禊である〟(p93)ということで、天の浮橋に立つ、と禊は同義であることが明らかだ。

 

 禊とは、自然本体で大地から両足を経て魄氣を丹田に受け、吸気と共に両手を左右に緊張伸展して、魂氣を受ける思いで拍手を打つ。その瞬間、五体に魂氣のひびきを感じて呼気で丹田におさめる。開祖はこれを天の浮橋に立つことと表現しているのであろう。

 

動作

 禊の自然本体から一方の足を軸とし、他方を非軸足として〝三位の体にて〟(p70)非軸足を〝軽く半歩出す〟(p70)、と。これは単なる半身にとどまらず、軸足と体軸を後ろに置く呼気相であることから、私は陰の魄氣と呼んでいる。

 そこで、非軸足を後ろに一歩置き換えると、魂氣も腰仙部に陰で巡り、軸足交代によって半身を転換した陰の魄氣により、体軸の後方移動が成立する。体の変更である。

 

 いずれにしても軸足側の手は陰の魂氣となって丹田で魄氣に結び、体軸を確立するから、そのままでは手を差し出すことは出来ない。受けに取らせた手であれば、なおさら魂氣を及ぼすことも手で導くことも出来ない。軸足に連なる魄氣と結ぶ魂氣は体軸を作るものであって動かすわけにはいかないことを開祖は丹念に教えている(p6970、p172)

 

静から動へ

 陰の魄氣からその場で陽の魄氣として軸足を伸展し、非軸足で地を踏み、同側の魂氣を陽で発すると、体軸は前方に片寄り、片手を取って取りの下丹田に結んでいた受けは前方に放たれる。片手取り入り身転換から体の変更である。

 つまり、陽の魄氣の半身では、前方の足腰に連なる体幹は前方に腰と肩が入り、異名側の受けの前胸部はそれに接触しつつ取りの魂氣に導かれて前方へ一歩踏み出すわけであある。

 他方、単独動作で陽の魄氣から呼気で体軸を戻して陰に巡れば鳥船の一呼吸である。

 

 そこで、陰の魄氣で半身の姿勢から軸足を交代して魄氣とともに体軸を対側の足に移せば元の軸足は非軸足となり、〝軽く半歩出し〟(p70)て、足先を地に置く状態となる。同側の手は体軸から解かれて陽の魂氣を発する兆しを持つ。〝空の気を解脱して〟(p67)、〝魂の比礼振りが起これば〟(p106)、不思議な〝身の軽さを得る〟(p105)わけである。

 

 非軸足を一歩進めることによって上肢を最大限に伸展して虚空に円を描くことができる。吸気で上肢を伸展し、虚空に円を描くことを〝真空の氣に結ぶ〟(p67)と表現し、魂氣を発すると同時に天から魂氣を受ける。

 

動から静へ

 相対動作では受けに魂氣を及ぼし、取りに巡ってくることで受けの底を抜き、それによって〝技が出る〟(p67)こととなる。〝中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています〟(p154)〝円の動きのめぐりあわせが、合氣の技であります〟(p120)

 

 置き換えた足は再び軸足に交代し、対側の足は継ぎ足で両足が一本となって体軸を移動させる。入り身による呼吸法の動作である。この一瞬が残心で、魂氣の描いた円は丹田か、もしくは体側に巡り、魄氣と結ぶ陰の魂氣となって再び体軸に与る。禊そのものである。合氣の核心はこの動作にある。

 

 禊とは、〝魄の世界を魂の比礼振りに直すことである。ものをことごとく魂を上にして現すことである〟(p149)。したがって、〝魂の比礼振りは、あらゆる技を生み出す中心である〟(p108)

 

 魂氣の陰陽、巡りを動作するには、同側の足が非軸足へと交代して魂の比礼振りの起こることが要訣である。

                                      2018/7/17

7. 「脱力する」ではなく「身の軽さを得る」

『合気神髄』には脱力という語句は見出せない。力と言う言葉は相当数見られる。一部は以下のような文章である(「 」内)。括弧( )内は筆者の挿入。

 

p18

「自己の肉体は、物だから魄である。それはだめだ。魄力はいきづまるからである。」

p40

「腕力によって滅ぼしたり、武器をもって世界を破滅に導くものではなく、宇宙の気をととのえ、世界の平和を守り、森羅万象を正しく生産し、護り育てることである。この道の鍛錬は、森羅万象を正しく生み、護り育てる神の愛の力を、我が心身のうちでするのである。」

p58

「我々の上には神があると思わねばならない。なぜならば永い間仕組んで出来上がった天や地、そこにある引力 __これは天の気がずうっと下がってくる_天地の妙精力、つまり引力と引力との交流によって世界が収められる。これをもとにして出来たのが合気道で、」

p67

「気がまえが自由に出来ておらぬ人には、充分な力は出せません。空の気と、真空の気の置きどころを知ることが第一であります。真空の気は宇宙に充満しています。中略 空の気は重い力を持っております。また五体は物の気で働きます。身の軽さ、早業は真空の気を持ってせねばなりません。空の気は引力を与える縄であります。自由はこの重い空の気を解脱せねばなりません。これを解脱して真空の気に結べば技が出ます。解脱するには心の持ちようが問題となってきます。」

 

 力を肯定的に捉える場合と否定的に述べている場合がある。そして、ここでは魂氣、つまり手の動作について教示されている。

 一方、p6970では軸足の置き方と非軸足の置き換えに伴う手の動作を説明している。

 禊の姿から、「右足をもう一度、中略 踏む、自転公転の大中心はこの右足であります。こんどは左足、千変万化、これによって体の変化を生じます。左足を三位の体にて軽く半歩出します。」「また右足は 中略 動かしてはなりません。中略 魄を脱して魂に入れば 左(手足)は正勝 中略 右(手足)は吾勝 中略 勝速日の基、左右一つに業の実を生み出します。左(手足)はすべて発し兆し、無量無限の気を生み出すところであります。」「魂の比礼振りが起こったら左(手)が自在に活躍します。左(手)で活殺を握り、右手で止めをさす。これが左(手)の神業の意義であります。技が生か滅か、端的な活殺が武産合気であります。」

 

 これと同内容の記述がp104106にある。

「念は目前の勝敗という形にとらわれることなく、宇宙に正しく、氣結びしなければならない。念は五体にとどまっていると、転生しない。結んではじめて生成してくるのである。このようにすれば、必ずその念は神通力となって、あらゆることが明瞭になってくることであろう。」

「念を五体から宇宙に氣結びすれば、五体は宇宙と一体となって、生滅を超越した宇宙の中心に立つことも出来る。」中略 「五体の左は武の基礎となり、右は宇宙の受ける氣結びの現れる土台となる。この左、右の氣結びがはじめ成就すれば、後は自由自在に出来るようになる。」「すべて左を武の土台根底とし、自在の境地に入れば、神変なる身の軽さを得る。右は左によって主力を生みだされる。また左が盾となって、右の技のなす土台となる。これは自然の法則である。この原則を腹において、臨機応変、自在に動くことが必要である。」

 

 これにより、「空の気を解脱する」とは「魂の比礼振りが起こる」ことと同義であろうことがうかがえる。そして、それは不思議な「身の軽さを得る」こととなるのであって、手の力を抜いて何か動作を試みようというものではなかろう。

 体軸に与る手、つまり軸足側の手はそのまま伸展するには無理がある。軸足に伝わる魄氣と結ぶその手が体軸を離れようとしても、母指先からの魂氣は体軸を指向しているのであり、最早受けの重さを克服する手段として体軸そのものが陰の魂氣すなわち手を必要としているからである。

 軸足交代によって移動した体軸に対側の魂氣が与ることで、受けに与えた方の魂氣が体軸から解かれるやいなや、受けの重さが感じなくなると説いているようだ。

 

「この左、右の氣結びがはじめ成就すれば、後は自由自在に出来るようになる。」とは左と右の氣結びではなく、左の手足の氣結びと右の手足の氣結びがはじめに成立すれば後は交代しながら移動が連続する、という意味であろう。

 すなわち、左の結びで陰の魂氣・軸足・体軸を確立すれば右は互いに解かれて右足の入り身と同時に右手で大きく円を描く呼吸法のごとく、自由に動いた後に陰の魄氣によって軸足交代と体軸移動が起こる。すぐさま左の手足腰の結びが解かれて動きが連なって行く。難場歩きの仕組みであり、あらゆる状況に自然の歩行を臨機応変に当てはめて連動することが出来る。

                                       2018/6/25  

8. 丹田にありながら体軸から解かれた魂氣

 陰の魂氣とは、丹田に結び、なおかつ同側の魄氣つまり軸足に結んでいる場合は体軸に与っている。

 軸足交代によって同側の足が非軸足となれば、丹田に置いた手は体軸から解かれ、自在に伸展することが出来る。このとき母指先から陽の魂氣を虚空へと発している。

 母指先の反りに合わせて円を描き自身の体側に巡って腋が閉じると、再び同側の足が軸となって魂氣は魄氣に結び、体軸に与る陰の魂氣となる。

 このように、丹田にありながら魄氣から解かれて軽くなった手は魂氣を陽で発する兆しを生む。〝魂の比礼振りが起こる〟ということに相当するのであろう。

                                      2018/7/14

9. 「心の持ちよう」を動作する試み

 陰の魂氣で受けに結び、魄氣が受けの軀幹に接して軸足が確立すると、体軸が受けに一体化する。三位に開いた非軸足に軸足を交代させるとき、受けの手と軀幹に結んだまま取りの体軸は交代した方の軸足に移る。与えた手は体軸から解かれて(空の気を解脱して)同側の非軸足と共に自由に空間へ発することが出来る(真空の気に結ぶ)。その手には受けが繋がっている。しかし受けの魄氣は取りの体軸に結んでいる。したがって取りの魂氣は重さを感じていない。

 虚空に発せられた魂氣は受けの側頸に接して、その体軸にひびく。母指先の反りに合わせて円を描き、取りの体側に巡ったなら、魂氣は受けの底丹田を突き抜けた、と思うことができる。つまり昇氣・呼吸法(動画①)や降氣・呼吸投げ(動画②)の技が生まれている。

 

 軸足交代の際、受けの手と体幹を取りの体軸に結んだまま、交代した方の軸足に体軸ごと預けるのが「心の持ちよう」p67で、その結果、受けに与えた手は不思議な「身の軽さを得る」p105ということになるわけだ。

                                      2018/7/20

動画①諸手取りに昇氣・呼吸法

動画②諸手取りに降氣・呼吸投げ

10. 開祖の言葉と思いを動作する試み

『合気神髄』(注)より開祖の言葉と思いを動作する試み

 

《合気について》

〝どういうことをやるのかというと、最初は天の浮橋に立たされてということから始めなければなりません〟p99

〝大地の呼吸とともに天の呼吸を受け、その息をことごとく自己の息にして同化し、魂魄を正しく整える〟p149のである。

 また、開祖は天の浮橋に立つ姿を〝天地の和合を素直に受けたたとえ〟、〝片寄りがない分です〟p69と説明している。⇒自然本体

 

《魄氣の動作(軸足の確立と体軸移動)》

 一方で〝合氣は禊から始める〟p145 〝稽古は禊である〟p93、とも言われている。

〝三位の体にて〟p70 非軸足を〝軽く半歩出す〟p70

   ⇒左/右自然体(陰の魄氣による半身)、鳥船(魄氣の陰陽)

 〝千変万化、これによって体の変化を生じます〟p70

   ⇒軸足交代による入り身、転換、入り身転換、前/後方回転

 

《魂氣の動作(呼吸に伴う上肢の屈伸と円運動)》

 軸足交代によって体軸が移動し、対側の魂氣が陰に巡り、同側の魄氣に結んで体軸に与ることとなれば、受けに連なる手は〝空の気を解脱して〟p67 〝魂の比礼振りが起これば〟p106

不思議な〝身の軽さを得る〟p105

 その手は吸気で伸展し、〝中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く〟p154

 この動作を〝真空の氣に結ぶ〟p67と表現し、魂氣を発すると同時に天から魂氣の受けることを思い、呼気で丹田や体側に巡る。その間に魂氣は受けの側頸から中心にひびき、底を抜く

   ⇒呼吸法と呼吸投げ。

〝円の動きのめぐりあわせが合氣の技であります〟p120

〝魂の比礼振りは、あらゆる技を生みだす中心である〟p108

   ⇒正面打ち、交差取り、片手取り内/外巡り、諸手取り

 

(注)『合気神髄 合気道開祖・植芝盛平語録』

   合気道道主植芝吉祥丸 監修、柏樹社1990120日初版発行

                                      2018/7/28

 

11. 合氣の技が生まれるとは

 与えた魂氣を陰に巡って丹田で魄氣に結んで体軸を作る。空の気に結ぶ、つまり受けに結ぶと同時に同側の魄氣と結んで半身(はんしん)を体軸にして動かさない。同時に反対側の手足腰を自在に置き換えて剣線を外す、内/外の転換で軸足を交代することである。

 体軸が対側の半身に移るから、空の気を解脱することで、その前に受けと一体になった半身に軽さを得る。上肢は自由に伸展して円を描き、魂氣は真空の氣に結ぶ。受けに魂氣が響き、あるいは円の中心を受けと共に成せば、合氣の技が生まれる。呼吸法(動画①)と呼吸投げ(動画②)である。

 受けに結び陰で静止する魂氣が、軸足交代で体軸から解かれて軽く速く陽に発し巡るとき、魂の比礼振りに喩えられる。合氣の技の生まれる瞬間である。

                                       2018/8/4

動画①

動画②

12. 空の気を解脱するには先ず空の気に結ぶこと

 空の気を解脱して真空の氣に結ぶために、先ず空の気に結ぶことが先である。

 非軸足を半歩出して受けに与えた魂氣は陰に巡って、軸足に交代すると同時に丹田で魄氣に結ぶ。つまり〝真空と空の(氣の)結び〟によって体軸が生まれる。魂氣には受けの手が連なり、入り身転換によって互いの体軸が接し、互いの魄氣も結んでいる。

 取りの魂氣は互いの魄氣に連なり体軸に与るからそのままでは動かすことが出来ない。地に繋がる重い空の気に結んでいるわけだ。それを解脱するとは、体軸から解かれることであり、対側の非軸足を軸足に交代して体軸をそちらに移すことが必要である。そうすれば丹田に接している魂氣は陰ではあるが〝軽さを得る〟ことになり、〝魂の比礼振りが起こる〟と表現できるであろう。

 与えているが未だ掌に珠を包んだ手は、丹田を離れて吸気とともに魂氣を陽で発し、その手は掌が開かれて母指先は虚空に円を描くこととなる。

 受けの手は取りに結んで導かれ、取りの魂氣は陰に巡ると受けの体軸にひびき、底を抜いて取りに巡る。取り自身の魄氣に結んで元の姿勢に還るが、その瞬間は、軸足を作って対側を半歩軽く出した三位の体ではない。二足が一本の軸足となって体軸を成す「残心」である。魄氣の陰でもなく陽でもない。しかし、直ぐさま陰陽何れにも魄氣を動作して体軸の確立と移動、合氣の動と静へと応じることが出来る。

                                      2018/8/14

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