1. 中心は虚空にある ー 『合気神髄』より

P154

 自分の中心を知らなければなりません。自分の中心、大虚空の中心、中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています。全部は丸によって生み出てくるのであります。きりりっと回るからできるのです。

 

 武術は魂さえ、しっかりしていればいくらでもでき、相手をみるのではない。見るから負けるのであります。何時でも円を描きだし、ものを生みだしていかなければならないのです。

 

 武道と神ながらの道、これまでの武道はまだ充分ではありません。今までのものは魄の時代であり、土台固めであったのです。すべてのものを目にみえる世界ばかり追うといけません。それはいつまでたっても争いが絶えないことになるからです。目に見えざる世界を明らかにして、この世に和合をもたらす。それこそ真の武道の完成であります。今までは形と形のもののすれ合いが武道でありましたが、それを土台としまして、すべてを忘れ、そのうえに自分の魂をのせなければなりません。愛の心が無かったなら万有愛護の大精神の大業は成り難く、愛のかまえこそ正眼の構えであります。無形の真理。日本の武道は相手をこしらえてはいけません。武の極意は形ではありません。心は自在に生じ、気は一切を支配する本源であります。

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 相手、接点、自己、目に見える形、そのいずれにも中心は無い。虚空に描く魂氣の円の中心こそが武の極意であり、愛の心なのだ。〝空の気を解脱して真空の氣に結ぶ〟〝魂の比礼振りが起こる〟〝神変なる身の軽さを得る〟〝念を五体から宇宙に氣結びすれば、…… 宇宙の中心に立つことも出来る〟などはいずれも開祖が武の極意を様々に表現しておられるものであろう(動画

                                      2018/5/19

2. 手足腰を動作する元気の源

『合氣神髄 合気道開祖・植芝盛平語録 植芝吉祥丸監修』(柏樹社平成2年発行)から読み解く

 

 運動と心と五感の中枢に加えて神経・筋・骨格のいわゆる運動器が協調して様々な活動が生まれる。意志があっても元気が無ければ動きに現れず、一方、動く元気があっても意志が途絶えておれば目的に叶う動きはなされない。

 

 合気道の植芝盛平開祖は〝魂氣すなわち手〟と呼んでいる(p170181)。その理由は、人の心のたましいを魂といい、ことごとく天に昇り、肉体のたましいは魄と呼んで地に下りるという古い時代からの感じかたに基づき(p80)、同時に、天地の間はすべて氣で充たされているという思いがあって、草木、水火、生き物も、また空間と言えども氣によって(現代では空気と認識されているが)充たされていると考えるのである。

 

 我々は吸気に際して両手をいっぱいに広げて太陽の光と熱を受け、空気を吸い込み、呼気では手を体に巡らせる動作と共にそれら元気の源を身にしみ込ませる思いを抱く。つまり、呼気では空間に二酸化炭素などを吐きだす一方、前述の魂とともに受ける氣は身体にしみわたるものだと考えるから元気が蓄えられる。次の吸気では魂氣を手に受けると同時に母指先を通して下丹田から限界までの魂氣、つまり活気を発していると思うことにする。このように、呼吸とともに天から魂氣が取り入れられることで心に活気が溢れ、手の動作が一層充実するという思いを持つ動作が合気そのものであろう。合気とは禊であるという開祖の言葉は本文中に限っても80回を数える。

 手の隅々までを動作する意志と元気を合わせたものが魂氣であると言い換えることも出来よう。同様に、足腰の動作の源は魄氣である。呼吸との関連では呼気で一足が魄氣を受けて軸足を作れば対側の足は非軸足であり、足先だけが地に接するのみである。また、非軸足は吸気でも呼気でも自在に置き換えて、そのまま軸足へと交代することもできる。唯一直立二足歩行を可能とされたヒトにとって、呼吸とともに行う魄氣による軸足交代と体軸の移動は、上肢の運動、つまり魂氣の働きと協同するところに魂氣と魄氣の結びという思いが生まれるわけである。その中心は各丹田であり、それに連なる体軸でもあるということになる。

 

 呼気で丹田に手足腰が結べば同側のそれらは体軸に与り、対側の手足は自在に置き換わる非軸足と、自由に空間へ差し出せる手となる。呼吸の繰り返しに伴い、この動きは左右の手足で交代が続いて連続の動作となり、様々な体軸移動ができることによって技が生まれことになる(p105)。最も単純な動作が難場歩きであろう。正座では振り子運動に相当する。

 

 体軸に与る手は、受けの真中や手や側頸などのつぼと呼ばれる各くぼみを通して魂氣を及ぼすなら、そののち取りの身体に巡ってその体軸は密着し、魄氣の結びが為されて互いが一体となる。対側の非軸足は更に受けの中心へと差し出され、同側の魂氣は虚空へと円を描いて発せられると、これも受けの体軸へとひびいたのちに取りへ巡って単独呼吸法が為され、同時に相対呼吸法が行われたこととなって合氣の技が生まれる。

 

 魂氣は受けの中を通り過ぎても円を描いて取りに帰ってくることから、活力を使い果たすことにはならず、稽古を繰り返すことでますます氣を練り上げて蓄えることが出来るであろう。

 

 武技の習得に際しての、言葉と、思いと動作の三位一体についても言及され(p178)、具体的には魂、氣、魄の意味と働きを合氣の根本に据えておられる(p177)。

私は、これらを合わせて、魂氣三要素、魄氣三要素として言葉とその思いとそれぞれに対応する動作をまとめることで合気を理解することに努めている。

 すなわち魂氣は、陰陽、巡り、結び、魄氣は陰陽、入り身、転換・回転(軸足交代)である。

                                      2018/5/26

3. 五体と宇宙のひびきの同化

------ 魄氣と魂氣の結び

 

p174

 身心統一をして、それからさらに進んで、そして技の発兆の土台となる。それは念で技が無限に発兆するのである。 中略  稽古は自己の念を我欲に結んだら向上はあり得ない。邪道である。

 

p175

 五体は宇宙の創造した凝体身魂であるから、宇宙の妙精を吸収し、宇宙と同化しているわけである。武道の奥義は、念を五体から宇宙と氣結びし、同化して生死を超越し、宇宙の中心に立つことである。このようにして出た技は、愛の恵みの技となるのである。これは武産合気。これが結びはひびき、それは五体のひびきである。 中略 

 

p176

 宇宙のひびきと、同一化すること。そして相互交流。この変化が技の本となるのである。すなわち「氣の妙用」である。五体と宇宙のひびきの同化。これにより光と熱と力が生まれ、この現象は微妙な妙用である。技は五体のひびきと宇宙のひびきと氣結び、緒結びし、千変万化するのであるけれど、我々は五体のひびきから光と熱と力を生じさせるような稽古をし、宇宙のひびきの中の空に技を生み出していかなくてはいけない。また、念は宇宙と争ってはいけない。気が折れるからである。五体の念は、宇宙から切り離しては考えられない。宇宙と争う念を起こすと、必ず身を滅ぼすのである。

 念の研磨は、自己の意識しない中に、宇宙と同化することが必要であるから、その方向へと逐時稽古増進することである。

p16

 自己の想いで自己を縛ってはだめである。そして真の自己を生み出す場の体を大切に扱い、魄を大事に扱うことを忘れてはならない。

 

p6768

 真空の氣をいっぱいに五体に吸い込み、清らかにならなければなりません。清らかなれば、真空の氣がいちはやく五体の細胞より入って五臓六腑に喰い入り、光と愛と想いになって、技と力を生み、光る合気は己の力や技の生み出しではなく、宇宙の結びの生み出しであります

 また、武は技と光を結ぶことに力を入れなければなりません。その結びは中心がなければなりません。中心があるから動きが行われるのであります。この中心は腹であります。

 

p154

 自分の中心を知らなければなりません。自分の中心、大虚空の中心、中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています。全部は丸によって生み出てくるのであります。きりりっと回るからできるのです。

 

 天の浮橋に立つ 禊 身心統一 魄氣 魂氣 中心は腹 中心は虚空にある 空の気 真空の氣 氣結び 技 光と熱と力 武 愛

                                       2018/6/3

昭和45年頃

4. 呼吸法の仕組み

 合気道の呼吸法とは呼吸とともに氣結びを為すこと、と定義することができる。呼吸は口から吐く呼気と鼻から吸う吸気の反復動作である。つまり口を開く阿(呼気)と閉じる吽(吸気)が呼吸である。

 呼吸と言うところを阿吽の呼吸と強調する場合もあるが、二人で共通のことを同時に動作するとき、調子を合わせる意味に使う場合もある。正反対の呼吸動作によって体の各部にも正反対の動きが伴うわけである。

 また、呼吸法には一人で行う単独呼吸法と取り受けに分かれて二人で行う相対呼吸法がある。

 単独呼吸法とは、自己の手が呼気で丹田に戻っては吸気で空間に伸展して差し出される動作を指す。呼気で腋が閉じて肘と手首と指が弛緩屈曲した手は胸腹部に密着し、体軸の一部に与る状態が魂氣にとっては陰であり、下丹田で魄氣と繋がった状態を思い浮かべ、それと結んでいると表現する。魄氣は軸足そのものである。

 吸気では、常時伸展している母指先から氣が迸り出るように上肢全体が限界まで伸展し、母指先の反りに合わせて空間に円を描くようにして体側へと巡ってくる。このとき魂氣は陽であり、虚空には真空の氣があって、それと一体になるかのような感覚を持って動作するから〝真空の氣に結ぶ〟と表現されるのであろう(動画①)。

 

 相対呼吸法では以下の氣結びが考えられる。すなわち、受けの手と接する点から内に入る魂氣の結び、次に魂氣が受けの体軸に響く魂氣と魄氣の結び、そして体軸が互いに接する魄氣の結びである。

  

 さらに、呼吸は、その動作を裏付ける体の仕組みによって腹式と胸式に分けることが出来る。

 腹式呼吸とは胸を両腕で閉じた場合で、無意識に腹を広げて腹中に空気を吸うごとく吸気を行う。胸式呼吸とは、片手を下丹田に結び、対側を伸展して陽の魂氣で円を描く場合で、腹部は緊張陥凹し胸部が拡張する。ただし、この際、片手を腰仙部に回せば腹部も弛緩膨隆して胸腹式吸気となる。前者は両手取り呼吸法、後者は片手/諸手取り呼吸法に典型である。

 

 相対動作の片手/諸手取り呼吸法では、はじめに陰の魂氣で腰仙部に置いて体軸に与った手が再度軸足交代で体軸側になるとき、下丹田よりも腰仙部に結ぶ方が胸腹式吸気でより大きい陽の魂氣が発せられることになる。より深い吸気によって伸筋と横隔膜が限界まで緊張収縮することで上肢の伸展は胸腹側とともに最大となる。同時に取りの背部は伸展した上肢と共に最大限に後屈して、受けの前胸部に及ぼす圧迫と受けの側頸を経て体軸に及ぶ取りの前腕橈側からのひびきは最大となる(動画②)。

 

 このように背側に回して体幹に密着する陰の魂氣は軸足とともに体軸を安定させるのみならず、胸腹式呼吸による呼吸力の増大を可能とするものである(動画③④)。

                                      2018/6/10

動画①

動画②

動画③

動画④

5. 振りかぶりの呼吸

——— 取りの基本動作

 

呼気の振りかぶりは上丹田への結びである。

陰の魂氣と魄氣による。

呼気で上丹田に結び、吸気で正面打ち、または対側の手で返し突きを、受けの真中へ発する。前者は四方投げ、後者は正面打ち一教裏。

結びの核心は、

 剣では母指球手背面、母指先の反りは頭頂に向かう。非軸足側動画①)。

 四方投げでは示指球手背面、母指先は前方を指す。軸足側から非軸足側へ交代(動画②)。

 徒手の鎬では母指球側面、母指先は水平。軸足側(動画③)。

 杖巡りの陰の魄氣、相半身外転換では非軸足側(動画④の二本目)。吸気で頂丹田への振りかぶりの方がより良い。

 

 

吸気の振りかぶりは頂丹田への結びである。

陽の魂氣と魄氣による。

吸気で頂丹田に結び、呼気で横面打ちを、取り自身の下丹田へ結ぶ。

突きや正面打ちに対する転換/入り身の動作。(動画④の一本目)。

結びの核心は、

 剣では母指球手背面、母指先の反りは後頂に向かう。軸足側(動画⑤)。

 徒手横面打ち(入り身/転換)では母指先が頭頂を指す。軸足側。

呼気で小手返しの手(陰の陽の魂氣)を下丹田に結ぶ。

                                      2018/6/16

動画①

動画②

動画③

動画④

動画⑤

6. 『合気神髄』より開祖の合気

合氣の姿勢(正立)と動作(魄氣と魂氣の三要素)

 

姿勢(正立

 合気について、〝どういうことをやるのかというと、最初は天の浮橋に立たされてというところから始めなければなりません〟(p99)、と開祖は現在までの稽古のありかたをここに指し示している。

〝合気道は天の浮橋に立たねばなりません〟(p65)。〝天の浮橋に立たねば武は生まれません〟(p73)。〝大地の呼吸とともに天の呼吸を受け、その息をことごとく自己の息にして同化し、魂魄を正しく整える〟(p149)のである、と。また、開祖は天の浮橋に立つ姿を〝天地の和合を素直に受けたたとえ〟、〝片寄りがない分です〟(p69)、〝立った姿は全部世界と結んでいる〟(p94)とも説明している。

 一方で〝禊は合気であり、合氣は禊から始める〟(p145) 。また、〝稽古は禊である〟p93ということで、天の浮橋に立つ、と禊は同義であることが明らかだ。

 

 禊とは、自然本体で大地から両足を経て魄氣を丹田に受け、吸気と共に両手を左右に緊張伸展して、魂氣を受ける思いで拍手を打つ。その瞬間、五体に魂氣のひびきを感じて呼気で丹田におさめる。開祖はこれを天の浮橋に立つことと表現しているのであろう。

 

動作

 禊の自然本体から一方の足を軸とし、他方を非軸足として〝三位の体にて〟(p70)非軸足を〝軽く半歩出す〟(p70)、と。これは単なる半身にとどまらず、軸足と体軸を後ろに置く呼気相であることから、私は陰の魄氣と呼んでいる。

 そこで、非軸足を後ろに一歩置き換えると、魂氣も腰仙部に陰で巡り、軸足交代によって半身を転換した陰の魄氣により、体軸の後方移動が成立する。体の変更である。

 

 

 いずれにしても軸足側の手は陰の魂氣となって丹田で魄氣に結び、体軸を確立するから、そのままでは手を差し出すことは出来ない。受けに取らせた手であれば、なおさら魂氣を及ぼすことも手で導くことも出来ない。軸足に連なる魄氣と結ぶ魂氣は体軸を作るものであって動かすわけにはいかないことを開祖は丹念に教えている(p6970)

 

静から動へ

 陰の魄氣からその場で陽の魄氣として軸足を伸展し、非軸足で地を踏み、同側の魂氣を陽で発すると、体軸は前方に片寄り、片手を取って取りの下丹田に結んでいた受けは前方に放たれる。片手取り入り身転換から体の変更である。

 つまり、陽の魄氣の半身では、前方の足腰に連なる体幹は前方に腰と肩が入り、異名側の受けの前胸部はそれに接触しつつ取りの魂氣に導かれて前方へ一歩踏み出すわけであある。

 他方、単独動作で陽の魄氣から呼気で体軸を戻して陰に巡れば鳥船の一呼吸である。

 

 そこで、陰の魄氣で半身の姿勢から軸足を交代して魄氣とともに体軸を対側の足に移せば元の軸足は非軸足となり、〝軽く半歩出し〟(p70)て、足先を地に置く状態となる。同側の手は体軸から解かれて陽の魂氣を発する兆しを持つ。〝空の気を解脱して〟(p67)、〝魂の比礼振りが起これば〟(p106)、不思議な〝身の軽さを得る〟p105わけである。

 

 非軸足を一歩進めることによって上肢を最大限に伸展して虚空に円を描くことができる。吸気で上肢を伸展し、虚空に円を描くことを〝真空の氣に結ぶ〟(p67)と表現し、魂氣を発すると同時に天から魂氣を受ける。

 

動から静へ

 相対動作では受けに魂氣を及ぼし、取りに巡ってくることで受けの底を抜き、それによって〝技が出る〟(p67)こととなる。〝中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています〟(p154)〝円の動きのめぐりあわせが、合氣の技であります〟(p120)

 

 置き換えた足は再び軸足に交代し、対側の足は継ぎ足で両足が一本となって体軸を移動させる。入り身による呼吸法の動作である。この一瞬が残心で、魂氣の描いた円は丹田か、もしくは体側に巡り、魄氣と結ぶ陰の魂氣となって再び体軸に与る。禊そのものである。合氣の核心はこの動作にある。

 

 禊とは、〝魄の世界を魂の比礼振りに直すことである。ものをことごとく魂を上にして現すことである〟(p149)。したがって、〝魂の比礼振りは、あらゆる技を生み出す中心である〟(p108)

 

 魂氣の陰陽、巡りを動作するには、同側の足が非軸足へと交代して魂の比礼振りの起こることが要訣である。

                                      2018/6/24

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